ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

週刊誌の謎

2013-04-06 12:30:40 | 歌舞伎
転居したり、もろもろの手続きしたり、ネットも利用方法を変更したりと
そうでなくても、ここのところ観劇記なども書けないでいたのに
ますます、放置ですみませんでした。昨夜、ネット開通。
コメント欄の公開やレスも今頃でスミマセン~。
こんなんなのに、訪問してくれる方がいらして嬉しいです。ありがとう。

御園座のこともきちんとアップできてないのに
いきなりこんなタイトルで申し訳けないですが、
移転先近くのコンビニで食料買出しに行ったついでに
週刊誌コーナーに立ち寄ってみたら・・・
私はふだん週刊文春の愛読者なのですが
同じ木曜発売の女性セブンや週刊新潮なんかも
パラパラめくってみることがあるんですね。

週刊新潮なんて、熟年向けのある程度節度ある記事を書いているのかと
思っていたら・・・
やっぱり売れるためにはセンセーショナルな内容が必要なのでしょうか?

途中、ほとんど観れない時期があったとはいえ、
初めておもだかの舞台を観たのは85年12月。
翌86年がスーパー歌舞伎初演の年。
もちろん、もっともっと古いご贔屓さんもたくさんおられますが
私もかれこれ4半世紀以上になります。

後援会にも所属し、役者さんたちのお話を直接に間接に伺ったり
接する機会も多かった。メディアのインタビューのように
公に向けて発言したものではないから、web上では公表できない
(と自分基準で判断している)ことがほとんどですが
今回の、四代目猿之助さんが段四郎さんをないがしろにしているようなこと
また、三代目の離婚についても、散々書かれているけれど
一方的に、三代目が妻子を捨てて家を出て行ってしまったように
伝えられていることなど、偏った報道が多すぎです。


身近におもだか一門のことを見てきた人たちには
週刊誌なんて相手にすることない、事実はひとつなのだからー
と、逆にこうして取り上げることの方が稚拙な行為じゃないかと
と思われてしまうかもしれませんが、
ここのところの歌舞伎界の様々なニュース、取り上げられ方で
新たに興味・関心を持たれた方には、もしかしたら
そういうものなのか?
との刷り込みがされてしまうかもしれないと危惧もあり。

スーパー歌舞伎とかヤマトタケルで
拙ブログも検索されることが、また六月に向けてあるとしたら
そして、訪問して下さった方が、この記事を書いた意味を
多少なりとも汲み取って下さることがあれば・・・

段四郎さんとは、一年に一度、「亀治郎の会」でお話しする機会があったり
そのときはいつでも「孝彦が孝彦が(良くやっている)」でした。
段四郎さんのお芝居が良かったことについて伝えていたとしても。

亀治郎さんが一門を離れたことも
ご本人が各メディアでその理由を回答していたし
また、今回の襲名も自ら望んだことではなく、三代目たっての願いであったこと。

新潮の記事の内容の意味がまったく分かりません。

大昔の三代目の離婚のときも
子供の母親(とその家族?)のことをあれこれ言うようなことはできないと
ひとことも、三代目からは説明も弁解もしなかった。

藤間紫さんの著書によると、行く場所のなくなった猿之助さんを
紫派のマンションへ住めるようにして差し上げただけで
不倫とかそういう関係ではなかったような記述です。
(後には結婚されましたが)
当時、ご子息の文彦さんも住んでおられ
内弟子の方も出入りするようなお家で、合宿のように生活していたとか?

私の知ることも、また古い方々からの「伝聞」に過ぎないかもしれませんが
各雑誌のニュースソースは、どこにあるのでしょうか?

昨夜、中村屋の特集番組を見て、勘三郎さんの様々な新しい試みを反芻しつつ
やっぱり、三代目のことも過ぎりました。

歌舞伎の手法満載な「スーパー歌舞伎」でさえ、あれは歌舞伎でないと言われた時代。
復活通し狂言の数々。早替わり、宙乗りを誹謗されつつも定着させた功績。
実は、それは「古典回帰」であったのに。

出自は関係ないと多くの梨園の家系でない子や
研修所卒業生を育てていった三代目が、
中車さん團子ちゃんを受け入れていくことは
それは、やっぱり別の意味での「古典回帰」なのかな~とも。

三代目、そして四代目については、まず
本人の著書やインタビューを是非、読んで欲しいと思います。


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