ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

―火樹会―能舞台でみる歌舞伎 第一巻 【勧進帳】(4)

2005-08-29 21:22:06 | 歌舞伎
10日以上経ってしまっているので、鮮明でない記憶を頼りに
アレコレ書くのもどうかな~と思いつつ観劇記(4)です(~_~;)
先に書ききれなかった事など。

結局16日は、「(すごーく)良かった!!」という
舞台を観たとき感じる大満足感には欠け、
でも、ここがこう(すごーく)悪かった、と
なにか決定的なものがあったワケでもなく、
なんとなくすっきりしない気分を抱えて帰路につきました。

一方、やや厳しい言い方になってしまうかもしれませんが
以前、内輪的にやっていた一門の勉強会「待春会」とか
あるいは「翔の会」と異なり、同じ勉強会とは銘打っても
この金額の切符代で、それなりに「興行」という色彩も強い公演では、
求められる期待値は高くなる事も強く意識して欲しいな~と思います。
(番卒&四天王に抜擢の若手の皆さん、更に頑張って!!)

で、翌日の17日は、
「昨日と違う!!(前夜より良い!!)」←弁慶×富樫の気迫
という印象を、富樫の橋掛かりの出から感じたんですね。
それが、なんなのか、具体的に表現するのは難しいのですが、
何か、ぐっとこちらに伝わってくるものがある、という感じ。

観劇後は、未見だったり、遠方だったりする友人達に
「観劇報告メール」をする事も多いのですが、16日は、

>今日はもひとつ伝わってくるものが
>役者さんから発散されてなかったなー

という内容を送り、またブログにも

>なにか、役者さんたちから放出されるものがあまり感じられず

と書かせて頂きましたが、これらの文言を読んだ、
ご自身も舞台に立たれる知人から、
「演じてて何かを放出する…ってどうすればいいんでしょうね?」
とメールが来て・・・

これは、なんなんでしょうね・・・単なる主観かもしれないし
何か、普遍的に美しいもの、素晴らしいものがあって
それに触れた時、その交感の中で生まれる
何物かなのかもしれない。

細かいことを言えば、初見より二回目の方が、ちょっとした事でも
目に付きやすくはなるので、先の記事に書いたように
弁慶が義経を打擲するときに、ふだん(少なくとも私が過去観た
勧進帳の範囲では)ありえないほど、大きな音がたってしまったり、
番卒の猿若さんが、富樫の前に三方を差し出す時も、
やはりガシャっと音を立てたりと
ううむ…(ーー;)という部分はあったのですが、
でも、全体の芝居の印象としては、17日の方が良かった。

当然個人的な印象ではあるのですが、
偶然、16日・17日夜と買っていた友人も同様の事を
口にしていたし、伝聞ですが、両日とも昼夜観たという方の
コメントでも、16日の昼よりは夜、そして翌日17日と
だんだん舞台が良くなっていった(のを目の当たりにされた)
そうですから、あながち、完全に自分個人の主観だけでもないのかな~と。

1回の経験よりは、2回、2回よりは3回と
経験値があがっていけば、手に入ってくるのは当然だろう、
という見方もありますが、何かそれだけではない
「慣れてきた」だけではない、何ものかも作用していたような・・・
(と、結局、抽象的な自分の感覚だけを述べてるだけで
 ここがどう、こう、という具体論が明記出来ずスミマセン。。。)

いづれにしても、試行と企画には、心から拍手

さて、週末、数年ほかしておいたカードの更新で、地元の図書館に
立ち寄った際、『団十郎と勧進帳』小坂井澄著(講談社刊)を借りて
きました。今回のプログラムにある右近さんの

>その時代時代で能・狂言に取材し歌舞伎の舞台
>を花開かせようとした先人たちの熱い思いや高い志に
>少しでも触れさせて頂き、その創造性を学んでゆくことが、
>この会の主旨につながるのではと思い立ちました。

の言葉を読まなかったら、たぶん、借りることも
(というか図書館で歌舞伎本コーナーに行くことも)
なかったでしょう。ご存知の方もいらっしゃるかとは
思いますが、後日あらためてご紹介したいと思います。

【追記】 ちょうど亀治郎の会、火樹会と観たあとだったので、
     昨夜は、NHKを遅くまで観てしまいました。
     富十郎さんの『船弁慶』と(弁慶:吉右衛門・義経:梅玉さん)
     @古典芸能鑑賞会&
     『勧進帳』松本白鸚さんの弁慶、当代のお祖父様の松本松禄さんの富樫
     @芸能花舞台

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