『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳(韓国語→日本語)そこに夜 ここの歌3

2021-10-28 23:35:34 | 翻訳

「注文しましょうか?」

 いつもなら自信満々に片腕をソファにかけて「アイスコーヒー、お願いします。ミサリスタイルでと言ったはずだが。ヨンデはいろいろな珈琲メニューを見てめんくらって緑茶にした。ミョンファはアイスクリームを注文した。ぎこちなく窮屈な時間が流れた。ヨンデは自分に少しでも話ができれば話したかった。会話を主導したのはミョンファだった。落ち着いてくつろいで。時にはオオバコのように青く丈夫に笑いながら。ヨンデはこの日、ミョンファが長女だということ、両親と幼い妹を彼女がほとんど食べさせていることと、片目の視力を失ったリョファの話を聞いた。ミョンファはヨンデに故郷を離れた理由を尋ねた。ヨンデはくすぶっていて少し広い世間を経験したくなってと答えた。店員が近づいてきて二人に一枚の紙を差し出した。「今日はイベントをしています。ビンゴゲーム、知っていますね?お客様の中で一番はじめに合わた方に贈り物としてモンテスα1本を差し上げます。紙をどうぞ?」

 ヨンデとミョンファは互いの顔を眺めた。そうして同時にうなずいた。ビンゴゲームのようなもの、したくなかったけれど、なぜかその店の規則に従わなければならないかのようだった。カフェのなかは落ち着かなかった。三々五々集まって座ったテーブルに人々は丸く集められた。ヨンデは紙を片方にどけた。そして騒がしい所に空しく来てしまったと後悔した。すぐ朗々とした店員の声が聞こえた。

「さて、数字を読み上げます。一番目は七!」

 人々は数字をチェックしようと腰を落とした。ここそこで低い笑い声が起きた。

「十三!」

 ヨンデは掌にしみ込んだ汗をズボンの腰回りで拭った。

「あのう、ミョンファさん、こんな話をするのはちょっと早いとわかっているけど・・・・」

 ミョンファが目を丸くしてヨンデを見た。ヨンデは緑茶を飲もうとしていたが既に全部飲んだことが分かって思いとどまった。

「二十五!」

 そうして十余りの数字が出てくる間、ヨンデは何も言えなかった。ミョンファは紙の上に無心に自分だけがわかる落書きをした。すべて漢字だ、内容がとても気になったけれどヨンデは尋ねられなかった。ミョンファは今まさにプロポーズしようとする男の焦燥を礼儀正しく待っていた。ヨンデはカフェの雰囲気に馴染めずどうするべきかわからなかった。その日、ヨンデはそのカフェの中で一番年取った人として、一人の女を眺めていた。カフェの中のすべての人が一斉にうつむいて数字をチェックしている間、まっすぐ腰を伸ばして互いの目を見つめていたカップルはその瞬間、ただヨンデとミョンファしかいなかった。

「二十三!」

とうとうヨンデは我慢できないように勇気を出して言った。

「あのう、よかったら僕と・・・」

 ミョンファが期待に満ちた目でヨンデを見た。

「はい?」

「だから僕と・・・」

 ミョンファがかたずをのんだ。

「ここからでましょう。」

 それはミョンファが予想した言葉ではなかった。さりとてヨンデが言おうとした言葉も言えなかった。

 ヨンデはカセットを聞くのをやめてラジオをつけた。中国語の勉強に飽き飽きしたところだ。ヨンデが好きなコメディアンが進める番組で昔の歌が流れてきた。チェ・ホンソブの「歳月が経てば」だ。ヨンデは前方の車が抜け出た場所にそろそろ移動しながらホンデからスセックまで乗せた客を思い浮かべる。

「小父さん、ボリュームをちょっと高くできますか?」

その日、女の客は酒に酔って赤くなった顔でぶつぶつ言った。

「この歌、私の昔の恋人が本当によく歌ってたんですよ。」

「あ、はい。」

 1日14時間。タクシーを運転しながらいろいろな人と会って、たくさんの話を聞いた。一度会っても再びは会わない人々で、意味なく行き来する会話が多かったけれど、時折記憶に残る話があった。都市の所々で片手をさっと挙げてタクシーを捕まえた後、酒に酔い美しくずれた話を車代のように置いていく人々がいた。時には筋が通らず突飛な話、ある時は溢れそうでわからない話をキラキラしたコインのように流していく人々。無礼な人こそそれより多かったけれども。その中のある言葉はヨンデの心を揺さぶった。勿論ヨンデはわかっていた。タクシーの中では運転手も客も嘘をつくということを。教育を受けに来た人の30%が1か月でやめ、2,3か月たつと半分以上がやめ、6か月後には1,2人しか残らない会社で、同じ運転手同士でも嘘をつくということを。自分の立場がみすぼらしいほど風船のようにおおぼらを吹くということだ。風船の先の浮力にぶら下がった人たちはふわふわと、どこか不安に見えた。タクシー運転手たちが客を思い浮かべる重要なやり方の一つは動線だった。いわば、「どこからどこまで」。靴修繕工が、按摩が人を見分けて覚えるそんな職業的な感覚だった。イルサンに行くか、蚕室へ行くか、タプシプリへ行くか、人々は相変わらず荒唐無稽なことを良く言った。奇妙な点はすぐに隠したことがばれるだろうということが分かりながらも、彼らがそんな荒唐無稽なことを言うのをやめないことだった。自分が安全企画部の幹部だと威張っていた中年は、前の車が急ブレーキを踏むと「あの野郎、車を止めろ!」と言った後、「ナンバーを書いておけ」と大騒ぎした。勿論、彼が安全企画部の職員のはずがないのは一遍でわかった。某銀行の支店長と明かした男は「小父さん、そのぐらい稼いで、食べていけるの?」と奇妙に振舞った。そうして土壇場で金が足りないと言って口座番号を読み上げてくれと言った。1日数十回電話をして、溜まった料金を受け取るのに2週間以上かかった。おつり百ウオンを手渡すと、何も言わずに車のドアをバタンと閉める若い娘たちの無礼もありふれていた。それでも時々好奇心を起こさせる客もいた。少し前にチョンロでノウォンまで乗せた男もそうだった。彼は酒に酔ってぶつぶつ呟いた。妻が体にいいと奇妙なプラスチックがいっぱい入ったセラミック枕を買ってきたんだが、寝るたびにがさがさ音がするし。それで最近続けて騒々しい夢をみるんだ。妻がどうしてしょっちゅうそんなものを買ってくるのかわからないんだ。車から降りるまで彼はそればかり言い続けた。大学路で照明の仕事をいるんだったか? タクシー代がないので、人形を代わりに受け取ってくれないかと言った独身男も愛嬌があった。そしてその日、「歳月が過ぎれば」を大きくつけてくれと言った娘も。ヨンデは娘の要求どおりラジオの音を大きくした。昔の歌特有の淡々として切ない音がタクシーの中に広がった。歳月が過ぎれば 胸が裂けるような懐かしい心だからこそ忘れていたと言っても。

「あ、素晴らしい。」

 彼女は車のドアを開けたあと目を瞑った。そうして黙って座って歌を聞いた。彼女の長い髪が風にはためいた。彼女は運転席に向かって上体を傾けながら言った。

「小父さん。この前タクシーで素晴らしいいい歌を聞いたの。完全に感動的な。それで歌が終わる前に家に着いて降りなければならないのに。どんなクラシックか?初めて聞く演奏曲だったので、私もわからず、それでもいいのよ。」

ヨンデはバックミラーで女の顔をちらっと見た。

「人間は本当に不思議。そんなものを作り出して。」

 20代後半ぐらいだったろうか?流行に乗らない服がきちんとしているけれど、顔色がどす黒く見えて肝臓が良くないようだ。1年に何回かこんなに泥酔してタクシーに乗るのだろう。いくらか教育を受けた女の言葉遣い、しかし少し感傷的な性格の客。「歳月が過ぎれば」をよく歌ったという男、肝臓が悪いこの女の昔の恋人は元気なのだろうか?ひょっとすると1回ぐらいヨンデが乗せた男かもしれない。ヨンデはお姉さんが吐かないか心配した。3日前もシートの中に吐いた臭いが抜けず仕事ができなかった。

「だから私は、そんなに偶然に歌に出会ったら素晴らしいし、降りなければならなければ、歌の名前をいつまでも覚えられないという思いになるときがあるんです。」

ヨンデは尋ねた。

「じゃ、全部聞いてから降りたらいいでしょう。」

彼女は年に似合わず柔らかい微笑を浮かべて答えた。

「でも、感動的な音楽を聴けば、本当に素晴らしい。私はいつまでもそれが何の歌かわからないことが、まさにその事実が素晴らしい時があります。」

「・・・・」

 その時はそうなのだろうと言ったけれど、時折そのお姉さんの言葉を思い出した。どんな言葉かわからないけれど、理解できるような気分もして。ひょっとすると、ミョンファ、しばらく暮らしてしまった北の女もヨンデには最後まで名前もわからない歌ではなかっただろうか。聞き終わって降りることができない歌。よく思い出せないながら、忘れることができない音だよ。ミョンファは多くの質問を残して去った。ヨンデが名残惜しいことは、彼女がやはり自分にとって充分にわからないまま行ってしまったことだ。

 プロポーズはチョンロタウンのてっぺんにあるレストランで行われた。恋人たちがプロポーズをすることで有名な所だ。ヨンデも行き来しながら見ただけで入ってみるのは初めてだった。しかし、カフェに行った時よりは余裕があった。メニューを選んで従業員に対する態度は慣れてはいなかったけれど、ヨンデはミョンファをこんな所に連れてきたという事実に胸がいっぱいだった。ソウルの真ん中、都市の中心で町を見下ろしながら、二人はビーフステーキを食べた。ミョンファはどこか憂鬱そうに見えた。食堂の仕事がきついのか顔がいつもよりむくんでいた。ヨンデがデザートをもぐもぐする間、ミョンファはトイレで食べたものを吐き出した。白い便器の上に血の気がまだなくなっていない牛肉のかけらが薄い油とともにプカプカ浮いた。ミョンファは席に戻ってデザートを食べるふりをした。ヨンデはためらっていたが指輪を差し出した。そうして全くロマンチックじゃない口調で「僕と暮らしましょう。」と言った。ミョンファは何も言わずにテーブルの上の指輪をまじまじと眺めた。


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翻訳(韓国語→日本語)そこに夜 ここの歌2 

2021-10-21 20:54:07 | 翻訳

これは趣味で韓国語を勉強しているハングル講座で取り上げた教材です。勉強のためで営利目的の翻訳ではありません。 

著者 : キム・エラン(女性) 

ヨンデは幼いころから周囲に冷遇された。家族の恥、家系の馬鹿、家門の仲間外れ。どの家庭でも必ず1名ずつは存在する除け者。いつだったか彼は兄嫁が大きい声で自分の悪口を言うのを聞いたことがある。兄が豆腐工場をつぶして雲隠れし、安宿を転々としているという噂が巡っている時のことだ。債権者たちに悩まされていた兄嫁は毎日その地方の安宿を尋ね歩いた。お金もお金だけど子供たちのお父ちゃんが連絡を絶って心細かったし、戻ってくるバスの中ではとめどなく涙が流れたと言った。そうこうするうちに、末っ子の坊ちゃんにちょっと手伝ってもらおうと、一緒に探してくれないかと頼んだのだ。

「だけど、ヨンデ叔父さんが何と言ったかわかりますか?」

 向かいの部屋で、家の女たちが耳をぴんと立てる様子だ。

「ガソリン代をくれというんですよ。オートバイのガソリン代。」

 どうして自分の兄にそうできるのかと。兄が叔父さんの尻ぬぐいをしたじゃないと、兄嫁は興奮した。祝祭日には話題がくりかえされるので聞き流す人もいたけれど、聞くのに面白くない話ではなかった。男たちは供え物のお酒を飲みながら聞こえている話を聞こえないふりをした。ヨンデは無言で干しウロク(そいの仲間)を裂き、どんな表情をしなければならないか分からず、にやっと笑った。そんな顔がどんなに不快にみえるか一つもわからずに。

「嫁に来た時から覚えていました。私は畑で唐辛子を摘んでいるのに、叔父さんは縁側で一日ギターを弾いてあそんでいるの。お母さまは何も言わなくて。」

 重要なことは兄嫁が言うことが全部正しいということだった。除隊後ヨンデは中国料理店の配達、床屋の見習い、飲み屋のウエイター、アパートの警備の仕事を転々とした。

大部分は兄が斡旋してくれた所だった。ヨンデが根気強くする仕事はなかった。決まって無断欠勤して、主人が一言いえば十口答えしたあと、店のドアを蹴っ飛ばして出てきた。空気が読めずお客たちの会話に割り込むことも頻繁にあった。兄はその度に、自分の先輩や友達の店の社長たちに謝りに回った。彼が事故を起したときには家族たちは「そうするだろうと思った」というふうな反応を見せて、後ではヨンデもそう思った。ヨンデが始めて花嫁として紹介した女 ― 田舎の貧しい村まで落ちてきた風俗店の娘としても酷いブスだった。結局ヨンデのわずかなオートバイ事故保険金をもって出て行ってしまった ― ことを見た時も家族たちは「やっぱりそうだね」の態度で一貫した。数年前、秋夕(チュソク)の時だったか、酒に酔ってオートバイを運転し先祖の墓に行った。バランスを失って畦道に突っ込んで落ちてしまった時 ― 暑い秋の日差しの下、自分を一斉に見下ろしていた親戚の顔を覚えている。兄の困惑、兄嫁の軽蔑、甥の無視、いとこたちの冷笑、日差しに背を向けた見物人の眩しい蔑視。

 彼がソウルに来たのは7年前のことだ。母の住処として身内が騒がしかった時だった。ヨンデは重要な不動産契約一つを台無しにした。店を整理し家に続く畑で農業をしつつ暮らしている母の家をなくしてしまったのだった。ただ保証人になると思っていたのが、ヨンデの先輩という仲介業者が二人に家を二重に売ってしまって行方をくらましてしまった後だった。その家はヨンデが母と一緒に暮らしている所だった。白いコンクリートの壁面の上に垢だらけの汚れが、わびしく露出した洋風の家だったけれど、彼ら母と子にはなくてはならない住処だった。書類上、所有主のうち一人は大田のどこかで活動しているヤクザだったそうだ。毎日家へ怪しい男たちが訪ねてきた。ヨンデたちの家の真ん前で縁台を広げて風俗店の女を交えて酒を飲み、歌をうたう洋服姿が。彼らは母の敷地に続く畑からむやみに唐辛子やサンチェを摘んで食べ、村の人々が見て恥ずかしいほど騒がしく振舞った。ヨンデは何をどうしたらいいかわからなかった。ヤクザの歌は朝鮮語の民心を無視している両班たちの伝統音楽のように日に日に高くなった。40に近くなるまでちゃんとした積立通帳一つなかったヨンデができることはほとんどなかった。今回も兄が後始末をするようになるはずだった。ヨンデは結局家を出てきた。口数が少なくおとなしい兄が「こいつがとうとうここまで分別のないことをやって」と、ヨンデの頬っぺたを殴った夜、ヤクザたちから常套的な最終的な脅迫を受けた日、誰にも知らせずに、薄暗い明け方、不吉な犬の鳴き声を避けたまま、しきりに後ろを振り返ったヨンデの顔は、10年歳の離れた兄より老けていた。家出というにはあまりに遅い歳、37歳の時のことだ。だから天涯孤独で上京した彼が、人々に見捨てられ、失望することに慣れた彼が、都市の速度に相変わらずまごつく、分別のない若くない独身男性が、目に豊かな感情を見せる朝鮮族の女の親切にすっかり参ってしまうのは不思議な事ではなかった。

 姓は林(イム)、名は明花(ミョンフャ)。吉林省延吉から来たと言った。そこは韓国語と北朝鮮の朝鮮語、そして朝鮮族の朝鮮語が入り乱れた都市だった。ミョンファは中国語と朝鮮語、韓国語をすべて話すことができた。その中で一番上手なのは中国語だった。大陸でいろいろな国の言葉は乾いた風に混じって散らばった。幾らかは砂漠の骨のように痩せこけて、使う人がほとんどいない言葉だった。彼女は言葉が起こすほこりの風を全身で受け止めて育った。時としてはしっかりと、それよりはしょっちゅう震えてというわけだ。後日韓国へ来た時、ミョンファは自分の発音が祖先の言葉ではなく、単純に他の地方の人が使う「労働者の言葉」にすぎないということがだんだんわかっていった。音と抑揚が喚起させる、どんな気配に対しても、死んでも完璧になることはできない別の国の言葉の質感に対しても、ミョンファはわかっていった。国は富裕になって個人はどんどん貧しくなる時期、お金を稼ぐため夜の船に乗った後のことだ。密航船に乗せられ自分の運命がどこかへ運ばれる気分になっていた、世界の気温よりはミョンファの体温が少し高かった春の夜だった。ミョンファはそばに横たわっている妹の顔を穴があくほど見つめた。純粋であることに気づかない純粋。青春であることに気づかない青春。自分もそれほど俗っぽい人ではないことに気づかず、ミョンファは眠ったリョファの顔をじっと見た。そして、自分がその子の顔を愛していることに気づいた。朝鮮族だといってすべてが貧しいのではなかった。その中にも留学して事業をしてブランド品を買う人たちがいた。同時に密航して日雇い労働をして結婚市場に出てくる(農村に嫁ぐ)人たちがいた。それは韓国も同じだった。ミョンファはその中の後者に属した。

 姉妹二人が初めて定着したのは京幾道にあるゴルフ場だった。ミョンファはゴルフ場の職員専用食堂で皿洗いをした。プレートにご飯粒が溶けてしまうほど有毒な洗剤を使って、水で2回ぐらいしか洗わない、かなり暗い台所で、一日中、ミョンファが食べるご飯もそのプレートに盛られて出てきた。こんなご飯、1年食べれば体が駄目になるという小母さんたちの冗談に一緒に笑いながら、彼女はゴムのエプロンに長靴を履いて韓国人の食器を洗った。そして夜になると、妹と向き合って横たわり、二人だけがわかる中国語でささやきながら寝た。彼らの声には天真爛漫さと疲労、かすかな恐怖と希望が混じっていた。そんなある日、一緒に働いていた妹の目にアルカリ性洗剤が撥ねた。20歳にならないリョファは片方の目の視力を失った。彼女はどんな補償も受けられないまま中国へ発った。妹を故国へ

見送った帰り道、ミョンファはゴルフ場ではないソウルへ足を向けた。そしてその時から彼女の日雇い人生が始まった。チムチルバンの清掃、足のマッサージ、家政婦、サービス業、モテルの清掃・・・ミョンファがしなかった仕事はほとんどなかった。雇用主は二の足を踏むふりをしながら安い賃金の労働者を歓迎した。ヨンデが会ったころ、ミョンファの顔は実際よりずっと老けていた。

 ヨンデは城北洞の運転手食堂にしょっちゅう入った。ひたすらミョンファに会うためだった。豚肉のプルコギご飯が有名な店だったから、後ではそれを食べすぎて吐くほどだった。ヨンデはフピョンやクリにいっていても、食事時になると必ず車を運転して城北洞に行った。小銭もその店でだけ換えようとした。匙と箸で食事中ずっと汗をたらたら流しているヨンデの姿は、ミョンファではない誰の目にもたやすく目についた。ヨンデはミョンファに言葉をかけたかったけれど、適当な口実を探し出すことができなかった。そうこうするうちにある日、仕事帰りにネギのキムチのようになり歩いているミョンファを発見し、自動車の速度を落として彼女のそばにぴたっと付ける機会が訪れた。「どこへ行くの? 僕が乗せてあげよう。」ミョンファは何度も遠慮していたがとても疲れていたので、押しが強く憎めないお客の好意を受け入れてしまった。

 タクシー経歴5年以上のヨンデはソウルの悪くない食堂をもれなく知っていた。最初に有名になってからそれを鼻にかけてしまう店ではなく、安く取るに足りないけれど、味だけは真心がこもった、そんな店だ。ヨンデはミョンファを美味しい店にしょっちゅう連れて行った。ミョンファは今さらのように食べ物の風味が与える喜びにはしゃいだ。美味しい食べ物を食べて「あっ!」と短い歓声を上げるたびに、ミョンファは捨て置かれた生の感覚が一つ二つ目覚める感じがした。彼らはカラオケでビールを飲み、徳寿宮を歩き、アクション映画見ることもあった。人々は時々朝鮮族特有の口癖を聞いて、この人たちをチラチラ見た。ミョンファはヨンデに優しかった。しかしそうだとしてもミョンファがヨンデを好きだとは言えなかった。寂しい異国の地の生活にくたびれて、ヨンデと時間を過ごしているのかもしれない。人々は二人の関係をひそひそ噂した。いくら不法在留者だとしても、しとやかな娘が10歳年上の別に用もない男と会うのは何か問題があるからではないだろうかと。

 ある日、ヨンデはミョンファに尋ねた。これから時々してみたいことがあるかと。ミョンファはしばらく悩んでいてカフェに行きたいと言った。

「カフェ?」

 彼女は照れくさそうにしながら「ここの若い人たちが行く、そんなカフェ」と答えた。ようやくヨンデは自分が一度も彼女をそんな所に連れて行ったことがないことに気づいた。わざとではなく、知らないからだった。喫茶店やギター歌手が出てくるライブ喫茶店を除いて、ヨンデもカフェへ行ったことがほとんどなかった。彼は普通のタクシー運転手のように自動販売機の珈琲を口にくわえて生きていた。ヨンデは今さらのようにミョンファが若いということに気づいた。32歳、あまりスマートではない体つきに疲れた顔だけれど、それでも元気いっぱいな年ごろだということ。

 クリスマスの日、彼はミョンファと一緒にカフェへ行った。若者が行く所。そんな所が何処か思案していて弘益大学の近所の喫茶店がよさそうだった。そこは大きくて微かな照明に小さい美術作品がかかった地下カフェだった。店の中にはジャズ風のピアノ曲が流れていた。二人はカフェの真ん中に席をとった。残った座席はそこしかなかったからだ。ヨンデは緊張したまま周囲を見回した。入ってきた時からびくびくしていて座るとさらにひどくなった。ヨンデはその中で一番年を食っているように見えた。ミョンファはやはりそこにいる人たちの中で一番地味で野暮ったい姿だった。


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四季折々1012  コスモス祭り

2021-10-16 12:19:41 | まち歩き

神奈川県相模原市緑区の城山湖の麓で毎年開催されるコスモス祭り。コロナ感染予防のため昨年は中止になり、今年は2年ぶりに開催されたが、台風16号の襲来で一日開催が延期された。

かなり痛めつけられている。

百日草は台風の影響を受けていない。

花瓶いっぱいのコスモスが採り放題で百日草も2本までついて400円。


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翻訳(韓国語→日本語)そこに夜 ここの歌1

2021-10-11 13:50:11 | 翻訳

著者  :   キム・エラン(김 애란)      性別  :  女性                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

 冬の夜だ。星がなく晴れた夜。気がかりなことを推し量ったり、期待したりするような兆しは一つもなく、すっきりしたソウルの夜。風は、自分の体から悪臭が出ないだろうか心配する老人のようにぐずぐずとためらい、我知らずぐちゃぐちゃになり、我知らず春の生臭い臭いを放っている。立春までは15日も残っていたけれど、都市の風邪を患うように季節の変わり目に体調を崩すので、かすかな微熱に落ち着かなかった。

「我的座位在哪儿?私の席はどこですか?(中国語)」

テープから遠い国の言葉が流れ出てきた。見る人がいなくても、ヨンデはぎこちなく中国語基礎会話に従って読み上げた。

「私の席・・・どこです?(中国語)」

 肌寒い夜。それでも、知っている人だけは気づけというように「立春」という目印から落ちてきた破片が、風にひそかに交じる夜。

 テープの動きが静かだ。暗いタクシーの中、メーターと計器盤の明かりが光る。ハンドルを握ったヨンデは手に汗をかく。幼い時から体がほてっていた。母親が市場で長い間ポシンタン(犬肉スープ)の店をしてきたせいだ。学校に通っていた時期からずっと、弁当のおかずとして、たくわんや豆の醤油煮の代わりに犬肉を包んでもっていかなければならなかった。煮込んだ犬肉、蒸した犬肉、炒めた犬肉、焼いた犬肉、わからない犬肉・・・誕生日には常連客にだけ出る犬の陰茎がかわいらしく入れられていたので、顔がかっかっとほてることもあった。母親は料理の腕がないが、自負心の強い食堂の主人だった。驚くべき点は、店を閉める時まで母親がその事実を知らなかったということだ。食堂は閑散として冷凍庫には残った肉が山積みだった。母親はその中の一部を子供たちに食べさせる際に活用した。背が高いのでいつも腹を空かせていた時で、彼も特段駄々をこねなかったようだ。ヨンデの頬は赤みがさし、若干はげた額にはいつも脂汗が流れ落ちた。他の家族はそうではなかったが、ただヨンデだけがそうだった。彼は、そんな姿が人々に病弱な人と映らないか、あるいは度を越した好色にみえないか、気になった。誰かと握手する前に彼は服で手のひらを拭う癖があった。高等学校の体育の時間、同じクラスの女子生徒とフォークダンスを踊ったときもそうだった。女子生徒の手を握り、一度回って素早く反対の手を拭ってもう一度回り、残りの汗を拭った。彼は他の人と全く違う踊りを踊っているように見えた。この夜、ヨンデが車内にヒーターをつけないのには、それだけの理由があるのだ。

 カセットから少し前の文章がまた出てくる。自分が何を言っているかわかる人だけの、滑らかな確信が込められた音声。ヨンデが聞くのには真夜中に山の中で出くわす4通りの道のように寂しい4声調・・・質の悪い録音環境のために雑音が混じった異国の言葉は実際より遠い所からくる無電音のように切迫して聞こえる。道路の上、「空車」の列が長い。その列の終わりにヨンデがお客さんを待っている。彼が数日前に覚えた言葉は多少銭(中国語)、「いくらですか?」だった。その前に勉強した言葉は「私は韓国から来ました。」という意味の我是从韩国来的(中国語)だった。その他にはありがとうという言葉、すみませんという言葉、私の名前はヨンデだという言葉を学んだ。良いという言葉、嫌だという言葉、さようならという言葉を理解した。体系も筋道もなく覚える言葉だったけれど、生きていくのに必ず必要な言葉でもあった。ヨンデはお客のいない時間を利用して中国語のテープを聞いた。飽きるとラジオをつけ、いらいらする時は数日ずつ飛ばすこともあった。それでも一日一文章ぐらいは暗記しようと努めた。勉強ならぞっとするけれど、どうしようもなく詰まっている時間を過ごすのにしたくないことを繰り返すのは悪くなかった。渋滞した道路に閉じ込められている時は、さらに意欲が出た。彼は「いつか私はここを離れる人間」という暗示に慰めを得た。聞こえてくる話では中国はチャンスの土地だという。

 馴染みのない言葉は全く口から出なかった。中国語は言葉が言葉のようでなく歌のようだった。単語や文法だけではなく数多くの文章のメロディーを覚えなければならない、妻はベトナムの声調が六つだとヨンデを激励した。ものすごく慰めになる言葉のようでも、絶対慰めにならなかった。6声調も4声調も複雑なことは同じだった。中国語勉強を決心したのは2年前だ。本格的に始めてから2か月たっていない。どうせ、運転席に座って単純な文章を繰り返し聞くだけだから、ない時間を割いて学院に行ったり、区立図書館に座って10分ぐらいうつぶせに寝たりするよりましだった。それも椰子が描かれたワイシャツに金のネックレスをしたままというわけだ。ヨンデには休日が貴重だった。年上の会社の先輩は言った。この仕事をして金を稼ごうというのは、自分の寿命を削ってしまうということと同じだと。

そのくせ、彼は一日17時間働いた。ヨンデは平均14時間走らせた、日曜日には主に寝た。妻は勉強する暇がなければ、勤務時間を活用してみたらと言った。楽に一日一文章程度だけ覚えたらと。テレビからそんな方法で5か国語を学んだ整備工を見たと言った。中国語を一区切り学ぶたびに、彼の濁って無知な目の中には、彼が一度も行ってみることができなかった国――広大で古い大陸、信じることができず、信じたい噂がたくさんある故郷の風景が揺れた。ヨンデは自分が言う言葉をじっくり反芻した。我は私、的は~の、座位と在はそれぞれ席とどこという意味、続けて結び付ければ、我的座位在哪儿。

「私の席はどこですか?」

 どこ。いつも「どこ」が重要だ。それがわかればこそ止まることもはなれることもできると、彼女は「哪儿」という単語をわすれるなと言った。その言葉があなたの望む所へ連れて行ってくれるだろうと。その次に、そこへどのように行くかはあなたが決めればいいと。意外にも多くの人が道を忘れた旅人に親切だと。それだから、外国に出かけては答えることよりは質問できる勇気が重要だと。ヨンデの言葉よりは粗野な韓国語の文章で、彼女が説明してくれた。ヨンデはそんな言葉を聞くたびに、そんな言葉を聞くという理由だけで、自分がそんな言葉を聞いてもいい人間、そんな資格がある男として感じたりした。「この女、いつも私にはちょっと良すぎるという感じがしたけれど、その時もそうだった。正しい音声で話せば、互いに理解できないことはないという、疎通に関する素直なほどの信念があった女。仕事も本当によくできたけれど、勉強をしていたら、さらに良かった若い妻。始め、手のひらの汗を拭って握手を求めると、世の中で一番小さい部族の挨拶方法を尊重するように、笑ってまねた北方の女。笑う時は白く笑って死ぬ時には黒く死んでいった女。「在哪儿」を発音するや、その女が浮かんだ。ヨンデは妻が何か説明して伝えようと努力する姿が良かった。その対象が自分である場合にはさらに一層。いつも言葉に飢えて大きく開いた目。地球の軸のように人に向かって15度ぐらい傾いていた心。その傾斜を自ら進んで滑りながらも痛ければただ「痛い」と言ってしまう性格。彼女はヨンデに真剣に向き合ってくれた人だった。(つづく)


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四季折々1011  津久井湖の10月

2021-10-10 21:49:32 | まち歩き

台風一過。青天の津久井湖。

台風16号が通り過ぎた翌日、10月1日。

ペンタス。

サンパラソルとペチュニア。

サルビアとマリーゴールド。

ベコニアとマリーゴールド。

ジニアとブルーサルビア。

ジニア?

ペンタス。

ハイビスカス。

「霧りわたる水の流れ洲末晴れて明行く波も秋風の空」(後柏原天皇1464年~1526年)


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