花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

馬酔木を手折らめど

2021-10-24 | 日記・エッセイ


大津は二上山の山頂に埋葬された。政敵に対する持統の慈悲ではない。当時の二上山は、山越他界の地であり、つまり生と死、この世とあの世の間(あわい)にある中空の地であった。死後もその霊をやすらわせまい、中空にさすらわせよう、という憎しみが、そこにはある。権力正統への欲望が母子の情にからむと、いかに醜悪酷烈であることか。このゆえに、大津の姉大来は、
 うつそみの 人にある吾や 
    明日よりは 二上山を 兄弟(いろせ)とわが見む
と、痛烈な挽歌をもって、持統の酷薄にむくいたのであった。

(3章挽歌の道──生と死の通い路│山田宗睦著:「道の思想史」, p66, 學藝書林, 1969)

<蛇足の独り言>見守り給う母后の薨去を境に暗い影が姉弟に忍び寄る。傷ましきかな。うつそみの挽歌を詠いあげた大来皇女の慟哭は時代を越えて胸に迫り来る。かつて二上山に登り、宮内庁管轄の大津皇子二上山墓(御陵ではなく墓である)にお参りした。雄岳山頂にあったのは手向けの香華なく森閑と静まり返った墳墓である。なお二上山にはこれぞ真墓という説がある鳥谷口古墳がある。
 愛し子を我が手で守らんとする女は時として躊躇いもなく鬼になる。女帝は薨御の逆縁を堪忍び血脈を守り皇位を皇孫に継承させた。その堅固な御意志には鬼気迫るものがある。