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『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳   朴ワンソの「裸木」31

2013-08-20 13:18:03 | 翻訳

 

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翻訳   朴ワンソの「裸木」31<o:p></o:p>

 

96 ~P99<o:p></o:p>

 

           8<o:p></o:p>

 

 年が1952年に替わると私は21歳になった。<o:p></o:p>

 

 元旦の朝も私はおかずがキムチ汁だけという朝食の膳についた。私は何日も前からお正月に餃子を作ってくれと母にせがみ、その度に母は気乗り薄な返事をしていたが、母はとうとう私の期待に沿わなかった。<o:p></o:p>

 

 やや酸っぱいキムチ汁にご飯を何匙かすくって混ぜてから、ごくごく吸い込もうとしたが、うまくいかなかった。<o:p></o:p>

 

 憂鬱さが簡単に解消されないまま、喉の付近に重くひっかかっていた。<o:p></o:p>

 

「でも元旦の時餃子も作るでしょう。白い餅を作るのは大変だけど…」<o:p></o:p>

 

 母は返事をせずにいつもと同じように、食事をぐずぐずと精一杯ゆっくり終えてから、<o:p></o:p>

 

「元旦、どんな奴の元旦なのさ、昔と違ってとても冷たくて。一歳、二歳になる子供でもないし…」<o:p></o:p>

 

 独白のように口の中でつぶやいた。<o:p></o:p>

 

 私は喉の付近にかかっていた塊りが熱く詰まっていることを意識しながら、やたらに膳を持って出て行こうと、ゆっくり立ち上がる母のチマ(韓国服のスカート)の裾を掴んだ。<o:p></o:p>

 

「お母さん、私達はまだ生きているの。生きていることは変わるように工夫することじゃない。私達も、最小限生きている証拠としても、何か変化がちょっとあればいいじゃない?」<o:p></o:p>

 

「どうしてそんなことを言うの? この通り私達は生きているのに」<o:p></o:p>

 

「変化は生気をもたらすわ。お母さん、私は生気に飢えているのよ。お母さんがご飯を餃子に変えてくれるだけでも…それはお母さんが出来るとても簡単なことじゃない。そんな簡単で小さいことが、娘に瑞々しい生気をもたらすはずだということを、どうしてお母さんはわからないの?」<o:p></o:p>

 

 母のぼんやりした視線が、どんな意味も持たずに私を見ているのか、私の肩越しに部屋の下座にある箪笥を見ているのか、焦点も定まらずに一か所に留まっていた。<o:p></o:p>

 

 ただ母がチマの裾を私が放すのを待っているだけだということに気付いた。そして更に私の願いが頑強に拒否されていることも、その拒否の前に自分がどんなに無力かもわかった。<o:p></o:p>

 

 私はチマの裾を放しながら、元気なくしゃべりまくった。<o:p></o:p>

 

「いつもそうしようということではないの。ねえ、お母さん、時々、本当にたまにだけでも…」<o:p></o:p>

 

 私の言葉がまだ終わってもいないうちに、母はそっと膳を持って台所へ下がってしまった。洋銀製の器をぶつける音と水を出す音が時々聞こえた。<o:p></o:p>

 

 久しぶりの休日だ。私は床を拭いて花柳の箪笥にはたきをかけた。不老草と鹿と鶴を一生懸命磨いた。貝殻で数えた不老長寿のシンボルが神秘的に輝いた。<o:p></o:p>

 

 彫像の夢をどんなに懸命に磨いても、私の夢は慰められなかった。<o:p></o:p>

 

 私はヤンキーにもらったコーラの会社のカレンダーを灰色の壁にかけた。健康な男女がスキーで下降してきてコーラで喉を潤していた。彼らが着ている大胆な原色のスキーウエアが目に爽快だった。急に色彩に対するどうしようもない渇望を感じた。それは長い間私の中で抑えられ、仕方なく潜んでいたが、熱気に遭遇した引火物のように燃え上がった。<o:p></o:p>

 

 私はせかせかと窓を開け放した。白、白、せいぜいあっても空色の外出着をやたらにひっかき回した。とうとう一昨年の正月の晴着だった韓服一式を探し出した。<o:p></o:p>

 

 真っ赤なチマに真っ赤な虎将軍を縫った五色の縞の子供用チョゴリは、洗濯した時の糊などもくっついていない新しいもので、きちんと折り畳んでいた跡だけにアイロンを掛ければ、豪華な正月用の晴着になるだろう。特に縞の入った袖の可愛い色彩が私を興奮させた。<o:p></o:p>

 

 わくわくしながら、白い下着のズボンと母の朝鮮足袋を一足取り出して向かいの部屋へ入った。<o:p></o:p>

 

 電気アイロンを差し込んで、真っ赤な緞子のチマから軽くなでるようにアイロンをかけた。本絹特有の薄くない潤沢さと軽く感触のよい質感を掌で楽しみながら、長い時間をかけて韓服一式にアイロンをかけた。<o:p></o:p>

 

 紺色の下着のズボンと灰色のセーターをさっと脱いで足蹴にし、居間の下座に放り込んで、白い下着のズボンの上に真っ赤なチマと子供用のチョゴリで、さっぱりした正月の晴着姿になった。<o:p></o:p>

 

 化粧が少し薄いだけで、すべてがぴったりと合った。等身大の鏡の前に立った。<o:p></o:p>

 

 私は爽やかに懐かしく思い出して、急に大人のように新年の挨拶をした。父が明るく笑いながら、<o:p></o:p>

 

「お前、あの子はかなりセクシーさが出て来たね。もうそろそろ婿を探さなきゃね?」<o:p></o:p>

 

「何、何、ねえ」<o:p></o:p>

 

 私は少し前の堂々とした態度を振り捨てて掌を突き出して甘えた。<o:p></o:p>

 

 父は情愛に満ちた目で横にきちんと座った母と私を交互に見て、<o:p></o:p>

 

「あの子はどうしたの? どうしてあんなことをしているのかい?」<o:p></o:p>

 

と言ってとぼけた。横で兄達がにこにこ笑いながらしきりにからかった。<o:p></o:p>

 

「お嫁に行って舅に新年の挨拶をしてもお年玉をくれと踊るはずだし…ちぇちぇ。お父さん駄目だよ。キョンアの嫁入りは当分保留にしなければ。ちょっと見て。お嫁に行かないから、いきなり淑やかになる様子を見てよ。お嫁に行きたくて仕方ないんだ」<o:p></o:p>

 

 私はいつもお年玉を十分に貰った後で自分の部屋に入って、重苦しい韓服を未練なく脱ぎ捨てて、作男のような気楽な服に着替えた。<o:p></o:p>

 

 私はその後その子供の晴着を全く忘れていた。等身大の鏡の中の私は二年前の私であって、今の私ではなかった。それでも少し照れくさくて可愛すぎて嫉妬めいた感情まで湧いた。<o:p></o:p>

 

 私は鏡を見ることを止めて、母にばれないように密かに家を抜け出した。小寒を目前にして肌寒い風が痛いほど冷たかった。しかし韓服はまるで天女の羽衣のようだった。ほとんど体重を意識しないぐらい軽くふわりふわり飛ぶように歩いた。<o:p></o:p>

 

 喫茶店ユートピアは閑散としていた。ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の音」が、程よい音量で鳴り響いていた。隅の席で泰秀がさっと手を挙げた。私は彼に近寄りながら、軽快な一羽の蝶になったような錯覚に陥った。<o:p></o:p>

 

「こんなに長く待たせる話がどこにあるんだい?」<o:p></o:p>

 

 しかし彼はにっこり笑っていた。私はチマの幅を整えて注意深く彼の横に座った。彼は始終ニコニコするだけで私の子供用の晴着を鑑賞し、意外にも皮肉ったり、ほめたりしようとしなかった。<o:p></o:p>

 

「実に二時間も待ったんだ。猫も面目があるとちょっと申し訳ないふりでもしてよ。このずうずうしいお嬢さん」<o:p></o:p>

 

 私は、少しも恐縮せずに、横にかかっている見覚えのある風景画を見ながら、淡々と笑った。

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四季折々132   相模原公園3  

2013-08-20 10:21:58 | まち歩き

「みんなの花壇」の後方(東方向)には小川「きらめきの流れ」がある。

その周辺は武蔵野の雑木林。

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「きらめきの流れ」

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トチノキ。葉が大きい。

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クスノキの幹。

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クスノキ。

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シラカシの幹。

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シラカシの葉と枝。

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小川の後方(東方向)には芝生広場が広がる。

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右手(南方向)水無月園に向かう。

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水無月橋を渡ると水無月園に入る。

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