花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

新蝉

2020-07-14 | アート・文化


若いころ美濃にいたときのことである。木蔭で蝉がカラから抜け出そうしていた。頭が出て手足も出ているが、左の羽だけがカラにくっついて離れない。私はかわいそうに思って、離してやろうと指の爪でさわった。ところが、私の指がさわったところは、ちぢかんでしまって羽が広がらず、とうとう自由に飛ぶことができなかった。これを見て、慚愧の汗をかいたことがあった。今、そのことを深く思うのである。
(中略)
ところが、今どきの老師さまは、ご親切にも、手を取り足を取って教えるように、いろいろ理屈を説明し、そなたの悟りは、まさしく我が悟りとひとつものだ、などといって、冬瓜(とうがん)の判子を捺したような安証明書を発行するのである。そんなものは禅の宗旨とはほど遠いものだ。修行者を愛するようでいて、大いに害しているのだ。そして、修行者はそれが毒であることも知らずに、人をたぶらかす狐の涎を、尻尾をふって喜んでなめるのだ。かくして、一生どっちつかずの、悟りきれぬ者になってしまうのだ。

予曾在濃陽日、於陰僻處、見新蝉離㲉、頭首漸出、手脚次第脱、末後左翼貼㲉者二三分、滞著不能蛻。予不忍棄去、爪其皮㲉放之。可悲、予所添力、拳縮不舒、飛揚為之不快。予則漸汗滿肌而已。於此深概念。
(中略) 
可惜、大好善知識乍起婦仁之心、恣婆禪之情、終提攜教諭説種種道理、推智解窠臼、拽情量窟宅、乃以冬瓜印子、一印印定云、你亦如是、我亦如是。能護持焉。嗟、其護持任你護持、如何命根不斷、祖庭猶隔天涯。是如甚愛之、而其實害之。學人不知毒、舐許多狐涎、搖尾歡喜、掉頭踊曜。終成一生半醒半醉底道人。佛手亦不能醫他矣。
(「荊叢毒蘂 乾」, p984-988)

参考資料:
芳澤勝弘訳注:臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念刊行「荊叢毒蘂 乾」, 禅文化研究所, 2015