ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

団十郎と勧進帳

2005-08-30 20:31:46 | 歌舞伎

『団十郎と勧進帳』小坂井澄著(講談社刊)は
大まかに、ご紹介すると、七代目団十郎
(「勧進帳」上演当時は、まだ10歳の長男に 団十郎の名を譲り、
自らは初代団十郎の幼名海老蔵の五代目を名乗っていた。)
が、現在私たちが観るような「勧進帳」を初演してから、
九代目団十郎がこの演目で天覧芝居に至るまでの、
それぞれの時代の「団十郎」の苦難と挑戦を、史実に基づき描いたものです。

現在“歌舞伎十八番”と言われるものが、どう生まれ完成されていったか
当時の観客は、歌舞伎を、勧進帳を、どう観ていたのか等々、
なかなか興味深い構成でした。
要約する能力がないので(~_~;)本編冒頭を引用し、ご紹介致します。
市井の歌舞伎ファンとしては、この先の展開が知りたくなりませんか?
研究書っぽくなく、ドラマチックな語り口が私には読み易く、
一気に読んでしまいました。

>今回の「勧進帳」はあらゆる面でまことに画期的な作品であった。
>これまでの歌舞伎の常識を破っていた。
>柝の音もなく、定式幕がするすると引かれていく始まり方からして、
>そうである。前評判につられて河原崎座に詰めかけた見物客が
>息を呑んだのは、目の前にあらわれた舞台である。
>たいていの芝居には欠かせぬ大道具のようなものは、何もない。
>長唄囃子連中が下手から出てきて、正面の緋毛氈の雛壇に居並ぶだけ。
>さらに、大きな老松を描いた羽目板の背景が、人々の目を奪う。
>能舞台の鏡板を模したものなのだが、当時、能を見るのは武士の特権
>であったから、ほとんどの見物客はそれと知らなかったであろう
>「なんでえ、こりゃあ。」あっけにとられた江戸っ子が多かった。

今や、典型的な歌舞伎の一演目として私たちが観るものの創成期!!

この頃はすでに、廻り舞台が発明されてから八十年余。
これが大いに駆使されるようになり、加えて早替りや宙乗りといったけれんも
さまざまに試みられていた、歌舞伎が極彩色の花を咲かせ、絢爛から爛熟
爛熟から退廃の美へと向かっていた時代、とも説明されています。

―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(4)

2005-08-29 21:22:06 | 歌舞伎
10日以上経ってしまっているので、鮮明でない記憶を頼りに
アレコレ書くのもどうかな~と思いつつ観劇記(4)です(~_~;)
先に書ききれなかった事など。

結局16日は、「(すごーく)良かった!!」という
舞台を観たとき感じる大満足感には欠け、
でも、ここがこう(すごーく)悪かった、と
なにか決定的なものがあったワケでもなく、
なんとなくすっきりしない気分を抱えて帰路につきました。

一方、やや厳しい言い方になってしまうかもしれませんが
以前、内輪的にやっていた一門の勉強会「待春会」とか
あるいは「翔の会」と異なり、同じ勉強会とは銘打っても
この金額の切符代で、それなりに「興行」という色彩も強い公演では、
求められる期待値は高くなる事も強く意識して欲しいな~と思います。
(番卒&四天王に抜擢の若手の皆さん、更に頑張って!!)

で、翌日の17日は、
「昨日と違う!!(前夜より良い!!)」←弁慶×富樫の気迫
という印象を、富樫の橋掛かりの出から感じたんですね。
それが、なんなのか、具体的に表現するのは難しいのですが、
何か、ぐっとこちらに伝わってくるものがある、という感じ。

観劇後は、未見だったり、遠方だったりする友人達に
「観劇報告メール」をする事も多いのですが、16日は、

>今日はもひとつ伝わってくるものが
>役者さんから発散されてなかったなー

という内容を送り、またブログにも

>なにか、役者さんたちから放出されるものがあまり感じられず

と書かせて頂きましたが、これらの文言を読んだ、
ご自身も舞台に立たれる知人から、
「演じてて何かを放出する…ってどうすればいいんでしょうね?」
とメールが来て・・・

これは、なんなんでしょうね・・・単なる主観かもしれないし
何か、普遍的に美しいもの、素晴らしいものがあって
それに触れた時、その交感の中で生まれる
何物かなのかもしれない。

細かいことを言えば、初見より二回目の方が、ちょっとした事でも
目に付きやすくはなるので、先の記事に書いたように
弁慶が義経を打擲するときに、ふだん(少なくとも私が過去観た
勧進帳の範囲では)ありえないほど、大きな音がたってしまったり、
番卒の猿若さんが、富樫の前に三方を差し出す時も、
やはりガシャっと音を立てたりと
ううむ…(ーー;)という部分はあったのですが、
でも、全体の芝居の印象としては、17日の方が良かった。

当然個人的な印象ではあるのですが、
偶然、16日・17日夜と買っていた友人も同様の事を
口にしていたし、伝聞ですが、両日とも昼夜観たという方の
コメントでも、16日の昼よりは夜、そして翌日17日と
だんだん舞台が良くなっていった(のを目の当たりにされた)
そうですから、あながち、完全に自分個人の主観だけでもないのかな~と。

1回の経験よりは、2回、2回よりは3回と
経験値があがっていけば、手に入ってくるのは当然だろう、
という見方もありますが、何かそれだけではない
「慣れてきた」だけではない、何ものかも作用していたような・・・
(と、結局、抽象的な自分の感覚だけを述べてるだけで
 ここがどう、こう、という具体論が明記出来ずスミマセン。。。)

いづれにしても、試行と企画には、心から拍手

さて、週末、数年ほかしておいたカードの更新で、地元の図書館に
立ち寄った際、『団十郎と勧進帳』小坂井澄著(講談社刊)を借りて
きました。今回のプログラムにある右近さんの

>その時代時代で能・狂言に取材し歌舞伎の舞台
>を花開かせようとした先人たちの熱い思いや高い志に
>少しでも触れさせて頂き、その創造性を学んでゆくことが、
>この会の主旨につながるのではと思い立ちました。

の言葉を読まなかったら、たぶん、借りることも
(というか図書館で歌舞伎本コーナーに行くことも)
なかったでしょう。ご存知の方もいらっしゃるかとは
思いますが、後日あらためてご紹介したいと思います。

【追記】 ちょうど亀治郎の会、火樹会と観たあとだったので、
     昨夜は、NHKを遅くまで観てしまいました。
     富十郎さんの『船弁慶』と(弁慶:吉右衛門・義経:梅玉さん)
     @古典芸能鑑賞会&
     『勧進帳』松本白鸚さんの弁慶、当代のお祖父様の松本松禄さんの富樫
     @芸能花舞台

八月納涼歌舞伎:第三部【法界坊】

2005-08-27 01:42:46 | 歌舞伎
火樹会の続きはちょっと休憩(笑)して、
本日(8月26日)観劇の法界坊のことなど・・・

を、書こうと思ったのですが、今日歌舞伎座で一番の収穫は
イヤホンガイド30周年記念の小冊子(無料)をゲットしたこと

通常出ている『耳で観る歌舞伎(文楽)』のパンフが
今年の4月で355号だそうで、担当の方が初号から読み直してみたら、
面白い話が沢山あり、これらのなかから選りすぐり(?)
のものを抽出しまとめたそうです。
『イヤホンガイド余話』(A)というタイトルだったので、もしかして
(B)もすでにあるのかな?私が手にした(A)は、1977~85年の
間のピックアップ記事だったのですが、
なぜか、猿之助さん関連のものが多かったのです!!
(編集者の方、猿之助ファンかしらん、と思うくらい!)

「猿之助歌舞伎」がノリにノッて台頭してきた時代だったから、
特筆すべき出来事も多かったのかもしれませんね。
この小冊子に掲載されていた猿之助さんに関する記事は

●『猿之助、奮闘の生い立ち』(1978年)
●『80年トップの男、猿之助の歌舞伎論』(1980年)
●『戦後の襲名さまざま』(十一代目團十郎、故歌右衛門、現菊五郎さんらと
 猿之助さんの襲名についての記事)(1981年)
●『七月は“三階席の月”「最高のぜいたくだネ」』
 (三階席の楽しみについて書かれている文章ですが、宙乗りを堪能しようと
 三階がお客さんでいっぱいになる、という文脈)(1981年)

 そして、若手の市川猿十郎(28)さんに聞く、という紹介文から始まり
●『猿之助大立廻りの秘密はこれだ~猿十郎さんに聞くと~』(1983年)
●『劇作家、飯沢匡氏のカブキ論』(1984年)の中に、
 「猿之助ケレン芝居大いに結構」という章があります。84年はまだ
 スーパー歌舞伎上演以前ですが、猿之助さんの演出がフランスにまで
 (@コックドール)進出しているとの記述があります。

【歌舞伎写真館】には
●『1978年4月歌舞伎座の皐月闇宇都宮峠立ち廻りの場』
アンマの文弥(猿之助さん)を、居酒屋の十兵衛(吉右衛門さん)が、
親切ごかしに暗闇の峠道で案内、懐の金を刀で脅して奪おうとしたが、
文弥はお堂に逃げ込もうとする。それを悪党の仁三(猿之助さん二役)
が、やぶのうしろやお堂の中でじっと見聞きしている、という場面を
多重露出で撮影した、六枚の連続写真。

●『鏡山再岩藤の宙乗り』(年月表示なし)
 (77~85年内だと、歌舞伎座では78年7月、85年に7月に上演)

あと、上記、猿十郎さんに聞く~の立ち廻りの記事に、
猿之助さんの『弁天小僧の大屋根の立ち廻り』の写真があります。
・・・・ということで、ホント、猿之助さんのものが、
結構な割合を占めておりました。

プチ・ウンチク的な話も掲載されていて、
たとえば、『昔の劇場は現在のように立派ではなく、小屋がけで、
火事が一番怖かったので「火」という言葉は忌み言葉だった。
だから、火の字は一切使わない。千秋楽の「秋」は「火」が
あるから、芝居ではわざわざ千龝楽と変えている。』など。

ツケ打ちさん、鳴物さん、衣装さんのお話なども、
「解説」的なものでなく、実際携わっている方の「実感」、
役者さんでいうなら「芸談」のような感じで語られていて。
う~ん、収穫でした\(^o^)/

で、法界坊ですが、串田演出は三人吉三の時の照明が個人的には
好きだったのですが、今回も、それと似た青と赤の当て方が@三囲
「軽くヤバイ」(笑)←観た方限定、楽屋落ち~(~o~)
宙乗り後のサーチライト?(っぽい)での時間稼ぎ(爆)も、
ちょっと意味ありげに思ってしまい、まんまと騙されました。
(単にホントに時間稼ぎなだけだった(~_~;))
面灯りは、無理めだったかな・・・。一階後列で観ていましたが
双眼鏡を使っても効果が分かりにくく、
雰囲気だけ、となってしまいました。これはもう少しキャパの小さい
小屋で漆黒を作らないと、その本来の効果は上がらないかも。

歌舞伎役者の肉体で、ストレートプレイのような
ドタバタをさせる意味が(野田さんにしても串田さんにしても)私は
イマイチ、良く分からないのですが・・・(ちょこっと、アクセント
としてやる、って感じでなく、ずっとやっているので・・・(~_~;))
大詰の所作事で、力技(ちからわざ)で歌舞伎に戻って行きましたけど
ここが、一番興味深く観れた部分でしたが、やや冗長?
と思ってしまった後、あ~でも、猿之助さんも、お芝居は大サービス、
まだ、やるか!?ってくらい、お腹一杯やっていたなぁ~とか、
ふと思ったり。。。
超ファンだったら、勘三郎さん、もっともっと!!と思ったかな(笑)

趣向という意味でも、やっぱり面白いのは、双面に入ってからでした。

序幕冒頭、ぢゃらちゃらと笑わせるような芝居をやっていたのですが
イマイチ、客席が冷えていた。(観客は、熱心には観ているのだけど。
―補助席まで出る大盛況―)けれども、
勘三郎さんが、花道揚幕から登場されると、バッと温まり始めました~。
あんなナリにハゲつけてても(笑)オーラを背負っての登場です

【追記】
上記文中の「軽くヤバイ」ですが、今、若いコたちの間で
「ヤバイ」=良い、惹かれる、魅力的というような肯定的な意味で
使われているらしい、と聞き、私は「(照明が)良かった」の意で
使用しておりますが、久々にカニリカさんちのブログを読んでいたら
CMでは、ヤバイ=まずい、と従来の意味のようですね?

―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(3)

2005-08-24 22:45:25 | 歌舞伎
橋掛かりでは、役者さんの技量がくっきり映し出されてしまうと
先に書きましたが、それは舞台でも同様。

右近さんが対談のときに、歌舞伎は「絵面に(キマる)なる」との
言葉があるように、わりと平面的に舞台を見るが、能舞台では
正面、中正面、脇正面と立体的にどの角度からも観客に見られ、
逃げ場がない、というような事をおっしゃっていました。
(―けれども、歌舞伎座の二階席、三階席からのように、
上から見下ろされる事はないですね~。)

能舞台は狭い空間に、ぎゅっと人が詰まっているので、歌舞伎の
ときのように、上手の人物を観ている間は、下手や花道の人物は
目に入らない(入り難い)というような事はなく、
演者、後見、演奏者と、ひとつの視野に収まるので、いろんな事を
見逃さずにすむ。役者さんにとっては見逃して貰えない?(笑)

後見に入っていた笑野さん、猿紫さんの、気配を消しながらも、
無駄なく、すすっと美しく動く姿が目に留まったり、
なかなか手際のいい、また、身体をよく殺して、弁慶の後見に
あたる喜昇さんを目撃したり。

勧進帳は曲も素敵で、広忠さんも、
(√旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の、露けき袖やしおるらん、
の後に続く)

~√時しも頃は如月の、如月の十日の夜、月の都を立ち出でて~

の歌詞と節が情緒があって、とても好きだとおっしゃっていて
中村氏に勧進帳の見所をと問われたときも、
富樫の出の後のこのメロディを、まず聴いて下さいとの事でした。

お囃子、メチャクチャかっこ良かったですね。よく響いてました。
―特に亀治郎の会の船弁慶の幕外の引っ込みで、
傳次郎さんの太鼓(と福原寛さんの笛)に感銘を受けた後だったので、
より興味深く聴いていた―
(ちなみにツケは亀会&勧進張共長坂さん←猿之助ファンにはお馴染み
の小倉さんに師事されたそう。なんか情念?っぽい打ち方が似てるかも)
終演後、同行者と「三響会」のチラシを握り締め、お囃子の会に行きたい!!
と叫んでいました(笑)。
が、お三味線が、残念ながらあまり鳴りませんでしたね~(~_~;)。
いつもの雛壇と違って、床に直接座られていたのと、ほとんどの間、
三味線方さんの前には、番卒と富樫が並んでいた事との逆相乗効果で。
唄は結構通っていましたが。
この長唄チームの着座する場所は、改善の余地ありかも。

―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(2)

2005-08-23 23:31:15 | 歌舞伎
能舞台の構造1  サイト「能・狂言」参照

能舞台の構造2  サイト「能楽」参照

【出演】

武蔵坊弁慶:市川右近  富樫左衛門:市川猿弥
常陸坊海尊:市川寿猿  亀井  六郎:市川猿四郎
片岡  八郎:市川喜猿  駿河  次郎:市川喜之助
番卒  軍内:市川龍蔵  番卒  平内:市川笑三 
番卒  権内:市川猿若
太刀持市若:藤間貴彦  源    義経:市川弘太郎

後見:市川裕喜、市川笑野、市川喜昇、市川猿紫

【長唄】
   (唄):杵屋崇光、今藤政貴、味見純、日吉小八郎
(三味線):稀音屋祐介、杵屋彌四郎、松永忠一郎、稀音屋一郎

【鳴物】
  (笛) :田中傅十郎(昼)、田中傳太郎(夜)
 (小鼓):田中傳左衛門
 (大鼓):田中傅次郎
 陰囃子:田中佐英、田中佐吉郎

【狂言方】竹柴正二【附け打ち】長坂 昇


対談後30分の幕間のあと、着席した観客が、
やはり静けさを保ったまま舞台を注視する中
唄方・三味線方の方々が、
「能舞台の構造1」では15番と表示されている地謡座へ、
切り戸口を通らず、この写真で見る上手の奥の方から登場されました。
三味線方さんは床直々に座られ、唄方さんは一段高い山台の上。
お囃子の三名は揚幕からの出で、橋掛かりを、
凛とした雰囲気を漂わながら後座へと向かわれ、
それぞれ所定の位置に付かれました。
この長唄囃子の皆さんがスタンバイされる様子を目撃したことが、
常の歌舞伎の勧進帳との一番の違いかな~と思うくらい(笑)
なんだか不思議な光景。

いつもならすでに、緋毛氈の敷かれた雛壇に、
ズラーっと並ばれていらっしゃるので。

その後は通常の勧進帳の進行どおり。
(もちろん舞台の形状が違うので、演出、居所などは異なります。)

歌舞伎の舞台なら下手揚幕から舞台へとなるところを、
揚幕から橋掛かりを通っての富樫の出となります。
この『橋掛かり』は、歌舞伎の劇場の花道以上に、役者さんの技量が
くっきりと映し出されてしまうものだなぁ~と今回思いました。
歌舞伎座では、花外にも客席があり、花道に立つ役者さんは、その後景に
多数の観客の姿や(あるいは、視座によっては本舞台の様々なもの)
二階袖の飾りの提灯(笑)等々、空間の混沌をも背負って、その中で
自身の存在を際立たせていく感じですが、能舞台の橋掛かりでは、
余分なものは排斥され、一本の綱の上を、あるいは水面を、
一重のさざ波も立てず歩いていくかのような、
緊張と洗練が求められているように感じた。

16日初見の富樫の出は、そのあたり猿弥さんにしては、
きっぱりしておらず、袴の裾裁きも、もたつく印象。
(とくに中央から地謡座の前で向き直る辺りなど)
この配役が発表になってから、過去、猿弥さんが演じた
印象的な舞台~ワークショップでの吉野山の忠信や、
春秋座の杮落し@春秋三番叟での、技術の確かさや美しい所作、
白塗がなかなか映える様子などに想いを馳せ、
超二枚目のカッコいいこのお役を、非常に楽しみにしていたので、
ちょっと意外でした。(期待値のハードルも目一杯高かった!)
忠信の時がそうであったように、猿之助さんの演じ方なども
彷彿させるんだろうな~なんていう勝手な想い入れもあったり。

責務に忠実である心持ちから、義経一行に対する疑念、否、本物の
山伏であるかもしれないという畏れ、対峙・緊迫から緩和、
そして再度の疑惑(というより本当は確信なのだが。)
弁慶の誠に触れての、自身の忠節・大義との葛藤、決意(自決を含む)
など、移りゆく内面の振幅があまり、伝わってこなかった。
口幅ったい言い方だけど、
それこそ「序・破・急」のようなものが感じられず、
わりと、テンションが一定というかひと色だったような・・・
「計っている」(?)ようにも感じた。
普通に歌舞伎の舞台で勧進帳をすることとの。

右近さんの弁慶も、形はとてもきれいで良かったのですが、
何か、ひとまわり小さく見えたな~。
激してくると(←右近さんご自身は冷静な演技でしたが、
役の上で“激して”くる時ですね。)科白が巻き舌っぽくなり、
文言が不明瞭になってしまうのは、難点でした。

「山伏問答」は、かつての私にとっては、意味不明で
ここが分からないからつまらない、と思っていた部分ですが、
今では、この場での弁慶と富樫の拮抗が楽しみで、心奪われる場面です。
しかし、各々はそれなりにきっちり演ってはいても、
「問」「答」という交換/交感に乏しく、自分の座席の位置のせいかな~
とまで思ったり・・・。^^;

(中正面で前方で観ておりました。
ちょうど目付柱で、富樫と弁慶が分割されて見えてしまう。
17日の対談では、お客さまから、目付柱が邪魔、取って欲しい~
という意見を頂きましたが(笑)、お能では、これは非常に大切なもので、
面をつけると視野が極端に狭くなり、足元も見えないので
この柱を目印として、演者は距離、演技の位置を測るのです、
という説明がありました。)

お互い押しながら探りながら、というような何か迸るもの、
もちろん、それは、所作を大きくするとか、声を張るとか
そういうことではなくて・・・。何か、その部分で物足りなさを感じた
16日の舞台でした。

~続く~(またかいな(~_~;))



―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(1)

2005-08-23 00:20:43 | 歌舞伎
能舞台の構造1  サイト「能・狂言」参照

能舞台の構造2  サイト「能楽」参照

先月の歌舞伎鑑賞教室同様、解説があったことで、
より興味深く舞台を観ることが出来ました。
だいぶ日にちが経ってしまい、記憶が覚束無い部分もありますが
まずは、右近さんと亀井広忠さんの対談の様子をご紹介しますね。
(聞き手は中村暁氏←この舞台の企画者)
※16日と17日の内容が混在しております(^_^.)・・・たぶん。

広忠さん、右近さん、中村さんが切り戸口~歌舞伎の松羽目物の
舞台でも上手奥にある臆病口とも呼ばれる~出入り口をくぐって、
登場されました。広忠さん、右近さんは紋付袴で(中村氏はスーツ)
小さな戸口からの出入りも、さすがに綺麗な所作。
舞台で演じているとき以上に、こういう何気ない処で
「いいな~」と見惚れてしまいますね。これは退場のために、
再度くぐられる時に、より強く感じたのですが。
後ろ姿も隙がなくて。
常の歌舞伎の劇場だと、客席がざわついている事が多いけれど、
客席も静寂を保ち、ピーンと張り詰めた空気感の中、
端正で美しい所作に見惚れる束の間は、心地良い一瞬でした。

プロフィール紹介のあと、まずは広忠さんが、『安宅』『勧進帳』
に纏わるご自身のお話をされました。
かなりお小さい頃(学齢前?くらい)に、お能の『安宅』より先に、
歌舞伎の『勧進帳』を先代の尾上松禄さんの弁慶で観られたそうです。
この時は客席からの観劇で、二度目は黒御簾からご覧なったとの事。
どちらの舞台も、お祖父様にあたる十一世田中傳左衛門さんが立鼓を
打っておられたそうで、特に二度目の観劇の際は、
舞台で鼓を打ってらしたお祖父様が、幕が閉まるやいなや
黒御簾に駆け込んで、弁慶の飛び六法の立太鼓を打っていたお姿が、
とても強い印象として残っていらっしゃるとのことでした。

『安宅』では、子方で義経を演じられた経験がおありだそうです。
「実は、お能の『安宅』より、歌舞伎の『勧進帳』の方が好き!!」との
爆弾発言!?(笑)もあり、中村さんが思わず「ああ、言っちゃいますか~。」
と突っ込んでましたけど。能楽サイド(笑)として、
それを言っちゃっていいの?みたいな。
まあ、本日の演者や歌舞伎ファンへのリップサービス?も
あったのかもしれませんが、結構、本音っぽい(?)

能楽師が他のホールで演じたことは過去あっても、
能楽堂で歌舞伎役者が演じるというのは初めてで、
その試みに対しては非常に共感するという、ご発言もありました。
そして、能舞台と歌舞伎舞台の違いなどもお話になり、
単純に考察すると、小さい能舞台での方が声も音も軽く、
歌舞伎舞台での方が大きくと考えがちだけれども、実際は逆で、
狭く見える能舞台ほど強く、広く大きい舞台では気持ちは強く、
でも表現は軽やかに持っていくとの事でした。
そうしないと音が後方まで抜けていかないそうです。
これは、歌舞伎座や演舞場、明治座などでの経験を通じて体感されたそう。

狭い能舞台の『安宅』では、多勢の演者がひしめきあうことで厚みを持たせ
実際の舞台の大きさ以上の空間の広がりを得ようとし、
大きな舞台に(能よりは)少ない人数で演じる歌舞伎の『勧進帳』では、
長唄囃子に厚みを持たせた分、空間の余白を活かして、
役者の演技を際立たせようとした。このことにより、
能では力と緊張感で押し切る関破りの物語となり、
歌舞伎は人の情に焦点を当てた男同士の物語になったとのお話でした。

あ~かなり話しズレますが、日本を訪れた外国人に、
「日本のケーキ小さすぎ~ありえない!!皿ばかりデカイ」(超訳(^^))
と言われ、「余白の美!!」と苦し紛れに(ホントは私も、日本のケーキは
高くて小さい!!と思っとる)返しておりましたが、余白を活かすのは
日本の文化なんですね―(違くないか?>自分)
(しかしながら日本のケーキは世界一旨い!@当社比)

16日は、広忠さんも初めてご覧になるそうで、この能舞台をどう
使うのか楽しみ、との事でした。またお囃子の演奏が弟さんたちで
この際一緒に出て演奏されたら、と中村さんか右近さんが
おっしゃってましたが「弟たちに怒られます~」とご辞退されてました。
が、本当は共演されたかった!?

右近さんも、今回の上演にあたり、
能舞台からきたものを一度その舞台に返してみたい
また、先人(七代目団十郎)がこの演目を創った「志(こころざし)」を、
猿之助さんがよく用いられる「故人の求むるところを求むる」
との芭蕉の言葉に鑑み、
単に「勧進帳」という演目の型や演技を受け継ぐのではなく、
その創造の過程にあった想いをも汲み取って勉強したい
(意訳~ちょっと使われていた語彙は異なるかもしれません。)
というようなお話をされていました。

右近さんの真摯な想いは、非常に伝わってきましたね。
これまで、右近さんが一門の若手のリーダー的に、
色々なことに挑戦されるのを、ある種当然のようにというか、
自然に受け取っていましたが、猿之助さんが療養中で舞台に不在の今、
ヤマトタケル、鑑賞教室の四の切と澤瀉の象徴的な演目を担って
公演を勤め上げ、リーディングスペクタクルがあり、
そして、この勧進帳と、一見精力的に、でも、何か黙々と
勤めているようにも感じられ、その姿勢には非常に打たれました。


―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】  短報告

2005-08-16 23:51:42 | 歌舞伎
(とりあえずの~短報告♪)

先月の国立劇場、歌舞伎座に続き、またもや“地震観劇”になるかと
思いましたが(~_~;)さすがに、本日日中は勤務中でした。
ビルの22階に居た為、長い横揺れに船酔い状態・・・

多忙な日々が続き、慌しく能楽堂へ向かったため、勧進帳上演前に
対談がつくことをすっかり忘れておりました。
夜の部は、「鼓の家」のご長男亀井広忠さんと右近さんの対談。
「勧進帳」と「安宅」の違いとか、歌舞伎では太刀持ちに子役が出るけど
安宅では、義経を子方が演じ、ご自身も演じられたことや、
小さい頃から歌舞伎もよくご覧になっていたそうで、お祖父さまの
11世田中傳左衛門さんの歌舞伎舞台での演奏のお話など、
非常に興味深かったです。そして
その後の演奏も、弟さんたち(傅左衛門さん、傅次郎さん)でした。
傅次郎さんは、私の中では太鼓のイメージが強いのですが、
本日は大鼓(おおつづみ)を打っていらっしゃいました。
~先日の亀ちゃんの船弁慶、幕外の太鼓、笛、ツケ、演者の拮抗が
本当に素晴らしかった~
長唄も私の大好きな杵屋崇光さんで、本日は、演奏ばかり聴いておりました。

猿弥さんの富樫も、絶対イイだろう!!と、とっても楽しみにしていたのですが
正直、今日のお芝居からは、なにか、役者さんたちから放出されるものが
あまり感じられず、自分自身「あれ?」って感じだったんですよね。
対談のときから、この勉強会に対する、右近さんの真摯な想いは感じていたし
常の舞台も正確で真面目な右近さん、そして、それに対峙する猿弥さんと
ホント、楽しみにしていたのですが。

明日夜も観ます。
詳しい感想はまたあらためて時間をとって推敲し、アップしたいと思います~。

<8月17日追記>
昨夜より、いい感じの舞台でした\(^o^)。詳細は週末には・・・

第四回亀治郎の会 観劇記2

2005-08-13 22:14:08 | 歌舞伎
【神霊矢口渡】
たぶん、本興行では私自身は一度も観たことのない演目ですが、
(記憶に相違なければ)
娘の造型や、お家再興を計る落人の道行、情よりも欲の勝る父親、
霊力、などなど、歌舞伎のお芝居的には馴染みのある設定多々。

義峯を口説きにかかるお舟なんかは、お里ちゃん(笑)とも
ちょっとかぶって見えたり(実際類似の科白もあるし)、
囲みを解くために太鼓を命がけで叩くといったあたりも
三人吉三のお嬢や八百屋お七の趣向を思い出させたり。
あ~歌舞伎だなぁ・・・と思わせる舞台でした。

しかし、頓兵衛にはビックリ。
フツー?誤って娘を斬った段階で、因果が報いた~とか
なんとか言って(笑)、多少改心するような展開も
よくあるパターンと予測していたのですが、
全然、改心どころか娘への憐憫もないんだもんね(ーー;)
ある意味そこまで、自身の欲望に忠実なのはご立派。
迷いのない人生なんですねー(なのか?(~_~;))
段四郎さんの芝居が大きくて迫力で、怖いくらいの
見事な悪っぷりでした!
下手の草陰から、のそっと出てきた瞬間の異様な存在感、
花道の引っ込みなど、劇場の空気を支配されてましたね。

亀ちゃんは実年齢がもっと若い頃より、ここのところの方が、
娘が無理なく自然に見えるのは、おこがましい言い方だけど、
芸の進境でしょうか。
これまでの会では「熱演」が勝ちすぎて、ともすれば、
役の陰影が霞んでしまうような処もなきにしもあらず、
といった感もありましたが、今回のお舟はとても良い加減でした。

【船弁慶】
人間国宝な方も含め、何度か観ている演目ですが、どうもあまり
入り込めない感じで、過去、観劇中「落ちて」いたこともしばしば(失礼~)
当日会った友人も「これは、好きな役者さんが踊っている時じゃないと
結構辛いよね~。」と言っていて・・・(特に前段)

本日葵太夫さんのサイト
ただいま(今月のお役)の8月13日の記事を拝読し

>「飽きさせないということが難しい演目」だなと思いました、

の記述に、思わずモニターに向かい頷いてしまいました。
まあ、私のような素人が、単にあまり理解できず飽きちゃう、
ということではなく、もっと見巧者を惹きつける魅力についての
高度な次元でのご発言なのでしょうけれど。

静と義経の物語は他に多くの印象的なお芝居があるため
どうしても、前段の静の舞の抑制された表現から
パッションを得るのが難しい。
(これは見る側の問題なのかもしれないけれど。)
また、演者にとっても、季節や景色、哀切などを
一見淡々と見える所作で、だからこそ、
肉体のわずかな遣いかたひとつで表現していく難しさ
顔や手の微妙な角度・位置の違いで表出していく技術と
(例えば、能面が修羅にも歓喜の表情にも見えるのと同様)
曲に負けない大胆さが必要なのかな~と・・・

うって変わって後ジテ。
花道からの出で知盛の後ろ姿を目撃したとき
相変わらず、立役の後姿は幼く見えてしまうなぁ~などと
瞬間思ったのですが、おどろおどろしい隈取と相反して、
ふわ~と一回り小さく軽く見えるあたりが、
逆に、異形の雰囲気を醸し出し、波間にす~っと現れ
歩くというより、重力を持たない肉体が海上をすべって行く感じ。
振りは大きくても所作板を踏む音を立てずに動くあたりとの
緩急のつけ方は、素晴らしかったです。

キレの良さや、所作の美しさ確かさは
本領発揮といったところですが
いかんせん舞台が狭く、物理的にちょっと可哀相だった部分も。
最後の花道の引っ込み、長刀をかけての渦巻きの入りは、
もう少し距離があれば、更に迫力のある見せ場となったでしょう。
(と、思ったが大劇場とそんなに尺は変わらないのですね。
すごく、短く見えたのですが。国立劇場設備概要
傅次郎さんの太鼓、福原寛さんの笛との拮抗も壮絶でしたね。
あっ、忘れてはならない、ツケも大迫力!!

傳左衛門社中の皆様には、いろいろな舞台でお目にというか
お耳にかかっておりますが、今年一月、
お母様の田中佐太郎氏のドキュメント鼓の家を拝見し、
非常に感銘を受けました。長く厳しい訓練を受け芸を継承し、
そして、また自身の中に受け継いだものを
余すところなく子供たちへ、次代へと繋いでいく。
女性であるがゆえ、歌舞伎や能の舞台の前面に立つこともなく、
ある意味無償で伝統に奉仕するその生き様に、心を打たれました。
佐太郎氏の生の演奏を是非拝聴したいと、以来、願っています。

共演者、協力者に恵まれ、そして、盛会で亀ちゃん幸せですね~。
前回もそうですが、プログラム等で何か「悲壮な決意」的なコメントを
見かけるけれど、恵まれた航海をしていると思いますよ~。
でも、彼的には、すでに「遠くへ来てしまった」
自身への寂寥を秘めているのかな?少年時代を過ぎ、
青春も終わる(かもしれない)けれど、
人生の朱夏―燃える熱い夏―が待っていますよ

第四回亀治郎の会 短観劇記

2005-08-11 23:18:48 | 歌舞伎
※最近「短」ばっかり(ーー;)明日も社内でテストなので・・・

なんとかご助力を頂き、本日夜の部観劇可能となりました。

少し前頃より「娘」がぴったりはまっていて、
今回のお舟、とても良かったです。
継続的に亀治郎の会を観ている友人らと、
落ち入りそうもないパワフルな玉手、天翔る鷺娘
(ジョークなので怒らないように~!!・笑)と違って、
ちゃんと等身大の哀れが浮き彫りになり、芝居が届くね~
などと話しておりました。

無邪気な娘から思慮する女へと変わる刹那
ふと、『あのときかもしれない』の“四”を思い出したり。
(by長田弘「遠くへ行ってはいけないよ」から始まる詩)
お舟は戻ることの出来ない遠く、へ来てしまったのだと。
遠い、こちら側に・・・

船弁慶は、後シテは見る前からいいだろうな~というのは
常のキレのある踊りから予想はついたけれど、
前シテはなかなか手ごわいですね。

尾上右近という名前よりは、まだなんだか「研佑」←呼び捨てご容赦
の方が馴染みがあるのですが(とにかく上手くて、なんの芝居だったか
忘れてしまったけど、以前歌舞伎座で、まったく別々の日に観たカブキチ
さんたちの一致した意見が(なにかの場で)「今回一番良かったのは
研佑だね~」と幹部役者を差し置いて好評だった事も!)
やることはしっかりしているけど
さすがにビジュアル的にまだまだ「子供」なので、バランスという
意味では(刀も大人仕様だし、抜く時に手に余るのか
ちょっともたついたりはしていましたね。)シンドイかな~。
あるいはお能の子方の意匠?

でも、亀ちゃんも自分の勉強会の場で、
更に後進にも場を与えるということは素晴らしいと思いました。
共演者の方々にも支えられ、盛況でいい会でしたね。
詳細はまた。ひとまずご報告。チケット入手にご尽力頂いた皆様
心より御礼申し上げますm(__)m

kamejiro.netの表紙に舞台の模様がアップされています。



第四回亀治郎の会

2005-08-09 20:46:31 | 歌舞伎
【会場】国立小劇場
【日時】8月11日(木) 昼の部午後1時、夜の部午後6時
       12日(金)昼の部午後2時
【演目】神霊矢口渡/船弁慶

※全日完売とのことです。

造形大の劇場京都芸術劇場(春秋座)も歌舞伎仕様のとても素敵な劇場ですが
いかんせん京都駅からもやや距離があり、それでもコアな澤瀉ファンは
頑張って出かけても行きますが、(かぼちゃのたねへ立ち寄る楽しいオマケも!(^^)!)
なかなか一般の歌舞伎ファンの方には来て頂きづらい部分もありました。

クレバーで演技も確かな「亀治郎の勉強会なら観たい!!」
という歌舞伎見巧者の方々も結構いらっしゃるようなので、
以前から東京での開催を期待されていました。

後援会に入っている知人経由で手配を頼んでいたチケットを仕事の都合で
いったん手放したのですが、なんとか1回は観れそうかな?と
再度問い合わせたところ、全日完売の大盛況で、窓口にも
後援会にもチケットはない様子。
喜ばしいことではあるのですが、困ってもいます(ーー;)。。。

伝統文化・名流の記事

毎日新聞

葵太夫さんのサイトにも興味深いお話が掲載されています。
平成3年に同じ演目を亀ちゃんが演じたときの、
軽井沢の猿之助さんのお家での『合宿』の様子などなど。

チェ・ゲバラの言葉

2005-08-08 21:14:58 | その他の演劇
『世界のどこかで、誰かが、不正な目にあっていたなら、
こころに深く痛みを感じることが出来るようになりなさい。
それが、革命家の最も美しい資質です』

思想と日常の乖離よ・・・(瑣末なことに右往左往する日々>自分(/_;))

しかし、また、どの思想も争乱を生む。必ず。

ちょうど、読書中のレミゼ第3巻にも
『地上に祖国のない人が一人もいなくなるように願っていた』
という一文があった。
19世紀にも、そして、その以前の時代からも希求されている
すべての人々の安住や平和が実現されないことや
ひとつの崇高さに触れたとき感じる畏怖と無力感。

利己的な日常へ帰っていくことの後ろめたさも
繰り返されていく日々の中に埋没していく。

<大人>になったら、
多少は他人のために自分の時間を与える(と言ってはおこがましいけど)
ことが出来るようになるのかと期待していたけど
なかなか私利と欲望をコントロールできません。

とりとめのない想いを抱いた・・・

リーディングスペクタクル『美貌の青空』

2005-08-01 19:38:43 | その他の演劇
詳細はこちら

【会場】Zepp Tokyo
【日時】2005年8月3日~2005年8月7日18:30開演(7日のみマチネ有14:30開演)
【出演】市川右近 市川春猿 市川段治郎
【ナビゲーター】古藤芳治
【ディーバ】伴 都美子(Do As Infinity)
【プロデュース・脚本】売野雅勇 【演出】市川右近 【音楽】千住 明
【料金】S席7,500/A席 6,500円
【問い合わせ】キョードー東京 03-3498-9999

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