『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

そぞろ歩き韓国99  zoo coffee

2012-03-30 13:45:57 | まち歩き

地下鉄1号線の龍山(ヨンサン)駅で楽しいカフェをみつけた。

イマートの隣のZoo Coffee。

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外からは普通の喫茶店。
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虎が座っている。

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ホワイトタイガーもお出迎え。

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動物と一緒に韓流スターもご案内。

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おいしいアイスクリームが目白押し。







読書感想7   日本語で書くということ

2012-03-29 01:22:43 | 日記・エッセイ・コラム

 

題名    :   日本語で書くということ<o:p></o:p>

 

作者    :   水村美苗<o:p></o:p>

 

出版年月  :   20094<o:p></o:p>

 

出版社   :   筑摩書房<o:p></o:p>

 

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感想:<o:p></o:p>

 

 この本は1986年から2005年まで雑誌などに発表されたエッセイを1冊にまとめたものである。いろいろなことが書かれている。<o:p></o:p>

 

中でも非西洋文化圏で母語による豊かな近代文学が花咲いた日本のような国は珍しいという。著者はインドを例に挙げ日本との比較を試みる。

インド各地の諸言語は近代に対応することができず、近代文学を持つことができていない。インド系の作家は植民地にされたことにより英語でインドについて書くが、母語で書くことはない。

また、21世紀の世界言語としての英語の時代に、インド系の作家の書く英語の小説が英語であることで「世界文学」となるのに反して、日本語などの英語以外の言語で書かれた小説は周辺的なものに,二流、三流のものに堕してしまわざるを得ないと危惧する。。

そうした時代に日本に日本語で書かれた近代文学が存在するという幸福が不幸にかわりかねないと言いつつ、英語の時代に日本語が書きたいという魅力を持つ言語であり続けられるかと著者は問う。ここは「日本語が亡びるとき」のテーマとかぶる。<o:p></o:p>

 

最も興味をそそられたのは、日本近代文学が成立する上での思想的葛藤を夏目漱石の小説から、また文体的な重層構造を生かした小説作りを谷崎潤一郎の小説から読み解いたところである。<o:p></o:p>

 

漢籍の中では男女の結び付きが罪悪ですらあったが、それに最高の価値を与える恋愛至上主義が西洋の「近代小説」の根底にあった。漢籍に親しんでいた夏目漱石はそうした恋愛至上主義に反発し、「ぼっちゃん」や「虞美人草」にはそれが反映されているという。<o:p></o:p>

 

この二つは勧善懲悪小説で恋愛至上主義そのものが罪だという共通した構造になっているという。赤シャツとマドンナ、小野さんと藤尾。男同士の正義感に燃えた友情がその対極にあり、恋愛を退治する役目を負うのだという。<o:p></o:p>

 

また「虞美人草」の文体は3つで構成されていて、一つ目は文語調の美文、二つ目は言文一致体、三つ目は会話文。美文の中で藤尾は男をたぶらかす「妖婦」として描くことができても、会話文では主体性のある、自分で自分にあった伴侶を選ぼうとしている姿しか出てこない。会話文によって藤尾を「悪女」にすることは破綻しているし、漱石自身も小説として失敗したと考えているという。<o:p></o:p>

 

夏目漱石は最後の小説「明暗」の中で主人公を恋愛至上主義者に設定している。日本の風土の中で「近代小説」を書こうとしたのだという。<o:p></o:p>

 

谷崎潤一郎の「春琴抄」の中での文体は、言文一致体と言文一致体が抑圧してきた日本語、つまり関西弁の女の会話文、敬語文、語り口、古典、古文書などで重層構造になっている。大阪弁のこいさんの会話に続く漢文調の文章体が同じことを語るおかしさもあるし、いかにも本当らしく感じるという。<o:p></o:p>

 

この本を読んで漱石を新しい目で見るようになった。谷崎潤一郎にも日本語の表現の豊かさを教えられた。伝統と近代の緊張と相克の中から日本の近代文学が生まれたのだ。それだけでも読む価値のある文学作品の数々だと思う。<o:p></o:p>

 


そぞろ歩き韓国96  国立中央博物館 仏塔

2012-03-25 19:33:54 | まち歩き

国立中央博物館の庭にはたくさんの仏塔が建てられている。

8世紀ぐらいからの古いものだ。各地のお寺の跡から集めたもの。お寺はもうないということか。

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高麗時代11世紀の七層石塔。

開城の南渓院の跡からのもの。

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統一新羅時代758年の東西三層石塔。

慶北、葛項寺址のもの。

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石仏もある。どこのものかはわからない。