ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

スーパー歌舞伎関連『三国志』

2005-04-29 21:13:58 | スーパー歌舞伎
週刊文春の5月5日・12日ゴールデンウィーク特大号P138より

>「三国志」を中国出身の巨匠ジョン・ウー監督が08年の北京五輪に合わせ、
>映画化の準備をしている。「三国志」には膨大なストーリーがあるが、
>蜀の劉備・呉の孫権の連合軍が西暦208年、長江の赤壁で
>大国・魏を打ち破り、天下統一を打ち砕いた「赤壁の戦い」を描く。
>主演チョウ・ユンファが名軍師・諸葛孔明役に決まっているようだが、
>ほかにも豪華キャスティングが期待されそうだ。

数え切れないほど観た(ホントに途中で分からなくなってきたので
正確な観劇回数は不明(^_^.))、スーパー歌舞伎の『三国志』・・・
でも、どの舞台も一期一会と思うと、本当に、観ておいて良かった。
いろいろな劇場の、いろいろな季節の記憶が蘇ります。
と~っても小さな記事だったのですが、
劉備や孔明の名が思いがけず目に飛び込んできて、
なんだか、とても嬉しく懐かしかった。


*隣の頁には福助さんのコクーン「桜姫」の談話も。『東文章』の文字を
 取った狙いなど。

ヤマトタケル東京公演千秋楽記事

2005-04-25 23:59:54 | ヤマトタケル
スポーツニッポン
猿之助14カ月ぶり舞台に姿
サンケイスポーツ
感涙!悲鳴!大歓声!猿之助1年2ヶ月ぶり登場
中日スポーツ
「ヤマトタケル」千秋楽、猿之助カーテンコールに“特別出演”
スポーツ報知
猿之助元気です1年2か月ぶり“舞台”
デイリースポーツ
猿之助1年2カ月ぶり表舞台に

本日のヤマトタケル5<カーテンコールに猿之助さん!>

2005-04-24 23:55:23 | ヤマトタケル
本来なら、前楽や千秋楽の舞台についての記事を書く予定でしたが、
今日、4月24日の千秋楽のカーテンコールに、猿之助さんが登場して下さったことで、
感激と嬉しさのあまり、すべての記憶がぼやけてしまっている感じです。

でも、これがその刹那「世界で一番幸せなカーテンコール」であることは
帰宅した今も、肉体的実感として、心身に残っています。

昨年の、2月巡業の北海道千秋楽から一年二ヶ月。
あの雪の最中、本調子でない身体に鞭打つようにされて舞台に立たれた
猿之助さんの残像をずっと抱えつつ、
じっくりと療養して頂きたい気持ちと相反する、会えない寂しさもありました。
いつも、生活の中に猿之助さんの舞台があった日々が一転してしまった事の。

でも、今日、束の間の再会だけれど
猿之助さんは、存在されるだけで、私たちの喜びとなって下さると
つくづく実感いたしました。それは、過去共有した多くの舞台や時が
とてもとても幸福だったから。

ヤマトタケルを語りたい4

2005-04-20 00:30:18 | ヤマトタケル
猿之助さんには、当初、
玉三郎さんに兄姫・弟姫でご出演頂きたいとの希望があったのですよね。
また、みやず姫も、某御曹司に内定(?)していたようですが、兄姫・弟姫が
児太郎(現:福助)さんに決定後、「ウチの息子を児太郎さんより格下の役で
出演させる事は出来ない。」と、その方のお父上の判断により、
辞退されてしまった経緯も、後に、笑也さんが、みやず姫に抜擢されたことと絡めて、
よく製作秘話の一部として語られたりしていました。
もちろん、その方の実名を出されることはありませんでしたが。

それは、その方々を非難される、という事ではまったくなく、
何故、三階さんであった笑也さんを抜擢したのか?という件について
(結構、その抜擢が、思いがけず?大きな話題になってしまったので)
別に、意図的に話題づくりで抜擢したワケではなく、
こういう経緯があったとの説明の為だったのですが。

もし、玉三郎さんが出演を承諾されていたら、
また、某御曹司さんが、みやず姫を辞退されることがなかったら・・・
世の中には、いろんな「もし」があるけれど、
この「もし」が実現されていたら、今、
ヤマトタケルの舞台はどうなっていたのでしょうね。

七月歌舞伎座のこと

2005-04-19 17:14:49 | 歌舞伎
澤瀉一門の公演ではなく、今年、襲名興行で5月が使えない為、
例年の「團菊祭」を七月興行で、という話は、結構早い段階から聞いていましたが、
蜷川演出のシェークスピア作品というのは、意外でした。
もっとスタンダードな演目がかかるのかと思っていたので。

過去猿之助さんが、古典の新演出・復活通し狂言などで多くの試みをしていた時
それは、コクーン歌舞伎や、野田歌舞伎、そして今回掛るであろうシェークスピア
に比べれば、よほど、「古典」に倣っていたのではないかと思うのですが、
当時の“大”幹部さんたちからは、非常な反駁を買っていたんですよね。
これは私の個人的な意見ですが、単に「歌舞伎」「古典」に対する軸の違いの他に
当時、群を抜いて集客力のあった若き猿之助さんへの嫉妬も、
多分に含まれていたのではないかと思います。
もちろん、先の勘三郎さんや鴈治郎さんのように、
猿之助さんのいき方を支持して下さった方々もいらっしゃいましたが。

初演のヤマトタケルが大評判を取った時も、
(先の)勘三郎さんなどは観にいらして下さったそうですが、
ほとんどの当時の幹部さんは、実際舞台を観ることもなく
あれは歌舞伎ではない、と批判されていたとか。

時が流れて、今年七月、猿之助大歌舞伎以上に斬新と思われる演目がかかる事に
なんだか、少し複雑な思いを抱いてしまいました。

本日のヤマトタケル4

2005-04-15 00:21:12 | ヤマトタケル
本日(4月14日)の観劇の中で、とっても感動した事がありました。

アクシデントを殊更、言い立てるつもりではないのですが、
今日の昼の部の宙乗りの際、いざ吊り上げようとした瞬間、
段治郎さんの向きが反対になってしまったんですね。
(鳥屋ではなく舞台方向に向いて吊りあがってしまった)
絡んでいる風にも見えないし、何故向きが反転してしまったのか
よく分からなかったのですが、すぐ下げられ、黒衣が様子を見たあと、
また吊り上げられましたが、少し上がった段階で、再度向きが反対になり・・・

身体的に、とても危険があるような状況ではなかったのですが、
この一番のクライマックスでアクシデントに直面している事実が、
なんだか可哀相に思えてしまって、涙がこぼれて仕方なかった。
でも、客席から、ザザーっと拍手が沸き起こり、それが、とても暖かくて
「頑張って」に聞こえるような、あるいは、
「私たちは(この中断を)全然気にしてませんよ~、大変ね~」
と励ましを伝えているような感じというか・・・
二度目に下げた時に、やはり、すぐは直せないと判断されたようで、
段治郎さんの身体からワイヤーが外され、
即興?で所作をつけながら本舞台に戻りました。
舞台中央まで戻り正面に向き直った時、更に大きな拍手に包まれて・・・
その拍手の意味が強く感じられ、心から感動しました。

平日なので、コアなリピーターというよりは、
ほとんど、一般のお客様(満席で補助席ーたぶん立見もー出ている盛況)
だったと思いますが、劇場内の心がひとつになったように感じました。
皆、自身も拍手をしているのに、
多くの見知らぬ他人の拍手の暖かさに、何か心を打たれるような・・・
5分ほど芝居を止め(暗転となり)その間に大至急の確認が行われたようで、
三度目は無事、いつもの典雅な飛翔となりました。
(長袴の裾についているワイヤーに問題があったのか、
それは外されていましたが。)

幕が上がり、タケルが舞台中央から、花道に出て行き
「今、ひとたび、大空へ飛び立とうぞ」という台詞が加えられたことにより
さらに、演者と観客が『同じ時間を共有している』感が強まり
怪我の巧妙というか、いつもにも増して非常に親密な劇空間が生まれました。
(ちなみに、夜は、大過なく終わりました。ご安心下さい。)

本日のヤマトタケル3

2005-04-11 00:05:40 | ヤマトタケル
一ヶ月ぶりのかぶりつき観劇。
やっぱり、目前で役者さんの汗や涙、表情筋の動かし方まで堪能できるのは格別。
熊襲兄弟が方向転換のたびに裾で打ち上げる埃を被るのも
タケヒコの振る旗の風圧に煽られるのも、スモークで頭上を覆われるのも(笑)
ヤマトタケル報告白書にある猿之助さんの、初演時のコメントも可笑しくて
スモーク被るたびに思い出します!(^^)!

>それから煙のところですね。(中略)前列のお客さんがみなさん、これでしょう。
>(ハンカチや扇子で煙をあおぐゼスチャー)何だかやりにくいんですねえ。
>特に死ぬとこなんかで、パタパタ、ザワザワあおがれると・・・(笑)
>「ああ~、雲が来た・・・」 ザワザワザワ~。
>「私は天に昇ろうとしているのに・・・(ハッハッハッと喘ぎ、死にそうな表情)
>・・・お前たちはあおいでいるのかァ~・・・」とも言えませんので、
>黙って死んで参りますけれども(笑)。

さすがに私たちはあおぎませんけど、
今日も、能煩野ではタケルの顔が隠れてしまったり
走水でも結構きますが「煙がすごっ!」と体感しつつ観劇
これもまたなかなかおつなもの(?)という事でヽ(^。^)ノ

段治郎タケルの方が、見た目的には猿之助さんとは印象が違う、はずなのですが、
一幕の倭姫や弟姫らとの別れ、花道に立ち、本舞台に向き直って彼女らに手を振り
そして、再度、くるっと向き直るところや
二幕水底に沈んだ弟姫を呼ぶ姿ー手を小刻みに震わせながら上げていくところや
三幕雹に打たれる件りのあたり、微妙に猿之助さんに似る。
手の使い方が似るのかな~。ふとした表情からも漂う。凄く不思議。
謳凌の時もそうだったけれど・・・『学ぶは真似る』からすると当然ではあるのかも。

ヘンな言い方だけど、舞台を観ているとホント『ヤマトタケル』だな~、
ヤマトタケルの物語だな~とつくづく思う。
個々に観れば、それぞれの役どころというか為所もあるのだけれど
終始一貫として、タケルの切実さだけが浮かび上がってくる物語。

最初の台本が出来上がって来たときには、猿之助さんが梅原先生に、
女性はよく描けているけれど、タケル役が悪い、もたればっかり~
もっと(僕の役!)良く描いて~(←意訳(~o~))というやりとりもあったようですが。
タケルの短い生涯を彩る大掛かりな道具立てが揃っているけれど、終局のところ
物語の冒頭からそして最期まで、自分が何者であるかよく分からない
与えられた人生の前で、呆然としている・・・という感じを受ける。
英雄譚としてよりも、等身大の一人の人間としての親さを覚えるところが
タケルに凄く想い入れ出来る大きな理由のひとつかな~と思ったりもします。


本日のヤマトタケル2

2005-04-08 00:34:10 | ヤマトタケル
すでに3月で有給を使い果たし、4月もテキトーに(^_^.)休暇を入れている身としては、
この2ヶ月の公演で明日8日がたった一日のお休みかと思うと、申し訳けないくらいの
気持ちですが、本日返し楽(これはたまたま今日7日が代休だったため)
夜の部を観てきました。芝居のノリは、さほど大きく変化はしていなかったけれど、
右近さんの旗振りが、今まで私が観た中では、最大スピーディに廻っていました。
日々演じる中で、しっくり手に馴染んで来たのでしょうか。

段ちゃんタケルは、やっぱりナイーブで可愛い。(と言っては語弊があるでしょうか)
多くの愛を受けているのに、たった一点、父親からの愛や庇護を実感出来ないことが
彼を幼い少年のように見せる。
飛翔する姿も、物理的には大きいのだけれど、羽を下ろしてぷるぷると小刻みに震わ
す所作が、今初めて羽ばたくということを体験する、巣立ちを迎えた幼鳥のようで
また、キラキラと光る羽は、卵を割って出てきたばかりの濡れた雛鳥をも想像させ
苦難も多かった地上を生きたタケルが、今、天翔ける新たな命を受けての「誕生」の
意匠を強くする。別離というより、自由に解き放たれたもう一つの人生の始まり。

謡の詞章ですが、やっぱり√倭しうるはし~と√命の~の間に、今回も、文言が
挿入されていますが、ヒアリングできませんでした(^_^.)・・・
でも、今回の謡の方のほうがクリアに謡ってますね。

本当に短い休暇ですが、明日は舞台関係者の方々が、良い一日を過ごされる事を
心から願っています。

倭は国のまほろば

2005-04-04 23:20:25 | ヤマトタケル
倭は 國のまほろば たたなづく 青垣(あをかき)
  山隠(やまごも)れる 倭しうるはし
命の 全(また)けむ人は 疊薦(たたみこも)平郡(へぐり)の山の
  熊樫が葉を 髻華(うづ)に挿せ その子

ーーーー【古事記物語】口語訳:鈴木三重吉ーーーー

「あの青山に取りかこまれた、 美しい大和(やまと)が恋しい、
 併し、あゝ私(わし)は、 その恋しい土地へも、 帰りつくことは出来ない。
 命あるものは、これから凱旋(がいせん)して、 あの平群(へぐり)の山の、
 隠樫(くまがし)の葉を、 髪に飾つて祝ひ楽(たのし)めよ。」

日本電子文学図書館

ヤマトタケルを語りたい3

2005-04-04 20:04:16 | ヤマトタケル
98年の松竹座版も、95年の演舞場版や初演頃のものに比べると、
結構、変更点があったように(今にしてみると)思いますが、
松竹座猿★征の頃は、そのあたりの話題は、ファン同士であまり出なかった。

やっぱり、今、あの時はああだったこうだったと話したくなるのは(私に限らず)
猿之助さんが不在であるということと、音楽などが変更され、舞台が大きく
刷新されたせいかな~と思います。

初演時と相違する点のいくつかの一つが、兄姫・弟姫も児太郎(現:福助)さんが、
二役を勤められていたこと。当時注目され始めていた笑也さんが早替り等の場面で、
福助さんのダミーをされるのを目撃し、密かに(?)楽しんでおりました。
そして、友人の指摘があるまで、まったく忘れていましたが、
走水では、海上に不気味な人影が浮かび、タケルが今まで殺した人々~
熊襲兄弟やヤイレポ兄弟~の祟りで、海が荒れている、この嵐を鎮めるには
海の神に捧げ物をしなければならない、という設定。
筋書(86年秋再演版)によると、「熊襲兄弟の霊」に弥十郎さん、信二郎さん、
「ヤイレポ兄弟の霊」に吉弥(坂東)さん、段四郎さん、そして、更に
「怪物」という役名?で、笑三郎さんを含み6名の出演者の名前があります。
豪華メンバーな走水だったんですねー。

ここも、まったく記憶になかったのですが、
みやず姫の館の道具立ても、初演の舞台写真入りの筋書を見てみると大きく
変わっており、初演当時は、タケルとみやず姫の二人の踊りで、
盆廻しで舞台が転換していたのが、95年版から群舞になったようですね。

また、能煩野では、タケルは死ぬ前に兄姫とワカタケルに会っているんですよね。
以前のバージョンでは・・・・
死の直前、ひと目会えることと
会うことなく別れ行くこととどちらが、より辛いのでしょうか。

猿之助さんの夢

2005-04-01 01:19:54 | 歌舞伎
毎週木曜日は週刊文春の発売日。私の週末の「車内の友」となります。
4月7日号の、【阿川佐和子のこの人に会いたい】のゲストは
宮藤官九郎さんで、その中のコメントに
「七之助さんがインタビューで話していたのが名言だったんですよ。
 お父さんの(中村)勘三郎さんの言葉らしいんですけど
『型を知ってて壊せば型破りだけど、型を知らずに壊したら型無しだ。』って」
というものがありました。

これは猿之助さんが、ずっと昔、スーパー歌舞伎以前の
復活狂言、古典の仕立て直し、新演出などを試みていた時代から
おっしゃっていた言葉ですよね。”猿之助オリジナル”ではなく
またもっと別の先達の言葉かもしれませんが、
猿之助さんが歌舞伎界の異端児だ、正統ではない等々、逆風を浴びながら
自身の信念と夢を抱え、演劇活動を行っていく中で、
古典とは何か、伝統とは何かを語る時、よくおっしゃっていた言葉。

昨年末の勘九郎さんとしての最終公演の筋書の中でも
夢の力みたいな文言があったように記憶しています。

平成中村座やコクーン歌舞伎、野田版など
勘三郎さんも多くのチャレンジをされる方なので、
何か通底するものを、持っていらっしゃるのかもしれませんね。
過去、猿之助さんが、ひとり歩いて来られた道が
また、更に広い多くの人が歩く道へと繋がっていくのでしょうか。

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