『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想245  お伽の国―日本 海を渡ったトルストイの娘

2018-10-04 19:10:18 | 旅行記

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読書感想245  お伽の国―日本 海を渡ったトルストイの娘

著者     アレクサンドラ・トルスタヤ

生没年    1884年~1979年

出版年    2007年

出版社    (株)群像社

翻訳者    ふみ子・デイヴィス

☆☆感想☆☆

 トルストイの晩年に秘書として仕えた末娘が本書の著者となるアレクサンドラである。アレクサンドラの回想録「父との日々、娘」を原書として日本に滞在していた2年間、1929年からアメリカへ出国する1931年までのことがここでは書かれている。1910年にトルストイが亡くなった後、アレクサンドラはトルストイ家の領地のヤースナヤ・ポリャーナにトルストイ思想に基づいて学校を設立し農民の子供たちを教育していた。1917年のロシア革命でもトルストイを敬愛するレーニンによって学校は存続が認められた。しかし、レーニン死後、ソビエト当局による学校への監視と統制が厳しくなり、ソビエトを脱出する決心をするに至る。ソビエト出国にあたっては日本人の友人による講演依頼に応えるという口実で、ソビエト当局から許可を得て日本へ来た。アメリカへの亡命が許可されるまで、日本に滞在したが、日本にはトルストイ信奉者が多く、暖かく迎えられた。多くの講演を行ったり、ロシア語教室を開いたり、岩波書店の依頼で本を書いたりした。多くの日本人と知り合った。そうしたことが本書の中に記述されている。アレクサンドラがトルストイの意思の継承者であるということがわかるエピソードがいくつかある。その中の一つ。岩波書店の社長の岩波茂雄が千円の援助を申し出たときに、父の意思どおり無償で出版ということで印税を放棄しているからと、申し出を断っている。岐阜のある市町村から講演に招かれたが、手違いで講演会が中止になった時のことだ。知らずに到着すると間に立った担当者の青年が、何も言わずに講演の段取りをするが、お金がなさそうで心配になってくるレベル。講演会に集まった聴衆は法被姿の少年や籠を背負った行商人、村のおじいさんやおばあさん、通訳もレベルの低い文学的な素養のない男で、著者もなにか変だと思いつつ、少し話して演壇を降りてしまう。それでも聴衆はぼんやりしているだけ。そして担当者の青年は100円を用意して講演料を払ってくれた。あとで実は手違いで講演は中止になったことを聞いた著者は、青年が没落士族の実家にあった骨董の絵を売って講演料を用意したことがわかり、講演料を返した。青年は100円の代わりに立派な水墨画の掛け軸を贈ってくれた。日本人との交流に癒されながらも、ソビエト当局の帰国命令に従わず決別し逃亡者になると、日本人の友人が離れて行った。著者が帰国がどんなに危険か、流刑か銃殺かもありうるといってもかれらは信じない。そしてソビエトより日本の女性のほうが自由だといって、ソビエト好きの進歩的な女性と大喧嘩をしたエピソードも紹介している。

著者はアメリカへ行ってから、ニューヨーク郊外にトルストイ基金を設立し、亡命ロシア人を救済し支援する活動を行ったという。逆境の中で輝くトルストイの愛娘の肉声が聞こえるようだ。 


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
トルストイの娘 (nishinayuu)
2018-10-05 09:57:51
亡命者の数奇な人生に惹かれます。是非読んでみたいと思います。
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