『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々141   相模原公園12

2013-08-31 14:49:34 | まち歩き

グリーンハウスの中の大温室。熱帯の植物が見られる。実のなる木を見て回るが、あまり収穫はない。

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グリーンハウスの前景。

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グリーンハウスの前にあるコノテガシワ。

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コノテガシワの珍しい花。

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おなじみのバナナの木。

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モンキーバナナの木。大木になるのか、もともと小木なのかわからない。

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カカオ。
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コーヒーの木。

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マンゴー“キーツ”。
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バンジロウ(グァバ)。グァバの実がついている。

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パパイア。

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翻訳  朴ワンソの「裸木」34

2013-08-30 23:02:23 | 翻訳

 

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翻訳  朴ワンソの「裸木」34<o:p></o:p>

 

1081行目~112頁2行目<o:p></o:p>

 

 私は窓枠に腰かけて黄昏が来ている外をじっと見ていた。店舗に一つ二つ灯が灯ると通行人が少し寒く見えた。露店のカンテラの灯が青白い踊りを始めるや、木の板に西洋煙草とチューインガムを並べていた小母さんは荷物をまとめ始めた。<o:p></o:p>

 

 間もなく少し濃い闇が来るだろう。壊れた黒い屋根と冷たい戦慄。私は芸術家のように繊細な感覚で仕立てた闇を予測した。<o:p></o:p>

 

「腹がたった? そんな声を出して。でも信じてくれ。大部分の時間はキョンアのことだけ考えていたんだ」<o:p></o:p>

 

 いつものように泰秀が真剣であれば私は返事を忘れてしまう。対話が途切れて気まずくなった。<o:p></o:p>

 

 窓の横にしょんぼりと置いてあるテーブルの上にコンサイス辞書と英文雑誌とアルバムが大きい順番に重なっていた。私はアルバムを取り上げてざっとめくった。彼がすばやく私の横に来て窓枠に座った。彼は恐らく写真に説明を付けるのだろう。私は彼を少し知るようになるだろう。彼の過去の友達、家族などの彼の周りの人々を。私はそれが煩わしくて、彼があらかじめ加わる間をつくらないように、慌ててアルバムをめくってしまった。<o:p></o:p>

 

 銑鉄のストーブが表まで赤くなるほど熱くなった。4畳半の狭い部屋がかっかとほてった。<o:p></o:p>

 

 私は燃え上がった頬を冷やそうと、ガラスに片方の頬を当てた。商家の灯が点々と増えだした。<o:p></o:p>

 

 闇が絵具を塗ったように濃くなった。<o:p></o:p>

 

「キョンア、今日はとてもきれいだね」<o:p></o:p>

 

 彼はガラスに当てた私の顔をゆっくりと自分の前に引き寄せて震えていた。<o:p></o:p>

 

 私は彼に抱かれた。私の頬が彼の胸の激しい動悸をはっきり感じながら、やはり目は外の世界の闇の相応しい濃度の見当をつけていた。<o:p></o:p>

 

 ガラスで冷やした頬を彼の唇が熱くこすった。次は唇でー彼はほとんど身悶えのような激しく乱れた動作で、私を求めてもどかしがっていた。私の目は外の世界の闇の相応しい濃度の見当をつけていた。<o:p></o:p>

 

 私の体のどこも彼に向かって開かれなかった。私の気持ちは少しも規則に背かず、静かに弾んで、私の体温はストーブが熱する以上には熱くならなかった。<o:p></o:p>

 

 彼は一生懸命で、だんだん苛立って私を愛撫した。私はそのまま視線を外に向けたまま、彼の愛撫に素直に体を任せただけで、特に変わった感じもなく、ただ時間だけがはっきりしていた。<o:p></o:p>

 

 とうとう彼は畳の床に膝をついて、私のチマに顔を埋めて、<o:p></o:p>

 

「ああこんなことが…キョンア、こんなことが・・・」<o:p></o:p>

 

 ため息のようなうめき声を出した。男と女の間では一方的な激情がどんなに無意味で惨めなものかを今になって理解し始めたようだった。<o:p></o:p>

 

 私は彼の両腕の間から無残にもくちゃくちゃになった緞子のチマを、こそこそと抜き取った。人絹の内チマを抱きしめる彼はとても哀れに見えた。<o:p></o:p>

 

 しばらくして彼は電灯をつけて煙草に火をつけた。<o:p></o:p>

 

「僕が嫌い?」<o:p></o:p>

 

 言うまでもなく悲惨な彼の表情に驚いた私は慌てて、<o:p></o:p>

 

「いいえ、そうじゃないわ」<o:p></o:p>

 

 首まで振りながら強く言い切った。嘘ではなかったが、彼がその反対の質問をしても、私は同じ返事をしただろうから心の中でこっそり困惑した。<o:p></o:p>

 

 彼は何かもっと言いたそうに唇を尖らせていたが止めて、もう一度煙草だけを長く吸った。<o:p></o:p>

 

「夕食を作ろうか? ちょっと手伝ってくれる」<o:p></o:p>

 

 しばらくして、明朗さを回復した彼が、押し入れの戸を押した。上の段には寝床がしわくちゃにいいかげんに場所をとり、下の段には汚らしい炊事道具と醤油瓶の一部が見えた。<o:p></o:p>

 

「すぐ帰らなければ」<o:p></o:p>

 

 今や外は完全な夜だった。分厚い闇だった。<o:p></o:p>

 

「母が待っているから…そうだね?」<o:p></o:p>

 

 彼は強いてものを取ろうとせずに押し入れの戸を元通りに閉めて疲れたように言った。<o:p></o:p>

 

 急な階段を手探りで降りてきて、赤十字が描いてある外灯のついている玄関の外で、冷たい空気を大きく吸ってから、後ろをついてくる彼に、<o:p></o:p>

 

「さようなら、今日はおもしろかったわ」<o:p></o:p>

 

 挨拶をつくろってから、彼の返事も待たずに素早く歩いた。<o:p></o:p>

 

しばらく歩いてから振り返ってみて、彼がついてこないことを確認してゆっくりと周囲を楽しく見回した。<o:p></o:p>

 

 さまざまな飲食の臭いが鼻につかない街を通り過ぎた。また洋装店と洋品店が隙間なく並び、さっきよりは少し明るく浮かれている町へ来た。いくらでも見物を楽しめる街でも、まだ一つの臭いが鼻に残っていた。<o:p></o:p>

 

 キムチ汁の臭いだった。酸っぱく、普通のキムチ汁の臭いは鼻を押さえても漂ってきた。そして母に対する怒りと午前中の惨憺とした気分がゆっくり蘇った。<o:p></o:p>

 

 餃子を食べたいということが単純な食欲だけだったのか? 食欲よりははるかに切実なもの、木炭の木の慈雨への渇望のような、優しさへの苛立つ望みにあれほど固く閉ざすことが…他でもない私の母が。<o:p></o:p>

 

 肉親なのでためらっていた母に対する憎しみが、忍耐の限界を越えて込み上げてきた。<o:p></o:p>

 

 その驚くべき吝嗇さ、怖ろしい意地、この世の中にどこの誰でも他人をあれほど惨めにさせる権利はないはずだ。あれほど慈しみ深さにけち臭いことが。<o:p></o:p>

 

 私はかっと燃え上がる怒りを冷やそうと、しきりに冷たい風を吸い込んだ。ふとある悟りのようなものが、私の足を止めさせた。畳の床に膝をついたときの泰秀の惨めな姿が浮かんで、その時の彼も私が餃子を食べられなかった時のように惨めだっただろうと思ったのだ。<o:p></o:p>

 

 そんなことが? それでもやはりそれぐらい彼が悲惨だったなら? 「ああ、こんなことが、キョンア、こんなことが」という彼の絶望的な呻きと、私が母のチマの裾にしがみついて「時々たまにでも」という哀願と何が違うのだろうか?<o:p></o:p>

 

 私は立ち止まったまま、せっかちにピンクの春のコートをかけたマネキンがにこにこ回っているショーウインドに、額を当てて頭を休ませた。ピンクのコートは何度も回った。少しも目まぐるしくなく、優雅な微笑を浮かべて回り続けた。私もどうしようかと同じ考えをあれこれ転がしながら、ちょっと目まぐるしかった。私の考えはなかなか前に進展しなかった。ピンクのコートの旋回が邪魔しているからのようだった。私は目をつむった。そして白い母を見て、キムチ汁の臭いを深く吸い込んだ。<o:p></o:p>

 

 簡単に決定した。<o:p></o:p>

 

 私はきっぱりときびすを返した。泰秀に対する憐れみですすり泣きそうだった。彼に私が与えることのできるものを与えたかった。なぜとっくにそうできなかったかを後悔しながら、誰でも、この世界の誰でも私が餃子を食べられなかった時ぐらい、あんなに大きな悲惨に陥ってはいけないと念を押しながら、洋装店と洋品店の街を疾走して、また再び飲食店の街へさしかかった。<o:p></o:p>

 

 しばらく私は彼を再び徒労に終わらせることがないように、熱心に思案を重ねた。どうすれば彼に対して私を開くことができるのだろうかと。彼が私に素敵に見えた瞬間を集めてみた。彼の青い髭剃り跡の男らしい頑強な顎の回想が、一番気に入った。彼の顎に額をつければ、薫風に生硬な蕾が開く奇跡が、私にも起きるだろう。彼の顎に額を当てて、彼の心臓の鼓動を聞くことは、私がいつか熱望していたことだったじゃないか。そのようにまずしてやらなければ。その次の考えは最後にしよう。その次は泰秀が分かってするはずだから。ついに皮膚泌尿科の看板の前に立った。泰秀の部屋は灯が消えて2階へ上がるガラスの戸には巨大な鍵がかかっていた。<o:p></o:p>

 

         ―続くー<o:p></o:p>

 

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四季折々139   相模原公園10

2013-08-29 12:34:47 | まち歩き

実咲きガーデンはクスノキゲートをの近くにある。実咲きガーデンの辺りをぶらぶらと散歩。

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実咲きガーデン。実のなる野菜や果樹を植えている。

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地面から水が噴き出す。涼しい場所。

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時計を忘れた人のため。

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ヨーロッパの路地を再現。

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中庭(パティオ)の中の水場。

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パティオ。

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ヨーローパの路地に続いて日本の路地が現れる。

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昔の木造の町並。

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路地を抜けると生垣がある。これはヒサカキ。

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ヒイラギモクセイの生垣。
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読書感想89  日韓がタブーにする半島の歴史

2013-08-28 22:58:16 | 時事・歴史書

 

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読書感想89  日韓がタブーにする半島の歴史<o:p></o:p>

 

著者      室谷克美<o:p></o:p>

 

生年      1949<o:p></o:p>

 

出身地     東京都<o:p></o:p>

 

出版年     2010<o:p></o:p>

 

出版社     (株)新潮社 「新潮新書」<o:p></o:p>

 

経歴      時事通信社の元ソウル特派員<o:p></o:p>

 

☆感想☆<o:p></o:p>

 

 「悪韓論」の著者が「悪韓論」に先立つこと3年前に書いた本である。韓国にも日本にも常識となっている古代史の定説を、原典を読み解くことと、考古学的な証拠や風土から覆そうと試みたものである。<o:p></o:p>

 

その原典は、すべて漢文で記述されたものである。正史としては中国の三国志東夷伝(3世紀末)、隋書(7世紀)。朝鮮の最古の歴史書で正史の三国史記(12世紀)。第2に古い歴史書であるが、野史(正史ではない)の三国遺事(13世紀)である。三国遺事は三国史記に載っていない異説を怪しいものまで含めて何でも集めたもの。この三国遺事に初めて檀君神話と、金首露神話が収録されている。<o:p></o:p>

 

定説の1は、朝鮮半島から稲作を始め様々な先進文化を日本列島の倭人は教えられ、国の基礎を作り発展させてきたというものである。定説の2は江上波夫の「騎馬民族国家論」の影響で天皇の起源は朝鮮半島にあるのではないかというものである。定説の3は戦前の皇国史観全否定の風潮の中で、日本書紀にある任那日本府、つまり倭人が朝鮮半島南部を支配していたことを否定するというものである。<o:p></o:p>

 

三国史記と三国志東夷伝によれば、朝鮮半島南部は韓族や(中国からきたツングース系の人々)や倭人や倭種(倭国の支配下にない倭人)の雑居地域であった。新羅の南、「任那」地域にいた倭と新羅は何度も交戦し、1世紀ころに国交を結んだとある。その「任那」にあった狗邪韓国は倭の北の端と記載されている。海を渡った所に本拠地があったのである。そして新羅の中にも倭の影響がある。脱解(タレ)という賢者が日本列島から流れてきて、実質的に新羅を取り仕切り4代王になったあと、倭人を大輔(テーポ、総理大臣に相当)に任命したとある。脱解の子孫は7人が王位につき、新羅の基礎を作ったと記載されている。その後も母方を通じて脱解の血は高麗王朝まで続いていく。脱解は倭種の王である。三国史記のなかでは脱解の生国は倭の東北1千里の「多婆那国」とある。1里を朝鮮里か中国里で換算すると400mか450mになる。日本海側の丹波か新潟か鳥取かと推察できる。<o:p></o:p>

 

また考古学的な発見としては南西部の栄山江(ヨンサンガン)地域には前方後円墳が10数基発見されている。5世紀から6世紀の築造と明らかになっている。日本の前方後円墳は3世紀からはじまり、6世紀後半ぐらいまでである。日本の影響でできた墳墓であり、倭人の痕跡といえる。また南東部の新羅地区からも和式の墳墓が発見されているという。南部一帯に倭人の影響が強かったことの証拠であろうという。<o:p></o:p>

 

先進的な文物、つまり中華文明は半島南部に確固とした基盤をもっていた倭人や倭種が、1世紀半ばに半島の北部にあった漢の4郡(楽浪郡や帯方郡)と直接つながって本国、つまり日本列島に伝えたと考えるのが自然である。まず漢字の伝来について1世紀に漢と外交交渉をした倭人が漢字を読めないはずはない。さらに寺院の建築技術については、半島に残っている新羅、百済の古刹と地震に強い頑丈な日本の建築とは比較にならない。日本の大工の技術用語にも韓語の面影は発見できない。また稲の日本への伝播は最近のDNA解析の成果で中国・雲南省から東シナ海を経由して九州に達するルートだと学問的には結論が出ている。しかし半島経由で渡来人によって稲作が伝わったと思いこんでいる日本人や韓国人は多い。朝鮮半島に稲作が伝わったのは、山東半島や遼東半島経由だと韓国の「高等学校国定国史」に記されている。新羅では主食は粟で、百済でも王による始作稲田の記載はあるが、それ以上に飢饉の記事が多く、高句麗の主食は稗である。日帝が凄まじい財力を投入して農業基盤整備事業を推進するまで、半島の庶民は銀シャリ(白米100%)を口にできなかった。1980年代になっても米に雑穀を混ぜる混食義務が国民に課せられていた。それに対して日本列島は3500年前(縄文後期)に稲作をしており、青森県の三内丸山遺跡などから縄文時代の「豊かな食生活」が判明しつつある。また日本の農業関連用語には韓語に似た語彙は全くない。こうしたことから新羅人や百済人、高句麗人が倭人に稲作をはじめとする農業を指導する立場ではなかった。稲は大麦や小麦、粟、稗とは比較にならないほど収穫量が多い。それが大きな人口を支え文化力の礎になった。隋書の中には倭国と新羅、百済の関係について次のように述べている。<o:p></o:p>

 

「新羅、百済皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之、恒通使往来」(新羅も百済も倭国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も倭国を敬仰し、常に使節が往来している)<o:p></o:p>

 

倭国が文化力の高いモノづくり大国として周辺の国々から認められていたのだ。<o:p></o:p>

 

天皇家が朝鮮半島に起源をもつと言う記述は三国志東夷伝にも隋書にも三国史記にも三国遺事にもない。朝鮮半島が出自ではないからだ。扶余、高句麗、百済と続く建国神話は克明に記載されているのと対照的である。<o:p></o:p>

 

今日の韓国には列島に対する独特の偏見に満ちた史観がある。それを体系化したのは崔南善という歴史家である。その要旨は①半島や大陸からの逃亡民が倭国を造った、②倭奴は蒙昧で、半島から行った民があらゆる文化文明を教えてやった、③新羅は列島に多数の植民地をもっていた。<o:p></o:p>

 

これは中国の正史や三国史記が記していることを逆さまにした内容である。<o:p></o:p>

 

また崔南善は日本という名前は、その昔、新羅が呼び始めて正式国名になったと述べている。これも三国史記「新羅本紀」の中では「倭国更号日本。自言近日所出、以為名」(倭国、日本と号を更める。自ら言う。「日出る所に近し。以って名と為す」と)と記載されている。なぜこんな嘘を書いたのか、明々白々な捏造を行ったのか。国号を隣国に決めてもらったのは、日本が新羅からではなく、李氏朝鮮が明国からだ。著者は崔南善が「半島の恥辱←→列島の栄光」の個所を「半島」と「列島」を入れ替えて作り上げていると述べている。<o:p></o:p>

 

その他「檀君神話」や「金首露神話」についてもいろいろある。<o:p></o:p>

 

この本は223頁だが、初めに著者が書いたものはこの2倍の量があったと言う。とても面白い内容なので、もともとの原稿も読みたくなる。普通の日本人でも三国志東夷伝や三国史記を読むことができるのは、漢文の素養があるからだ。韓国で漢字教育がなおざりにされていけばいくほど、自分の力で原典をあたることができなくなる。<o:p></o:p>

 

日本の歴史について新しい視点を提起する人が、歴史学者ではなく、ジャーナリストなのはどうしてなのか。「逆説の日本史」井沢元彦しかり、本書の著者の室谷克美しかり。

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