『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想268  よい旅を

2019-09-20 22:07:44 | 日記・エッセイ・コラム

読書感想268  よい旅を

著者      ウィレム・ユーケス

生年      1916

国籍      オランダ

出生地     オランダ領東インド(インドネシア)

出版年     2012

邦訳出版年   2014

訳者      長山さき

☆☆感想☆☆

 本書は日本軍占領時代のオランダ領東インドでの刑務所の体験を70年たった95歳で綴ったものである。著者の家系はインドネシアに所縁のある一族で、著者もそこで生まれ2歳のときにオランダに戻り教育を受けた。著者は勤務先の日本駐在員として1937年から1939年まで神戸で過ごしている。大変豊かで楽しい独身生活で、日本人の恋人もいた。しかし最終的に日本で育ったイギリス人の女性と婚約し、インドネシアのジャワ島に転勤してから結婚している。ジャワ島での牧歌的な新婚生活は、1941127日の日本軍による真珠湾攻撃で幕を閉じた。オランダ領東インド軍(KNIL)の予備役少尉だった著者は招集されたが、ほとんど抵抗することもなくKNILは降伏した。著者は、日本語ができるということで自宅に住みながら日本軍の通訳を務めた。それが暗転したのは、オランダ軍に日本軍の配置の情報を流すスパイ組織に加わったことからである。このスパイ組織が摘発され、著者も逮捕された。数か月にわたって尋問され、懲役5年の判決を受け、刑務所に移送された。刑務所は次々と変わり、食料不足から多くの囚人がなくなり、著者もあと1週間終戦が遅れていれば、餓死しただろうという惨状のなか、生還することができた。戦後も後遺症が続き、日本人を見ると恐怖心から卒倒しそうになった。日本人を見ても落ち着いていられるようになるのに戦後35年を要している。戦後51年がすぎた1996年に家族といった中華料理店で白飯を見たときに思い出すことのなかった飢餓の記憶がよみがえったこともある。著者について驚くべき点は、刑務所での過酷な体験にもかかわらず、日本人に対して恨みが残らなかったと言っていることである。日本や日本人にたいする肯定的な感情が損なわれなかったのは、神戸での2年半の生活があったからだという。個人的によく知るようになった日本兵についても悪い印象は持っていない。初めて通訳した将校に対しては敬意を持ち続け戦後行方を捜したりしている。いろいろな話をするようになった看守も気に入らない意見を言っても殴らないという約束を守ってくれたと感謝している。尋問中の拷問も酷いものはなかったと言っている。それでも二つ挙げている。自白一歩手前で行われる水攻めと、火かき棒で強くはないが繰り返し数秒に一度膝をたたくもの。前者は免れ、後者は後遺症に苦しんだそうだ。

著者はインドネシアで従軍慰安婦として働かされた若い女性に日本政府が謝罪すべきだと訴えている。そうでない限り、恨みを持ち続けるだろうと。戦後、連合軍によって慰安所運営の日本軍の責任者が2名ほど死刑になっている。当時日本人だった朝鮮人慰安婦や日本人慰安婦は公娼だったのとは違い、オランダ人の女性を踏みにじったということか。インドネシア人の慰安婦についても責任は追及されたのだろうか。慰安婦問題は事実とプロパガンダが入り混じっているので、真実がどこにあるのかがわかりにくい。いつか全貌を明らかにする必要があるだろう。

その時代、その場に連れていかれるような臨場感あふれる描写で、重いテーマだったが一気に読んでしまった。 


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