本年の大学入学共通テスト、1月15日の国語問題に『とはずがたり』からの一節が出題された。問題文は「斎宮は二十にあまり給ふ。ねびととのひたる御さま、上も名残を慕ひ給ひけるもことわりに、花と言はば桜にたとへてよそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬる隙も、いかにせましと思ひぬべき御有様なれば、ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし。」(巻一│「とはずがたり」, p79)から始まり、設問の一つ「ねびととのひたる御さま」は、大人びて成熟なさった御様子の意である。
そして問題文に含まれないこの後の展開は、「(後深草院は)明け過ぎぬ先に帰り入らせ給ひて、「桜は、匂ひは美しけれども、枝もろく、折りやすき花にてある」など仰せありしぞ、(私、二条)「さればよ」とおぼえ侍りし。」(同, p81)と言わずもがなの件が続く。
『とはずがたり』を知ったのは、1971年、週刊朝日連載の瀬戸内寂聴(瀬戸内晴美)著、宮田雅之切り絵挿画の『中世炎上』を拝読した時である。その頃は、時代も身分も異なる世界の物語であることを踏まえても、次々と繰り広げられる乱脈と倒錯にのみ圧倒された。しかし年経て『とはずがたり』を精読した時に、心に触れて来たのは生者必滅、会者定離の理である。
妻子珍宝及王位、臨明終時不随者、思ひ捨てにし憂き世ぞかし
雨中落花
梢うつ雨にしをれて散る花の 惜しき心を何にたとへん
山家集・上 春 西行
瀬戸内晴美・中世炎上│「宮田雅之きりえ画集」
参考資料:
福田秀一校注:新潮日本古典集成「とはずがたり」, 新潮社, 1978
瀬戸内晴美著:瀬戸内晴美長編選集「中世炎上・輪舞」, 講談社, 1974
宮田雅之著:「宮田雅之きりえ画集」, 講談社, 1972
久保田淳, 吉野朋美校注:「西行全歌集」, 岩波書店, 2013
後藤重郎校注:新潮日本古典集成「山家集」, 新潮社, 2015