花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

「白川静著作集 万葉集」を読む

2020-02-02 | アート・文化


東洋学、文字学の泰斗である白川静博士の御著『白川静著作集 万葉集』には、中国の『詩経』と日本の『万葉集』の比較文学論的研究である「初期万葉論」、「後期万葉論」と「万葉集と比較文学」が収められている。本書の冒頭には「いずれの文化民族も、その古代における原体験というべきものを、古代詞華集として結集し、そこに民族精神の回帰点を求めている。」(「白川静著作集 万葉集」p,7)との印象的な御言葉がある。『詩経』と『万葉集』の古代歌謡にみられる歴史的条件、自然観の類似性を学ばせて頂くにあたり、『万葉集』の作歌基盤と関連する『詩経』の「興」を踏まえておこう。

「興と言う語の本来的な意味は、その字形が示すように、同(酒器の形)を倒(さかさま)にして、酒を地に注ぐ意である。儀礼的な行為のとき、まず土主に酒を注いで漢鬯(かんちょう)の礼を行い、地霊を興起させ、地霊を鎮めてのち儀礼を行う。地霊は酒気に敏感に反応して、たちあらわれる。その自己発動的な、内部衝迫的な力を興という。文学の上では、[詩経]の発想法にいう興が、そのような力をよび起こす発想法、また発想法として用いる呪的言語、その修辞法である。」(p,436)



白川博士が成立基盤に基づいて分類された『万葉集』の世紀は、柿本人麻呂にはじまり山辺赤人に終わる白鳳の《初期万葉》と天平の《後期万葉》である。「持統期の人麻呂を頂点とする古代的な呪歌の伝統のきわめて濃密な時期と、聖武以降、旅人、憶良や家持などの生活体験を直接に歌う生活的な歌の時期とに大きく分つことができよう。」(p,182)との見解を示され、これらの呼称に関して「前後に両分するならば、前期・後期でもよいが、文学の創出の意味をも含めて、平分的な前後の称を避け、人麻呂を中心とする[万葉]の時期を、特に初期とよぶことにしたのである。」(p,505)との判断をお示しになっている。
 《初期万葉》では、人は自然と融即的な関係にあり霊的な世界と自然を感知し、それを言葉で歌うことが自然へ呼びかける交渉方法であり、歌う言葉自身も言霊として働く。「自然の風姿やその微妙な変化、あるいは鳥獣のふるまいでさえも、なんらかの神霊の示現」(p,546)とみる自然観の下、自然諷詠であるとも叙景歌ではなく、魂振り・魂鎮めの機能をもつ呪歌、鎮魂、予祝の歌、神霊への讃頌であるとの明言である。この呪的・霊的自然観こそが『詩経』の興的発想と共通する作歌基盤であるとの指摘に加え、「自然の景観を歌うことに主意があるのではなく、聖地の存在態を歌う」(p,116)万葉的叙景というものの特殊性について以下の指摘がある。なおこの《初期万葉》の自然観は、霊的共感を抱く神話的自然から人間的存在の投影としての自然への変遷を辿る《後期万葉》に失われる。 

「[詩経]の詩篇からは、叙景詩は生まれなかった。自然を観照の対象として歌うものは、六朝期の謝霊運まで下らなければならない。西洋ではほとんど近代にはいってからのことである。ひとりわが国では、古代歌謡の時代にすぐつづいて、むしろそれと重なり合いながら、叙景歌が生まれてくる。この不思議な事実は、比較文学としてきわめて注目すべき課題であるといわなければならない。
 人麻呂や赤人の作品のうちに、自然への深い観照をみ出そうとしたのは、アララギの人たちであった。それはたしかにすぐれた発見であったが、しかし人麻呂や赤人の叙景歌にみられるあの力強い律動感は、はたして作者の観照によってのみえられたものであろうか。それはおそらく、山川も神ながらなる神々の世界の余響が、古代王朝の成立期という精神の高まりのなかで、叙景と重なりあうことによって、はじめて可能であったのではないかと思う。それは現実の自然を通して、神々を讃頌する歌であった。その歌がらの大きさと、生命力にあふれた表現は、もともと神のものであったように思われる。」
(p,529)

参考文献:
白川静著:「白川静著作集11 万葉集」, 平凡社, 2000
白川静著:「白川静著作集9 詩経Ⅰ」, 平凡社, 2000
白川静著:「白川静著作集10 詩経Ⅱ」, 平凡社, 2000




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