『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想330  樹木たちの知られざる生活

2023-08-16 22:34:15 | 日記・エッセイ・コラム

著者     : ペーター・ヴォ―ルレーベン

生年     : 1964年

出身地    : ドイツのボン

出版年    : 2015年

邦訳出版年  : 2017年

邦訳出版社  : (株)早川書房

訳者     :長谷川圭

☆☆感想☆☆☆

著者は大学で林業を専攻し、20年以上営林署で勤務、フリーランスでの森の管理を経て本書を出版した。本書はドイツでベストセラーになり、34か国で翻訳されたという。

本書は樹木についての、静かに成長し環境に受身な存在であるといった固定観念を覆すものである。動物のように記憶もあり、痛みも感じ、仲間同士が助け合う社会性があるというのである。

木のコミュニケーションの手段は芳香物質、香りである。サバンナアカシアとキリンの例が挙げられている。アカシアは葉を食べにキリンがくると、数分以内に葉のなかに有毒物質を集める。毒に気づいたキリンは100mぐらい離れた別の木に移動する。それは最初に葉を食べられたアカシアが周りの仲間に知らせるために警報ガス(エチレン)を発散するから、周囲の木は有毒物質を用意する。それで警告が届かない木まで移動するのだ。

また痛みも感じる。ブナもとうひもナラも毛虫が葉をかじると、かじられた部分の周りが変化する。

また「唾液を分類する」という樹木の能力は味覚のようなもので害虫退治に役立っている。害虫は種類によって唾液の成分が違うので、種類がわかったらその害虫の天敵が好きなにおいを発散する。そうすると天敵がやってきて害虫を始末してくれる。

樹木は自ら有毒物質を作り出して害虫を寄せ付けない。ナラは樹皮と葉にタンニンを送り込むことができ、ヤナギもサリシンという物質を作り出す。

また時間の感覚があり、記憶力がある。春か晩夏かと、昼の長さと気温で判断する。

根や菌類を通じて光合成ができなくなっている仲間の木に栄養をおくり助け合っている。

経験を学習する能力があり、著者はおそらく根の部分に脳のような機能があるのだろうと推測している。ミモザの葉に水滴を落とす実験をすると、初めのうちはすぐ葉が閉じたが、しばらくすると閉じなくなる。閉じなくても危険ではないと学んだからだ。数週後にテストを再開すると、ミモザは前回学習したことを覚えている。葉が閉じないのだ。

そのほか森の樹木と公園や街路樹の樹木の違い、針葉樹と広葉樹の構造のちがいなど、興味深い。

本書を読んでから、樹木や植物に対して、今までよりももっと私たち人間や動物に近い存在に感じるようになっている。


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読書感想268  よい旅を

2019-09-20 22:07:44 | 日記・エッセイ・コラム

読書感想268  よい旅を

著者      ウィレム・ユーケス

生年      1916

国籍      オランダ

出生地     オランダ領東インド(インドネシア)

出版年     2012

邦訳出版年   2014

訳者      長山さき

☆☆感想☆☆

 本書は日本軍占領時代のオランダ領東インドでの刑務所の体験を70年たった95歳で綴ったものである。著者の家系はインドネシアに所縁のある一族で、著者もそこで生まれ2歳のときにオランダに戻り教育を受けた。著者は勤務先の日本駐在員として1937年から1939年まで神戸で過ごしている。大変豊かで楽しい独身生活で、日本人の恋人もいた。しかし最終的に日本で育ったイギリス人の女性と婚約し、インドネシアのジャワ島に転勤してから結婚している。ジャワ島での牧歌的な新婚生活は、1941127日の日本軍による真珠湾攻撃で幕を閉じた。オランダ領東インド軍(KNIL)の予備役少尉だった著者は招集されたが、ほとんど抵抗することもなくKNILは降伏した。著者は、日本語ができるということで自宅に住みながら日本軍の通訳を務めた。それが暗転したのは、オランダ軍に日本軍の配置の情報を流すスパイ組織に加わったことからである。このスパイ組織が摘発され、著者も逮捕された。数か月にわたって尋問され、懲役5年の判決を受け、刑務所に移送された。刑務所は次々と変わり、食料不足から多くの囚人がなくなり、著者もあと1週間終戦が遅れていれば、餓死しただろうという惨状のなか、生還することができた。戦後も後遺症が続き、日本人を見ると恐怖心から卒倒しそうになった。日本人を見ても落ち着いていられるようになるのに戦後35年を要している。戦後51年がすぎた1996年に家族といった中華料理店で白飯を見たときに思い出すことのなかった飢餓の記憶がよみがえったこともある。著者について驚くべき点は、刑務所での過酷な体験にもかかわらず、日本人に対して恨みが残らなかったと言っていることである。日本や日本人にたいする肯定的な感情が損なわれなかったのは、神戸での2年半の生活があったからだという。個人的によく知るようになった日本兵についても悪い印象は持っていない。初めて通訳した将校に対しては敬意を持ち続け戦後行方を捜したりしている。いろいろな話をするようになった看守も気に入らない意見を言っても殴らないという約束を守ってくれたと感謝している。尋問中の拷問も酷いものはなかったと言っている。それでも二つ挙げている。自白一歩手前で行われる水攻めと、火かき棒で強くはないが繰り返し数秒に一度膝をたたくもの。前者は免れ、後者は後遺症に苦しんだそうだ。

著者はインドネシアで従軍慰安婦として働かされた若い女性に日本政府が謝罪すべきだと訴えている。そうでない限り、恨みを持ち続けるだろうと。戦後、連合軍によって慰安所運営の日本軍の責任者が2名ほど死刑になっている。当時日本人だった朝鮮人慰安婦や日本人慰安婦は公娼だったのとは違い、オランダ人の女性を踏みにじったということか。インドネシア人の慰安婦についても責任は追及されたのだろうか。慰安婦問題は事実とプロパガンダが入り混じっているので、真実がどこにあるのかがわかりにくい。いつか全貌を明らかにする必要があるだろう。

その時代、その場に連れていかれるような臨場感あふれる描写で、重いテーマだったが一気に読んでしまった。 


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読書感想254  もっと言ってはいけない

2019-02-08 16:34:48 | 日記・エッセイ・コラム

 橘玲『もっと言ってはいけない』

読書感想254  もっと言ってはいけない

著者    橘玲

生年    1959年

出版年   2019年1月20日

出版社   (株)新潮社

☆☆感想☆☆

前作「言ってはいけない 残酷すぎる真実」がベストセラーになり、2017年新書大賞を受賞。本作はその続編になる。前作同様、人間は環境要因より遺伝子の影響を強く受けるという主張を展開している。前作ではサイコパスと遺伝の関係をあつかっていたが、今回扱っているのは知能の格差である。その調査資料の一つはPIAAC(OECD主催の国際調査で、16歳から65歳までの成人を対象にした読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力を測定する「国際成人力調査」)である。そこで日本は平均1位、読解力と数的思考力は1位である。しかし著者がここから導き出しているのは日本人の三分の一の成人が初歩的な読解力がなく、三分の一が小学校3,4年生の数的思考力しかない。そしてパソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいないということである。OECDの平均では先進国の成人の半数が簡単な文章が読めないし、半分以上が小学校3,4年の数的思考力しかない。そしてパソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない。この現状に対して著者は、一般知能(IQ)の遺伝率の高さ(77%)からいって「ずっと昔からこんなものだった」というのだ。今まで問題にならなかったのはそれでもできる仕事がたくさんあったからだ。つまり無意識の知能「暗黙知」がある領域では意識(論理的思考能力)超えることが明らかになっている。直観であり、職人の知恵が生きる世界である。IT化の進む知識社会では「暗黙知」の生きる仕事の分野は減ってきているという。

次に教育の達成度における遺伝子と生育環境の影響を調べたノルウェーの調査から、貧富の差などの生育環境が改善されると、生育環境の影響力は下がり、遺伝子の影響が大きくなるという。ノルウェーでは第二次世界大戦後、教育達成度は遺伝子の影響が70%まで上がった。「リベラルな社会ほど遺伝率が上がる」。また行動遺伝学では「知能に及ぼす遺伝の影響は発達とともに増加するという。赤ちゃんの時は環境要因の影響が強く、成長するにつれて遺伝の影響が強まると言う。成人初期には遺伝率は70%に達する。これも従来の常識とは反対である。

次は人種による一般知能(知能テストで計測されるIQ)の格差である。それには「知能における人種的ちがい」(リチャード・リン)による各国別のIQ一覧を紹介している。データ数が全体的に少ないのが気にかかるが、その中でも日本は上から2番目に多い24データ出ている。中国は12データ、韓国は6データ。そういう資料に基づくと、東アジアは一般知能が高い。著者は日系移民が南米のエクアドルの極貧生活から大成功を収めた理由を一般知能の高さにあると指摘する。米国では第二次世界大戦で全財産を没収された日系米国人が70年たって数々の優遇策を受けた黒人の2倍の収入を得ている。白人の平均よりも25%も高くなっている。

日系人の成功がその頭の良さにあるというのは嬉しいかぎりだ。本書のなかには、まだまだ面白いテーマがある。

「ゲイ遺伝子の発見」「極端な男の知能、平均的な女の知能」「ユダヤ人の知能は高くない?」

示唆に富む話題が多く、従来の常識を破っていく論理展開が面白かった。 


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読書感想250  教えてみた「米国トップ校」

2018-11-13 23:02:28 | 日記・エッセイ・コラム

読書感想250  教えてみた「米国トップ校」

著者      佐藤仁

生年      1968年

出身地     東京都

現職      東京大学東洋文化研究所教授

        プリンストン大学ウッドロー・ウィルソン・スクー

ル客員教授

出版年月日   2017年9月10日

出版社     (株)KADOKAWA

☆☆感想☆☆

 著者は東大で18年間教え、最近4年間は年の半分をプリンストン大学で教えた。そうした日米のトップ大学で教えた経験から、憧れのアイビーリーグと比べるなかで、日本のトップ校、東大の可能性に気づいたという。東大の強みを再確認し、6勝4敗で東大の勝ちと軍配を上げている。本書を書く動機になっているのは、近年、高校生の米国のトップ校への進学希望が増える一方で、アイビーリーグの実態についてはほとんど知らず、「アイビーリーグ・ファンタジー」に踊らされているような印象をもったことにあるという。

東大の強みは何と言ってもその学費・生活費の安さだ。プリンストン大学の4年間で2800万円に対して3分の1の800万円ぐらいで済む。教員と学生の比率は東大が1対7で、イェール大学の1対4.4に負けているように見えるが、米国のトップ校では教員の授業負担を減らそうとしており、学部生向けの授業の多くは若手の研究員や大学院生が代行する場合が増えている。有名な教授の授業を受けられない場合が多く落胆するという。教員と学生の距離が日本のトップ校の場合は米国トップ校よりも近い。ゼミを通じて授業以外の付き合いもあり、親しい間柄になる。米国トップ校では入学試験が、「書類選考」を柱に学力と人物を総合的に評価して行う。東大は筆記試験だけである。著者は筆記による学力試験のほうが透明性の高い、公平で、比較的安上がりなシステムであると述べている。米国トップ校では受験生の9割以上が不合格になる。そうした受験争いの中ではテストや内申点の点数では差がつかない。エッセイと推薦状が決め手になり、人とは違う「卓越性」が強調される。社会貢献という側面での卓越性は『人格』という評価軸の要件である。日本では大学受験のために趣味のスポーツや音楽などを高校2,3年でやめる傾向があるが、アメリカでは13歳から始めなければならないという。卓越性を作るためである。ボランティア活動も人がしていない活動をさがす。受験のためである。著者がプリンストン大学の学生に感じたものは、知的な好奇心というよりも人からの評価にすごく敏感だということである。アイビーリーグでは卒業生の子弟を優先的に入学させる「レガシー入学」やスポーツ優先枠もある。基礎学力の点では東大生は一様粒がそろっているが、プリンストン大学の学生はむらがある。できる学生とできない学生との格差が激しいという印象を持っている。個性豊かな多様な学生が多いのは東大の方だと指摘している。変人・奇人が多いとか。米国トップ校では多様性を重んじながら、結果として似たバックグランド、似た考え方の学生を集めている印象があるそうだ。彼らを「優秀な羊たち」と呼ぶ向きもある。米国トップ校でも1920年代までは入試は学力試験だけだったが、ロシアでの迫害からアメリカへ移住してきたユダヤ人が大学進学を目指し殺到した。成績優秀なユダヤ人の増加を抑制し、もともとのアングロ・サクソン系の白人富裕層の子弟を確保するために、「人物」というあいまいな基準を作って入試を操作したのだという。プリンストン大学の学生の良い成績をとらねばというストレスが東大生の比ではない。うつ病になる学生の比率も高いという。

プリンストン大学の良い点ももちろんある。履修するコマ数が少ないので集中して勉強しているし、ディスカッションにおける鋭い瞬発力は東大生には見られないものだとか。

憧れのアイビーリーグの学生生活も大変だ。


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読書感想242  「司馬遼太郎」で学ぶ日本史

2018-09-11 07:49:39 | 日記・エッセイ・コラム

ShibaRyotaroMemorialMuseum.jpg司馬遼太郎記念館

読書感想242  「司馬遼太郎」で学ぶ日本史

著者      磯田道史

生年      1970年

出身地     岡山県

出版年     2017年

出版社     NHK出版

☆☆感想☆☆

司馬遼太郎の本は人気があるし、日本史を知りたい人には手軽な入門書になっている。私もたくさん読んできたが、歴史の部分に関心があったので、人物の造詣など小説的な部分にいら立っていたこともあった。私が感じる歴史上の人物と司馬遼太郎が描く人物にはかなり乖離があったからだ。そうした司馬遼太郎の小説を書く動機に迫って司馬遼太郎の考え方を紹介しているのが本書である。

著者は歴史文学を三つに分けている。史伝文学、歴史小説、時代小説。史実に近い順番で言うと史伝文学、歴史小説、時代小説になる。司馬遼太郎の書いた小説は歴史小説に分類されるが、資料が残っている近代に近づけば近づくほど史伝文学に近いと考えられている。特に日露戦争を描いた「坂の上の雲」が一番史伝文学に近いとか。司馬遼太郎の小説は文学を楽しむというよりも当時の日本の状況や日露戦争の詳細を知りたいから読むという読み方をされている。司馬遼太郎は「なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか」という疑問から日本史にその原因を探った。明治近代国家が実は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が作りあげた「公儀」という権力体を受け継いだものだと気づいたという。この中央集権的な権力には合理的で明るいリアリズムを持った正の一面と、権力が過度の忠誠心を下の者に要求し上意下達で動く負の側面があり、その負の側面が昭和の戦争を失敗するまで止めることができず暴走させたと考えていた。

司馬作品では人物は内面を描くよりも社会的な影響を明らかにすることに主眼が置かれている。例えば「無能であるといってよかった。」そうした大局的な視点、単純化した人物評価をしていること、そうした「司馬リテラシー」を理解することが司馬作品を読むうえでの約束事だと著者は述べている。結局、司馬遼太郎は「鬼胎の時代」と呼んだ昭和前期は書かずに終わった。あまりにひどすぎたからだという。 


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