『団十郎と勧進帳』小坂井澄著(講談社刊)は
大まかに、ご紹介すると、七代目団十郎
(「勧進帳」上演当時は、まだ10歳の長男に 団十郎の名を譲り、
自らは初代団十郎の幼名海老蔵の五代目を名乗っていた。)
が、現在私たちが観るような「勧進帳」を初演してから、
九代目団十郎がこの演目で天覧芝居に至るまでの、
それぞれの時代の「団十郎」の苦難と挑戦を、史実に基づき描いたものです。
現在“歌舞伎十八番”と言われるものが、どう生まれ完成されていったか
当時の観客は、歌舞伎を、勧進帳を、どう観ていたのか等々、
なかなか興味深い構成でした。
要約する能力がないので(~_~;)本編冒頭を引用し、ご紹介致します。
市井の歌舞伎ファンとしては、この先の展開が知りたくなりませんか?
研究書っぽくなく、ドラマチックな語り口が私には読み易く、
一気に読んでしまいました。
>今回の「勧進帳」はあらゆる面でまことに画期的な作品であった。
>これまでの歌舞伎の常識を破っていた。
>柝の音もなく、定式幕がするすると引かれていく始まり方からして、
>そうである。前評判につられて河原崎座に詰めかけた見物客が
>息を呑んだのは、目の前にあらわれた舞台である。
>たいていの芝居には欠かせぬ大道具のようなものは、何もない。
>長唄囃子連中が下手から出てきて、正面の緋毛氈の雛壇に居並ぶだけ。
>さらに、大きな老松を描いた羽目板の背景が、人々の目を奪う。
>能舞台の鏡板を模したものなのだが、当時、能を見るのは武士の特権
>であったから、ほとんどの見物客はそれと知らなかったであろう
>「なんでえ、こりゃあ。」あっけにとられた江戸っ子が多かった。
今や、典型的な歌舞伎の一演目として私たちが観るものの創成期!!
この頃はすでに、廻り舞台が発明されてから八十年余。
これが大いに駆使されるようになり、加えて早替りや宙乗りといったけれんも
さまざまに試みられていた、歌舞伎が極彩色の花を咲かせ、絢爛から爛熟
爛熟から退廃の美へと向かっていた時代、とも説明されています。
>歌舞伎歴代の名優たちも、大別すると
>“創造者”と“表現者”とに分かれるであろう。
>たとえば、三世、五世、六世の尾上菊五郎や
>七世、九世の市川團十郎などのように
>創造作品を残した人たちは
>“創造者”と呼んでいいだろう。
と猿之助さんは記しています。
そういう先人たちに倣い、
創造者たらんと念じて、
“創造・再創造・新演出”を試み続けてきた、とも。
演劇評論家・渡辺保先生の「勧進帳」と
いう本もこの方らしい鋭い感性で執筆
されています。
保先生はね~澤瀉屋には厳しいというか
揶揄的な劇評が多かったので、
どうよ?とかねがね思っていたのですが
何年か前のNHKのレクチャー(無料)
を聞きにいって、その「おたく」ぶりに
大笑いさせてもらいました。
そして、そのハマリっぷり、方向性違っても、
他人事とは思えなかったです(爆)
また、何かあったら聴講したい♪