『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  四角い記憶2

2023-04-20 01:08:42 | 翻訳

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 ミンジョンは大学を卒業して両親の家に戻ってきた。卒業式を目前にして両親が交通事故に遭ったためだった。故郷に住む伯父の誕生日に行く途中だった。七人兄弟の一番目の伯父は十五歳で駅の隣で蒸しパンを売って弟達を学校に行かせた。初めは露店で売っていたが商売がうまくいくと駅の前に店を構えるようになった。その蒸しパンの店は四十年間その場所を守った。そうして伯父の長男が店を受け継いだ。テレビで何回か放送されたので、全国から人が訪ねてきた。店の外に長く並ぶ列を見た弟達が、一人、二人と同じ名前で蒸しパンの店を出し始めた。その時から兄弟間でいろいろな訴訟が始まった。伯父は皆と縁を切って、ただ一人蒸しパンの店を構えなかったミンジョンの父親だけを弟として受け入れた。ミンジョンの父親が蒸しパンの店を構えなかったのは欲がないからではなかった。母親が蒸しパンを嫌がっていたからだった。母親は蒸しパンの臭いさえ嫌がった。運転した父親が現場で亡くなり、母親は命拾いをしたけれど、右手と右足が使えなくなった。頭に怪我して言語障害まで出た。ミンジョンは母親の世話をしなければならなかったので、夜だけ働いた。初めは町の補習塾で中学生を相手に国語を教えた。六か月後、塾長がスキャンダルにまみれて姿を消し、ミンジョンは二か月分の月給を受け取れなかった。新しい勤め口を探していてある食堂の前に貼ってあった求人広告を見た。カルビチム(牛の骨付きあばら肉の煮込み)を売る食堂だった。ミンジョンはカルビチムくらいは習いたかったので、一か月だけ働こうという気持ちで食堂の戸を開けた。その後ミンジョンは食堂で働き続けた。体が疲れて良かった。またいつでも辞めることができて良かった。ミンジョンが住む町から一ブロック離れた所が歓楽街なので夜だけ働くアルバイトの口を求めるのは難しくなかった。一週間に一、二回ずつミンジョンは自分が働いている食堂で一番美味しい食べ物を買って帰った。時々ただで持っていけという主人もいたけれど、ミンジョンは必ず支払った。家に帰ると十二時を過ぎていた。湯舟で半身浴をした。午前一時になるとミンジョンは食堂で買ってきた食べ物をつまみに酒を飲んだ。そうして食べ物に飽きると別の食堂を探した。

 ミンジョンは母親が四十で生んだ娘だった。両親は同い年だったので二十六で会って二十八で結婚した。そして翌年息子を生んだ。五歳の時に書道塾に送ると一か月で千字文を全部覚えた息子。ミンジョンはその話を耳にタコができるほど聞きながら育った。その息子は八歳の時に算盤塾の団体でプールに行って事故で死んだ。両親は居間の窓越しに算盤塾を見た。母親は居間の窓のカーテンを閉めて暮らした。算盤塾が無くなった後でもカーテンはそのままだった。「それで鬱病にかかったのだ。人間は太陽の光を見なければならないんだよ。」大学に合格してしまってからミンジョンが下宿すると言った時に父親が言った。必ず日が良く入る家をさがしなさい。そして父親は詫びた。もう一度子供が生まれれば母親が昔に戻るだろうと思ったんだ。すまなかった。ミンジョンは独立するためにわざわざ家から遠い大学を選んだ。下宿で初めて寝た日、ミンジョンは卒業しても両親の家に二度と戻るまいと決心した。父親が亡くなって箪笥を整理していてミンジョンは古い箱を一つ発見した。箱には亡くなった兄がもらった賞状があった。その中には暗算大会に出てもらった賞状もあった。その賞状を見てから夜ごとミンジョンは悪夢を見た。水に落ちてあがく夢だった。その時から寝る前に酒を飲んだ。そうして五年過ぎると毎日焼酎一瓶飲んで初めて眠ることができた。体重が十キログラムも増えた。葬儀場でまたチョンミンと会った時チョンミンは一目見てミンジョンとわからなかったのは、そのためだった。亡くなった方はミンジョンの母親の従姉だった。母親は実の姉妹がいなくて従姉と姉妹のように親しくて、 紙屋の義理の姉さんと呼んでいて、ミンジョンも紙屋の伯母さんと呼んでいた。幼い時にミンジョンは母親と一緒に伯母の家で一週間ほど過ごしたことがあった。伯母が壁紙を貼りに行く時、母親と一緒について行くこともあった。何で泣いたのかは覚えていないけれど、母親にお目玉を食らったことがあった。「悪いことをしたのに泣くのかい?」母親は厳しく言った。その時、壁紙を貼っていた伯母が、首に巻き付けていた手拭いで母親の背中を叩いた。「あんたはどうして子供をこらしめるの!」そして伯母は手拭いでミンジョンの顔を拭いてくれた。手拭いから汗の臭い。その臭いは長くミンジョンについて回った。会う親戚ごとに母親の病状を訊かれ、その度にミンジョンはそのまま変わらない、と言った。そうして三十回位答えてから席を立った。そして出棺には来られないと言おうと又従兄のところに行った。又従兄は会社の人達と話していたが、そのテーブルの隅にチョンミンがいた。まあ、とミンジョンは思わず声を出した。チョンミンがミンジョンを見て「どなたですか?」と訊き返した。「おばけ軽食屋で最後にトッポッキを食べた者。」ミンジョンが言った。「ミンジョン先輩だね。」チョンミンが立ち上がって手を差し出した。

 二人は葬儀場のロビーで珈琲を飲んだ。チョンミンはまだ就職したことがなく、二か月前からインターンの仕事をしていると言った。又従兄が主任だと言った。ミンジョンは四角四角(ネモネモ)のサークルはなくなったと言った。会長が学校から受け取ったサークル補助金をこっそり使ってひっかかったと言った。そのことでサークル室から追い出されて行く所がなくなった会員達は、互いにお前のせい私のせいと言って結局解体した。「だから、あなた達が最後の期よ。」ミンジョンが言った。チョンミンが紙コップをなでまわしながら言った。「僕、まだあの万歩計持っています。」万歩計という言葉を聞くと、ミンジョンはチョンミンにそれをプレゼントした日を思い浮かべた。チョンミンと別れて病院を出たら雨が降っていた。傘がなかったけれど、ミンジョンはそのまま歩いた。雨がすぐに肩を濡らした。ミンジョンは駐車場の方から車椅子に乗った人が自分の方に近づいているのを見た。車椅子に乗ったお父さんの膝に子供が座っていた。子供が両手で傘を持ち上げてお父さんは両手で車椅子車輪を回していた。父子がミンジョンの横を通り過ぎた時、よかった、とミンジョンは思わずそう呟いた。もしチョンミンがミンジョンの告白を聞いてくれたら、ミンジョンはチョンミンになぜトッポッキを食べようと言ったのか話そうと思った。運命のようじゃないですか?チョンミンがそう言った。その言葉が聞こえなかったふりをしよう。チョンミンはミンジョンの亡くなった兄の名前だった。その日、ミンジョンは亡くなった息子の名前をひっくり返して娘の名前にした両親をどんなに恨んでいるか告白しそうになった。その話をしなくて良かった。ミンジョンは思った。「先輩、お酒を一杯やりませんか?」チョンミンが訊ねた。ミンジョンがまた今度と答えた。その日からチョンミンはしばしばミンジョンに電話をかけた。主に仕事が終わって家に帰る途中で電話をしたが、その時間ミンジョンは食堂で仕事をしていて電話に出ることができなかった。その度にチョンミンは短いメッセージを残した。「何をしていますか?」「今日暑いですね」のような言葉。家に戻ってお酒を飲みながらミンジョンはそのメッセージを何回も繰り返して読んだ。返事は送らなかった。そうして何か月かが過ぎるとメッセージはもう来なかった。


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