平清盛を知る 第2回
紘一郎雑記張
平清盛誕生(出生)の謎
平清盛は伊勢平氏の棟梁・平忠盛(ただもり)の嫡子とされるが、白河上皇の御落胤(ごらくいん)説もある。また母親は祇園女御(ぎおんのにょうご)もしくはその妹という説があり出自は必ずしもはっきりしていない。
■源平盛衰記
「平家物語」の異本の一つ「源平盛衰記(せいすいき)」で、白河上皇が褒美として平忠盛に自分の胤を身籠っている祇園女御を下げ渡し、そして忠盛の妻となってから生まれた男子が平清盛である、と書かれているところから、御落胤説が流布したとされる。
■仏舎利相承系図
「胡宮(このみや)神社文書」の中の「仏舎利相承系図(ぶっしゃりそうじょうけいず)」にも「源平盛衰記」と似たような記述があり、祇園女御ではなく、その妹(白河上皇の胤を身籠っている)を平忠盛に下げ渡して生まれたのが平清盛となっている。そして妹が没したため、姉の祇園女御が、甥である清盛を準養子として育てたといった内容の記述がある。
白河上皇の御落胤説は「源平盛衰記」と「仏舎利相承系図」のなかの記述が根拠とされるが、「源平盛衰記」の史料的価値は全くないとされる。「仏舎利相承系図」の評価は専門家によって意見が分かれるようだ。
※祇園女御(ぎおんのにょうご)
祇園とは京都の八坂神社(京都市東山区)の周辺のことで、女御は天皇や上皇の身辺を世話する女性の呼び名である。白河上皇は祇園に邸宅を造り、そこに愛人を住まわせた。そして白河上皇の寵愛を得たことから、いつしか祇園女御と呼ばれるようになったとされる。
続く・・・