「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

称名寺(しょうみょうじ)@横浜市金沢区金沢町

2011年03月07日 21時39分24秒 | 庭園
称名寺(しょうみょうじ)@横浜市金沢区金沢町




運慶展が開催された神奈川県立金沢文庫は称名寺の境内の一部分。
称名寺と金沢文庫についてウィキペディアをもとに概略すると。

称名寺は北条氏の一族である金沢(かねさわ)北条氏の祖、北条実時(1224年 - 1276年)が開基した。居館内に実時が収集した政治、歴史、文学、仏教などに関わる書籍が収められていた。
金沢北条氏滅亡後は、菩提寺の称名寺に文庫の管理がゆだねられたが、寺運の衰退とともに蔵書も次第に散逸した(中でも徳川家康や前田綱紀の持ち出した数はかなりなものだといわれる。
1930年(昭和5年)、神奈川県立金沢文庫(かなざわぶんこ)として復興、県立図書館として活動してきた。1990年(平成2年)には新館が完成し、現在は、中世文化に関する博物館兼図書館の役割を果たしている。



文庫と称名寺は切通しとなっているが、以前はトンネルでつながっていた。
山と谷が連なる鎌倉の社寺は岩を刳り貫いた隧道が多い。










浄土式庭園

金堂前の池と周りの庭園は浄土式庭園と云われている。
浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んにつくられた様式。
代表例としては、

奈良県奈良市 円成寺、京都府宇治市 平等院、京都府木津川市 浄瑠璃寺、
福島県いわき市 白水阿弥陀堂、岩手県平泉町 毛越寺などが知られている。

上記の中で、奈良県奈良市・円成寺の他は訪ねたことが有る。
平等院は建物や堂内の荘厳など貴族文化を偲ばれた。
毛越寺の庭園の広大さ規模の大きさは、平泉の藤原氏がいかに隆盛であったのかを感じることが出来た。








称名寺の庭園は
1320年(元応2年)、金沢氏3代貞顕の代に整備されたもので、発掘調査を経て1987年(昭和62年)に復元された。


完全に復元されたのか?とも思えるが鎌倉時代らしいのかも。







早朝に東京を立ち、運慶展を観て後の称名寺の庭園の散策は鎌倉時代をいくらか身近に感じた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運慶-中世密教と鎌倉幕府-神奈川県立金沢文庫80年特別展

2011年03月07日 11時49分36秒 | 美術展
運慶-中世密教と鎌倉幕府-
神奈川県立金沢文庫80年特別展








東大寺南大門の仁王像に代表される、卓越した技量による力強い作風の仏師・運慶は誰もが知っている。

平安時代にもてはやされた定朝様(じょうちょうよう)の仏像は円満で穏やかな表情、平安貴族の好みを反映したものであった。
対して運慶の作風は、鎌倉という新時代に相応し仏像の男性的な表情、変化に富んだ衣文、量感に富む力強い体躯などに特色だ。

しかし、その高名さとは対照的に運慶の真作は数えるほどしか残っていないといわれる。多くは仏師の集団による共同作業、工房で作られたことによる。

それに、南都の仏様に対する憧れが強く、鎌倉時代の諸仏を敬遠していたところもある。
運慶の現存する真作は数少なく10点以内、ともいわれる。
本展覧会では、その数少ない運慶の仏像が一堂に会するとのことで、とにかく拝見しておこう。会期は3月6日(日)までだ。


円成寺の大日如来坐像と光明院の大威徳明王像が並ぶ展示が実現し、運慶による最初期と最晩年の二体の仏像が出会う。



運慶の現存最古作は、安元2年(1176年)に完成した奈良・円成寺の大日如来像。





重文「大日如来坐像」鎌倉時代初期 東京・真如苑所蔵

2008年にNYクリスティーズのオークションに出されあわや海外流出かと日本中を騒然とさせた運慶仏。



重文「大威徳明王坐像」建保四年(1216)神奈川・光明院所蔵(神奈川県立金沢文庫。
近年に運慶作と認められた、現存高20センチメートルの破損した小像。


仏像に対する関心はありながら、歴史を含め知らないことばかり。
とにかく、本物を拝見したということで満足。
東大寺仁王門などの巨大像とは趣が異なり、祈りや願いを感じる仏様であった。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする