「注文しましょうか?」
いつもなら自信満々に片腕をソファにかけて「アイスコーヒー、お願いします。ミサリスタイルでと言ったはずだが。ヨンデはいろいろな珈琲メニューを見てめんくらって緑茶にした。ミョンファはアイスクリームを注文した。ぎこちなく窮屈な時間が流れた。ヨンデは自分に少しでも話ができれば話したかった。会話を主導したのはミョンファだった。落ち着いてくつろいで。時にはオオバコのように青く丈夫に笑いながら。ヨンデはこの日、ミョンファが長女だということ、両親と幼い妹を彼女がほとんど食べさせていることと、片目の視力を失ったリョファの話を聞いた。ミョンファはヨンデに故郷を離れた理由を尋ねた。ヨンデはくすぶっていて少し広い世間を経験したくなってと答えた。店員が近づいてきて二人に一枚の紙を差し出した。「今日はイベントをしています。ビンゴゲーム、知っていますね?お客様の中で一番はじめに合わた方に贈り物としてモンテスα1本を差し上げます。紙をどうぞ?」
ヨンデとミョンファは互いの顔を眺めた。そうして同時にうなずいた。ビンゴゲームのようなもの、したくなかったけれど、なぜかその店の規則に従わなければならないかのようだった。カフェのなかは落ち着かなかった。三々五々集まって座ったテーブルに人々は丸く集められた。ヨンデは紙を片方にどけた。そして騒がしい所に空しく来てしまったと後悔した。すぐ朗々とした店員の声が聞こえた。
「さて、数字を読み上げます。一番目は七!」
人々は数字をチェックしようと腰を落とした。ここそこで低い笑い声が起きた。
「十三!」
ヨンデは掌にしみ込んだ汗をズボンの腰回りで拭った。
「あのう、ミョンファさん、こんな話をするのはちょっと早いとわかっているけど・・・・」
ミョンファが目を丸くしてヨンデを見た。ヨンデは緑茶を飲もうとしていたが既に全部飲んだことが分かって思いとどまった。
「二十五!」
そうして十余りの数字が出てくる間、ヨンデは何も言えなかった。ミョンファは紙の上に無心に自分だけがわかる落書きをした。すべて漢字だ、内容がとても気になったけれどヨンデは尋ねられなかった。ミョンファは今まさにプロポーズしようとする男の焦燥を礼儀正しく待っていた。ヨンデはカフェの雰囲気に馴染めずどうするべきかわからなかった。その日、ヨンデはそのカフェの中で一番年取った人として、一人の女を眺めていた。カフェの中のすべての人が一斉にうつむいて数字をチェックしている間、まっすぐ腰を伸ばして互いの目を見つめていたカップルはその瞬間、ただヨンデとミョンファしかいなかった。
「二十三!」
とうとうヨンデは我慢できないように勇気を出して言った。
「あのう、よかったら僕と・・・」
ミョンファが期待に満ちた目でヨンデを見た。
「はい?」
「だから僕と・・・」
ミョンファがかたずをのんだ。
「ここからでましょう。」
それはミョンファが予想した言葉ではなかった。さりとてヨンデが言おうとした言葉も言えなかった。
ヨンデはカセットを聞くのをやめてラジオをつけた。中国語の勉強に飽き飽きしたところだ。ヨンデが好きなコメディアンが進める番組で昔の歌が流れてきた。チェ・ホンソブの「歳月が経てば」だ。ヨンデは前方の車が抜け出た場所にそろそろ移動しながらホンデからスセックまで乗せた客を思い浮かべる。
「小父さん、ボリュームをちょっと高くできますか?」
その日、女の客は酒に酔って赤くなった顔でぶつぶつ言った。
「この歌、私の昔の恋人が本当によく歌ってたんですよ。」
「あ、はい。」
1日14時間。タクシーを運転しながらいろいろな人と会って、たくさんの話を聞いた。一度会っても再びは会わない人々で、意味なく行き来する会話が多かったけれど、時折記憶に残る話があった。都市の所々で片手をさっと挙げてタクシーを捕まえた後、酒に酔い美しくずれた話を車代のように置いていく人々がいた。時には筋が通らず突飛な話、ある時は溢れそうでわからない話をキラキラしたコインのように流していく人々。無礼な人こそそれより多かったけれども。その中のある言葉はヨンデの心を揺さぶった。勿論ヨンデはわかっていた。タクシーの中では運転手も客も嘘をつくということを。教育を受けに来た人の30%が1か月でやめ、2,3か月たつと半分以上がやめ、6か月後には1,2人しか残らない会社で、同じ運転手同士でも嘘をつくということを。自分の立場がみすぼらしいほど風船のようにおおぼらを吹くということだ。風船の先の浮力にぶら下がった人たちはふわふわと、どこか不安に見えた。タクシー運転手たちが客を思い浮かべる重要なやり方の一つは動線だった。いわば、「どこからどこまで」。靴修繕工が、按摩が人を見分けて覚えるそんな職業的な感覚だった。イルサンに行くか、蚕室へ行くか、タプシプリへ行くか、人々は相変わらず荒唐無稽なことを良く言った。奇妙な点はすぐに隠したことがばれるだろうということが分かりながらも、彼らがそんな荒唐無稽なことを言うのをやめないことだった。自分が安全企画部の幹部だと威張っていた中年は、前の車が急ブレーキを踏むと「あの野郎、車を止めろ!」と言った後、「ナンバーを書いておけ」と大騒ぎした。勿論、彼が安全企画部の職員のはずがないのは一遍でわかった。某銀行の支店長と明かした男は「小父さん、そのぐらい稼いで、食べていけるの?」と奇妙に振舞った。そうして土壇場で金が足りないと言って口座番号を読み上げてくれと言った。1日数十回電話をして、溜まった料金を受け取るのに2週間以上かかった。おつり百ウオンを手渡すと、何も言わずに車のドアをバタンと閉める若い娘たちの無礼もありふれていた。それでも時々好奇心を起こさせる客もいた。少し前にチョンロでノウォンまで乗せた男もそうだった。彼は酒に酔ってぶつぶつ呟いた。妻が体にいいと奇妙なプラスチックがいっぱい入ったセラミック枕を買ってきたんだが、寝るたびにがさがさ音がするし。それで最近続けて騒々しい夢をみるんだ。妻がどうしてしょっちゅうそんなものを買ってくるのかわからないんだ。車から降りるまで彼はそればかり言い続けた。大学路で照明の仕事をいるんだったか? タクシー代がないので、人形を代わりに受け取ってくれないかと言った独身男も愛嬌があった。そしてその日、「歳月が過ぎれば」を大きくつけてくれと言った娘も。ヨンデは娘の要求どおりラジオの音を大きくした。昔の歌特有の淡々として切ない音がタクシーの中に広がった。歳月が過ぎれば 胸が裂けるような懐かしい心だからこそ忘れていたと言っても。
「あ、素晴らしい。」
彼女は車のドアを開けたあと目を瞑った。そうして黙って座って歌を聞いた。彼女の長い髪が風にはためいた。彼女は運転席に向かって上体を傾けながら言った。
「小父さん。この前タクシーで素晴らしいいい歌を聞いたの。完全に感動的な。それで歌が終わる前に家に着いて降りなければならないのに。どんなクラシックか?初めて聞く演奏曲だったので、私もわからず、それでもいいのよ。」
ヨンデはバックミラーで女の顔をちらっと見た。
「人間は本当に不思議。そんなものを作り出して。」
20代後半ぐらいだったろうか?流行に乗らない服がきちんとしているけれど、顔色がどす黒く見えて肝臓が良くないようだ。1年に何回かこんなに泥酔してタクシーに乗るのだろう。いくらか教育を受けた女の言葉遣い、しかし少し感傷的な性格の客。「歳月が過ぎれば」をよく歌ったという男、肝臓が悪いこの女の昔の恋人は元気なのだろうか?ひょっとすると1回ぐらいヨンデが乗せた男かもしれない。ヨンデはお姉さんが吐かないか心配した。3日前もシートの中に吐いた臭いが抜けず仕事ができなかった。
「だから私は、そんなに偶然に歌に出会ったら素晴らしいし、降りなければならなければ、歌の名前をいつまでも覚えられないという思いになるときがあるんです。」
ヨンデは尋ねた。
「じゃ、全部聞いてから降りたらいいでしょう。」
彼女は年に似合わず柔らかい微笑を浮かべて答えた。
「でも、感動的な音楽を聴けば、本当に素晴らしい。私はいつまでもそれが何の歌かわからないことが、まさにその事実が素晴らしい時があります。」
「・・・・」
その時はそうなのだろうと言ったけれど、時折そのお姉さんの言葉を思い出した。どんな言葉かわからないけれど、理解できるような気分もして。ひょっとすると、ミョンファ、しばらく暮らしてしまった北の女もヨンデには最後まで名前もわからない歌ではなかっただろうか。聞き終わって降りることができない歌。よく思い出せないながら、忘れることができない音だよ。ミョンファは多くの質問を残して去った。ヨンデが名残惜しいことは、彼女がやはり自分にとって充分にわからないまま行ってしまったことだ。
プロポーズはチョンロタウンのてっぺんにあるレストランで行われた。恋人たちがプロポーズをすることで有名な所だ。ヨンデも行き来しながら見ただけで入ってみるのは初めてだった。しかし、カフェに行った時よりは余裕があった。メニューを選んで従業員に対する態度は慣れてはいなかったけれど、ヨンデはミョンファをこんな所に連れてきたという事実に胸がいっぱいだった。ソウルの真ん中、都市の中心で町を見下ろしながら、二人はビーフステーキを食べた。ミョンファはどこか憂鬱そうに見えた。食堂の仕事がきついのか顔がいつもよりむくんでいた。ヨンデがデザートをもぐもぐする間、ミョンファはトイレで食べたものを吐き出した。白い便器の上に血の気がまだなくなっていない牛肉のかけらが薄い油とともにプカプカ浮いた。ミョンファは席に戻ってデザートを食べるふりをした。ヨンデはためらっていたが指輪を差し出した。そうして全くロマンチックじゃない口調で「僕と暮らしましょう。」と言った。ミョンファは何も言わずにテーブルの上の指輪をまじまじと眺めた。