『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々272   冬の尾根緑道15

2014-01-31 15:42:50 | まち歩き

細谷戸橋とその周辺。

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多摩美術大学から鑓水給水塔に行く途中。

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細谷戸橋。向こうに見えるのが多摩美術大学。

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細谷戸橋を渡って、遊歩道が続く。

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トウカエデの幹。

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トウカエデ。

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ちょっと休憩。

「鳥鳴いて 芽吹きの林 夢見つつ」

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コブシの幹。

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コブシの蕾。

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下の車道と売れていない分譲地を見る。

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四季折々271   冬の尾根緑道14

2014-01-30 11:52:00 | まち歩き

鑓水小山緑地はなだらかな丘の頂上を広い緑道が走っている。

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ベンチが用意されている。

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緑道の入口へ降りる小道。

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左が車道へ、右が緑道の分岐点。

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ネズミモチ。実が鼠の糞に似ている所からついた名前。6月頃に白い花が咲くそうだ。そのころもう一度来てみたい。

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「青竹は 木枯らし防ぐ 野の垣根」 
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白木蓮の幹。

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白木蓮の蕾。

「大寒に 蕾膨らむ 白木蓮」

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四季折々270  冬の尾根緑道13

2014-01-29 12:44:59 | まち歩き

尾根緑道の西の端は国道16号線。小山内裏公園と国道16号線の間は鑓水小山緑地になっていれ、その間を緑道が走っている。

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鑓水小山緑地への入口。

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道標。

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鑓水小山1号緑地への小道。
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鑓水小山緑地の緑道。左側が多摩美術大学。

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多摩美術大学。

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地図。

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四季折々269   冬の尾根緑道12

2014-01-28 12:10:38 | まち歩き

相生歩道橋からもう少し北に向かって大田切歩道橋へ行く。

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パークセンターへの道をとる。

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パークセンターへの道。下方の道は相生歩道橋への道。

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途中で急坂がある。

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急坂。

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道標。

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木立の中に大田切歩道橋。

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大田切歩道橋。

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道標。

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大田切歩道橋から見る交差点。

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読書感想112  ねじれた絆

2014-01-27 17:07:49 | 日記・エッセイ・コラム

 

読書感想112  ねじれた絆<o:p></o:p>

 

―赤ちゃん取り違え事件の17年―<o:p></o:p>

 

著者      奥野修司<o:p></o:p>

 

生年      1948<o:p></o:p>

 

出身地     大阪府<o:p></o:p>

 

初出版年    1995<o:p></o:p>

 

再出版年    2002年 新章「若夏」書き下ろし<o:p></o:p>

 

出版社     (株)文藝春秋<o:p></o:p>

 

映画「そして父になる」の参考書籍<o:p></o:p>

 

<o:p></o:p>

 

 

感想<o:p></o:p>

 

 沖縄で実際にあった赤ちゃん取り違え事件を17年にわたって取材したノンフィクションである。<o:p></o:p>

 

 19718月に生まれた伊佐美津子は2日後に生まれた城間初子と病院で取り違えられた。取り違えが発覚するのはそれから6年後、幼稚園での血液検査でだった。紆余曲折の後、二人は小学校に入学する前に実の両親のもとに引き取られることになった。伊佐美津子は城間美津子となり、城間初子は伊佐真知子となった。両家の親の方針で週末には育ての親のもとに行くことになった。二人は実の両親と兄弟、家庭に馴染めず、育ての親の家に行く時に伸び伸びと解放された。<o:p></o:p>

 

両家の両親はそれぞれ戦争の傷痕を残した沖縄で貧しく育っていた。しかし戦後西表島に入植した開拓農家出身の伊佐家の母親智子は、教育こそ貧乏から脱出する道と信じる父親から自宅で教育を受け、姉たちの仕送りで高校を卒業した。そうした智子は教育熱心で就学前の美津子に読み書きを教え、きちんとしたしつけもした。それに対して城間家の母親夏子は、4人の子どもがいながら育児放棄し、朝から晩まで遊んでいるような母親だった。初子は伊佐家に引き取られたときに読み書きはもちろん食事のしつけもされておらず手づかみで食べるような状態だった。城間家の子どもたちは夏子の実家で農業を営む祖父母や伯母の敏子に預けられ、食事も自宅で取れないような日々をおくった。小学校を卒業するころには伊佐真知子は落ち着いてきて実父母や弟との生活に慣れて、育ての親の所に帰ることも少なくなった。一方、美津子は城間家に馴染めなかった。そして二人が中学校に入る時に、城間家の敷地に伊佐家がプレハブの家を建てることになった。美津子はもう城間家には戻らず伊佐家に入り浸るようになった。同じ中学に入った美津子と真知子のライバル関係も熾烈になっていった。美津子は運動でも勉強でも真知子にかなわなかった。経済的な理由から高校進学を諦めるように言われる美津子…。<o:p></o:p>

 

 取り違えは確かに罪なことだ。しかし崩壊家庭の中で美津子がすがったのは育ての母親との絆だった。もしこれがなかったら、美津子の人生はもっとひどいものになっていたのではないだろうか。愛とはその人の人生に責任を持つことだ。生みの親も育ての親もそこでは同じスタートラインについている。人と人の信頼や絆が結べなければ血縁関係といっても空しいものだ。

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