『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々1020  晩冬の津久井湖

2022-02-25 19:03:16 | まち歩き

やっと寒さも和らいだ2月の下旬、津久井湖水の苑池に行く。

桜はまだまだ。

ツツジは緑の葉が見える。

アガパンサス。

冬を越したパンジー、ストック。

冬を越した金魚草。

パンジー。

ビニールで越冬。

酔芙蓉。枝葉が伐採されて越冬したがこれから大きく茂ってくる。

ルピナスの芽が一斉に出てきた。

「水温む 春の兆しが 芽吹くとき」(^^^)


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読書感想308  昏き目の暗殺者(上)(下)

2022-02-22 23:23:45 | 小説(海外)

昏き目の暗殺者 上

読書感想308  昏き目の暗殺者(上)(下)

著者    :    マーガレット・アトウッド

生年    :    1939年

出身地   :    カナダ

出版年   :    2000年

邦訳出版年 :    2002年

出版社   :    (株)早川書房

訳者    :    鴻巣友季子

受賞    :    ブッカ―賞   ダシール・ハメット賞

★★感想☆☆☆

「訳者あとがき」の中で著者のマーガレット・アトウッドは「カナダ文学の女神」と呼ばれているとある。カナダ文学も「赤毛のアン」シリーズのモンゴメリーの作品しか読んだことがなく、本作が現代のカナダ文学に接する初めての機会となった。重厚で読み応えのある作品だった。カナダのトロントに近い町で19世紀に釦工場を創業した一族の栄枯盛衰と。孫娘アイリスの追憶と日常の身辺雑記を一人称で追いながら、もう一人の孫娘ローラの小説「昏い目の暗殺者」を挟んでいく構成になっている。時代は二つの世界大戦と大恐慌を経て第二次世界大戦後20世紀の終わりまで続いていく。要所要所の新聞記事でアイリスやローラの動静を知ることになる。また「昏き目の暗殺者」の中で密会中の男女が語るSFファンタジーがある。入れ子細工のように物語がいくつも重なっている。いくつも伏線が張られていて、最後になって「昏き目の暗殺者」が誰で謎の男女が誰なのかわかるようになっている。

重要な登場人物は次のようである。

アイリス=私 83歳まで生きる。

ローラ 妹  1945年に25歳で交通事故で亡くなる。

ノーヴァル 父 大恐慌時代に鉛工場を失って亡くなる。

リリアナ  母 流産で亡くなる。

リーニ―  アイリスの家のお手伝いさん。アイリスとローラを育ててくれる。

マイエラ  リーニ―の娘。

リチャード 大工場主でアイリスの夫。1947年に亡くなる。

アレックス 共産主義者 第二次世界大戦で戦死。

エイミー  アイリスとリチャードの娘。38歳でなくなる。


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翻訳(韓国語→日本語)  僕たち(私たち)の翼2

2022-02-19 21:57:01 | 翻訳

趣味の韓国語学習サークルで取り上げた短編小説です。営利目的はありません。

著者:チョン・サングック    生年月日:1940年3月24日

僕たちの翼 2

明後日は父が家に戻ってくる日だった。僕は母にばれるのではないかと自分の部屋へ戻った。ツホは居間で寝ていた。僕は息を殺して母が居間へ入っていく音を聞いて、長く続く猫の悲鳴を聞いていたがそのうち寝てしまった。夢の中でも僕は引き続いて猫の鳴き声を聞いた。僕は夢の中のその猫の鳴き声で結局目が覚めてしまった。しかし、既にその時猫の鳴き声は聞こえなかった。僕は怖さを我慢して寝床から起きてこっそり裏庭に回って行った。月の光が練炭物置まで射し込んでいた。そこに猫がだらっと伸びたまま吊るされていた。僕が傍まで近寄っても猫はそのまま微動だにしなかった。死んだんだーと思いながら部屋から持って行った髭剃りを取り出し、猫が吊るされた紐の中間ぐらいを切った。そしてその次の瞬間僕はそこに座り込むほど驚いた。ぷつんと濁って鈍い音を出して地面に落ちるものと予想したのとは違って何の音も聞こえなかったのだ。猫は地面に落ちなかった。地面に落ちたのではないかと思ったが、いつの間にか奴はニャオーと長くはっきりと1回鳴いて流れるように僕の目の前から消えてしまったのだ。

 「誰が猫を助けてやったんだい?」

 朝母がツホと僕を呼んでとても落胆した声で尋ねた。母の顔は冷たく険しかった。目にはめらめらと殺気のようなものが燃えていた。ツホが鼻水をごくんと飲み込んで僕の顔を眺めた。僕はツホの顔をまっすぐ見ることができず、すぐ視線を外してしまった。

 「ハノや、お前がしたのかい?母の声は刃のように冷たかった。僕は身震いした。

 「僕が何をしたというんですか?」僕はわざとぶっきらぼうに言った。

 「じゃ、今回もまたお前がしたんだね?」母がツホの胸倉を掴んだ。ツホが胸倉を掴まれたまま母の顔をその大きい目ではっきりと眺めて、「それ、僕の猫だから。」胸倉を締め付けられたまま不明瞭な発音でもごもご言っていたが、僕の方をちらっと見た。僕はびくっと体を震わせた。

 「この馬鹿!」母がツホの胸倉を突き出した。「お前、死んで私も死のう!」ツホをずるずる引きずって母は台所まで行き、包丁を捜してツホの首に当てた。ツホが母に体を預けたまま目を閉じた。母がツホの胸倉から手を離し後ろに押して投げた。ツホの体が台所のセメントの床に転がってのけぞって倒れながら頭が階段の角に鈍い音を立ててぶつかった。始めの数分間ツホは泣かなかった。母が抱えてゆすぶっても顔を少し歪めるだけで何も言わなかった。しかし、しばらくするとツホはとても弱弱しい声でしくしく泣き始めた。それはあたかも猫の鳴き声のようにか細いながらも切迫した感じを与える、そんなものだった。ツホは日中に1回吐いた。そして頭が痛いと横になり起きなかった。母がツホを抱いてわっと泣き出して遂に近くの病院へ行った。その病院では総合病院へ行き診察を受けなさいと言った。総合病院は既に外来を受けない時間だった。

 次の日午前、授業中だが担任が僕を呼んだ。家に急いで帰れという話だった。母が僕を待っていた。ツホは座って玩具を持って遊んでいた。僕はひとまず安堵した。

 「どうしたの、お母さん、お母さんが学校に電話したの?」

母がよそ行きの服を着て出かけようとしながら言った。

「ツホと家で留守番していなさい。お父さんが怪我をしたそうだ。」

母の目からぼたぼた涙が溢れた。

父が運転していたトラックが人をひいて山裾の急斜面でひっくり返ったのだ。父は額にガラスの破片が一つ突き刺さっただけで他の所は無傷だった。問題は父の車にひかれた人だった。病院で全治6か月の診断が下された重傷だった。全治だとは言っても1本の足を切断しなければならないところだった。その重傷を負った人の家族が次の日に家に集まってきて修羅場を繰り広げた。父は病院にいて母は避難した。

ツホはその日もお腹を握ってもぞもぞ這っていたが朝食べたものを吐いた。親父さんが入院した病院に連絡しろ、親父さんじゃなく他の家族を出せー集まってきた人々は喚いた。僕は惨憺たる心情で彼らを引き受けなければならなかった。1日中耐えた人々が夕方に退去するや、僕は緊張を解いてうとうと眠りに落ちた。夢の中で猫の鳴き声を聞いた。その晩僕をだまして逃げてから一度も姿を現さなかったその猫が、現れて首に巻かれた紐をほどいてくれとニャオニャオ鳴いた。

 父の車にひかれた人の治療のために僕たちは家を売りに出さなければならなかった。壊れた父の古いトラックは何の足しにもならなかった。頭に包帯を巻いたまま父は、母と一緒に顔が死んだように真っ黒なまま、あれこれ飛び回った。僕たちは他人の家の四角い部屋を一つ借りて暮らした。父は若く溌剌とした表情を失って肩を落としたまま部屋の中に隠れて暮らした。家を売って解決したから刑務所に行かなかっただけでも幸運だと母は言ったりした。

 母が代わりに稼ぎに出た。子供服を頭に載せ行商に出たのだ。部屋を守るのは父とツホだった。勿論、ツホはその日台所の床に頭をぶつけてから何度も吐いて、頭をくるんだまますぐ死にそうな様子で横たわっていたから、父が事故を起こした、その状況の中で僕の家族の関心の外に押し出されてしまったのだ。さらに大きな変事が生まれないだけでも幸運だった。勿論、父は母からツホが頭に怪我をしたという話を聞いて知っていた。しかし、貸し間の片隅で父は馬鹿ようになり、虚ろな目で家族の誰のことにも関心を持っていないようだった。母は平和市場で取ってきた服を幾種類も包んで顔が真っ黒く日焼けするまで歩き回っても特別な話はなかった。父は自分の敗北について一生懸命考えているようだった。ハンドルを握って自分の力で、不思議などんな力との対決において巧みに耐え抜くことができると自信があったのに、それほど彼の敗北の後遺症は大きかった。彼は深い失意の沼にはまってもがいた。ハンドルを握れない父は屍と変わらずに見えた。僕の学校の成績が急激に落ちても別に関心もなかったし、ツホが血の気のなくなった顔でがりがりに痩せて行っても同じことだった。

 僕は毎晩夢に猫を見た。猫の首に紐がぐるぐる巻いてあった。僕は猫の首からその紐をほどきたかった。息苦しくおしっこをしたくて我慢できなかった。しかし、猫はなかなか捕まらなかった。やっと捕まえたと思えばそれは例外なくツホだった。僕はいつもツホの首をぐっとつかんだまま、目を開けたりした。目を開けても僕はしばらく猫とツホを混同していた。

 「お母さん、ツホを病院へ連れて行ったら。」

 僕はある日母に言った。母が行商を休んで家で放ってあった洗い物を洗濯する日だった。父は外に出かけていなかった。

 「ツホがどうしたの?」

 母が庭の片隅に座って泥んこ遊びをしているツホをちらっと眺めながら言った。しかし、僕は答えなかった。僕は、ツホが正常な発育をしていないことをずいぶん前から知っていた。血の気のない青ざめた顔、徐々に大きく見える目と、いつも不安そうに動いている瞳―そしてツホは骨と皮ばかりに痩せ衰えていたのだ。さらに、恐ろしいことはツホがほとんど1日中一言も口をきかないことだ。ツホは大家の子供たちと絶対に一緒に遊ばなかった。いつも一人ぼっちで庭の片隅で泥んこ遊びをした。手で庭に穴を掘った。そしてその穴におしっこをした。時には大便をして土をかぶせた。大家の女の人が嫌がったけれど、ツホが家で1日にするいたずらと言うのは結局これだけだった。

 ツホについての僕の警告を無視したまま母は相変わらず風呂敷商売にだけ神経を注いだ。糊口をしのぐこと、それ以上に重要なことがあるはずもなかった。父は相変わらず廃人だった。僕は理解することができなかった。父をこのように苦境の沼に落とした、その力は何なのか。父はその日の事故当時の状況のようなことを一度も話さなかった。父が軍隊の輸送中隊にいた当時、選任下士を殺した日の状況を話すように、何か父の口から出てきそうな話が意外にも一言も出てこなかったから、僕は失望していた。

 しかし、父の蟄居は長くかからなかった。衰えていた草の株にもう一度水が上がるように父が元気に立ち上がり始める日が来た。タムシムリの伯母が僕たちの家に度々やってきて騒々しいことに取り掛かってからだった。タムシムリの伯母が家に来る日は母も商売を休んだ。そして伯母と一緒に                                                                                                                                                                         台所の後ろで何かぼそぼそ話し合っていた。彼らは深いため息をついたり、時には大きくうなずき、ある事実について深く同意し認めたりした。僕もこんな暗くぞっとする家庭の雰囲気を僕の幼い頃の記憶から探した。そうだ。祖母が生きていた頃、その頃から呪術師(シャーマン)や占い師が家に出入りした、その時のその鬼気に満ちた気配だった。案の定、僕たちが賃借して暮らすその家に呪術師(シャーマン)が現れ、祭祀を始めた。その祭祀は教会に出席する大家の頑強な抵抗にもかかわらず、強行された。庭にはチマ(スカート)を並べられず僕たちの狭いたった一間で騒いだ。僕は耳を掴んでふさぎ、路地を抜けだして恥ずかしい現場から逃げた。その晩、僕は遠く離れたドボン山の中腹まで登って山中をさまよった。まったく怖くなかった。僕はただツホのことを考えただけだ。ツホを山中に連れて来られなかった後悔が胸を圧迫した。その森で僕はツホの前でひざまずいていたのだ。事実を話さなければならない。ツホや、お兄ちゃんがあの時あの猫を助けてやったんだ。ツホが僕の顔をじっと見る。そして意地っ張りな声で言う。「あれ、僕の猫だよ。」そうだ、お前の猫をお兄ちゃんが助けてやったんだよ。助けてやったんだと。しかし、僕の声は力がない。僕は何も助けてやらなかった。僕は卑怯なだけだ。「あれ、僕の猫だよ。」ツホがまた意地を張って言う。僕はツホとのにらめっこに負けてしまう。悪い奴。殺意が指先に伸びる。僕はツホの胸倉を掴む。小さい楢柏の枝を掴んで体を震わせている自分を発見する。その時になって僕はツホを山に連れてこなくて良かったと思った。

 その日の夕方、その祭祀以後、僕の家に妙なことが生まれ始めた。その最初の変化は父がまたハンドルを握るようになったことだ。たった数日の間に元気に水を吸収した父はその新しい生活のために立ち直った。今回は観光バスを引っ張った。主に外国人観光客を相手とする規模が悪くない観光バス会社だった。嘘のように数日前とは全く違う顔を見せる父だった。母ももちろん風呂敷商売を放り出した。

 また驚く変化は彼らの関心の外に投げられていたツホに対する問題だった。夕立のように愛情を浴びせ始めた。それは決してまともな父母の子供に対する愛情と考える性質のものではなかった。彼らは今まで自分たちが見せていた子供に対する微温的な愛情に対して、懺悔でもするように狂ったような愛情を浴びせ始めたのだ。その対象はもちろんツホだった。

 僕は対象外になって彼らのまともではない変化を深い敵意をもって傍観した。そうだ。僕は相当に敵意を抱かないわけにはいかなかった。ツホと僕は例え8歳違いではあるけれど、いまだに彼らの胸の中の幼い鳥に過ぎなかったからだ。僕は一人で投げ飛ばされることを恐れた。僕は率直に彼らの偏愛に対して我慢できない怒りを焚火の火を起こすように胸に貯めていた。

 ツホに良い服を買ってきて着せた。大家の子供たちも持つことができない玩具が与えられた。ある日僕はツホのポケットに子供大公園の入場券3枚を見つけた。

 「ツホや、お前、子供大公園に行ったんだね?」

 僕が尋ねた。

 ツホが僕の目をはっきり見つめて僕がわざと笑ってやるとうなずいた。そして付け加えた。

 「お兄ちゃんに話しちゃいけないって。」

 僕は鼻でせせら笑った。何か理解するのが難しい陰謀が家の中に広がっていた。その日、僕は月の中間試験を受けて家に早く戻ってきた。部屋のドアを開け放した。

 ツホが暗い部屋に一人で座って何か食べていた。こぶしより少し大きい鶏の丸焼きだった。僕は驚いた。いまだに僕の家は鶏の丸焼きを食べるほど暮らしが良くないことがわかっていた。鶏の丸焼きだけではなかった。僕はツホがこっそり隠れて食べる様々なものを確認した。氷菓子、高い果物、そしてツホが一番好きな果物など口から離れなかった。もちろん僕にもその一部分は回ってくることはあっても、どうしてこんなものを食べなければならないのかーという気持ちの負担のために、楽しく食べることができなかった。

 ツホが大家の庭に立ってバナナを食べていた。まだバナナの季節ではなくとても高い時だった。大家の子供たちがツホを囲んで立ちバナナの皮をむいているツホをじっと見ていた。

 「ツホや、それ、こっちによこして。」

 僕がツホを睨みながら言った。ツホがバナナを後ろに隠した。僕はそれを奪うためにツホの襟首を掴んだ。あまりに軽く掴み上げて気分が良くなかった。しかし、僕はついにそのバナナを奪って塀の外に投げた。ツホが泣いた。その軽い体重ぐらいツホはまだ幼い子供だった。地面に座り込んで地団駄踏みながら泣き続けた。


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翻訳(韓国語→日本語)  僕たち(私たち)の翼1

2022-02-05 16:50:46 | 翻訳

★これは趣味の韓国語学習サークルで取り上げている短編小説です。営利目的はありません。

僕たちの翼1

著者: チョン・サングック(全商国)

    1940年3月24日生まれ。韓国の男性作家。

読む前に:

この作品は呪術師(シャーマン)を絶対的に信じる一つの家族の不運とそのための苦しみを経験する天真爛漫な幼い子供を通して、間違った信仰や信念の体系がもたらしうる悲劇の世界を描いていることに留意して読んでください。

 

 僕が小学校2年の時ツホが生まれた。8歳差の弟を見たわけだ。ツホの出産に、僕達家族だけでなく近い親戚遠い親戚はもちろん、近所の人達まで大騒ぎした。7代の一人息子家系に男の子がまた生まれたというお祝い事で、決してありきたりのことではなかったのだ。しかしこんな思いもよらない喜びの後には、いつもその喜びが何かによって崩れ落ちるような危惧の念がするものだ。恐れは恐れを生むようになって、ついにはその恐れの根を抜いてしまうために神経を逆立てみると、初めの喜びが形もなく消えてしまうのはいつものことだ。

 僕達の家の場合がそうだった。その時まだかくしゃくとした姿で暮らしていた祖母は2番目の孫を見た喜びで町の老人達の前でひょいひょいと踊ってみせた。一日に数十回も部屋を出たり入ったりしながらツホのおむつを替えてその喜びを隠せなかった。それほどツホにたいする祖母の愛情は度を超していた。不浄な人、言ってみれば喪中の家に行った人が家の門の近くに出没しても大騒ぎになった。僕が生まれた時のようにツホも100日間も部屋の敷居を越えることができなかった。頭のてっぺんを触ると短命だと言って3年間一度も頭の垢を洗い流さなかった。産神の祭祀のため、呪術師(シャーマン)が家にしきりに出入りした。ツホの枕をもっていたずらをしていて祖母に厳しく鞭打たれた。鞭打たれて僕が悲しくて泣く度に祖母が言った。

「お前もこのお祖母さんがこうして育てたのだよ。」

 僕が生まれた時はツホの何倍も誇らしかったという話だ。

「お前は福が多いだろうから弟をもらったのだよ。」

 そのくせ、どんなに下の子供が可愛いとは言うけれども、その誇らしさを初めての男孫と比べるのかと、他人の前で僕の自慢をあれこれしゃべる祖母だった。

 しかし、祖母に今の今まで言わなかった言葉を時々くどくど言う癖が生まれた。先祖の霊を悪く言って口にすることだった。

 「けしからんくそじじいだ。何年かもっと生きてから逝けばよかったのに。」

 ツホが生まれた喜びを一人で楽しむ申し訳なさを、何年も前によその土地でなくなった祖父への恨みが混じった、そんな愚痴として表した。5代一人息子だった祖父は、自分の息子が妻をめとって孫を生むまで落ち着かずに、いたずらに家族の女たちだけいじめたのだ。娘一人生んでちょうど10年ぶりに息子を生んだが、その時の祖父の年は38だった。こうしていては孫も見れずに死ぬだろうとぶつぶつ言って、結局父を17歳で結婚させたのだ。そして父は22で僕を生んだ。ところが、一族が代々絶えることを心配し落ち着かなかった祖父は僕が生まれてから人が変わったのだ。60歳を過ぎた人が老いらくの恋に落ちたのだ。女は祖母以外知らなかった祖父が隣村の未亡人と目を合わせてどこかへ行方をくらました。「霊が道を誤らせたのだ。」そのことを心に留めて祖母はわかっていてもわからないと言った。娘一人だけ生んで息子を生めなかった祖母が、妾でも迎えて息子をつくれと言った時は、何を言うのかと跳び上がった人がどうしたのか、難しい孫までつくった後にそんな浮気をしたのか、本当にわからなかったのだ。祖母が占ってみた。自分に難しいことが生まれるたびに、占い料金を包んで占い師を尋ねて行ったのは祖母だった。その度に占いが不思議なほどよく当たった。10年ぶりに息子が生まれた年まで当てた占い師もいた。今回の場合祖父が老いらくの恋に落ち隣村の未亡人と逃げたことを心に留めて、占い師が言った。

 「家を出る運勢だね。」その盲目の占い師が再び言った。「捨てておけばいい。出てしまうのだから。無理に留めて置いたら息子を失う運だ。」要は家族に悪い気運が加わって二人が一つ屋根の下に暮らすようになれば、結局一方の気が折れてこそ家族が平安なわけだから、一人が死ぬしかないと言った。祖母はその占い師の言葉をそのまま信じた。家を出た祖父を恨んだり、自分の運勢の泣き言を言うすべを知らない祖母だった。

「お前がお祖父さんの身代わりだ。」

 祖母が僕の背中を掻いて時々そんな意味のことを言った。祖父が家を出たために家の働き手が消えないようにという意味だった。

 家を出た祖父が戻ってきたのは僕が6歳の時だった。むしろに包まれて戻ってきた。祖父と一緒に逃げた未亡人がアヘン中毒者だったのだ。いくつか水田を売って出てから、その金がすべてなくなるとそのまま乞食になって、あちこちさまよった。最後まで家に戻らないまま他郷で筵まきの死体になった祖父の知らせを始めて聞いた日、祖母は乳を手探りする僕の手を荒々しく振り切った。その時僕をにらんだ祖母の目には敵意のようなものが光ったのだ。そして祖父の葬式を終えて、2年後に母が子供をはらむと祖母は占い師を訪ねていった。

 「息子が生まれるでしょうね。」占い師が再び言った。「しかし息子だと良いことではない。」

 言い淀みながらそう言った。祖母が何の話かと促しても占い師は気が晴れることを言ってくれなかった。ただ赤ちゃんを生むならその出生の日取りを整えてもう一度来なさいとだけ言った。しかし、ツホが生まれてその占い師を訪ねた時には、既にソウルのどこかに引っ越してしまった後だった。他の占い師を訪ねたけれど、特に新しいことが聞けないまま祖母はただ以前のその占い師の言葉だけを心の中で反芻するしかなかった。

 ツホが3歳の時に祖母が亡くなった。僕は母と一緒に祖母の臨終を見守った。父はその時軍隊に入っていて家にいなかったのだ。

 祖母は激しい息の中、室内をきょろきょろ見回した。

 「ツホは外に出ています。お母さん。」

 母が大声で言った。祖母は病床に就いてからツホを嫌がった。嫌がったというよりむしろ怖がるようだった。自分のそばに来させなかった。

 「お祖母さんがどうしてあのようにするの?」

 ソウルから来た、父より10歳上の伯母が母に言った。母が伯母の脇にぴったりくっついて座って言った。

 「私がお姉さんに尋ねたいのです。お母さんがソウルに行って来てから、あんなにツホを憎むのです。」

 伯母が何か思い当たるかのように目をぱちくりさせた。

 「そうだ。お母さんが家に来た時にここの町に住んでいた、その占い師に会ったのだよ。」お母さんの言葉では腕がいい占い師だと言うので。」

 「そうですか。その占い師が家のツホを憎めといったのですか?」

 「まさかそんなはずが!ただその占い師に会ってから、慌てて家に帰って行ったのよ。こんなことを話していたね。ツホは、あの子は子供ではなく魔物だと。」

 「恐らく、それはその時あの子の父親が勝手に軍隊に入ったせいで、言ったことでしょう。」母が言った。

 事実、父は6代一人息子のために軍隊に行かなくても良かった。それなのに、父がすすんで志願して入ったのだ。祖母が頭に鉢巻を巻いて寝込み飲食を絶ってもやめさせようとしても、父は頑として聞かなかった。それですぐにソウルの伯母の家へ行った祖母だった。

 「一体全体その占い師が何と言ったのですか?」

 「それを誰がわかるの、お祖母さんのほかに!」

 その秘密を口外しないまま祖母は亡くなった。祖母の最後に息を引き取る姿が、この上なく恐ろしかった。僕は外に飛び出した。ツホが庭に座って泥んこ遊びをしていて僕に言った。

 「お兄ちゃん、お祖母ちゃん、死んだの?」

 ツホは顔中泥だらけのまま目をきらきらさせて僕を見つめた。僕は急に怖くなった。祖母の最後に息を引き取る瞬間の恐ろしさとは違う、生きている人の狡猾な目のなかで探すことのできるそんな恐ろしさだったのだ。

 父が軍隊を終えて家に戻ってきた。家に戻ってくるとすぐ先祖代々伝えられてきた田畑を処分した。そしてソウルのマグリの近所へ引っ越しした。祖父母が生きていれば予想もしなかったことを父は掌を裏返すように簡単にしてしまった。誰かが制してどうするのかと言う余裕も与えずテキパキ売ってしまった。次に、ソウルへ引っ越ししてから小屋のような家を1軒買って、余ったお金で貨物トラックを買った。農業だけすると決めていた農民がこのように生活環境を変えることはとても普通のことではなかった。母は霊に憑りつかれたように父のいうとおりに従いながらも時々父に食ってかかった。

 「ハノのお父さん、本当にこうしてもいいのですか。」

 しかし、父は肩で風を切るだけで母の言葉を聞くふりもしなかった。

 父がこのような人間に変わったのは軍隊生活3年、そこで学んだ運転技術だと言えた。父は軍隊に入ってすぐに運転教育隊で自動車運転を学ぶようになったのだ。ハンドルを握る最初の日父はこれこそ自分が望む新しい世界の扉だと強く感じた。一言で運転が父の適性に合っていたのだ。その苦しいという軍隊生活が父にはただうきうきとするものだっただけだ。父は運転マニアになった。彼は時間さえあれば自分が運転する車にくっついて内部を隅から隅まで知ろうとした。そしてハンドルを握って輸送用ジープについて国道を走る時、彼はこみあげてくる笑いを押し殺すことができなかった。その巨大な怪物を動かしている自分の見えない何らかの力を感じることができたのだ。それで父は自分が配属されていた輸送中隊で最も模範的な運転兵として認められた。しかしある日、輸送の責任を担当した選任下士が運転兵を集めて言った。「昨夜、俺の夢見が良くなかった。お前たちの中でのことだ。俺の夢見の厄払いに自信がある者は出てみろ!」いつも冗談がわからなかった彼が、そんな冗談のようなことを言うと、みんな面食らった。おい、俺は3代一人息子なのだ。」彼は少しぎこちなく笑いながら続けた。「俺はまだ息子も一人も作っていないのだ。今うちのワイフの腹で動いているけど・・・こんな状態で俺が死ねるか?要は夢見が悪い自分を誰が乗せて行くかという話だった。運転兵は互いに顔色を窺った。運転する人たちの心に我知らず宿っているタブーのためだった。「お前たち、俺が一つ聞いてみるが、お前たちのなかに一人息子が誰もいないか?」選任下士が運転兵を見回した。」しかし、誰も手を上げなかった。その時初めて父は自分が6代一人息子だという思いがとっさに浮かんだ。「お前、俺を乗せて行く自信があるか?」手を上げた父に向って選任下士が尋ねた。「自信があります!」父は自分も分からない間にそう叫んだ。しかし、その日父が事故を起こしたのだ。国道を走りながら横に座った選任下士が出発前に言った言葉が頭の中からずっと離れなかった。凶夢、坊や、更に異常なことは選任下士が語った故郷にいる妻の腹の中に入っている子供の顔が見えることだ。赤ちゃんの顔ではない3つか4つになった子供の姿だった。ふいにそれがツホの姿に重なって現れたりした。山裾の曲がり角の坂道を走っていた。最近の真昼のカンカン照りの太陽にアスファルトが柔らかく溶け出た。限りなく無力感に陥るそんな時間だった。そんな時運転する人たちは時々目を開けたまま、うとうとすることもあるのだ。父がまさにそうだった。気を引き締めると道の真ん中に子供が一人立っていた。父は自分でも知らないうちにハンドルを曲げた。そして気を失った。気がつくと、断崖に追突した車の中で選任下士が死んでいた。父は自分の体に傷が一つもなくきれいなことに気づいた。「そうだ、その道のなかにいた子供はどうなった?」父から話を聞いた人の一人が尋ねた。「ところが、それが妙だが俺ははっきり子供を見たのだが、俺の車の後ろをついて来た運転兵によれば、そんな子供はそこにいなかったのだ、結局俺が幻を見たわけだよ。」

 言わば、父が農業を放り出して田畑を売ってソウルに上京した直後に貨物トラックを買ったのは、軍隊で選任下士を死なせたその事件によって父の胸に負けん気が噴き出したためだと言えた。それは罪の意識とは隔たりがある思いだった。たとえ、人を殺したといえども、その日の非現実的な様々な要素が父の好奇心に火をつけたのだ。選任下士の夢、選任下士の故郷、彼の妻の腹の中の子供、そして道の真ん中に立つことで車をひっくり返したその幻の子供・・・・。

このすべては父の意志とは無関係に起こり、父の意志ではどうすることもできないそんなことだったのだ。今まで父はその巨大な怪物を自分の力で動かしている喜びでハンドルを握ってきたが、その事故以後から彼は運転席に座って新しい世界を体験する気分だった。それは知らない何らかの力との喧嘩を意味した。除隊すると父は喜んでその喧嘩を始めることにしたのだ。

 父は貨物トラックを運転して何でも引き受けていた。タムシムリの伯母の家が大きな米屋をしていたので父は初めその米屋に納める穀物を集めるために田舎に車を走らせた。その次は引っ越し荷物を運んだり、家を作る時に使う資材を運ぶかと思うと、砂利採取場でその下請けを引き受けたり実に忙しく走った。父はいつも得意だった。体も見目好くふくよかで顔もつやつやしてきれいだった。「やあ、ハノや、お前の兄ちゃんが行く。」僕の友達たちがそうからかったりするほど父は若かった。しかし、母は父と違った。父のように若くはなかった。父より2歳年上であっても最近のように干からびて老けた母の顔を見るのはあまり気分の良いものではなかった。

 それは父が車の運転をするからだった。母は昔田舎で祖母がしたように占い師を訪ねて行った。父が車で初めて出かけた日は口寄せ巫女まで家に招いて祭祀をした。祭祀の餅を村に配りながら母は父の無事を祈った。父が遅く帰って来る日は路地まで出て父を迎えようと、いつも寝そびれた。祖母がそうだったように母もいつもくどくど言った。昨夜の夢見が落ち着かないので今日はこのまま家で休んだらとか言いながら父の様子をうかがったりした。しかし、父は母の言葉を聞き流した。そんな日は一日中母の顔は暗かった。父が車で出かけた後、僕たち兄弟が少し喧嘩しても、大声ではなくまっとうなことを言っても、母は声を高めた。僕たちは道で石も勝手に拾ってくることができず、家の中の物をむやみに移すことも駄目だった。父が運転するために家にはタブーが多かったのだ。

 しかし、当事者である父は母とは全く違った。母が始めるそんな落ち着かないことをたしなめないが、大体無関心に笑って過ごした。「あんたの夢は悪かったかもしれないが、俺の夢はとても良かった!」このように笑って過ごした。そうだとしても父が母のすることを全く無視したのではなかった。

 「ツホのお母さんが家で祈ってくれるから俺が無事だと全部わかるよ。」このように母を慰めた。母はその一言が有難く涙をほろりと流した。そして次の日になるとまた腕がいいという占い師を張り切って訪ねた。父に対する占いの結果がいつも良くなく出ると、母はタプシプリの伯母に話しているのを何回も聞いた。母はその良くない占いの結果を厄除けしようと、人の目を避けてありとあらゆる異常なことを祈ったりした。お膳の上に米を33握って置き、その上に刃物を立てるかと思えば、糸を7尋半測って切ってから、その糸で異常な結び目を作って天井の中に入れたりもした。そして父の靴の中や枕の中にはいつもお守りが入っていた。そうした母の厄除けに邪魔者が一人いた。6歳になるツホがまさに邪魔者だった。ツホは母のそんな厄除けをこっそり隠れて見ていて、母が席を立つとすぐに走って行ってお膳の上に置いてある刃物を取って板の間につきたてるかと思えば、母が天井の上に秘密にした糸結びを首に巻いて回るのが日常だった。父の靴の中、あるいは枕や服の中のお守りもいつもツホの袋から出てきた。そのことによって母はひどく腹を立てた。ツホを鞭で打つ母の目に僕は殺意を見た。母はぶるぶる怒りで震えて容赦なくツホを殴りまくった。しかし、ツホのそんな意地悪な癖は簡単になくならなかった。ツホは相変わらず母がすることの邪魔をした。

 一度は母がツホの首に刃物を突き付けて、お前が死んで私も死のうとした時があった。父がトラックを買って運転してから始めてであり最後になる事故を起こした、まさにその2日前だった。母は少し過激な厄払いをした。その晩、僕は猫の鳴き声を聞いて外に出てみた。母が家の猫の首に紐を巻きながら何かぶつぶつ言っていた。何か数を数えているようでもあった。母は猫の首に紐をかなり何遍も巻いた。猫はじたばたしていた。タムシムリの伯母の家の米屋にいた猫の中の一匹をツホがもらって飼っている、かなり大きい猫だった。ツホのものだった。母がその猫の首に紐を巻いて掴んで裏庭に回って行った。裏庭に練炭を入れておく物置があった。母はその練炭物置の垂木に猫の首を吊るした。猫は空中でもがきながら短く切羽詰まった鳴き声を出した。母はその猫を真ん中に置いて正確に38回ぐるぐる回った。38は父の年だった。父はその時砂利採取場に泊まりながら車を走らせていた。


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