花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

川舟│花便り

2020-07-30 | アート・文化
 不意に何か言う船頭の声が聞こえて顔を上げると、行く手にも雪が見えるだけであった。舟は巧みに操られ、暗い水面を滑り続ける。行き暮れておぼつかない前途を見る気がしたが、彼女も道を決めたからには止まるわけにはゆかない。自分には墨と筆があればいい、見かけの幸福が何になる、と気色ばんだ。ひとりが何だろう。憂鬱な日には憂鬱を描き、心の弾む日には弾むように描く。そして残りの一生を墨とともに生きてゆくだけであった。

(乙川優三郎著:「冬の標(しるべ)」, p333, 中央公論新社, 2002)