『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々898  鑓水小山緑地の梅

2019-02-25 13:51:46 | まち歩き

八王子市と町田市の間8キロにわたる尾根の道、鑓水小山緑地で梅が咲きました。多摩美術大学に隣接した100mぐらいの区域ですが、今年もきれいです。

散歩道に沿って。

鹿児島紅という種類。

紅千鳥という種類。

茶青花。

八重寒紅。

玉牡丹。

 

紅白の梅林。

梅の実採取用の白加賀。まだ三分咲き。

少し香りも。 


にほんブログ村

 にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村


読書感想255  守城の人―明治人柴五郎大将の生涯

2019-02-11 23:38:52 | 時事・歴史書

守城の人 明治人柴五郎大将の生涯 新装版

読書感想255  守城の人―明治人柴五郎大将の生涯

著者    村上兵衛

生没年   大正12年(1923年)~平成15年(2003年)

出身地   島根県

単行本出版年  平成4年(1992年)

出版社     (株)潮書房光人社 光人社NF文庫

☆☆感想☆☆☆

「ある明治人の記録」の柴五郎の生涯を描いた伝記である。「ある明治人の記録」では西南戦争の時期で終わっていたので、柴五郎自身もそうだし、4人の兄や斗南藩で苦労を共にした嫂のその後が知りたくて本書を手にとった。長男の太一郎は会津戦争で負傷し、落城後は五郎を連れて東京で抑留され、その後五郎と後添えにした幼い妻と老父を連れて下北半島の田名部へ移住した。そして斗南藩を代表してデンマーク函館領事から輸入米を買い付け斗南藩へ送った。ところがその仲介に当たった貿易商に代金を持ち逃げされてしまった。デンマーク領事は賠償を斗南藩に求め、太一郎と斗南藩を告訴した。太一郎は一身に罪をかぶり、斗南藩に累を及ぼさないようにしたため、獄につながれた。太一郎は7年間近代法制度が整うまで未決囚として拘禁された。その間に新妻とは離縁。釈放され警視庁に入って西南戦争に赴いた。その後三度目の妻と再婚し、安定した生活を送るようになる。藩校日新館の俊英と謳われた三男の五三郎は東京にいたが、太一郎の拘禁を知り、長男にかわって家族の面倒をみるために下北半島にやって来た。そして斗南藩が消滅した後、老父とともに会津に帰り、下級官吏として生涯を終えた。四男の四朗は結核のため白虎隊に参加できず、母親にお城へ行けと促され、城に向かったが入城することができずそのまま薩長軍に下った。東京でいろいろ書生をしたり思うにまかせなかったが、西南戦争で斗南藩の大参事だった山川浩(大蔵)中佐の下に見習士官待遇で従軍し、戦後に三菱の援助でアメリカ留学を果たし、ペンシルベニア大学で経済学の学位を受けて帰国。その後はベストセラー作家になったり、衆議院議員になったり政府や民間でも専門的な知識を生かして大活躍する。次男の謙介は会津戦争の中で、農民たちに殺害されたが、その詳細は五郎が出世してから詳しく知ることになる。

主人公は明治12年に陸軍士官学校の第3期生として卒業任官し、大正12年に退役するまで43年間陸軍で奉職した。明治大正期の対外戦争を実地に体験している。特に諜報活動に関心が高く、出世のためには陸軍大学に行けという勧めを蹴って、中国へ渡り諜報活動を展開する。そこで中国語と英語の実力を身に着け、陸軍幼年学校、士官学校で培ったフランス語の実力と相まって語学のエキスパートになる。柴五郎の名前を国際的に轟かしたのは1900年の中国の「義和団事件」である。「扶清滅洋」を旗印にする宗教結社「義和団」のキリスト教徒や宣教師への襲撃から始まった事件は、清の西太后が義和団と手を結んで清の官兵を使ってヨーロッパ列強の外交官や軍隊に戦いを挑むところまで事態は深刻化した。北京にいた欧米の大使館と日本の大使館は始めは義和団、そして清の官兵に襲撃されることになる。天津にいた外国軍隊が北京に来られず、後続の軍隊も天津に上陸できず、清の軍隊の攻撃を受け続けた。こうした中、北京の外交団は2か月間頑張って守り切った。その中心にいたのが、駐在武官だった柴五郎中佐。この時のイギリスのマクドナルド公使の柴五郎に対する信頼が日英同盟の締結につながったと著者は述べている。すべてのエピソードが臨場感あふれていて、とても面白い。著者ももともと陸軍幼年学校、士官学校の出身で、軍隊のことにも精通しているので、いい評伝が描けるのだと思う。


にほんブログ村

 にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村

 

 


読書感想254  もっと言ってはいけない

2019-02-08 16:34:48 | 日記・エッセイ・コラム

 橘玲『もっと言ってはいけない』

読書感想254  もっと言ってはいけない

著者    橘玲

生年    1959年

出版年   2019年1月20日

出版社   (株)新潮社

☆☆感想☆☆

前作「言ってはいけない 残酷すぎる真実」がベストセラーになり、2017年新書大賞を受賞。本作はその続編になる。前作同様、人間は環境要因より遺伝子の影響を強く受けるという主張を展開している。前作ではサイコパスと遺伝の関係をあつかっていたが、今回扱っているのは知能の格差である。その調査資料の一つはPIAAC(OECD主催の国際調査で、16歳から65歳までの成人を対象にした読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力を測定する「国際成人力調査」)である。そこで日本は平均1位、読解力と数的思考力は1位である。しかし著者がここから導き出しているのは日本人の三分の一の成人が初歩的な読解力がなく、三分の一が小学校3,4年生の数的思考力しかない。そしてパソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいないということである。OECDの平均では先進国の成人の半数が簡単な文章が読めないし、半分以上が小学校3,4年の数的思考力しかない。そしてパソコンを使った基本的な仕事ができるのは20人に1人(5.8%)しかいない。この現状に対して著者は、一般知能(IQ)の遺伝率の高さ(77%)からいって「ずっと昔からこんなものだった」というのだ。今まで問題にならなかったのはそれでもできる仕事がたくさんあったからだ。つまり無意識の知能「暗黙知」がある領域では意識(論理的思考能力)超えることが明らかになっている。直観であり、職人の知恵が生きる世界である。IT化の進む知識社会では「暗黙知」の生きる仕事の分野は減ってきているという。

次に教育の達成度における遺伝子と生育環境の影響を調べたノルウェーの調査から、貧富の差などの生育環境が改善されると、生育環境の影響力は下がり、遺伝子の影響が大きくなるという。ノルウェーでは第二次世界大戦後、教育達成度は遺伝子の影響が70%まで上がった。「リベラルな社会ほど遺伝率が上がる」。また行動遺伝学では「知能に及ぼす遺伝の影響は発達とともに増加するという。赤ちゃんの時は環境要因の影響が強く、成長するにつれて遺伝の影響が強まると言う。成人初期には遺伝率は70%に達する。これも従来の常識とは反対である。

次は人種による一般知能(知能テストで計測されるIQ)の格差である。それには「知能における人種的ちがい」(リチャード・リン)による各国別のIQ一覧を紹介している。データ数が全体的に少ないのが気にかかるが、その中でも日本は上から2番目に多い24データ出ている。中国は12データ、韓国は6データ。そういう資料に基づくと、東アジアは一般知能が高い。著者は日系移民が南米のエクアドルの極貧生活から大成功を収めた理由を一般知能の高さにあると指摘する。米国では第二次世界大戦で全財産を没収された日系米国人が70年たって数々の優遇策を受けた黒人の2倍の収入を得ている。白人の平均よりも25%も高くなっている。

日系人の成功がその頭の良さにあるというのは嬉しいかぎりだ。本書のなかには、まだまだ面白いテーマがある。

「ゲイ遺伝子の発見」「極端な男の知能、平均的な女の知能」「ユダヤ人の知能は高くない?」

示唆に富む話題が多く、従来の常識を破っていく論理展開が面白かった。 


にほんブログ村

にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村