花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

Women doctors、be ambitious!

2016-10-30 | 日記・エッセイ


母がはるか昔、女子医専卒業後に各科をインターンで回っていた頃の話である。
「君、僕が戻るまでこれを持っていなさい。」と手術室でライター(ドイツ語でLeiter、指導医である)に言われるがまま、術前の男性患者さんに掛けたシーツから外に出たその部位を摂子でこわごわ挟んで、何の意味があるのかなと困惑しながらもライターがお戻りになるのを今か今かと待っていた。
と、其処へ助教授が。
「◇◇君、一体何をしているの?!」
母がかくかくしかじかですとお答え申し上げると、
「君はからかわれているんだよ。△△には僕からきつく言っておくから。」
直ちにやめさせ、足早に立腹して出て行かれたそうである。挟んでいた方も大変だったろうが、挟まれた御方もお気の毒に大変だったに違いない。それにしても昔の女子医学生は純情であった。

インターン:医学教育におけるインターンは1946年から1968年まで実施された、卒業後の臨床実地研修の制度である。かつてはこのインターン教育を終了していないと医師国家試験が受験できず、その間は学生でも医師でもない中途半端な身分に置かれていた。現在は卒後すぐに国家試験を受験し医師免許を取得して、その後に研修医として厚労省が定めた臨床研修を開始する。

医学界の言語:70代以上の世代が受けた医学教育はドイツ語抜きには語れず、診療録もドイツ語で記載されていた。今や国際的な論文は英語、国際学会での発表も英語が通例である。患者さんへの情報開示、他の医療従事者との情報共有を前提として、カルテ(Karte、medical record、診療録)は英語を交えた日本語あるいは日本語単独で書く医師が多い。ちなみに私は二年間の教養課程で第二外国語としてドイツ語を選択した。専門領域の医学用語以外はすっかり忘れてしまった体たらくであるが、思い起こせば教材のひとつが「Bilderbuch ohne Bilder (絵のない絵本)」であったことがなつかしい。医局に入局した後の研修医の仕事の一つは、上の先生の御診察に陪席し、シュライバー(Schreiber、書記)として診察所見の口述をカルテに書き留めることであった。ドイツ語の単語がぽんぽんと飛んでくる中、当初は当然聞き取れない。手帳に一つずつ書き出して必死に覚えて、全身を耳にして臨んだものである。

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