ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
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―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(2)

2005-08-23 23:31:15 | 歌舞伎
能舞台の構造1  サイト「能・狂言」参照

能舞台の構造2  サイト「能楽」参照

【出演】

武蔵坊弁慶:市川右近  富樫左衛門:市川猿弥
常陸坊海尊:市川寿猿  亀井  六郎:市川猿四郎
片岡  八郎:市川喜猿  駿河  次郎:市川喜之助
番卒  軍内:市川龍蔵  番卒  平内:市川笑三 
番卒  権内:市川猿若
太刀持市若:藤間貴彦  源    義経:市川弘太郎

後見:市川裕喜、市川笑野、市川喜昇、市川猿紫

【長唄】
   (唄):杵屋崇光、今藤政貴、味見純、日吉小八郎
(三味線):稀音屋祐介、杵屋彌四郎、松永忠一郎、稀音屋一郎

【鳴物】
  (笛) :田中傅十郎(昼)、田中傳太郎(夜)
 (小鼓):田中傳左衛門
 (大鼓):田中傅次郎
 陰囃子:田中佐英、田中佐吉郎

【狂言方】竹柴正二【附け打ち】長坂 昇


対談後30分の幕間のあと、着席した観客が、
やはり静けさを保ったまま舞台を注視する中
唄方・三味線方の方々が、
「能舞台の構造1」では15番と表示されている地謡座へ、
切り戸口を通らず、この写真で見る上手の奥の方から登場されました。
三味線方さんは床直々に座られ、唄方さんは一段高い山台の上。
お囃子の三名は揚幕からの出で、橋掛かりを、
凛とした雰囲気を漂わながら後座へと向かわれ、
それぞれ所定の位置に付かれました。
この長唄囃子の皆さんがスタンバイされる様子を目撃したことが、
常の歌舞伎の勧進帳との一番の違いかな~と思うくらい(笑)
なんだか不思議な光景。

いつもならすでに、緋毛氈の敷かれた雛壇に、
ズラーっと並ばれていらっしゃるので。

その後は通常の勧進帳の進行どおり。
(もちろん舞台の形状が違うので、演出、居所などは異なります。)

歌舞伎の舞台なら下手揚幕から舞台へとなるところを、
揚幕から橋掛かりを通っての富樫の出となります。
この『橋掛かり』は、歌舞伎の劇場の花道以上に、役者さんの技量が
くっきりと映し出されてしまうものだなぁ~と今回思いました。
歌舞伎座では、花外にも客席があり、花道に立つ役者さんは、その後景に
多数の観客の姿や(あるいは、視座によっては本舞台の様々なもの)
二階袖の飾りの提灯(笑)等々、空間の混沌をも背負って、その中で
自身の存在を際立たせていく感じですが、能舞台の橋掛かりでは、
余分なものは排斥され、一本の綱の上を、あるいは水面を、
一重のさざ波も立てず歩いていくかのような、
緊張と洗練が求められているように感じた。

16日初見の富樫の出は、そのあたり猿弥さんにしては、
きっぱりしておらず、袴の裾裁きも、もたつく印象。
(とくに中央から地謡座の前で向き直る辺りなど)
この配役が発表になってから、過去、猿弥さんが演じた
印象的な舞台~ワークショップでの吉野山の忠信や、
春秋座の杮落し@春秋三番叟での、技術の確かさや美しい所作、
白塗がなかなか映える様子などに想いを馳せ、
超二枚目のカッコいいこのお役を、非常に楽しみにしていたので、
ちょっと意外でした。(期待値のハードルも目一杯高かった!)
忠信の時がそうであったように、猿之助さんの演じ方なども
彷彿させるんだろうな~なんていう勝手な想い入れもあったり。

責務に忠実である心持ちから、義経一行に対する疑念、否、本物の
山伏であるかもしれないという畏れ、対峙・緊迫から緩和、
そして再度の疑惑(というより本当は確信なのだが。)
弁慶の誠に触れての、自身の忠節・大義との葛藤、決意(自決を含む)
など、移りゆく内面の振幅があまり、伝わってこなかった。
口幅ったい言い方だけど、
それこそ「序・破・急」のようなものが感じられず、
わりと、テンションが一定というかひと色だったような・・・
「計っている」(?)ようにも感じた。
普通に歌舞伎の舞台で勧進帳をすることとの。

右近さんの弁慶も、形はとてもきれいで良かったのですが、
何か、ひとまわり小さく見えたな~。
激してくると(←右近さんご自身は冷静な演技でしたが、
役の上で“激して”くる時ですね。)科白が巻き舌っぽくなり、
文言が不明瞭になってしまうのは、難点でした。

「山伏問答」は、かつての私にとっては、意味不明で
ここが分からないからつまらない、と思っていた部分ですが、
今では、この場での弁慶と富樫の拮抗が楽しみで、心奪われる場面です。
しかし、各々はそれなりにきっちり演ってはいても、
「問」「答」という交換/交感に乏しく、自分の座席の位置のせいかな~
とまで思ったり・・・。^^;

(中正面で前方で観ておりました。
ちょうど目付柱で、富樫と弁慶が分割されて見えてしまう。
17日の対談では、お客さまから、目付柱が邪魔、取って欲しい~
という意見を頂きましたが(笑)、お能では、これは非常に大切なもので、
面をつけると視野が極端に狭くなり、足元も見えないので
この柱を目印として、演者は距離、演技の位置を測るのです、
という説明がありました。)

お互い押しながら探りながら、というような何か迸るもの、
もちろん、それは、所作を大きくするとか、声を張るとか
そういうことではなくて・・・。何か、その部分で物足りなさを感じた
16日の舞台でした。

~続く~(またかいな(~_~;))



―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(1)

2005-08-23 00:20:43 | 歌舞伎
能舞台の構造1  サイト「能・狂言」参照

能舞台の構造2  サイト「能楽」参照

先月の歌舞伎鑑賞教室同様、解説があったことで、
より興味深く舞台を観ることが出来ました。
だいぶ日にちが経ってしまい、記憶が覚束無い部分もありますが
まずは、右近さんと亀井広忠さんの対談の様子をご紹介しますね。
(聞き手は中村暁氏←この舞台の企画者)
※16日と17日の内容が混在しております(^_^.)・・・たぶん。

広忠さん、右近さん、中村さんが切り戸口~歌舞伎の松羽目物の
舞台でも上手奥にある臆病口とも呼ばれる~出入り口をくぐって、
登場されました。広忠さん、右近さんは紋付袴で(中村氏はスーツ)
小さな戸口からの出入りも、さすがに綺麗な所作。
舞台で演じているとき以上に、こういう何気ない処で
「いいな~」と見惚れてしまいますね。これは退場のために、
再度くぐられる時に、より強く感じたのですが。
後ろ姿も隙がなくて。
常の歌舞伎の劇場だと、客席がざわついている事が多いけれど、
客席も静寂を保ち、ピーンと張り詰めた空気感の中、
端正で美しい所作に見惚れる束の間は、心地良い一瞬でした。

プロフィール紹介のあと、まずは広忠さんが、『安宅』『勧進帳』
に纏わるご自身のお話をされました。
かなりお小さい頃(学齢前?くらい)に、お能の『安宅』より先に、
歌舞伎の『勧進帳』を先代の尾上松禄さんの弁慶で観られたそうです。
この時は客席からの観劇で、二度目は黒御簾からご覧なったとの事。
どちらの舞台も、お祖父様にあたる十一世田中傳左衛門さんが立鼓を
打っておられたそうで、特に二度目の観劇の際は、
舞台で鼓を打ってらしたお祖父様が、幕が閉まるやいなや
黒御簾に駆け込んで、弁慶の飛び六法の立太鼓を打っていたお姿が、
とても強い印象として残っていらっしゃるとのことでした。

『安宅』では、子方で義経を演じられた経験がおありだそうです。
「実は、お能の『安宅』より、歌舞伎の『勧進帳』の方が好き!!」との
爆弾発言!?(笑)もあり、中村さんが思わず「ああ、言っちゃいますか~。」
と突っ込んでましたけど。能楽サイド(笑)として、
それを言っちゃっていいの?みたいな。
まあ、本日の演者や歌舞伎ファンへのリップサービス?も
あったのかもしれませんが、結構、本音っぽい(?)

能楽師が他のホールで演じたことは過去あっても、
能楽堂で歌舞伎役者が演じるというのは初めてで、
その試みに対しては非常に共感するという、ご発言もありました。
そして、能舞台と歌舞伎舞台の違いなどもお話になり、
単純に考察すると、小さい能舞台での方が声も音も軽く、
歌舞伎舞台での方が大きくと考えがちだけれども、実際は逆で、
狭く見える能舞台ほど強く、広く大きい舞台では気持ちは強く、
でも表現は軽やかに持っていくとの事でした。
そうしないと音が後方まで抜けていかないそうです。
これは、歌舞伎座や演舞場、明治座などでの経験を通じて体感されたそう。

狭い能舞台の『安宅』では、多勢の演者がひしめきあうことで厚みを持たせ
実際の舞台の大きさ以上の空間の広がりを得ようとし、
大きな舞台に(能よりは)少ない人数で演じる歌舞伎の『勧進帳』では、
長唄囃子に厚みを持たせた分、空間の余白を活かして、
役者の演技を際立たせようとした。このことにより、
能では力と緊張感で押し切る関破りの物語となり、
歌舞伎は人の情に焦点を当てた男同士の物語になったとのお話でした。

あ~かなり話しズレますが、日本を訪れた外国人に、
「日本のケーキ小さすぎ~ありえない!!皿ばかりデカイ」(超訳(^^))
と言われ、「余白の美!!」と苦し紛れに(ホントは私も、日本のケーキは
高くて小さい!!と思っとる)返しておりましたが、余白を活かすのは
日本の文化なんですね―(違くないか?>自分)
(しかしながら日本のケーキは世界一旨い!@当社比)

16日は、広忠さんも初めてご覧になるそうで、この能舞台をどう
使うのか楽しみ、との事でした。またお囃子の演奏が弟さんたちで
この際一緒に出て演奏されたら、と中村さんか右近さんが
おっしゃってましたが「弟たちに怒られます~」とご辞退されてました。
が、本当は共演されたかった!?

右近さんも、今回の上演にあたり、
能舞台からきたものを一度その舞台に返してみたい
また、先人(七代目団十郎)がこの演目を創った「志(こころざし)」を、
猿之助さんがよく用いられる「故人の求むるところを求むる」
との芭蕉の言葉に鑑み、
単に「勧進帳」という演目の型や演技を受け継ぐのではなく、
その創造の過程にあった想いをも汲み取って勉強したい
(意訳~ちょっと使われていた語彙は異なるかもしれません。)
というようなお話をされていました。

右近さんの真摯な想いは、非常に伝わってきましたね。
これまで、右近さんが一門の若手のリーダー的に、
色々なことに挑戦されるのを、ある種当然のようにというか、
自然に受け取っていましたが、猿之助さんが療養中で舞台に不在の今、
ヤマトタケル、鑑賞教室の四の切と澤瀉の象徴的な演目を担って
公演を勤め上げ、リーディングスペクタクルがあり、
そして、この勧進帳と、一見精力的に、でも、何か黙々と
勤めているようにも感じられ、その姿勢には非常に打たれました。


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