『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々1007  津久井湖の7月

2021-07-29 17:18:16 | まち歩き

津久井湖の水の苑地、花の苑地はまだ花の少ない端境期にあたる。それでも花はいろいろ咲いている。

ブルーインパルスと名付けられた花。

ブルーサルビアとジニア。

ペンタス。

アガパンサス。

ベゴニア。

花の苑地から。

水の苑地から。

「しづかさや湖水の底の雲のミね」(一茶 1763年~1827年) 


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読書感想300  制服捜査

2021-07-21 21:34:26 | 小説(日本)

著者     :     佐々木譲

生年     :     1950年

出身地    :     北海道

出版年    :     2006年

出版社    :     (株)新潮社

☆☆感想☆☆

 川久保巡査部長は、北海道警察本部の一つの地方10年いたら別の地方へ異動させるという新方針で、札幌から十勝地方の農村、志茂別町駐在所への異動を命じられた。25年の警察官人生の中で刑事課の捜査員として勤務していた川久保にとって駐在所勤務は初めてだった。高校生の娘2人と妻を札幌に残して単身赴任で志茂別町にやってきた川久保が遭遇した5つの事件の顛末である。隠ぺいされてきた闇が白日の下に曝されていく。

1つ目は「逸脱」。地元の防犯協会会長ら3名の有力者が赴任して4日目の川久保に挨拶に来ているところに、町営墓地で若い人が騒いでいるという一報が入る。有力者の助言に従って2報が入るまで待つことにしたが2報は入らなかった。翌日高校3年生の男の子が昨夜から行方不明との1報が入る。

2つ目は「遺恨」。犬が散弾銃で撃たれたと通報してきた酪農家。本土からエゾシカ撃ちに来たハンターか、近所の変質者か。

3つ目は「割れガラス」。バスの待合室で男の子がカツアゲされているという通報を受けて出向くと、一人の男が恐喝していた若い男を追い払って子供を助けたという。

4つ目は「感知器」。不審火が続いている。

5つ目は「仮想祭」。前任者から引継ぎをうけた事案の中で一番気になっていたのは13年前の少女誘拐事件だ。13年前と同じ仮想祭が今年復活する。失踪した少女の母親も事件当時の駐在勤務の退職した警官も集まってきた。

 川久保巡査部長の活躍するシリーズは「暴雪圏」がある。


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翻訳(韓国語→日本語) 静かな事件4

2021-07-05 22:28:20 | 翻訳

☆☆ 趣 味で勉強している韓国語サークルで取り上げた作品を翻訳しました。営利的な目的はありません。☆☆

2017第8回 若い作家賞 受賞作品集から「静かな事件」

著者  : ペク・スリン

著者略歴: 1982年 仁川生まれ。2011年 京郷新聞新春文藝に短編小説「嘘の演習」が当選し登壇。

      2015年 若い作家賞を受賞。

「静かな事件」4

 時々、そこを通る時がある。以前立体交差があって窓のない売春宿が隙間なく並んでいた通りは、今は痕跡もなく高層建物でおおわれている。私たち家族はパワーシャベルが廃屋をつぶす前に引っ越しをして、その後しばらく私はその地域に行かなかった。猫小父さんのように最後には追われるように出て行ったその町の大部分の人々が、どこで、どんな姿で生きているのか私は知らない。しかし、多くの時間が流れてもたまにバスを乗り換えるために、今は空港鉄道が走るその町を歩いてみると、その頃のなんらかの場面が突然思い出されたりする。例えば死んだ猫を発見したその日の記憶のようなもの。

 ヘジはそのように去った。私たちはよく電話をしてたまに会ったけれど、だんだんほとんど会わなくなっただろう。ムホとふたりきりで会ったことはその後なかった。雪が珍しい地方で生まれ育った私は雪が毎日待ち遠しかったけれど、その年の冬は本当に雪が降らなかった。シベリアから下ってくる寒冷気団の影響で顔がえぐられるほどの酷寒が続いた。冬になると同一のチェック模様のブランド品のマフラーを一斉に巻いて、休みにはシンガポールへ、カナダへ語学研修に出発し、何よりも少しの自律学習は意味がないというように、塀を越えて逃げて行ってもいつも成績が私より良かった子供たちの間にいると、私は勉強に興味を失った。外国小説でも雑誌でも、ついには国語辞典まで、活字に飢えた人のようにどんな本もむやみやたらに、最初のページから終わりまで読みまくり始めたのはそのためだった。何かを読んでいる間ぐらいは誰とも話さなくても済んで時間がどんどん経ったので、私はそれが良かった。その日も日曜日だったけれど、学校の図書室に座ってジェームス・ジョイスやウジェーヌ・イヨネスコのような本を理解もできないまま読んで家に戻る途中だったのだ。厳しい寒さにすっかり体をすくめたまま、坂を上っているとどこかでざわめく音が聞こえた。

「喧嘩だ。」

 誰かが叫んだ。私は怖いけれど気になって声のするほうへ向かった。そこ、石油店の前には見物人が少し集まっていた。時々そのことを後悔した。そこに行ってはならなかったのに。しかし、私は好奇心に抑えられず、私の前をふさいだまま立っている小母さんたちの肩と肩の間に首を押し込んだ。そしてそこで殴られている猫小父さんを見た。

「あの人たちが猫に毒を食べさせたんだよ。」

 見物人の中の誰かが誰かにささやく声が聞こえた。若い男たちによって地面にたたきつけられた猫小父さんは曲げた腰をまっすぐに立たせて起き上がった。私は恐ろしかった。小父さんが死ぬかと思った。いつも充血して赤い目のせいで恐ろしく見えた小父さんの顔は一層ぞっとするようにゆがんだ。小父さんを殴っていた人たちは喧嘩をやめたいようだったけれど、小父さんは背を向けた彼らに向かって何度も飛びついてまた殴られた。なぜ誰もやめさせないのか? 私は焦る気持ちで周囲を見回した。眉をひそめながら見物している人々は大部分小母さんやお婆さんで男はちびしかいなかった。猫小父さんは何何と声を張り上げた。悲鳴ではなく何かを言ったのがはっきりしていたが、発音が不正確でわからなかった。私は不意に父が浮かんだ。父ならどのようにでもこの状態を解決できるだろう。私は振り向いて走った。普段使っていた道を迂回して家まで走った。私がそのように速く走れる人だということをその時まで知らなかった。家に曲がる路地に入るやそこには本当に死んだ猫がいた。家の前をしょっちゅう通っていた猫、口の周りにだけ星の模様で白い毛が出てヘジが星と呼んだその猫だった。死んだ猫を見たのはその時が初めてだった。猫は四肢を上に持ち上げたまま腹を見せてセメントの地面に死んでいた。目を開けた状態で冷たく硬直していた猫。私はかばんの中で鍵を見つけた。鍵が鍵穴に入らず、手が震えているのがわかった。

「お父ちゃん、お父ちゃん。」

 家に入るとふっと暖かい空気が私を包んだ。

 私の声が緊迫して聞こえたのは間違えなかった。父と母が同時に何事か驚いて部屋から飛び出してきたからだ。

「お父ちゃん、お父ちゃん。猫小父さんが殴られている。」

 その後、詳しいことは記憶にない。私はおそらく泣きながら父に目撃したことを説明したようだ。小父さんの顔がどんなに腫れていたか。彼の体が足蹴にされてどのように丸まってからまたようやく伸びたか。そして血が、血がどのように流れ落ちたかについて。父は私の話を全部聞けば服を着こんで外へ飛び出すだろうと思った。警察を呼んで、人々を呼んでどのようにしてでも状況を解決してくれるだろうと。しかし驚いたことに父は私の話を聞いたのに母に、「この子に水を持ってきてくれ、息が切れそうだね」と言った。そして私のほうを眺めながらこのようにゆっくり付け加えただけだ。

「顔がこちこちに凍っている。暖かいオンドルの焚口に行って体をちょっと溶かしなさい。」

 後で知ったことだけど、再開発推進が遅れることに対するうっぷん晴らしで、毒物を注入した鶏肉を町のあちこちにまいておいたのは、賛成派の中の誰かだった。数十匹の猫がそれを食べて路地のところどころで死んでいった。父はそれを既に知っていたのだろうか。ひょっとすると、父は性格的に喧嘩に加わりたくなかっただけかもしれない。父はただ家族のためにソウルに来ただけで、そんな葛藤を経るようになるとは想像もできなかったはずだから。しかし、奇妙にも私は母が渡してくれた水をもらって飲んでも、されるまま部屋のオンドルの焚口に布団をかけて座っていながらも、涙が止まらなかった。しばらく泣いてうとうと眠っていたが、腫れあがった目をようやく開けた時は既に真っ暗な夜だった。私は起き上がって座った。頭が割れるように痛かった。父と母はもう寝たのか家の中は静かだった。そのように、暗い部屋の中で重い目をぱちくりさせて、しばらく座っていたが、どんな理由からなのか突然家の前で死んでいた猫を埋めてやらなければと思った。それは本当に奇妙な思いだった。私は一度も猫を触ってみたことがなく、まして何かの死体を埋めてみたことはなかったから。しかし、どこにどのように埋めなければならないかもわからず、着ていた服のうえにパーカーをひっかけた。猫は冷たい地面にまだそのままいるだろうし、そのように放っておくことはできなかった。人々がただ見物だけしていた猫小父さんを思い浮かべ、居間に入っていった父の後姿と、私の顔をしきりに撫でながらひと眠りしなさいと、私をとんとんたたいた母を思い浮かべた。私はパーカーのジッパーをあげた。父や母が目覚めるかと思って電灯をつけず、手探りで居間を出ながら、猫をハンカチのようなものでくるんで空き地の横の花壇に埋めてやればいいじゃないか、そんな風に考えた。かなりいい考えのようで、気分が一層よくなった。しかし、玄関の前に立つと急に寒気を感じた。ドアの隙間から冷たい風が入ってくるようだった。夜になったので外は昼より気温が下がっているだろう。数日間零下15度前後の酷寒が続いていた。私は靴箱から運動靴を取り出すために玄関に踏み出した。玄関の床に裸足でつくと、思っていたよりずっと冷たく身震いした。猫がまだそのままいることはいるだろうが、あまりに薄い服を着たようだと思った。実は誰かが既に移してしまったかもしれないので、私たちの暮らしていた家の玄関ドアの上の部分には外を眺めることができるように、丸くガラス窓がでていた。室内との温度差のためにガラス窓に水蒸気が立ち込め、外は何も見えなかった。私は運動靴を踏み潰したまま窓を手のひらでこすった。猫の死体がまだ路地に捨てられているけれど、ひとまずこっそり確認して出るつもりだった。手の跡にそって透明になった冷たいガラス窓に額をじっと当てた。

「まあ。」

 その瞬間我知らず感嘆の声が飛び出た。窓の外には巨大な雪片が降っていた。羽根のように柔らかい雪片が、瀝青色の暗闇を一層塗った隣の家の屋根の上にも、屋上の上の味噌甕台や坂の下の方の葉の落ちた枝ばかりの木の上にも、静かに。どんなに美しかったか。それは本当に生れてから一度も見たことがない巨大な雪片だった。さらさら雪。淡雪。小雪。国語辞典で発見した無数の単語でも形容することが充分ではなかった雪片。それほど息が詰まる光景をそれ以前にもそれ以後にも見たことはなかった。そして冷たいガラス窓に額を付けたままそうしてしばらく立っていた。踏み潰した履物のうえにソックスもはかず、つま先立ちをしたままで。振り返ってみると、それが私の人生の決定的な一場面ではなかったかと思う。将来、私は生涯このように、出ていくことができず、ただドアの取っ手を握ったまま、窓の外をしきりにのぞきこむという、取るに足りない人生を生きるようになるだろうという事実を暗示しているから。しかし、その場面の意味を理解するようになったのはとても遠い後日のことで、その時私は窓の外に降り落ちる美しい雪片をただ眺めているだけだった。すべてのことをすっかり忘れてしまって、家々にぶらさがってはためいている赤い旗の間に真っ白な雪片が降り落ちる風景を。ただうっとりとして。

(終わり)


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翻訳(韓国語→日本語)  静かな事件3

2021-07-03 09:09:56 | 翻訳

☆☆ 趣 味で勉強している韓国語サークルで取り上げた作品を翻訳しました。営利的な目的はありません。☆☆

2017第8回 若い作家賞 受賞作品集から「静かな事件」

著者  : ペク・スリン

著者略歴: 1982年 仁川生まれ。2011年 京郷新聞新春文藝に短編小説「嘘の演習」が当選し登壇。

      2015年 若い作家賞を受賞。

「静かな事件」3

ヘジには私がただ生活を構成する一部分にすぎないかも知れないという思いは当時私を時々悲しませた。ヘジは町の友達が多かったし、特に男の間で人気があった。ヘジと一緒に街を歩いてみると私たちより2,3歳年上の高校生たちがヘジに近づき、つまらないいたずらをしたり、色素がたくさん入っているアイスクリームのようなものを買ってくれることが多かった。お母さんは私がヘジの後を追っかけている男の子たちと付き合いはしないかといつも戦々恐々だった。しかしお母さんの心配が杞憂だということはその頃の幼い私にもわかった。私は彼らの眼中に全くなかったから。男たちのまえに立つと、おずおずして警戒していた私と違って、彼らに対するヘジの態度はざっくばらんとしたものだった。他の男たちといる時と違って、ムホの前では全く物おじしない私を見て、ヘジが「あんた、ムホが好きなの?」とちくちく言ったのもそんな理由だった。

 他の男の子を連れてくる時もあったけれど、ムホはほとんど一人で私たちのところに来た。ヘジの家にムホが訪ねてくるとお金がなくて適当に行く所がなかったので、私たちは時々坂道を下って新道を渡り立体交差の下の道まで歩いて行った。薔薇、白鳥といったたぐいの看板だけがかかっている窓の一つもない古びた売春宿の前をはしゃぎながら通り過ぎると交差する地点が出てきた。交差する地点まで来てみると私たちがすることは別になかった。交差する地点の向こうには町バスの車庫地として使われていて放棄された敷地があった。適当な大きさに育った草が生い茂ったそこには巨大なアカシアの木が茂って、腰のあたりまで育ったヒメジオンと丈の高い向日葵が順番に花を咲かせていた低い丘があった。私たちはもう無用とされたそこに辿り着くと、どこにでも座り込んで普通の話を交わした。大体は家族についての話だっただろうか、将来についての話だっただろうか、そんなことだっただろう。そこで私は何に使われていたのかはわからないけれど、その時すでに崩れてしまった塀や壁を平均台にして歩くのが好きだった。それほど高くない塀だったけれど、平衡をとるために両足を広げて私は住民のいない国でだけ停車する汽車を想像したりした。狭い塀の上をよろよろ行ったり来たりしながら主に私がすることは子供たちの話を聞くことだった。たまたま子供たちが私の家族について問えば、時々私の話をする時もあった。私は父が貧しい田舎の出身で5人兄弟の長男なので兄弟の面倒を見るためにどんな犠牲を払ってきたか、そんな話を楽しくしていたようだ。お父さんは音楽が好きで、それでギター演奏者になりたかったけれども、家を興すために喜んで夢を放棄した。私はそんな父が自慢だった。父について話す時だけはいつも得意になり普段と違ってかなり大きい声で騒いだのだろう。父さんをどれぐらい好きだったかについて。聞き取った音のとおりに記してくれた歌詞を見ながら、ジム・リーブス、ジョン・デンバーの歌を一緒に辿って歌った思い出や、音楽実技試験を受ける時にソソミファソ、リコーダーを吹く方法を父に習った思い出のようなことについて、私は父がひどく腹を立てることも、ののしることも見たことがなかった。お父さんは雨が降っても雪が降っても毎月最終土曜日ごとに祖父母の家を訪ねて、足をもんだり、豚カルビでもご馳走したりする時は食べやすくはさみで切ってあげる、そんな人だった。

「日が沈みそうだから、もうちょっと下り来て。」 

 子供たちが危なっかしく歩く私に叫ぶと私はやむを得ないふりで、草地に座っている彼らの前に行って座った。草地に座るとお尻がずっと湿っぽくなった。子供たちは卒業するとそれぞれ技術を学ぶ学校に入学する予定だった。ヘジは美容を学ぶつもりで、ムホは整備工になるつもりだと語った。いつかは海外のファションショーに出るモデルだけ担当するヘアデザイナーになるつもりだとか、有名なドイツの会社の自動車を設計してみせるとか、夕日が差し込んで紅潮した顔で子供たちが描いてみせる未来は一様に根拠がなかった。彼らが描く未来がシャボン玉のように大きく膨れ上がるほど、私は不思議なことにだんだん不愉快になったが、その原因が何かその時は自覚できなかった。人文系高校、それも名門大学合格率が高い私立高校入試を準備していたのは私一人で、私は子供たちが騒いでいる間、無言で周囲の猫じゃらしを手でちぎった。私がたばこを始めて覚えたのはそんなある日だった。「ふっ、吸い込む時に一緒に飲んで。」子供たちが催促して私はたばこを口にくわえたままふっ、息を吸い込んだ。たばこの煙が通っていくにつれて、気道が、肺が熱くなった。私がごほごほ咳をする姿に子供たちが手をたたいて笑った。もし成績が落ちていたら両親はなんとかして引っ越ししようと努力しただろう。しかし、私は素晴らしい人にならなければならないという両親の懇願を忘れなかったし、運よく成績も落ちなかった。学校でヘジが机にうつぶせになって寝ている間、私は着実に勉強をして校則をやぶることもなかった。いろいろな理由にもかかわらず、アパートに暮らす子供たちが私をおおっぴらに無視しなかったわけは成績のためだった。私はその子供たちが私たちの町の子供たちをどうみているか知っていた。私がその対象ではないということは幸いだったけれども、そう思うたびに裏切り者になったような感情が私をとらえた。そして、ヘジが勉強を少しでもしていたら、私がこんな感情を感じなくてもいいはずだがという思いで腹が立った。父は与えられた環境を克服しないで安住しようというのは間違いだといつも私に言った。

 再開発になるだろうという噂が町に流れ始めたのは翌年春ぐらいだった。噂が具体化するほど町の雰囲気が少しずつ変わっていった。両親は一日も早く町が崩れてしまうことを望んで、それが道理だと考えた。それなのに両親は路地を掃除して誰かに出会うと目礼をした。私は私たちの中学卒業生の中の少数だけ進学できた、川向こうの私立高校に入学してから口数が少し減った。私の町まではスクールバスが来ないので、他の子供たちより早目に起きてスクールバスが通る所まで一般バスに乗って行かなければならなかったが、それで私は何倍も疲れた。夜間自律学習を終えてからバスに乗り換えて夜遅く家に帰る日々が多かったために、ヘジと会える時間も自然に減ってきた。時々具合が悪いという口実で早退することもあったけれども、そんな時はヘジが家にいないことが多かった。そのように早めに帰宅して一人になる日には初めて引っ越ししてきた日父が私にアパート団地を見せてくれた屋上にしゃがみこみ、沈んでいく太陽の光線が寂れた路地とぼろぼろの壁を柔らかくなでる光景を眺めた。

まるで染みが出た老人の顔をなでるように。そうすればその手をとって、町はうとうとしようとするだるい老人のように、しわが深く刻まれた瞼をゆっくりと閉じた。太陽が沈んでしまうと大気に残っていた暖かさも老人の最後の息遣いのようにのろく散らばっていった。体に寒さがこもってこれ以上座っていることがつらいけれども、ようやく私はしゃがんでいた足を広げて立ち上がった。みすぼらしい路地がどうして日が沈む直前のしばらくの間、恍惚とするほど美しくなるのか、その時私はその理由がわからなかった。ただその光景を無言で眺めている間、私の中に宿る寂しさが、訳が分からず甘美で苦しく泣きたかっただけ。

 再開発推進委員会が設立され、町の人々は各自再開発が得か損かを調べ始めた。町は再開発に賛成する人と反対する人に分かれた。再開発に反対する住民は非常対策会議場と決められたムホの家で毎週火曜日夕方に対策会議を開いた。法外に高い追加分担金を出すのが不可能な人たちは再開発に反対した。「同意率が低ければ組合設立が霧散することもあるそうだ。」久しぶりに会ったムホが言った。「うん。」暗い路地の片隅で、猫小父さんが置いていった飼料をあたふたと食べる猫たちを見ながら、私とヘジはうなずいた。ヘジの家族は借家人だったので同意しない権利がなかった。

 時間が速く流れた。

 ムホは今では背が私よりはるかに高く、肩も昔より2倍ぐらい広くなった。しかしムホには相変わらず笑う時赤ちゃんのような点があった。ムホが町の放棄された廃屋からある女の子と一緒に乱れた服のまま出てきたという噂を誰かが私に伝えたこともあって、実際に、そんなことが起こった可能性が高いということも知っていたけれど、私は心配しなかった。ムホは少なくとも私の前では以前のように純真な顔で、それで十分だったからだ。私たち3人には共通点がなかったけれど、時折、相変わらず捨てられた車庫地に座って、つまらない話をしながら煙草を吸った。

 いつか一度ヘジだったかムホだったか2人のうちの1人があんたはいい大学に行って金持ちになるだろう、ということを私に言った。そんな話を私の前で切り出したのは初めてだった。ヘジは会うたびに学校で習った美容技術について、マネキンのかつらを切るときの苦しさのようなものについて話した。ムホは私たちの所にいるときもあったし、いない時が多かった。

 年がもう一度変わり、私が18歳になると引っ越しをする人々がひとつ、ふたつ出てきた。ヘジの一家はその町を一番先に離れた一群に属した。「いきなり家主が入ってきて暮らすつもりだと延長をしてくれなかったそうだ。」ヘジは平然としたふりをして唇にリップクリームをつけながら伝えた。「再開発するので私たちが出ないで持ちこたえるかと怖がって、そんなことだろうよね。」ムホが夜遅い時間に下校した私をバス停で出迎えていたのは、ヘジたちが引っ越しを決めてからいくらも経たない9月だった。ムホが私を出迎えるのはその時が初めてだった。それでだったのだろうか。人通りもほとんどないバス停に一人で立っているムホを見た時、私はいつもと違って少し胸騒ぎした。私たちはとても久しぶりにたった二人で坂を上った。「かばんにこんなにたくさん何がはいっているんだい。 背が伸びないよ。」ムホが私のかばんを軽々と持ち上げ代わりに担いだ。ムホが今では私よりもはるかに大きいということを急に実感した。ジムでペンチプレスを熱心にしているとか、ムホの腕は以前よりもはるかに太くなっていた。私は、ムホが男の体になっているという事実に今さらのように驚いた。そして、なぜかわからないけれど噂の中でムホと乱れた服のまま廃屋から出てきたという女の子の顔が気になった。私たちは学校であったことやその当時話題になっていたハリウッド映画について会話したけれど、共通の話題の種が別になかった。私もムホも路地のあちこちにかかっている赤い旗を見たけれど、二人とも努めて知らないふりをしていた。その頃、再開発に賛成する人々と反対する人々の間の葛藤は徐々に深まっていった。急な階段を無言で上ると夜が下りた空き地が出てきた。「そういえば、猫小父さんを見かけなくなって少し経ったね。」ムホは小父さんを数日前に見たと言った。小父さんは猫たちを置き去りにすることはできず、再開発に反対だと言った。「少し前にはある人達が小父さんに猫たちを殺してしまおうと脅迫までしたんだって。」ムホが怒った声で言った。「小父さんが一番くみしやすいからやたらにあたりちらすんだよ。」再開発に賛成する人々が反対する住民たちの店や家を訪ねて脅して狼藉を働くという噂は私も聞いたことがあった。私たちは再び無言で歩いた。ムホの息をする音が近くに聞こえた。「ここまででよかった。もう行って。」「いや、家の前まで見送ってやる。」家のほうへ曲がる路地に入ると子猫2匹が驚いたように奥のほうに逃げた。そしてついに家に到着したときに、街灯の下でムホが言いにくそうに切り出した。ヘジが去る前に告白したいので手伝ってくれたらと。

 そして、その週の土曜日の晩に私はムホの頼みどおりにヘジを昔の町バスの車庫地に連れて行った。ヘジは寒く真っ暗な所に突然なぜ行くのかとブツブツ文句を言い続けた。記憶に間違いがなければ、ヘジはその日オレンジ色のセーターを着ていた。毛が飛ばされたオレンジ色のアンゴラのセーターに膝が飛び出したトレーニング服を着て、何が待っているかもわからずに私に連れられて斜面を下って行ったヘジ。葉の落ちたアカシアの木の後ろからムホがろうそくの代わりに爆竹を挿し込んだケーキを持って現れると、ヘジは何をするのかという仕草で叫んでいたが、まもなく赤くなった顔で笑いを爆発させた。私はその時初めてムホが好きだったかもしれないということに気づいた。あるいは、好きなのではなかったのか、ひょっとすると私たち3人の関係の軸が一方に傾いてしまったことを悟った瞬間感じた空虚さが私を錯覚させただけだったのだろうか。しかし、とにかくその瞬間には、クリームたっぷりのケーキの上にきらめいた花火とその向こうにちらつくムホの明るい顔を見ながら、実は私がムホをしばらく好きだったようだと思った。しかし、また同時にそうであっても、私とムホの人生が交差できる瞬間はあまりにも短く、私たちは既に何年もしないうちに、完全に別の道を歩むようになるので、これ以上私たちの人生は重ならないという事実を、私はずっと以前から分かつていたという思いも。「私と付き合う?」今は男の体になったムホがはにかんだ表情で尋ねた。「そうね。」ヘジが上気した表情でうなずいた。私は観客の役に慣れた俳優のように拍手した。私の拍手の音に恥ずかしそうに子供たちは私を眺めて笑った。私たちは一緒に笑った。爆竹の炎が紺色の闇の中で騒々しい音を出しながら燃えて、地面に落ちると瞬く間に消えた。

(つづく)


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