『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々886  晩秋の昭和記念公園3

2018-11-30 08:59:21 | まち歩き

ボートに乗る人は少ない。

コウヤマキ。

シラカシ。

イタヤカエデ。

コナラ。

イロハモミジ。人が多すぎる。

イチョウ。

 

「黄葉の イタヤカエデに 囲まれた 紅一点は イロハモミジ」(自作) 


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四季折々884  晩秋の昭和記念公園1

2018-11-23 16:25:09 | まち歩き

11月の日曜日に昭和記念公園を散策。人が多かった。日本庭園の中の盆栽展示をまず見に行く。

がじゅまる。

コムラサキシキブ。

 ブーゲンビレア。

杜松。

やまもみじ。

真柏。

くちなし。

そなれ。

マユミ。

蝦夷松。

五葉松。

「蝦夷松よ 齢重ねて 300年」(自作) 


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読書感想250  教えてみた「米国トップ校」

2018-11-13 23:02:28 | 日記・エッセイ・コラム

読書感想250  教えてみた「米国トップ校」

著者      佐藤仁

生年      1968年

出身地     東京都

現職      東京大学東洋文化研究所教授

        プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクー

ル客員教授

出版年月日   2017年9月10日

出版社     (株)KADOKAWA

☆☆感想☆☆

 著者は東大で18年間教え、最近4年間は年の半分をプリンストン大学で教えた。そうした日米のトップ大学で教えた経験から、憧れのアイビーリーグと比べるなかで、日本のトップ校、東大の可能性に気づいたという。東大の強みを再確認し、6勝4敗で東大の勝ちと軍配を上げている。本書を書く動機になっているのは、近年、高校生の米国のトップ校への進学希望が増える一方で、アイビーリーグの実態についてはほとんど知らず、「アイビーリーグ・ファンタジー」に踊らされているような印象をもったことにあるという。

東大の強みは何と言ってもその学費・生活費の安さだ。プリンストン大学の4年間で2800万円に対して3分の1の800万円ぐらいで済む。教員と学生の比率は東大が1対7で、イェール大学の1対4.4に負けているように見えるが、米国のトップ校では教員の授業負担を減らそうとしており、学部生向けの授業の多くは若手の研究員や大学院生が代行する場合が増えている。有名な教授の授業を受けられない場合が多く落胆するという。教員と学生の距離が日本のトップ校の場合は米国トップ校よりも近い。ゼミを通じて授業以外の付き合いもあり、親しい間柄になる。米国トップ校では入学試験が、「書類選考」を柱に学力と人物を総合的に評価して行う。東大は筆記試験だけである。著者は筆記による学力試験のほうが透明性の高い、公平で、比較的安上がりなシステムであると述べている。米国トップ校では受験生の9割以上が不合格になる。そうした受験争いの中ではテストや内申点の点数では差がつかない。エッセイと推薦状が決め手になり、人とは違う「卓越性」が強調される。社会貢献という側面での卓越性は『人格』という評価軸の要件である。日本では大学受験のために趣味のスポーツや音楽などを高校2,3年でやめる傾向があるが、アメリカでは13歳から始めなければならないという。卓越性を作るためである。ボランティア活動も人がしていない活動をさがす。受験のためである。著者がプリンストン大学の学生に感じたものは、知的な好奇心というよりも人からの評価にすごく敏感だということである。アイビーリーグでは卒業生の子弟を優先的に入学させる「レガシー入学」やスポーツ優先枠もある。基礎学力の点では東大生は一様粒がそろっているが、プリンストン大学の学生はむらがある。できる学生とできない学生との格差が激しいという印象を持っている。個性豊かな多様な学生が多いのは東大の方だと指摘している。変人・奇人が多いとか。米国トップ校では多様性を重んじながら、結果として似たバックグランド、似た考え方の学生を集めている印象があるそうだ。彼らを「優秀な羊たち」と呼ぶ向きもある。米国トップ校でも1920年代までは入試は学力試験だけだったが、ロシアでの迫害からアメリカへ移住してきたユダヤ人が大学進学を目指し殺到した。成績優秀なユダヤ人の増加を抑制し、もともとのアングロ・サクソン系の白人富裕層の子弟を確保するために、「人物」というあいまいな基準を作って入試を操作したのだという。プリンストン大学の学生の良い成績をとらねばというストレスが東大生の比ではない。うつ病になる学生の比率も高いという。

プリンストン大学の良い点ももちろんある。履修するコマ数が少ないので集中して勉強しているし、ディスカッションにおける鋭い瞬発力は東大生には見られないものだとか。

憧れのアイビーリーグの学生生活も大変だ。


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読書感想249  6月19日の花嫁

2018-11-10 18:51:17 | 小説(日本)

 

読書感想249  6月19日の花嫁

著者      乃南アサ

生年      1960年

出身地     東京都

出版年     1991年

出版社     (株)新潮社

☆☆感想☆☆

物語は結婚を1週間後の6月19日に控えた池野千尋が「彼」の運転する車に乗っていて、雨の中で事故に遭い失神してしまうところから始まる。彼女が翌日の6月13日に目覚めると、見知らぬマンションの部屋のベッドに寝かされ、見知らぬ男が現れて路上で倒れていた彼女を助けたと言う。しかし、彼女は自分に関する記憶を一切失っていた。見知らぬ男は前田一行と名乗って、「また、振り出しだな」とつぶやく。そして彼女にハンドバックを渡す。その中に身元が分かるものは何もなく、池野千尋の名前の書いてある写真と6月19日の日付のある領収書がはいっており、それを手掛かりに千尋の自分探しの旅が始まる。千尋は結婚式にたどり着けるのか、一行とはどんな関係なのか。数々の謎を読者は千尋と一緒にたどっていく。

自分に関する記憶がなくなるというのも恐ろしいし、自分が覚えていない悪事の数々を挙げつられても困ってしまうだろう。昔のことを話していて、記憶のいい人と全く覚えていない人がいるが、自分に関することは記憶の悪い人でも忘れることはない。記憶喪失というのはドラマやミステリーでよく使われるテーマだが、かなりの頻度で現実にもあるのだろうか。認知症は病気として一般的だが、精神的なショックに伴う記憶喪失は物語の世界以外ではあまり聞かないなあ。


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