ヤマトタケルの夢 

―三代目市川猿之助丈の創る世界との邂逅―
★歌舞伎・スーパー歌舞伎・その他の舞台★

団十郎と勧進帳

2005-08-30 20:31:46 | 歌舞伎

『団十郎と勧進帳』小坂井澄著(講談社刊)は
大まかに、ご紹介すると、七代目団十郎
(「勧進帳」上演当時は、まだ10歳の長男に 団十郎の名を譲り、
自らは初代団十郎の幼名海老蔵の五代目を名乗っていた。)
が、現在私たちが観るような「勧進帳」を初演してから、
九代目団十郎がこの演目で天覧芝居に至るまでの、
それぞれの時代の「団十郎」の苦難と挑戦を、史実に基づき描いたものです。

現在“歌舞伎十八番”と言われるものが、どう生まれ完成されていったか
当時の観客は、歌舞伎を、勧進帳を、どう観ていたのか等々、
なかなか興味深い構成でした。
要約する能力がないので(~_~;)本編冒頭を引用し、ご紹介致します。
市井の歌舞伎ファンとしては、この先の展開が知りたくなりませんか?
研究書っぽくなく、ドラマチックな語り口が私には読み易く、
一気に読んでしまいました。

>今回の「勧進帳」はあらゆる面でまことに画期的な作品であった。
>これまでの歌舞伎の常識を破っていた。
>柝の音もなく、定式幕がするすると引かれていく始まり方からして、
>そうである。前評判につられて河原崎座に詰めかけた見物客が
>息を呑んだのは、目の前にあらわれた舞台である。
>たいていの芝居には欠かせぬ大道具のようなものは、何もない。
>長唄囃子連中が下手から出てきて、正面の緋毛氈の雛壇に居並ぶだけ。
>さらに、大きな老松を描いた羽目板の背景が、人々の目を奪う。
>能舞台の鏡板を模したものなのだが、当時、能を見るのは武士の特権
>であったから、ほとんどの見物客はそれと知らなかったであろう
>「なんでえ、こりゃあ。」あっけにとられた江戸っ子が多かった。

今や、典型的な歌舞伎の一演目として私たちが観るものの創成期!!

この頃はすでに、廻り舞台が発明されてから八十年余。
これが大いに駆使されるようになり、加えて早替りや宙乗りといったけれんも
さまざまに試みられていた、歌舞伎が極彩色の花を咲かせ、絢爛から爛熟
爛熟から退廃の美へと向かっていた時代、とも説明されています。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ものつくりノート (yaya)
2005-08-30 23:01:57
スーパー歌舞伎ものつくりノートのまえがきで中で



>歌舞伎歴代の名優たちも、大別すると

>“創造者”と“表現者”とに分かれるであろう。

>たとえば、三世、五世、六世の尾上菊五郎や

>七世、九世の市川團十郎などのように

>創造作品を残した人たちは

>“創造者”と呼んでいいだろう。



と猿之助さんは記しています。

そういう先人たちに倣い、

創造者たらんと念じて、

“創造・再創造・新演出”を試み続けてきた、とも。
返信する
保センセの本 (ei)
2005-08-31 11:06:34
どこの新書か、忘れてしまいましたが、

演劇評論家・渡辺保先生の「勧進帳」と

いう本もこの方らしい鋭い感性で執筆

されています。
返信する
保センセ(笑) (yaya)
2005-08-31 21:52:18
eiさんこんばんわ。



保先生はね~澤瀉屋には厳しいというか

揶揄的な劇評が多かったので、

どうよ?とかねがね思っていたのですが

何年か前のNHKのレクチャー(無料)

を聞きにいって、その「おたく」ぶりに

大笑いさせてもらいました。



そして、そのハマリっぷり、方向性違っても、

他人事とは思えなかったです(爆)

また、何かあったら聴講したい♪
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