花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

奉請(ぶじょう)の花

2018-10-11 | 日記・エッセイ


興福寺中金堂落慶法要(2018年10月7日~10月11日)、4日目の10月10日、比叡山延暦寺厳修が営まれ、華道大和未生流、須山法香斎御家元が献花の御出仕で大任をお勤めになられた。後日の流派の研究会では、法要でのこの度の御奉仕について一門に次第を御教示下さることであろう。諸佛を請待し奉る花は普段の花とどのように異なるのか、献供なさる時の御心や心構えについても我等一同に御訓示下さるのであろう日が待たれる。

『瓶史』は明代の文人、袁宏道が著した瓶花の書であり、華道去風流七世、西川一草亭が1930年に創刊なさった機関紙でもある。以前に後者の『瓶史』をまとめて入手したが、生け花に限らず日本の伝統文化を広く論じた各論者の文が掲載されている。佛教大学名誉教授、井川定慶博士が『瓶史 陽春特別號』(昭和8年刊)にお寄せになった寄稿文<蔓陀羅華>は、一・奉請の花、二・佛徳顯現の花、三・發心成佛の花の三章から成る。一章の「香煙縷々と立ちのぼり芳香を放つ佛事には又花を立て燈明を點じ供物を献ずるものである。」から始まり、二章で「佛前に献ずる花は参拜に来る信者の眼を樂しましめる為であらうと考へられもする。殊に立花の場合に佛の方へは裏を見せて表て正面を拜禮者の方に見せてゐるからである。」と語られ、最終章は「佛に献ずる花はやがて佛より我等へ發心を促し更に信仰を増進せしむる蔓陀羅花となるのである。」で締められている。

<蔓陀羅華>の文中で、詳細な解説及び「諸佛無量の功徳の中から十種を選び表示せんが為に佛前に花を献じて荘厳し、花の有する十義を以て佛の十徳を顯現せんといふのがそれである」という言葉を添えて提示されるのが、以下の『華厳経探玄記』第一巻中の「花の十義」(華の有する十義)である。今更ながらこの頃、自らが属してきた流派や宗派、業界や組織を越えて学ぶべきもの、識らねばならぬことは無限であると痛感する。

一、微妙義
一切の華の形は自然に成り、其色は實に口説を以て説く事を得ず、意を以て思惟する事も得ざる微妙不可思議なるが如く、諸佛は因位より果上に至り給ふまで一々の行徳微妙にして更に麄相なしといふのである。
 二、開敷義
一切の華は時に應じて満開する。これは内に抱く徳を外相に表知せしめて衆目を喚び覺さんとするのであって、佛の行々次で榮え遂に佛果滿特に至り開悟せしめ給ふ事を表はさんといふのである。
 三、端正義
華の蘂、葩、色一々美にして具足せずといふ事なきが如く、佛の修し給ふところ圓滿にして徳相具足し給ふといふのである。
 四、芬馥義
華果の香氣が普く薫ずることを以て佛の自利々他を益せしむるにたとふ。
 五、適悦義
勝徳の樂ともいふ。花は一々殊妙で一々他に勝れたところがある。而かもこの花を見る人は歡喜するものである。諸佛も亦かくの如くである。
 六、巧成義
一々の華は厚く薄く大に小に巧みに其花の相を成してゐるが、佛も亦所修の徳相、善にして巧みに成立してゐる。
 七、光淨義
華は淨らかにして光澤のあるものである。佛は一切の汚れたる惑障永く盡きて至極淸淨であらせらる。
 八、裝飾義
一切の華は其色其象能く了別して其種子を裝り飾る如く佛も了因を以て本性を裝巖し給ふといふ。
 九、引果義
菊は菊、牡丹は牡丹、其の種の生因は必ず其華を生ずるが如く、三因佛性は必ず佛果を成すといふ。
 十、不染義
蓮華の淤泥より出てゝ淤泥に染まざる如く佛は世間に住し給ふとも浮世の六塵に染汚せられざるといふのである。」
(蔓陀羅華│西川一草亭編 創刊三周年記念「瓶史 陽春特別號」, 去風堂, 1933)