『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想283  反日種族主義(2)

2020-07-25 00:33:47 | 時事・歴史書

読書感想283  反日種族主義(2)

 韓国語版には日本語翻訳版にない3つの章が存在する。

「9.学徒志願兵、記憶と忘却の政治史」

「16.亡国の暗主が開明君主へ変身する」

「17.乙巳五賊のための弁明」

内容が面白いのでここに翻訳の要約を載せるが、あくまでも韓国語の勉強のための翻訳である。

 

「9.学徒志願兵、記憶と忘却の政治史」の翻訳要約

1)学徒志願兵とは?

当事者、研究者、そして現在の文政権の三者の見解が紹介されている。

1944年1月22日朝鮮人学徒志願兵3050名は特別志願の名目で日本軍に入営した。解放後、学徒志願兵出身者は自分たちを「民族の十字架を背負った若い知識人」だったと主張した。

在日僑胞出身の韓国近代史研究者、姜徳相は学徒志願兵を「志願」を仮想した強制動員だと述べた。

2018年1月大韓民国行政安全部は「日帝の朝鮮人学徒志願兵制度及び動員部隊実態調査報告書」を発表。この中で日本軍を脱営し光復軍に身を投じた学徒兵を独立有功者とし、さらに彼らの学徒志願を独立運動として格上げさせるとまで主張した。

争点は三つある。自発的な志願だったのか、強制だったのか、独立運動だったのかである。

2)日本陸軍省の指令は?

1943年10月20日日本陸軍省は専門学校と大学の法文系に在学中の朝鮮人学徒を対象として学徒志願兵を募集する「1943年度陸軍特別兵臨時採用規則」を公布した。1943年8月朝鮮人徴兵令が正式に公布された状況で学徒志願は日本人の学徒出陣と同一の国民の義務の履行とみなされた。朝鮮総督府は1943年10月25日から11月20日まで志願者受付をして、12月11日から20日まで適性検査を行った。合格者は12月の予備軍務教育を経て、1944年1月20日に入営した。

学徒志願兵制は、日本人学徒出陣と違い朝鮮人を対象とした徴兵制が実施される以前だったので、法律的な強制性はなかった。

3)強制性の有無?

姜徳相と行政安全部は学徒志願適格者6203名中4385名が日本軍へ入隊したと主張したが、1944年の日本政府の資料では、学徒志願適格者は6101名だった。そのうち4610名が志願したが、1491名が志願を回避した。そして適性検査を受けた合格者は3117名で、疾病やそのほかの理由で67名を除外した3050名が正式入隊者となった。24%も適格者でありながら志願を回避したり、適性検査で不合格になる人も多く、無条件に強制されてはいない。当時の京城帝国大学生として学徒志願しながら適性検査を拒否したソ・ミンウォンは、当時の若い人は軍隊へ行くか工場へ行くかを強いられる雰囲気の中で、選択するのは自分自身だったと述べている。

結論としては強制ではなかった。

4)学徒志願兵は独立軍の一翼を担ったのか?

解放後、学徒志願兵出身者は1.20同志会を結成した。彼らは彼らが大韓民国の発展を主導したという矜持でいっぱいのいわゆる「1.20士官」を作り出した。彼らの回顧録は学徒志願に込められた立身出世の名誉欲、平安な軍隊生活、赤裸々な欲望を隠ぺいした。もっぱら日本を「公共の敵」として民族闘士の面貌だけを強調する、とんでもない記憶を生産して広く流布した。彼らは日本の煽動と欺瞞に騙された馬鹿ではなく、日本軍に強制動員された被害者でもなく、ましてや祖国の光復にために献身した民族の闘士ではなかった。彼らは生れたときから日本国民で国家主義精神の染みついた忠良な帝国臣民だった。朝鮮人有力者と資産家層の出身として、この学徒志願兵は親日エリート世代を代表していた。

「解放以後学徒志願兵出身者が具現した記憶と忘却の政治は一つの巨大な虚偽意識だった。彼らはわずか数名の学徒兵の反日志士としての行為を彼らの集団志向に引き上げ粉飾した。当初学徒志願行為に込められた立身出世の欲望はそれで充分隠された。そうした記憶と忘却の政治は彼らが指導層として君臨した韓国人の集団心性まで歪曲した可能性がある。今日韓国人の歴史意識を縛り付ける反日種族主義は彼らの偽善的記憶から始まったといえる。2018年政府が乗り出して彼らの学徒志願を独立運動まで格上げしなければならないという主張は政治によってどれほど深刻に汚染されるかを見せる教科書的な事例だと言えるだろう。」

5)感想

多くの人が真実を知っていながら、嘘が70年も認められてきたというのは、何が原因なのかと考えてしまう。この本の意義は韓国人が嘘に真っ向から向き合った点にあると思う。韓国も歴史の転換点なのかもしれない。

 


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読書感想282  反日種族主義(1)

2020-07-15 00:38:24 | 時事・歴史書

読書感想282  反日種族主義(1)

著者  李榮薫(イ・ヨンフン)(編著)

    金洛年(キム・ナクニョン)  

金容三(キム・ヨンサム)

朱益鐘(チュ・イクチョン)

鄭安基(チョン・アンギ)

    李宇衍(イ・ウヨン)

出版年     2019年

邦訳出版年   2019年11月

邦訳出版社  (株)文藝春秋

☆☆☆感想☆

 本書は韓国でも日本でもベストセラーになった話題の本である。日韓の争点になっている歴史認識について、主として韓国側の主張が根拠を欠いた荒唐無稽なものであると様々な資料を引用しながら証明しようと試みている。結果的に日本の主張の正しさを証明することになっている。慰安婦、竹島、強制徴用、土地・食糧の収奪などが歴史認識の争点である。

そうした虚偽の主張の背後にある韓国民の情緒を、自由で独立した個人の概念を含む民族主義ではなく、没我的で親族の延長としての種族主義と規定している。それが反日と結びつき反日種族主義となるのは、韓国人が日本人に敵対的な感情を持っているからだと李栄薫氏はいう。それは新羅の3国統一から始まり、以後、両国の間では国家としても民間としても交流が薄かった。それは現在でもそうで、日本の歴史、文化、政治、経済について専門的な識見を持っている人はいない。ずっと日本に対して無関心と無知が横行ししばしば強烈な敵対感情として表出されてきた。日帝が推し進めた各種の行政や施設の建設は、伝統文化、伝統風水、伝統タブーに対する破壊として怒りの対象となった。そうした被害者意識と憤怒が、歴史家によって土地、食糧、労働力に対する収奪の歴史に包装されたのだという。

また、李栄薫氏は「教科書を執筆した歴史家や、でたらめな学術書を編纂した研究者は、日帝が朝鮮を支配した目的、メカニズム、結果、その歴史的意義が分からずにいます。彼らは、土地だけでなく食糧も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された、と教科書に書いてきました。その全てがでたらめな学説です。」と述べ、日帝の目的について次のように述べています。

「日帝の朝鮮併合は、いくばくかの土地を収奪することが目的ではありませんでした。総面積が二千三百万ヘクタールになる韓半島全体を、彼らの付属領土として永久に支配するための併合でした。それで彼らは、彼らの法と制度をこの地に移植したのです。その一環として、全国の土地がどれほどなのか、土地の形質はどうなのか、所有者が誰なのか調査したのです。それが土地調査事業でした。当時作られた土地台帳と地籍図は、今もこの国が行おうとするあらゆる土地行政の基礎資料として重宝されています。皆さんの暮らしている家の番地や住所は、いつ付けられたものでしょうか?他でもない1910~18年の土地調査事業によってでした。」

また、金洛年氏は植民地朝鮮の支配の方法について次のように述べている。

「日本の植民地支配は同化主義を追求していました。植民地に日本の制度を移植し、できるだけ二つの地域を同質化させ、究極的には日本の一つの地方として編入しようとしたのです。このような方針は当時、日本列島の西側にある二つの島の名前を取って、『朝鮮の四国・九州化』と表現されたりもしました。政治面から見ると、朝鮮人の政治的権利が認められず、朝鮮人に対する抑圧と差別が続いたため、このような同化主義は植民地支配を合理化するための掛け声に過ぎませんでした。しかし経済面から見ると、日本の制度がほとんどそのまま朝鮮に移植され、地域統合が成される段階まで進んだと言えます。」

つまり、貨幣が統合され、市場が統合され、日本の民法、商法など23の法律が朝鮮に施行された。教科書にあるように個人の財産権も蹂躙されず「収奪」もされていない。日本と朝鮮の地域統合は現在のECに似ているという。

こういう歴史認識については日本人やアメリカ人の研究で読んだことがあったが、「陸軍特別志願兵」についてはほとんど知識がなかった。本書の中では一番興味深い部分だった。徴兵制として日本人に限定されていた兵役は、陸軍特別志願兵制として植民地出身者に1938年から1943年まで拡大された。6年間に1万6千5百人の募集に対して80万3千3百17人の志願者が応じ、倍率は約48倍だった。彼らは日中戦争とアジア太平洋戦争の中で専門的な軍事知識と豊富な実戦経験を積み、1946年以後は韓国軍の将校に変身し、朝鮮戦争で第一線の部隊長として抜群の力量を発揮した。そして、陸軍参謀総長、合同参謀議長、国防長官までのぼりつめた。鄭安基氏は次のように述べている。

「彼らは実体性が欠如した民族に反逆し、日本の天皇のために忠誠を誓ったからこそ、また別の祖国・大韓民国に尽忠報国できたのです。彼らは、二つの祖国において忠誠と反逆の等価性を身をもって実践し証明した歴史的存在でした。陸軍特別志願兵は、決して自身の生命と権利を日本に任せきるような、無気力で他律的な『反民族行為者』ではありませんでした。」

陸軍特別志願兵制は3者の思惑が一致して成立した。日帝はこの制度を通じて同化主義植民地統治イデオロギーを完成させようとし、朝鮮人の「協力エリート」は陸軍特別志願兵制と徴兵制の施行と連動して朝鮮人の参政権を確保する布石にしようとし、志願者の大半は南韓の農村出身で身分差別からの脱出と立身出世を求めていたのだという。

大きな功績を残した彼らが陸軍特別志願兵だったことで「反民族行為者」にされるのは常識のある人からすれば納得できないはずだ。


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四季折々970  初夏の相模原北公園4

2020-07-11 15:53:46 | まち歩き

相模原北公園の一角にある薔薇園。欧米風の名前や日本風の名前など様々な薔薇を大切に育てている。

もう薔薇も終わり。馥郁たる香りに囲まれる。

アジサイの中に山百合、

ギボウシも。

「バラ散るや己がくづれし音の中」(中村汀女 1900年~1988年)


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四季折々969  初夏の相模原北公園3

2020-07-07 23:50:02 | まち歩き

相模原北公園には相模原市の市花のアジサイが様々ある。時々小雨も降る曇天にしっとりと映えている。

アナベル。

ヤマアジサイ系 黄金駿河。

ヤマアジサイ系 七段花。

ヤマアジサイ系 沢美人。

「紫陽草(あぢさゐ)や藪を小庭の別座敷」(芭蕉 1644年~1694年)


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