菖蒲沢薬師堂@石岡市辻【Tabi-ぶらin真壁&石岡】・其の3
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延暦元年(782年)に徳一法師が筑波山に中禅寺を創建し、この寺が筑波神社の隣りにある「大御堂」に発展していったとされる。
徳一法師は、筑波山の「中禅寺」の守護のために筑波山の四面に薬師如来を安置した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/00/4e3f5afaaed7e554c886b45750cdd570.jpg)
菖蒲沢薬師堂はその一つで、標高約100㍍。
製材所の駐車場から「薬師古道」と名付けられた細い道は、集落を過ぎると山道となり、登山をする雰囲気になる。
「薬師堂」と「薬師古道」は地区住民による共同作業によって維持されているのが現状で、地方に存在する多くの神社や仏閣の多くががそうだ。
集落の木村さんの案内で「薬師堂」へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/1c/a34fb6e0fce3514f5b31ae89216c3b4c.jpg)
仁王門跡。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a9/6e830f72adbb9eea1e90804da14f7a75.jpg)
梵字を刻んだ石碑が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/bd/11593b29fef996946ba63da0463feeea.jpg)
谷間には湧水を集めた「弁天池」も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/d9/fe56a197b2da9dec95119645927eb775.jpg)
階段を登れば「薬師堂」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/f4/1395a5d3ba8a1fc930b01ab4e184812f.jpg)
何度も火災に遭っているので、お堂も薬師様も創建時のものではない。
飯泉さんが修復された薬師如来坐像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/30/af75f562b44d34825836cd975abe9789.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/b6/119fa2ac58a66b16d3ad39e30e740e74.jpg)
薬師如来坐像は像高80センチ、漆塗金箔仕上げで平成二十年の修理の際、「貞享四年(1687)東光寺二十九代目別当寛泉」の墨書銘が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/b9/f0bf437f35f228f5dd6525138f0bf3c7.jpg)
仁王像は像高2・1メートル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/a5/526a1dbe5539d0975835cc407dbfb671.jpg)
「薬師堂」前での記念撮影。
今にも雨が降り出しそうであったが、この古道の散策は素晴らしく、天候の良い日であれば、更に楽しめるであろう歴史の道だ。
●奈良時代の後期、法相宗を学んだ徳一法師は、京都から東国にやってきた。
常陸国などの主に山岳やその麓に多くの寺を創建した。
その後、会津に行き恵日寺を興し、空海と思想論争をした高僧だが、今では東国に建てた寺はほとんど別の宗派になっている。
(写真の一部は「旅ブラ」会員の皆様のfb掲載から引用させて頂きました。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/69/6e613c6e3bbd8053960b07439ebb3b8c.jpg)
延暦元年(782年)に徳一法師が筑波山に中禅寺を創建し、この寺が筑波神社の隣りにある「大御堂」に発展していったとされる。
徳一法師は、筑波山の「中禅寺」の守護のために筑波山の四面に薬師如来を安置した。
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菖蒲沢薬師堂はその一つで、標高約100㍍。
製材所の駐車場から「薬師古道」と名付けられた細い道は、集落を過ぎると山道となり、登山をする雰囲気になる。
「薬師堂」と「薬師古道」は地区住民による共同作業によって維持されているのが現状で、地方に存在する多くの神社や仏閣の多くががそうだ。
集落の木村さんの案内で「薬師堂」へ。
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仁王門跡。
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梵字を刻んだ石碑が。
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谷間には湧水を集めた「弁天池」も。
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階段を登れば「薬師堂」
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何度も火災に遭っているので、お堂も薬師様も創建時のものではない。
飯泉さんが修復された薬師如来坐像。
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薬師如来坐像は像高80センチ、漆塗金箔仕上げで平成二十年の修理の際、「貞享四年(1687)東光寺二十九代目別当寛泉」の墨書銘が。
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仁王像は像高2・1メートル。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/a5/526a1dbe5539d0975835cc407dbfb671.jpg)
「薬師堂」前での記念撮影。
今にも雨が降り出しそうであったが、この古道の散策は素晴らしく、天候の良い日であれば、更に楽しめるであろう歴史の道だ。
●奈良時代の後期、法相宗を学んだ徳一法師は、京都から東国にやってきた。
常陸国などの主に山岳やその麓に多くの寺を創建した。
その後、会津に行き恵日寺を興し、空海と思想論争をした高僧だが、今では東国に建てた寺はほとんど別の宗派になっている。
(写真の一部は「旅ブラ」会員の皆様のfb掲載から引用させて頂きました。)