花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

夏の養生│夏のように生きる

2015-06-27 | 二十四節気の養生


夏は立夏から小満、芒種、夏至、小暑、大暑までの六節気である。国宝『十便十宜帖』(川端康成記念館所蔵)は池大雅と与謝蕪村の合作画帖であるが、蕪村が手掛けた十宜図のうちの夏への賛歌が「宜夏(ぎか)」である。描かれているのは『徒然草』」第五十五段の一節、「家の作りやうは 夏をむねとすべし」さながらの、緑樹のもとに佇む草庵である。流水に面した窓辺には片肌脱ぎでくつろいだ主人が顔を見せている。一陣の風が紙面を超えてこちらにも吹き来るようである。

二人の文人の詩心を触発して『十便十宜帖』の筆を取らせたのは、清朝の李漁(李笠翁)が別荘伊園での生活をうたった伊園十便十二宜の詩である。原詩に詠われた伊園の風景を越えて、『十便十宜帖』では人が心の内に憧れ続ける理想郷が具象化されている。眠りを忘れ、その心をとらえた水上の花を、蕪村はあえて画中に描いてはいない。李漁の「宜夏」を以下に掲げる。

繞屋都将緑樹遮  屋を繞(めぐ)りて すべて将に緑樹遮る
炎蒸不許到山家  炎蒸 山家に到るを許さず
日長却羲皇枕  日長くして却す 羲皇の枕
相對忘眠水上花  相対し眠りを忘る 水上の花

遡る時代、陶淵明の『與子儼等疏』(子儼等に与ふる疏)には、「五六月中, 北窗下臥, 遇涼風暫至, 自謂是羲皇上人。」(夏、北窓の下に臥して爽風が吹き来れば、羲皇の時代の古人(いにしえびと)の様に憂いも慮りもない。)の一節がある。人生を経た後の季節において述懐すれば、この思いは意淺識陋(考えが浅く狭い)でしかなかったと、文は続くのである。されど時は盛りの夏、風に吹かれて午睡もよし、水面の花に遊ぶもよし。夏の心のありようは、羲皇人のままに逍遥自在、悠然自得でありたい。




「夏三月, 此謂蕃秀, 天地氣交, 萬物華實, 夜臥早起, 無厭於日, 使志無怒, 使華英成秀, 使氣得泄, 若所愛在外, 此夏氣之應, 養長之道也。逆之則傷心, 秋爲痎瘧。奉収者少, 冬至重病。」(『黄帝内経』素問・四気調神大論篇第二) 
(夏、三月、此れを蕃秀(ばんしゅう)と謂う。天地の気は交わり、万物華咲き実る。夜に臥せ早に起き、日を厭うこと無れ、志をして怒せしむること無かれ。華英をして成秀せしめ、気をして泄らすことを得しめ、愛する所外に在るが若くす。此れ夏気の応にして、長を養うの道なり。之に逆うときは則ち心を傷め、秋に痎瘧を為す。収を奉ける者少なし。冬重病に至る。)

ふたたび『黄帝内経』で語られる季節の養生を辿るが、「生」、「長」、「収」、「蔵」の四文字で表される四季の属性の中で、夏は成長の「長」である。夏の三か月は「蕃秀」と名付けられるが、蕃は繁殖、秀は植物の穂で、「蕃秀」は繁栄、上昇、突出を意味する。萬物は花咲き実り、天地の陽気が極みとなり、人の陽気も最も盛んとなる時節である。これとともに天の陽気はその極みから下り始め、地に萌してくる陰気と呼応して、天地の気が交わる。四季の起床と就寝に関しては、春および夏は「夜臥早起」、秋は「早臥早起」、冬が「早臥晩起」と記載され、夏も目覚めている時間を長くして、陽気が内に収束する睡眠時間は少なめとする。起床後は陽の光を厭うことなく享受して、外に向かうべき志を内に押し込めることなく、心中に鬱積する怒りにしてはならない。花が咲き誇る様に、心身を解き放ち陽気を発散すべきであり、愛でるものを外に追い求める如く、積極的に外の世界で活動を行うことが大切である。これらが夏の気の動態に呼応し、萬物成長の力を養う道であると述べられている。

次いで、以上に反すれば夏に旺盛となる心の働きを障害して、秋に痎瘧(がいぎゃく)の病変がおこり、秋の収穫の力が妨げられて冬に重病に至ると締めくくられる。別項の素問・陰陽応象大論篇第五章においても「夏傷於暑, 秋必痎瘧」(夏、暑に傷られると、秋、痎瘧となる。)と記されている痎瘧であるが、マラリア様の諸症状を示す他の熱性疾患を広く包括する。夏の暑湿の邪を受けた後に、秋から冬にかけて発病する急性熱病は「伏暑」と称される。「伏暑」は伏気温病に属する、後代に提唱された温病学の疾病概念であるが、夏の負の遺産が後の季節にもたらす季節病であるという観点において異なるものではない。