☆☆ 趣 味で勉強している韓国語サークルで取り上げた作品を翻訳しました。営利的な目的はありません。☆☆
2017第8回 若い作家賞 受賞作品集から「静かな事件」
著者 : ペク・スリン
著者略歴: 1982年 仁川生まれ。2011年 京郷新聞新春文藝に短編小説「嘘の演習」が当選し登壇。
2015年 若い作家賞を受賞。
「静かな事件」2
私が転校した学校は地理的に私たちの町とアパート団地の中間ぐらいにあった。そのために学校の構成員も私たちの町の子供が半分ぐらいとアパート団地の子供が半分ぐらいに分かれていた。両親は新しい学校へ登校する前に何度も私にせっかくならアパートに住む子供たちと親しくなれと口を酸っぱくして懇願した。しかし、そんな懇願ができたのは両親が一度も転校したことがなかったからだと、わたしはまもなくわかるようになった。転校生には友達を選ぶ権利がほとんどないということを両親はあらかじめ知ることはできなかった。転校生として初めて教卓の横に立った瞬間私に注がれた80の瞳。推測し評価しどの部類に入れなければならないか判断するために、私を素早くすみずみまで調べていた視線を私は長い年月が経った今でも覚えている。新しい学校での初日私は、教室の床に唾を吐く半分の子供たちに違和感を感じる他の半分の子供たちと自分が近いと思ったけれど、同じロゴのバックパックを背負って通い、勉強に命をかけるのは取るに足りないことだというように授業時間にはうつぶせになって寝て、それぞれ帰宅しては課外学習を受けていたその子供たちは、私が自分たちとは違うということをたやすく見抜いた。クラスの子供たちはちょっと静かに共存しているように見えたけれど、物理的な性質が違い、合流地点を過ぎた後にもそれぞれ白と黒を維持しながら並んで流れる南アメリカの二つの川のように、互いに混ざる方法がなかった。さらに私には勉強の才能があり、それが転校した後初めて受けた中間試験で証明されたために、私はアパートに住む子供たちと付き合うことができた。しかし、彼らが三々五々集まってする課外学習に属すことはできなかったし、何よりも彼らとは帰る方向が違った。
もし転校した学校にヘジがいなかったら、新しい生活はなおさら陰鬱になっただろう。しかし、よそから来た私を警戒する目つきで眺めていた子供たちの間にヘジがいて、おかげで少しずつ新しい環境に適応することができた。ヘジと親しくなったのはヘジだけがこちらとあちら、どちらにも加わることができずどっちつかずだった私を、排斥しないただ一人の子供だったからだ。ヘジは学校に居るとき、そんなに目立つ子供ではなく、むしろ静かなほうだったけれど、学校から出れば口数が増え闊達になった。ソウルの地理を全く知らない私を近くの大学前のファーストフード店や映画館のような所に連れて行ったのもヘジだった。私たちの中学校に付設されている男子中学校にかようムホが私たちと一緒になる日も多かった。初めて会ったとき、ムホは背がようやく私くらいで痩せた体格に可愛い顔で、同年輩の男だというよりは弟のような感じだった。さらに3名もいる姉たちのナプキンのお遣いをして育ったせいか、女の子と付き合うのが好きだった。ムホは町のほかの男の子たちと違って私に意地悪い冗談を言わなかったし、何よりも私の前で悪たれたことを言わなかった。私たちは徐々にしょっちゅう付き合うようになった。ヘジやムホと違って私は学校の前の塾に通っていたから、かれらが遊んでいるときに後から遅れて合流するスタイルではあったけれど。
ヘジと二人で、あるいはムホまで入って3人で、夕方遅くまで遊んでいて日がだんだん沈む頃、帰宅するために険しい坂を上って崩れた路地にさしかかると、私たちはどこかに隠れていた野良猫と決まって出くわした。そこには本当に水道もなくたくさんの猫が暮らしていた。
駐車している車の下を住処にして横たわっていたり、無断投棄された黒い袋の周囲をしきりにのぞき込んでいるときに人が通り過ぎると、びっくり仰天してどこかへ消えてしまう野良猫たち。
多分ヘジと親しくなってから間もなく、一緒に帰っていた晩のことだっただろう。ヘジにそのころ見た不思議な光景について話したのは。それは町の入口の空き地で一人の小父さんが数多くの猫に取り囲まれていた場面についての話だった。その小父さんは背が低く、ひげをきちんとそらないせいか、奇妙ですごく恐ろしく、父より年上のように見えたけれど、実際年上かわからなかった。ヘジは私の話の中に登場した人物が誰かよく知っていた。その小父さんはムホの家のある路地に住む人で、ずっと以前大きい事故で家族をみな失ってから、町の猫たちを捜しまわって餌を与え始めたそうだ。その町に住んでいる期間私はその後もたまに猫小父さんー私たちは彼をずっと猫小父さんと呼んだーに出会った。私は5匹、6匹、10匹の汚い猫たちが特有の臭いを放ちながら一か所に集まっている光景と酒でも酔ったようにいつも目を充血させて立っていた小父さんが恐ろしかった。しかし、ヘジは全く怖くないのか、私と一緒にいても猫小父さんに会うと、町の普通の子供たちのように彼に近づいた。お遣いで小父さんにお好み焼きや常備菜をもってきてあげる時もあったが、大部分の場合、黄色い縞模様の猫や腹と口の周りが白く、背中は黒い猫をなでながら、他の猫が小父さんがわけている餌を食べる姿をしゃがみこんで見物した。何も言わず、私は彼らのそばに近づくことができず、ヘジや小父さんの足に毛をつけてのろのろ通り過ぎる猫たちをかなり離れて見守った。餌を全部食べた猫たちが散らばるとヘジも私のそばに再び戻ってきた。小父さんもいつもそうしてきたようにそのまま空っぽの餌袋をもって、暗い路地の奥へ消えた。
塩峠での生活は次々適応できたけれども、猫小父さんの存在のように最後まで適応できないものもあった。いつでも聞こえてくる発情した猫たちの鳴き声や、薄い壁を越えて伝ってくる隣の老人の痰を吐く音や大きくボリュームを上げたテレビの音だった。一体全体私にとってどうしてこんなことがありうるのか。どうして?という声をよく張り上げていたドラマの主人公たち。その時期のドラマでは貧しい男が国家試験に合格した後にお金持ちの女と会うために昔の愛人を捨てることが本当に多かった。母と父は私がヘジと付き合うのを好んでいなかったけれど、上位圏の成績を変わらずに維持していたので、私にやたらに何だかんだと言わなかった。両親は私を良い私立高等学校に送るためにソウルへ上京してきたという話をいつでも語った。お前は今後素晴らしい人にならなければ。そんな話はしつこく私の足の裏にべたっとくっついて、どこでも歩くたびにべたべた、音がするほどだった。両親が私に口止めしたので、私は再開発の予定のために塩峠に引っ越してきたという話を誰にも言わなかった。季節が変わっても私たちが待っていた再開発の噂は聞こえてこなかった。しかし、母も父も簡単に動揺しない性格で、相変わらず毎朝路地を庭箒で掃き続けた。猫たちは毎晩ごみ袋をほじくり返して行くせいで、明け方の路地にはごみが転がっていた。猫を見るたびに、どこかで赤ちゃんの泣き声のような猫の鳴き声が聞こえてくるたびに、お母さんは本当に不吉な動物ねと言った。そのたびにお母さんは本当に身震いして、顔をすごくしかめたので、私もまたわけもわからないまま体を震わせた。
日が暑くなり始めると、騒音より耐え難かいのが悪臭だということを私は学んだ。騒音は窓を閉めればある程度解決したけれど、悪臭は窓を閉めても窓の隙間から入ってきた。その町には私が以前暮らしていた所でただ1回も嗅いだことのないあらゆる臭いが漂っていた。バキュームカーが通り過ぎるたびにひどい悪臭や猫の排泄物の臭い、何よりもいい加減に道に捨てられた食べ物のゴミが腐る臭いがいつも空気中にいっぱいだった。私たちは暑くて死にそうでも窓を開けることができず扇風機を付けて暮らした。お母さんは家中の隅々に芳香剤を置いた。私はアパートに暮らす子供たちが私の体から町特有の臭いを感じないか気になった。
夏中、悪臭はだんだんひどくなった。蒸し暑さと暴風雨を繰り返しながら腐敗の速度も速くなった。ある週末だったか、連日雨が溢れていた日、蒸し風呂のような居間にお膳を広げて座って家族みなが夕食を食べていると、母が父に引っ越しするのは駄目だろうかと尋ねた。再開発話が全く聞こえてこないので、この家を貸し出して無理してでもローンを組んで別の町で借家を手にいれるのがましではないだろうかという話だった。
「子供には何といっても教育環境が重要じゃない。」
お母さんが汗をぬぐいながら、私のほうをじろっと見た。私はどんな間違いも犯さなかったけれど、なぜかそうだというようにがっくりうなだれた。
「ふーん。」
ろくに乾いていない運動靴の中敷きの臭いがする居間の真ん中でお父さんがうめくように深い息を吐きだした。このごろ、お母さんが私の教育環境を心配し始めたことには原因があった。私と同じぐらいの成績の子供たち付き合うように努めることにとても疲れたので、私はますますヘジとくっついていた。ヘジが家へ来る時もあったし、私がヘジの家へ行く時もあったけれど、ビールで髪を脱色してみようとしてお母さんにばれて𠮟られてから、私たちはヘジの家で遊ぶことが多かった。その家を思い浮かべると、今も鮮明に思い出すことは、私たちが玄関の戸を開けるまで家中に淀んでいた暗さと鼻を突くすえた悪臭だった。ヘジのお父さんが何の仕事をしていたのか今でもわからないけれども、するっと開いた戸の隙間からランニングシャツ姿の小父さんが横たわっているのをよく見かけた。ヘジのお母さんは週末だけ家にいた。初めは、私の母と違ってがらがら声で、一度も聞いたことのない下品な冗談をいつでも言うヘジのお母さんが実はちょっと怖かった。けれども大きい体に花模様のTシャツを楽しく着て、何よりもヘジと似た顔の彼女を私は好きだった。とにかくヘジの家は趣味の分からない家具と什器で足の踏み場がなかった。私の家よりはるかにせまいので、ヘジの部屋がないその家で私たちがいる場所は屋上だけだった。私たちははしごで屋上に上ってテントを張りその中でラジオを聞いた。パラムパラムパラム。始まりの合図がなり、DJの声が聞こえると私たちはテントの床に並んで寝そべった。都市ガスが入っていないヘジの家の屋上には巨大なLPGボンベが並んでいて、その横に建ててある長い棒には洗濯物の紐がかかっていた。ヘジは神経を使わないようだったけれど、羞恥を知らないで風にはためく下着を見ると、きまりが悪く視線をそらした。染料が全部抜けたようにくたびれたブラジャーとパンティー。冷たい床に横たわって好きな歌手の歌を聞く間、テントの上では洗濯物の影がちらついた。
一度、その狭苦しいテントの中でヘジが私の眉毛を整えてくれたことがあった。「目をつぶらなきゃ。」ヘジの言葉に私はおとなしく目をつぶった。ヘジは私の眉毛を水で濡らし石鹸を塗った。目をつぶったせいか石鹸の人工杏の香りが濃厚に感じられた。「始める。」ヘジが言って私は目をぎゅっとつぶった。その頃、ヘジには私ではなくても付き合いの長い友達たちがたくさんいたけれど、私にはヘジが外の世界のすべてだった。私の顔の上でサクサクと音を立てて、動かしていた剃刀。その瞬間、私はほんの一瞬でも眉毛の形が崩れたり、傷がついたらどうしようといった心配をしなかった。愛に飢えた幼い子供のように。盲目的に私はヘジを信じた。ヘジの手がとても用心深く私の額の上で曲線を描いて動くのを感じながら。「終わった。」ヘジが鏡を見せてくれた。その中にヘジの眉毛とそっくりな眉毛になった私がいた。その晩、私ははしごを使って屋上から降りてきて、猫がいる路地を通って、家に戻るや否や、その時まで開けなかった最後の引っ越し荷物の箱のテープをはぎ取った。故郷の友達たちが贈ってくれた陶器の人形と小さい花瓶、プラスチックの写真たてのようなものでどちらにしても役に立たないけれど、当時の私の目には美しく見えていたものを取り出して私の部屋に飾った。
(つづく)