大東亜戦争の真実 第4回
紘一郎雑記張
前回より
離日したレーリングは、
「我々が負けていたら、確実に戦犯に問われていただろう」と
米国空軍カ―チス・ルメイ少将は、無差別爆撃による日本の焦土化作戦をを発案し指揮し、日本の「木と紙でできた家屋」を効率よく破壊延焼する
専用焼夷弾を開発、民間都市への無差別爆撃により50万人以上の
婦女子や赤ちゃんに至るまで焼き殺した。
※東京裁判の最も罪が重いC戦犯相当――
戦勝国民ゆえ裁かれることは無かった!
昭和39年日本政府から「勲一等旭日大綬章」の受勲を画策したのは
当時の防衛庁長官だった小泉純也で、これの親授が憲法で規定されてる昭和天皇は、在位中唯一の憲法違反を犯し、ルメイへの拒否をしたと言われている。
W.O.ダグラス(米国連邦最高裁判所の裁判官)の1949年6月27日の
意見書、1948年11月、東京裁判被告の米国最高裁判所への
再審請求について「極東軍事裁判所は、裁判所の設立者から法を
与えられたのであり、申立人の権利を国際法に基づいて審査できる
自由かつ独立の裁判所では無かった。パール判事が述べたように
同裁判所は司法的な法廷では無かった。
それは政治権力の道具にすぎなかった」と。
同時にウイリアム・シーボルト(GHQ外交局長、対日米国政治顧問)は、「本能的に私は、全体として裁判をやったこと自体が誤りであったと感じた、当時の国際法に照らして犯罪では無かったような行為のために、勝者が敗者を裁判するというような理論には私は賛成できなかった」とも述べている。大東亜戦争の真実・第4回 この項終り