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西洋と東洋という二つの社会の発展の仕方の差異は、基準に対する態度の差異に対応している。西洋社会では、基準 measure(測定)に基づく科学や技術の発展が主として強調されてきた。これに対して、東洋社会では、どのような基準にも適合しない測定不可能 immeasurableなものに対して究極的な注意を向ける宗教や哲学が主に強調されてきた。
この問題を注意深く考察するならば、東洋では根本的実在が測定不可能なものと考えられたのは、ある意味で正しかったということがわかる。というのは、基準は、人間によって形成された洞察だからである。実在は、人間の理解力を超えており、人間に先立つものであり、基準から独立なものである。しかし実在と同様に、基準が人間に先立って存在しており人間から独立していると誤って考えてしまうと、人間の洞察を「客観化」してしまうことになる。それによって、人間の洞察は、厳密で変更できないものとされ、やがては断片化や混乱がはじまる。
(PART1・B 西洋と東洋の全体性に対する洞察│デヴィッド・ボーム著, 佐野正博訳:「断片と全体」Fragmentation and Wholeness by David Bohm, p55-56, 工作舎, 1985)