『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

四季折々123  八王子まつり3

2013-08-11 12:56:38 | まち歩き

8月3日(土)は関東太鼓大合戦に続いて民謡流し。

JR八王子駅入り口の所から追分町交差点までの約2キロにわたる甲州街道で民謡流しの踊りが繰り広げられた。

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「下し立て 揃いの浴衣 夏祭」
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「乱れない 着物も所作も 涼しげに」

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「2時間を 踊る体力 どこからか」

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「盆踊り 一夏分を 踊りきれ」

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「花笠が 熱中症を 予防する」

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「踊り手が 甲州街道 いっぱいに」

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ソウラン節の踊り手のような衣装。

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法被姿も。

新八王子音頭ー太陽おどりが一番よく流れていた。とても楽しく元気になる曲。

歌詞は次のとおり。

東西南北  月から星からやってくる

逢いたい 見たい 住みたいと

キンラキラキラキラキラ

緑がいっぱいあるところ

美人がいっぱいいるところ ハア

太陽の街 八王子

ハッパキラキラキラキラ ハア

キンラキラキラキラキラ

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翻訳   朴ワンソの「裸木」30

2013-08-11 02:14:18 | 翻訳

 

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翻訳   朴ワンソの「裸木」30<o:p></o:p>

 

.92 L.3~P.95 L.11<o:p></o:p>

 

 母は口をもぐもぐさせるのを止めて、以前の気乗りのしない声で一言言った。<o:p></o:p>

 

「どこから?」<o:p></o:p>

 

「釜山の本家のようだったよ」<o:p></o:p>

 

 母は精一杯緩慢に、不味そうに食事を終えた後、茶箪笥の抽斗から手紙を取り出した。<o:p></o:p>

 

 本家からだった。いとこの中で私より年下はマリ一人だけで、彼女から初めて〈お姉さん〉と呼ばれた幼い頃の、得意なような面はゆいような思い出が何故か今生き生きと蘇った。<o:p></o:p>

 

―会いたいキョンアお姉さん。<o:p></o:p>

 

 お姉さんが発ってからもう4か月も経ったのですね。いかがお過ごしですか? 会いたいです。お姉さんがいる所は、ここからは遠すぎるし、また戦場からは近すぎるし、いつも不安になります。お姉さんは戦争が恐ろしくないのですか? 本当に叔母さんもお元気ですか。今年も名人の叔母さんがキムチを漬けたのでしょう。うちのキムチの味はお話にならないのですよ。お兄さん達は叔母さんの手が入らないからだと言っています。叔母さんが混ぜておいたものを、もう一度かき混ぜてそのまま置けば、キムチの味がはるかによくなるだろうというのです。私も同感ですよ。でもお母さんはここの気候のせいで回復しました。冬がこんなに毎日蒸し暑いからこそキムチの味が落ちてしまう、どうしましょう。<o:p></o:p>

 

 お姉さん、実は私はキムチの話をしようとこの手紙を書いているのではないのです。何度も躊躇ったけれど、書かざるを得ませんでした。先日お父さんがソウルへ行ってきたじゃないですか。その晩遅くまでお母さんとお父さんがこそこそ話す声を盗み聞いてしまいました。お父さんは叔母さんをお医者さんに診せなければならないかもしれないと心配するし、お母さんはお医者さんよりは巫女を呼んでお祈りでもすれば治るだろうと言い張りました。お父さんははっきりと精神科のお医者さんだと言いました。私は驚いて体が震えました。そこでまたお姉さんの話をしきりにするのです。いい家へ嫁がせるのはすっかり駄目になったと、お姉さんがとても堕落した生活をしているように言っていました。<o:p></o:p>

 

 お姉さん、私は恐ろしいです。どうして幸福な家庭にこんな残酷なことが立て続けに起こりうるのでしょうか。信じられません。近いうちにチニお兄さんがソウルに行くから立ち寄るでしょう。お姉さん、チニお兄さんと一緒に釜山に来てください。例えお姉さんが少し堕落した生活をしていたとしても、私は理解できます。お姉さんは私達の世話にならずに、一人の力で生きようとしたのです。お姉さん、目をしっかりつぶって世話になりましょう。私達は別々の家庭ではないのです。お母さんもお父さんも分家を助けるのは義務だとわかっています。そして、私達の経済事情はとても良好です。すべてが思い通りになっているようです。<o:p></o:p>

 

 お姉さん、会いたいお姉さん、戻ってきてください。そしてもう一度以前のように幸福になりましょう。-<o:p></o:p>

 

 私は誰でもいいから話したいという本心から、すぐに返事を書いた。<o:p></o:p>

 

―マリヤ、今晩ここはすごい吹雪。私は雪が地面から空に向かって逆に降りしきる壮観な様子を見たのよ。今晩はいくらなんでも仮に釜山でもキムチが酸っぱく温かくなるはずはないわよ。<o:p></o:p>

 

 そして善良なマリヤ、あなたが心配していることを、私は全く理解できないのよね。叔母さんはとても健康。義歯を抜いてしまって10年は老けて見えるけれど、気力はかえって20年若返ったようよ。-<o:p></o:p>

 

 私はまだ重くずきずき痛む肩と腰を片手でさすりながら続けた。<o:p></o:p>

 

―今日の夕方も私は母と腕相撲をしたけれど、私が負けたのよ。退屈で悪戯でしたのだけど、私はかなり本気で挑んだのに負けた。あなたは信じないだろうけど本当なの。その上叔母さんは若者の頬にびんたを食らわすほど堂々としているの。ただちょっと変なことがあるとすれば、どんなに頼んでも義歯を入れようとしないことだけ。あなたも知ってのとおり、叔母さんはおしゃれじゃない? 息子や夫に若くてきれいに見えるようにという気持ちはちょっとやそっとではなかったんだけど、私のためには少しもそんな神経を使おうとはしないのよね。でもどうしてかしら? まだ叔父さんの3年の喪も開けないのに当たり前よね。<o:p></o:p>

 

 本当に私が堕落したって。あなたのお父さんも亡霊よ。私はこのところちょっとおしゃれになったのよ。それだけ。お父さんは、娘がある時期に急にぐっと大人っぽくなるということを、まるで理解しようとしないみたい。<o:p></o:p>

 

 マリヤ、それで私は今だに自立とかそういうことを、漠然としてでも考えたことがなかったのよ。その点はちょっとずうずうしいとも言えるわ。私はただソウルがよくて自分の家が気楽で、それだけよ。だから多分チニお兄さんがどうであっても、私はここに残るようになるわ。チニお兄さんは忙しいはずだから、立ち寄ることはないと伝えてください。<o:p></o:p>

 

 もうペンを置きます。さようなら。-<o:p></o:p>

 

 私は書き終えた。深夜だ。夜はがらんとして空虚で、どんなものでも満たすことのできない、がらんとした空虚な明日を追いかけてくるはずだ。むしろ明日がなければ良いだろう。<o:p></o:p>

 

 風はまだ止まず古家のみすぼらしい所、トタンのひさし、たくさんの扉や窓を揺らした。母が蔀戸(板の間の前面にとりつけた4枚つづきの戸)をがらがらと閉めながら、<o:p></o:p>

 

「まるで戦争が攻め寄せてくるようだね。ちぇちぇ」<o:p></o:p>

 

と言いながら居間へ入った。そうして見ると、今晩の騒乱はちょうど戦争の騒音のようだ。戦争の怒涛が早く押し寄せてくれば、それで今日から明日を切ってしまい、可哀想な人をたくさん作って、無分別な蹂躙が誰にでも等しく横行しろ。悪戯な快感で私は魔女のように笑いながら、狂った戦争がすぐに首筋を掴むような恐怖で体を震わせた。絶対にその盲目の悪魔に会わずに済めばいいのに。<o:p></o:p>

 

 お互いに容認できない、この二つの切実な願望は、いつも私の中に共存していて、時折つむじ風になって私を揺すった。遠からず私は切断されてしまうだろう。私自身が切断されたような苦痛を実際に体のあちこちに感じた。私は、痛みを忘れようと居間をむやみうろうろして、この痛みの原因の始めになった時期をしばしば記憶の中で遡った。<o:p></o:p>

 

 本家のおかげで比較的ゆとりのある避難生活、いやその前のことだ。荒涼とした避難道、その時でもない。その前、慌しいクリスマスだったか。避難するかしないか、母がこっそり包みをまとめてから解き、またまとめて。その時でもない。その前、修復後の日々、がらんと空っぽな家と裏庭の銀杏の木々、その木々が縮むように黄色い色、翡翠色の空を生んだ黄色い色、惜しみなく降り注いでいた黄色い色,今も目に眩しい。その時でもない。じゃその前、そうだ。その前、でも私はここで記憶を遡ることを止めた。何十年も放置された銀杏が、その秋には何故そんなに凄絶になるほど黄色くなったのだろうか。私はそれを見ると、何故そんなに生きたい、死にたいと交互に激しく望んだのだろうか。今もそれが気がかりなだけで、私の記憶は黄色い色の中に溶け込んで、再び抜け出して遡ることは出来なかった。

             ー続くー

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