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読書感想242  「司馬遼太郎」で学ぶ日本史

2018-09-11 07:49:39 | 日記・エッセイ・コラム

ShibaRyotaroMemorialMuseum.jpg司馬遼太郎記念館

読書感想242  「司馬遼太郎」で学ぶ日本史

著者      磯田道史

生年      1970年

出身地     岡山県

出版年     2017年

出版社     NHK出版

☆☆感想☆☆

司馬遼太郎の本は人気があるし、日本史を知りたい人には手軽な入門書になっている。私もたくさん読んできたが、歴史の部分に関心があったので、人物の造詣など小説的な部分にいら立っていたこともあった。私が感じる歴史上の人物と司馬遼太郎が描く人物にはかなり乖離があったからだ。そうした司馬遼太郎の小説を書く動機に迫って司馬遼太郎の考え方を紹介しているのが本書である。

著者は歴史文学を三つに分けている。史伝文学、歴史小説、時代小説。史実に近い順番で言うと史伝文学、歴史小説、時代小説になる。司馬遼太郎の書いた小説は歴史小説に分類されるが、資料が残っている近代に近づけば近づくほど史伝文学に近いと考えられている。特に日露戦争を描いた「坂の上の雲」が一番史伝文学に近いとか。司馬遼太郎の小説は文学を楽しむというよりも当時の日本の状況や日露戦争の詳細を知りたいから読むという読み方をされている。司馬遼太郎は「なぜ日本陸軍は異常な組織になってしまったのか」という疑問から日本史にその原因を探った。明治近代国家が実は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が作りあげた「公儀」という権力体を受け継いだものだと気づいたという。この中央集権的な権力には合理的で明るいリアリズムを持った正の一面と、権力が過度の忠誠心を下の者に要求し上意下達で動く負の側面があり、その負の側面が昭和の戦争を失敗するまで止めることができず暴走させたと考えていた。

司馬作品では人物は内面を描くよりも社会的な影響を明らかにすることに主眼が置かれている。例えば「無能であるといってよかった。」そうした大局的な視点、単純化した人物評価をしていること、そうした「司馬リテラシー」を理解することが司馬作品を読むうえでの約束事だと著者は述べている。結局、司馬遼太郎は「鬼胎の時代」と呼んだ昭和前期は書かずに終わった。あまりにひどすぎたからだという。 


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