ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
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―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(1)

2005-08-23 00:20:43 | 歌舞伎
能舞台の構造1  サイト「能・狂言」参照

能舞台の構造2  サイト「能楽」参照

先月の歌舞伎鑑賞教室同様、解説があったことで、
より興味深く舞台を観ることが出来ました。
だいぶ日にちが経ってしまい、記憶が覚束無い部分もありますが
まずは、右近さんと亀井広忠さんの対談の様子をご紹介しますね。
(聞き手は中村暁氏←この舞台の企画者)
※16日と17日の内容が混在しております(^_^.)・・・たぶん。

広忠さん、右近さん、中村さんが切り戸口~歌舞伎の松羽目物の
舞台でも上手奥にある臆病口とも呼ばれる~出入り口をくぐって、
登場されました。広忠さん、右近さんは紋付袴で(中村氏はスーツ)
小さな戸口からの出入りも、さすがに綺麗な所作。
舞台で演じているとき以上に、こういう何気ない処で
「いいな~」と見惚れてしまいますね。これは退場のために、
再度くぐられる時に、より強く感じたのですが。
後ろ姿も隙がなくて。
常の歌舞伎の劇場だと、客席がざわついている事が多いけれど、
客席も静寂を保ち、ピーンと張り詰めた空気感の中、
端正で美しい所作に見惚れる束の間は、心地良い一瞬でした。

プロフィール紹介のあと、まずは広忠さんが、『安宅』『勧進帳』
に纏わるご自身のお話をされました。
かなりお小さい頃(学齢前?くらい)に、お能の『安宅』より先に、
歌舞伎の『勧進帳』を先代の尾上松禄さんの弁慶で観られたそうです。
この時は客席からの観劇で、二度目は黒御簾からご覧なったとの事。
どちらの舞台も、お祖父様にあたる十一世田中傳左衛門さんが立鼓を
打っておられたそうで、特に二度目の観劇の際は、
舞台で鼓を打ってらしたお祖父様が、幕が閉まるやいなや
黒御簾に駆け込んで、弁慶の飛び六法の立太鼓を打っていたお姿が、
とても強い印象として残っていらっしゃるとのことでした。

『安宅』では、子方で義経を演じられた経験がおありだそうです。
「実は、お能の『安宅』より、歌舞伎の『勧進帳』の方が好き!!」との
爆弾発言!?(笑)もあり、中村さんが思わず「ああ、言っちゃいますか~。」
と突っ込んでましたけど。能楽サイド(笑)として、
それを言っちゃっていいの?みたいな。
まあ、本日の演者や歌舞伎ファンへのリップサービス?も
あったのかもしれませんが、結構、本音っぽい(?)

能楽師が他のホールで演じたことは過去あっても、
能楽堂で歌舞伎役者が演じるというのは初めてで、
その試みに対しては非常に共感するという、ご発言もありました。
そして、能舞台と歌舞伎舞台の違いなどもお話になり、
単純に考察すると、小さい能舞台での方が声も音も軽く、
歌舞伎舞台での方が大きくと考えがちだけれども、実際は逆で、
狭く見える能舞台ほど強く、広く大きい舞台では気持ちは強く、
でも表現は軽やかに持っていくとの事でした。
そうしないと音が後方まで抜けていかないそうです。
これは、歌舞伎座や演舞場、明治座などでの経験を通じて体感されたそう。

狭い能舞台の『安宅』では、多勢の演者がひしめきあうことで厚みを持たせ
実際の舞台の大きさ以上の空間の広がりを得ようとし、
大きな舞台に(能よりは)少ない人数で演じる歌舞伎の『勧進帳』では、
長唄囃子に厚みを持たせた分、空間の余白を活かして、
役者の演技を際立たせようとした。このことにより、
能では力と緊張感で押し切る関破りの物語となり、
歌舞伎は人の情に焦点を当てた男同士の物語になったとのお話でした。

あ~かなり話しズレますが、日本を訪れた外国人に、
「日本のケーキ小さすぎ~ありえない!!皿ばかりデカイ」(超訳(^^))
と言われ、「余白の美!!」と苦し紛れに(ホントは私も、日本のケーキは
高くて小さい!!と思っとる)返しておりましたが、余白を活かすのは
日本の文化なんですね―(違くないか?>自分)
(しかしながら日本のケーキは世界一旨い!@当社比)

16日は、広忠さんも初めてご覧になるそうで、この能舞台をどう
使うのか楽しみ、との事でした。またお囃子の演奏が弟さんたちで
この際一緒に出て演奏されたら、と中村さんか右近さんが
おっしゃってましたが「弟たちに怒られます~」とご辞退されてました。
が、本当は共演されたかった!?

右近さんも、今回の上演にあたり、
能舞台からきたものを一度その舞台に返してみたい
また、先人(七代目団十郎)がこの演目を創った「志(こころざし)」を、
猿之助さんがよく用いられる「故人の求むるところを求むる」
との芭蕉の言葉に鑑み、
単に「勧進帳」という演目の型や演技を受け継ぐのではなく、
その創造の過程にあった想いをも汲み取って勉強したい
(意訳~ちょっと使われていた語彙は異なるかもしれません。)
というようなお話をされていました。

右近さんの真摯な想いは、非常に伝わってきましたね。
これまで、右近さんが一門の若手のリーダー的に、
色々なことに挑戦されるのを、ある種当然のようにというか、
自然に受け取っていましたが、猿之助さんが療養中で舞台に不在の今、
ヤマトタケル、鑑賞教室の四の切と澤瀉の象徴的な演目を担って
公演を勤め上げ、リーディングスペクタクルがあり、
そして、この勧進帳と、一見精力的に、でも、何か黙々と
勤めているようにも感じられ、その姿勢には非常に打たれました。


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