紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

萩を飛び出す!吉田松陰の”行動力” 【第4部】 紘一郎雑記張

2011-04-30 04:56:02 | Weblog

吉田松陰の”志” 今の日本に必要な男達【第4部】 紘一郎雑記張

松陰らしい律儀な理由で「藩からの通行手形」なしで
東北の視察に行きました。

手形のない旅は脱藩としてみられ、
萩では大騒ぎとなりました。

藩主・毛利敬親は一度の失敗で松陰を処罰したくありませんが、
他の藩士の手前、松陰から長州藩士の籍を取り上げ、
代わりに10年間の諸国遊歴の許可を」与えたのです。



萩よさらば!

松陰は喜んで萩を飛び出し、江戸へと向かいました、
嘉永6年「1853年」5月のことです。

ところが6月になって、とんでもない事件が起きました。
アメリカのペリー提督が黒船4隻を率いて、浦賀に
やってきて、日本に開国を求めたのです。


この時の有名な狂歌があります

泰平の 眠りをさます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず

しかしペリーが突然現れたのではありません。
幕府はオランダ経由の情報で誰がどんな船で
来るかは1年前から知っていました。

でも、何の対策も考えていませんでした。

それも、訳があって、今までもアメリカを含めて
イギリスなど、いくつかの国が開国を求めて来ましたが
その都度断るとそのまま帰ってくれたのです。
だから、今度もそうしようと思っていたのです。

しかしペリーは帰らないばかりか、江戸湾奥深く入り込み
空砲を打ったり、江戸湾の測量を始めたりしたのです





つまり幕府が断れない様に脅してきたのでした。

そこで、即答出来ないから翌年来てくれと
ペリーをいったん帰しました。


7ヶ月後、安政元年1月にペリーは7隻の艦隊で
再び日本にやってきました。

幕府はもう断れません。

3月3日ついに「日米和親条約」を締結しました。
開国への道を踏み出したのでした。

しかしこれは貿易の条約ではなく、函館と下田の港を
開き、アメリカが開門したいと言えば開門させ
アメリカの漂流民がいたら日本が保護するといったものでした。

松陰は最初、幕府はこんな屈辱的な条約は断ると思っていたようです。

しかし、あっけなく屈してしまったのを見て幕府に失望しました。

それでも「なんとかしなければ」と思い、
又、この無礼な態度のアメリカはどんな国だろう、
そのうち戦争になる前に見てみたいと思い
密航を企てるのでした。 そして決意しました。


松陰黒船へ・・続きは第5部に投稿


































菅総理よ学べ!松陰の”志”と”行動力 【第3部】 紘一郎雑記張

2011-04-29 04:45:05 | Weblog

菅総理よ学べ!吉田松陰の”志”と”行動力”【第3部】 紘一郎雑記張

「何とかしなければ」と脱藩! 東北へ


松陰は熱心に勉強して11歳の時、当主の”毛利敬親公”の
御前で武教全書という山鹿流の兵学書を講義しています。

殿様のいわゆる家庭教師である。

普通に思うと11歳は塾に通うなり家庭教師を
依頼する年代ですが”松陰”は11歳で家庭教師になったのです。

この時”敬親公”は23歳で”松蔭”の講義に感動し
その後、たびたび呼んで講義を受けているのです。

殿様の前で講義をしなければならないので、
さらに勉強して”松陰”の力もどんどん伸びていき、
やがて殿様は松蔭の弟子になったのです。

36万9千石の藩主である殿様が、僅か26石ほどの
下級武士の子供を師と仰いだのです。

11歳で講義をした”松陰”が偉いのか、素直に講義を受けた
”23歳の殿様”が偉いのか、どちらも凄く偉いと思いますね。

幕末から維新に活躍する若者が長州に多くいた事は
この殿様”毛利敬親”がいたのが大きい原因でしょう。



敬親公銅像

その様に神童と呼ばれた松陰でしたが20歳になるまでは
長州から外に出た事はありませんでした。

そして21歳のとき半年間、九州を旅しました。

長崎の平戸には50日間も滞在しています
そこには「山鹿万介」や「葉山左内」といった学者がいて
海外の情報を載せた書物たくさん持っていたのです。

そんな中で中国でおきた「アヘン戦争」の
情報に衝撃を受けたのです。

イギリスが中国に戦争を仕掛け、打ち負かして
中国を、半ば植民地のような状態にしてしまった、という
詳しい情報を知ったからです。

このころは自分で歩き回って情報を集める事が大事でした。
それを松陰は「飛耳長目」と呼んでいます・


のちに【ただ、情報を集めるだけではダメで行動を起こせ】
松陰は自覚し門弟達に言っています。

22歳になった松陰は、次は江戸へ向かっています。
色々な学者のところに入門いたしましたが、
松蔭の心を動かす先生になかなか巡りあえていません。

しかし友人は多く出来ました。
なかでも親しくしたのが、熊本から来ていた「宮部胤蔵」ですが
この宮部は、後に池田屋騒動で新撰組に狙われ命を落しました。

ロシア艦隊が津軽海峡に、我が物顔で往来している、
の情報を聞き、その宮部と共に松陰は、日本の
東北の防備を見に行くことにし、東北旅行を決めました。

私たちは「何とかして欲しい」と思うところを
松陰は「何とかしなければ」と考えるのですね。


黒船

これはある意味で「武士道」なのでしょう
天下国家の一大事が起きたら、想定外の事が起きたら
真っ先に行動を起こし、あえて火中の栗を拾う事が
子供の頃から教え込まれていたのです。


さあ、問題のペリーのアメリカ黒船がやってきました
続きは第4部にて投稿致します



紘一郎雑記帳

松陰先生の好きな言葉がある

「学問をする眼目は、
 自己を磨き自己を確立することにある」

本を読んでいても、人と話していると
     (お、おぉ~~・・・)
     (あぁ~・・そうかぁ・・・)
     と、非常に感銘を受けることがあります。

その時こそ、心が深まり、自己が確立されている、
     と私は思います。

     








吉田松陰の”志” 今の政治家に必要な”心”【第2部】 紘一郎雑記張

2011-04-28 04:43:59 | Weblog

吉田松陰の”志” 今の政治家に必要な心【第2部】 紘一郎雑記張

【勉強は天下国家の為にする!】
吉田松陰先生は通称寅次郎と言われていました。

萩市では松陰先生と”先生”をつけて呼ぶことに
なっているそうですが、これからの投稿記事は
松陰で失礼させて戴きます。




松陰は天保元年(1830年)に杉家という下級武士の
次男坊として生まれました。

養子先が”吉田家”で5歳の時に仮養子に入り
6歳のときに当主が亡くなり、家督を継ぎました。

吉田家は山鹿流の兵学者の家柄でした。
松陰は家督を継いだ以上、向いていようがいまいが
将来、学者にならなければいけないのです。

松陰は明倫館に通わず、スパルタ教育を受けました
教育に最も熱心だったのは、実の叔父である
「玉木文之進」とう先生でした。

ある夏の日の事です。
幼い松陰と文之進先生が本を読んでいるとき、
虫が松蔭の頬に止まりました。

本を読みながら、何気なく松陰が
手で虫を追い払いました。

すると文之進先生は烈火のごとく怒り、
殴る蹴るのすさまじいせっかんをしたのです。

松陰が泣き喚いても止めてくれないのです。


文之進先生も変った先生で、彼なりの理由があったのです

それは、松陰がやっている学問は松蔭の為に
やっているのではなく、将来、藩のため、日本のため
天下国家に役立てる為の勉強であり、”公”の仕事なのだ!

虫が止まって痒いのは私事である、
「お前は、虫をはらうのは”公私混同!”だというのです。


凄い考えと思うが、現代の我々もハッとさせられますね


「なぜ、勉強をするのか?」と問われると
「勉強をして良い学校に進めて、良い企業に就職したり、
資格をとったり、良いくらしが出来るから・・」
などと、答える人が多いですよね。

つまり「私・自分」の為に勉強をしているのです。

しかし吉田松陰が教えられた勉強の意味は
「将来、勉強した事を天下国家に役立てる」
と言う意味でありました。

「天下国家のため」を「社会の為」に置き換えると
すんなり理解できると感じます。

「将来、社会の一員となったときに、社会の為に役立てる人間に
なるために今のうちに、一生懸命勉強しておきなさい」と
説き教える大人が今の世に少ない、と反省しますね。



松陰先生、藩主の家庭教師になる! 
続きは第3部にて明日投稿予定





紘一郎雑記帳

萩市の明倫小学校で「松陰先生の言葉朗唱」が
1年生1学期から行われている。

入学早々に朗唱する

【今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 
人と成りにし 道を踏めかし】


これは、この松陰先生が5歳の時の詩と思いますがどうでしょうか?

松陰先生は今も萩市で活き続けています。

























松陰と晋作の”志” 今の日本に必要な男達 【第1部】 紘一郎雑記張

2011-04-27 05:06:08 | Weblog

吉田松陰と高杉晋作の”志” 
今の日本に必要な男達 紘一郎雑記張


一坂太郎氏講演録を参照させて頂きました

【明治維新のエネエルギーは経済力と人材育成】

山口県は江戸時代、長州藩と呼ばれていた。
一つの藩がまったく割れず、欠けず、明治以降の
一つの県になったのは珍しく、他にあまり例が無い。

長州藩は毛利氏が治め、石高は「36万9千石」であった。

毛利を中国一の藩にした毛利元就の孫の毛利輝元は
1600年の関ヶ原の戦いで、西軍に担ぎ出され
徳川家康と対峙して破れ、敗軍の将となり
一夜にして大幅に領土を減らされのです。




それが「いつかは取り返すぞ!」の精神力を
260年以上も持ち続けたました。

そして維新の原動力になったのが経済力でした。
平野の少ない土地を利用して開発された特産品が
4つで、米・塩・ろう・和紙の白い色のものだけで
「長州4白」と呼ばれていたのです。


多くを大阪など上方の市場で販売し大きな利益をえていました。

又、本州の西端に押し込まれた地の利を活かし
下関を通る「北前船」を相手に倉庫業や金融業をを行い
あるいは物品を買い上げ上方で売るなどして経済力をつけ
幕末時には100万石以上の実力を持っていました。

従って武器弾薬、軍艦などは豊富に有りました。


さらに、一番肝心なのが「教育」でした
「人材育成」に物凄く力を入れたのです。

長州藩は何度もの危機を乗り越えたのは
国を支えている「人」であるいという考えが強くあり
教育に最大の”力”を入れたのです。

藩校の「明倫館」は江戸時代の終わり頃には
250ほどの諸侯が藩校を持っていましたが
「萩の明倫館」は12番目に出来たと言われています。

文武両道の大変な設備を備えた凄い藩校でしたが、一定の
身分のある武士の子弟しか学べなかったのです。

そこからが長州藩の素晴らしいところです。
「明倫館」で学んだ武士たちが、自分の領土に帰り
郷校や私塾をつくり、自分の家来や庄屋の子息などに
教育を施したのです。


その私塾の中の一つに「松下村塾」があったのです。

さらにその「郷校」や「私塾」で学んだ人達が「寺小屋」を
開き一般の子供たちを教育したのです。

幕末のころ、長州藩(今の・山口県)に1400の
寺小屋がありましたが、現在の山口県の
コンビニの数が430ほどらしいので、コンビニの3倍の
寺小屋があったことになります。

この様に明倫館を」軸にして教育の裾野が
大きく広がったのです。


”人材”という言葉は長州の古文書の中にたくさん出てきて
人を育てて国づくりをする、という気風が有りました。

それを象徴するのが「吉田松陰」です。

【世の人は よしあしごとも いわばいえ 
   賤(しず)が真は神ぞ知るらん】
・松陰先生

さあ、これかは「松陰先生」のことを話します。

続きは「第2部(明日)」投稿致します。













震災に対して私が今すぐすべき事! 自分の命のために 【2部】

2011-04-26 04:52:33 | Weblog
震災に対して今すぐ、すべき事 自分の命のために 【2部】
  紘一郎雑記帳

大変重要で、今日のセミナーの研修課題でもあるのです。



平成23年?月?日
南海地震が9,0で発生し津波が予測されると警報が出ました。

津波は3~5Mの高さぐらいで紀淡海峡に入り、
大阪湾で8~10Mの高さとなり
尼崎や西宮、大阪湾岸に到達する津波の高さは数十Mも
充分予測されるのです。


今までの町の避難場所は「地震対策」だけの避難対象で
津波は想定していません。

近くの公園や広場、校庭などは津波には無力です
かえって危険です。 行かないで下さい

どうされますか! 
東日本の事例で考えると地震発生から
早ければ20分後には津波がきます。


まず、近くの高いところに避難しますね
30M以上の小高い山や丘、ビルなら4階ぐらいです。


今それを、確保されていますか?
橋を渡らなくて行ける、そして歩いて20分以内の場所です。
橋を渡っているとき橋ごと流された人も多くいます。

車は絶対ダメです。 
今回ではっきり判りました。
車に頼った人はほとんど犠牲者となりました。

上の条件に合う避難場所を自分で確保しておきましょう。
自分と家族を守るために。

今日の参加者は企業関係の方が、沢山いらっしゃいますので
企業の対策もお話しましょう


ビルにある企業の方は、自社ビルであれば「4階」を
避難階にしてください。 

地震で外に出るのも4階ならそう負担になりません
4階なら津波も大丈夫でしょう。

そしてその4階に「地震商品」の一式
「水・電池・蝋燭・トイレ用品・食料・毛布・」などを
常備品として保管しておくことも安心です。

自社ビルでなければ「ビル会社」に依頼しておくべきでしょう。

会社が「3階」までのところは、近くの高いビルの会社と
契約しておくことも大切なのです。


勤務している個人は地震になれば、机の下に身を隠しますが
机の下に「灯り(懐中電気)」を貼り付けるなどの工夫が要ります
停電が一番困る原因でした。

携帯電話はいつも持っていますが電池のスペアを
一つ持っていることも大事です。

避難所の皆様に聞いたところ、震災で一番必要と
感じたものの中に「灯り・携帯・水」が3本柱でした。

その3点があれば何とか命は助かります。

大切なのはその事を絶えず、ご家族に伝えておく事です。
家族が安心するのです。

同じ事を家庭でもしておきましょう
この「地震最重要品」をいつも手元に置き
地震と津波に耐える、近くの小高い場所か
ビルの4階を確認して置きましょう。

他にも多くの事がありますが、最低限、この事だけは
実行して下さい。 自分が生きる為です。


続きは、次の機会にお話いたします

紘一郎雑記帳

それにしてもこの災害の重要な場面に日本は
政治のリーダーに恵まれていません。

日本が大きく変革できるチャンスでもあるのです。

あの明治維新を成し遂げた素晴しい維新リーダーの中で
まず「吉田松陰先生」は何を思い何をされたのか
その足跡を追ってみます。
そして現代のリーダーたちと比較してみましょう

明日から連続して「松陰の志」を投稿いたします!


私が今すぐ出来る・震災対策 専門家の声「1部」 紘一郎雑記帳

2011-04-25 04:56:13 | Weblog

【私が今すぐ出来る震災対策 専門家の声 1部 紘一郎雑記帳】

東日本大震災から45日少しづつ判ってきたことがある

震災問題の講師である防災死「山口泰信氏」には
東北の被災地から帰阪されて、すぐ、19日に講演をして頂き
福井幸男氏には5日に講演を、又、松田浩太氏には
直接、被災地の実情をお聞きし、ますます、
この災害の重大さと悲惨さを痛感しているところです。

テレビなどマスコミで見えない物や事、公開できない事実を
お聞きして、見せてもらい、人間の弱さや身勝手さ、
その場主義の感覚の横着さを曝け出しているのです。

山口講師より3分の異なった「2つの映像」みせて貰いました。

津波が押し寄せてきて「家・車・樹木」そして
走り回る人々までを簡単に飲み込んでいく様子でした。

津波が足元まで押し寄せている高台からの映像でした。


山口氏、二つの映像がどこの映像か判りますか?

少し、新聞の記事を拾ってみよう

警察庁は19日、東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島県の
死亡者の死因と年代別の状況をまとめた。

死因別では水死が約9割を占め、年齢が判明している死亡者では
60歳以上が6割を超えた。

【釜石の男性が記録】津波、静寂、街が消えた

警察庁によると、地震が起きた3月11日から
4月11日までに収容した遺体は1万3154人で、
このうち1万1026人の身元が確認されている。

 検視が終わった1万3135人について分析したところ、
死因別では水死が1万2143人(92.5%)で大半を占めた。

岩手県は87.3%、宮城県は95.7%、
福島県は87.0%で、なかでも宮城県の津波による
被害の甚大さを示している。

 以上が震災40日後の20日の新聞報道一部である。

これから判断すると地震自体で亡くなった方は
比較的少なく、津波によって水死された方が
92・5%と圧倒的に多いのである。


逆に言えば、地震で亡くなったかたには、大変申し訳ないですが
津波の対策をしっかりしておけば、命を落とされる方は
大いに防げたことになるのです。


先ほどの映像の話の戻りましよう。

この2つの映像は全く違うものなのです。

昼と夜の違いはお分かりでしょうが
津波被災の場所も時も違うのです。

始めの映像は1993年7月12日の北海道奥尻島の
津波被害の映像なのです。

二回目の映像は今回の津波の映像です。
場所は北海度と三陸海岸、時は18年も経過しています。

なのに全く判らないほど類似した映像なのです。
私たち奥尻島津波被害から何を学んだのでしょう
この「18年間」なにをしていたのでしょう。

この東日本震災と同じ津波が他の場所にも必ず来るのです。

来月か来年か、3年後か、今回と同じく18年後か、
もっと先か判りませんが来るのです。

想定外のことが起きるのです。
そのとき貴方はどうしますか?

大変重要で、今日のセミナーの研修課題でもあるのです。


続きは明日「第2部」にて投稿いたします

紘一郎雑記帳

ボランティア活動・義捐金・・など
多くの被災者支援の方法はありますが
被災者の方々が一番望んでいることは
こんな悲惨なことに二度とならないように
何も無いときに平穏な時にあらゆる準備をしておいてください

「このような状態にならないために」と
いう声を多く聞きました。

後からでは遅いのです。
今のうちに震災対策をしてください。
今すぐ出来ることがあります。

それを明日の投稿記事をお目通し下さいませ。










日本の政治と経済 村田晃嗣氏講演会より 紘一郎雑記張「第5部」

2011-04-24 05:43:46 | Weblog
日本の政治と経済 村田晃嗣氏講演会より「第5部」
紘一郎雑記張 「2011年1月後半講演会」
震災等で投稿が遅れて申し訳御座いません



村田 晃嗣(むらた こうじ、1964年7月13日 - )は、
兵庫県神戸市出身の国際政治学者、同志社大学法学部教授。
専攻はアメリカ外交、安全保障政策の研究。


村田氏
「グローバリゼーション」と「ナショナリズム」は
一見、相反する流れのようですが、共通点の
落とし穴があります。「単純化」です。

グローバリゼーションは人間と文化を、すべて
数字に還元してしまうシステムです。

数字で収益が上がればいいという事です。
だから、世界で通用するのですね。

ナショナリズムはすべてを国籍の問題にしてしまいます

人間には、本来さまざまな属性があり”顔”があり
アイディンティティー(存在意識)があるのに
それを無視して、日本人だ、韓国人だ、という
国籍の問題に摩り替えてしまう。

世界と人間が複雑であるという現実に反発して
単純に理解したいという人間の弱さの現われなのです。

どちらも根っこは同じなのです。

今の私たちに必要な物は、複雑なことは複雑なこととして
受け入れる勇気では無いでしょうか

多様性を認め、国でも大企業でもない、地元の
コミュニティーを復活させることが大事でしょう。

多様な地方自治を実現しお年寄りや子供たちを育む
コミニティを回復させることですね。

日本は世界第2位の経済大国ではなくなり、
2030年には中国のGDPは日本の4倍になる計算もあります。

しかし、本来予測はあたりません。
20年前、日本のGDPはアメリカを抜いているなどと
予測しいたことも事実なのです。

本来予測は、今現在の我々の期待や不安などの心理状態を
反映しているからです。


未来予測の中では人口予測は比較的外れません

日本の人口は2050年には1億に減ります。
アメリカは今の3億が4億に増えます、
ですから中長期的にみればアメリカは絶対に没落しないのです。

少子高齢化は中国にも確実にやってきます。
その大混乱に巻き込まれないように、日本は今から
長期的に準備をする必要があるのです。

そのためには我々が生き延びる「地方自治」や
「コミニティ」を確立することです。

すると「官僚知事・タレント知事・アナウンサー市長」で
まともな地方行政出来るのでしょうか。

少なくとも我々は地方自治に無関心で人気投票をしていては
ダメということでしょう。

国民がもっと自己主張出来るようになるべきです。

我々に「独立精神」が求められているのです。

菅民主党内閣がだらしないのは
「国民」がだらし無いからです。


江戸時代から幕末の方が今よりもっと地方分権的でした。

日本中の城下町が、それぞれの地場産業を持ち
地元の文化が有りました。

そして、その多元化な世界が人材育成の土壌となり
多くの人物を生み出したのです。

地方自治と人材の育成。 そのためには多様性の育成が
不可欠で、これこそが日本が抱える長期的な課題では
無いでしょうか。

村田 晃嗣氏 講演録終わり










日本の政治と経済「第4部」 村田晃嗣氏講演会より 紘一郎雑記張

2011-04-23 04:47:32 | Weblog
日本の政治と経済「第4部」 村田晃嗣氏講演会より
 紘一郎雑記張 「2011年1月後半講演会」
震災等で投稿が遅れて申し訳御座いません



村田 晃嗣(むらた こうじ、1964年7月13日 - )は、
兵庫県神戸市出身の国際政治学者、同志社大学法学部教授。
専攻はアメリカ外交、安全保障政策の研究。


村田氏
日本国内でも2012年は大事なそして大変な年です。

2007年を思い出しましょう
団塊の世代のうち60歳を迎える人たちが、一斉に
退職し年金受給生活を始めるので、慌てて65歳まで延長し
5年間繰越となりましたね。

つまり、2007年問題がそのまま、2012年問題となるのです。
来年は待ったなしで団塊世代の大量退職が始まるのです

これに日本の企業や経済がどれだけ耐えるのでしょう。

国内外で大変動が起きている中で、日本の政治と経済が
どこまで、安定し、取り戻せるかが中期的課題です。

2012年は本当に重要な年で希望のある年にすべきです。

希望というのは「金持ちになりたい」と言うような
個人的な欲望とは違い、もつと普遍的な社会全体の
善や正義につながるものであるべきでしょう

それが実現するのを待っているだけでは希望ではありません
我々一人一人が積極的に働きかけ、我々自身で準備する事が大事です。

これからは「アナスエスペランス・希望」の為に準備と覚悟が必要です

経済で言えば、消費税の議論をこれ以上先送りできません
TPPの問題も同じことです。

今年の前半は無理でも少しでも早く本格的議論をすべきです。
そしてガタガタの日米関係を立て直す事が大切です。


過去、30年で中国経済は90倍に膨れ上がりました。
米国と中国の力の差がどんどん縮小していく、
韓国と日本の力の差も縮小しています。

韓国の人口規模は日本の3割ですが、アメリカに留学している
韓国人留学生は、日本よりはるかに多いのです。

東アジアにおける二つの力関係の物理的変化を前にして
我々日本外交が目指すべきことは1つです。

日米韓の協力関係を進めるべきなのです。
これはどんなことが有っても必要ですし可能です。

日本も韓国も単独では中国に対抗できませんが。

今の韓国の若者は生まれた時から豊で、民主的で
成熟した消費社会で育ってきています。

若者の価値観は日本の若者とかわりません。
そして、日韓両国ともアメリカをパートナーとしています。

アメリカと中国の力関係が接近している以上、アメリカも
日韓の協力が必要なのです。

世界で対話を進めるうえで、不可欠なのは
日本の若者の英語りょくです。

アジアで国際交流するのに「なぜ英語か」というと
どの国にとっても母国語では無いからです。

中国語に席巻されないためにも、我々が対等に国際交流を
進めるためにも、英語で交流できるようにしておくことが大切なのです。

世界中でグローバリゼーションが煤も一方で、
ナショナリズムも蔓延っています。


一見、相反する様な流れですが、共通の落とし穴があります。

それは「単純化」です。

続きは「第5部」にて投稿予定













 オバマ・ヒラリー 変わる世界のリーダー・村田晃嗣氏講演録 【第3部】

2011-04-22 04:45:42 | Weblog
オバマ・ヒラリー 変わる世界のリーダー・村田晃嗣氏講演録 【第3部】

村田 晃嗣氏が語るアメリカとオバマ&ヒラリー
紘一郎雑記張「2011年1月後半講演会」《第3部》
震災などで投稿が遅れました。

村田 晃嗣(むらた こうじ、1964年7月13日 - )は、
兵庫県神戸市出身の国際政治学者、同志社大学法学部教授。
専攻はアメリカ外交、安全保障政策の研究。


村田氏

オバマ大統領とヒラリー国務長官、いぜれにしても、
来年11月までは、政治も何もかも「大統領選挙」を、
中心に動くので、中国が空母を作ろうが、北朝鮮が
不穏な動きをしようが、抜本的な対策を打ち出せず
アメリカは小手先で対応するだけでしょう。

アメリカの「2012年」はどんどん内向きになっていくでしょう。

現職が負けるかもしれないという大統領選挙です。
ただ、不幸中の幸いは、野党の共和党に有力な
候補者がいないことです。

前アラスカ州知事で共和党の副大統領候補だった
「サラ・ペイリン」という元気のいい女性候補がいますが
この人は過激で言動が面白いけど、アメリカを託し
世界をリードできる人物ではないと思います。

私の友人に言わせると、アメリカの「田中真紀子」だそうです。

内閣や大統領の支持率というのは、大きく変動するのが
先進国の特徴です。

アメリカでは1960年代、共和党の支持者が4割で
民主党も支持者も4割でした。

いまは、共和党も民主党も3割で、つまり浮動票が
2割から4割に増えたのです。

この4割がどちらに流れるかですべてが変わるのです。

バリバリの保守の人に人気のあるような候補者には
浮動票は流れないのです。

逆に歩道層に支持されるような人には、バリバリの
保守の人たちに敬遠され、難しいのです。

2012年にもしかすると「オバマ大統領」は
再選されない可能性も大いにあります。


そして2012年には中国では確実に政権交代が行われます。
胡 錦濤国家主席が引退して習近平副主席が政権をとります。

米中二つの大国で政権交代がある可能性があります。


それだけではありません。
ロシアでも2012年に大統領選挙があり、現職の
「メドヴェージェフ」が再選されるのか、
プーチンがカンバックするのかが分りません。

又、お隣の韓国でも大統領選挙があります。
韓国は一期5年の人気で再選はありませんので
李明博大統領は確実に退任します。

次の大統領が李明博大統領の様に、日本や米国の
関係を大事にしてくれるどうかは大問題なのです。

結果によっては東アジアの情勢は大きく変わって参ります。

さらに台湾でも総統選挙があります。

2012年は国際政治上、いかに大きな年であるかが
お判り戴けるものと思います。


ところが、じつは、まだあるのです。
北朝鮮が2012年に
「金日成生誕百年を祝って強盛大国の門戸を開く」
と、言っています。

今年の前半に3度目の核実験をするのは
確かで目が離せません。

日本は安保理の「非常任理事国」でしたが、今年で
メンバーから外れます。
日本の外交官たちは、惨めな思いをしているのです。
情報が入ってこないのです。
他国の参加者から新聞記者の様に聞きに行かなければ
成らないのです。
【こんな、大切な国際状況の時にです・・】

さあ「日本国内」はもっと大変です!

続きは「第4部」で投稿致します。


































【第2部】村田 晃嗣氏が語るアメリカとオバマ&ヒラリー 紘一郎雑記張

2011-04-21 04:46:07 | Weblog
安田紘一郎雑記帳【第2部】
村田 晃嗣氏が語るアメリカとオバマ&ヒラリー
紘一郎雑記張「2011年1月後半講演会」の講演録です

2月投稿予定が政局不安と震災で遅れての投稿となりました
お詫び申し上げます。

村田 晃嗣(むらた こうじ、1964年7月13日 - )は、
兵庫県神戸市出身の国際政治学者、同志社大学法学部教授。
専攻はアメリカ外交、安全保障政策の研究。



村田氏

基本的に菅総理と民主党内閣は、余程の事が無い限り
解散はしないでしょう。

確実に「負け」ますから・・・

自民党も小泉・安倍・福田・麻生の4内閣にまたがって
衆議院の4年の任期をギリギリまで粘りました。

自民党がやった事、民主党にもやれるわけです。

菅がダメでも、岡田・野田・前原などでつないで行き
2013年の任期一杯、引っ張れば良いからです。


最も考えられるシナリオは「2013年」衆参同一選挙でしょう。

そうして見ると「今年の統一選挙」は物凄く大切になりますね。

なぜならこのままいけば「2013年」まで、民意を示せる
大きな選挙はこの統一選挙だけだからです。

負け方によると民主党はさらに苦しくなり、衆議院を
解散しにくくなるということです。

消費税率の引きあげについては「菅内閣」は辞任に繋がると
いけないので「6月」からの論戦にしましたし、
TPPの加盟にしても「6月」以降に先送りしました。

つまり今年の前半の日本の政治と経済は引き続き
アナスホリピリスであるのです。


アメリカは来年「2012年」11月に大統領選挙が行われます。
来年のアメリカの失業率は8,6%にまで改善している、との
試算も出ております。 

ところが、過去の統計に見る限り、大統領選挙のある月の
失業率が8%を超えていて現職の大統領が再選した例はなく
単純にいうと「オバマ大統領」は負けそうなのです。

そこで民主党の一部では、まだ人気のある「ヒラリークリントン」を
副大統領にして「オバマ&ヒラリー」のゴールデンコンビで
大統領選挙を乗り切ろうという動きが出ています。

しかし「ヒラリー」が本当に狙っているのは
オバマ大統領の後の大統領であり、それは2016年になります。

そのとき「ヒラリー」は69歳になっおり、過去の歴史上
最も最高齢の大統領「ロナルソ・レーガン大統領」で
69歳と349日、あと2週間で70歳になるときでした。

ヒラリーはレーガンと年齢で肩を並べると言うファクターが
どれほどマイナスに働くかを考えているでしょう。

今、彼女が一番望んでいるポストは「国防長官」です。
今までアメリカの歴史の中で、米軍の指揮をとる国防長官に
女性がなったことが無いからです。

国務長官と国防長官を経験した女性政治家として
「2016年」の大統領選挙に臨む野望が見えます。

しかし、来年の大統領選挙でオバマが再選される可能性は低くて
逆に1年限りで敗れてしまう可能性の方が高いでしょう。

さあ!どうする「ヒラリー」
来年 どうなるのかアメリカは! 
続きは第3部にて明日以降に順次投稿いたします。