紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

今年のプロ野球「井関 真氏講演会」より ・紘一郎雑記帳

2009-03-29 10:05:51 | Weblog
3月25日(水)【講演会・今年のプロ野球】より
「講師・井関真氏・・日刊スポーツ解説委員」

まず、昨日「日本国中」が燃え上がった「WBC」の話題からお話いたします。

実はこの「講演会」を主宰の「安田紘一郎氏」と昨年12月に
打ち合わせをさせて頂いた際、21年3月24日にWBCの結果が出るので、
その、明くる日の「25日」に「プロ野球開幕予想」と併せて
講演をする事になった訳です。

その時点では、日本が強いとは思っていましたが、優勝する
可能性は半々と予想していました。

それは、米国チームがどんな陣容(一流選手の出場の可能性?)になるか、
韓国の陣容(大リーグ選手は出るのか、日本で活躍中の巨人の李選手は)などが
どうなるのかが判らない事が多々あったからです。

結果的には「侍ジャパン」にとっては、米国も本気のチーム作りではなく
比較的、戦いやすい形であった様に感じています。

優勝の功績はまず「原監督」の手腕を挙げなければなりません。
「3番バッタータイプ」を多く集めたチームで変幻自在な打線を組み、
機動力を活かした攻撃や「選手起用」がずばり当たりました。

これは今までの「4番バッター」を中心に打線を組む攻撃方法に対して
今後の野球にある程度新しい指針を、明示したことになるような気もします。

今一つは「ダルビッシュ投手」を抑えに登用したことでしょう。
関西の阪神フアンとしてはなぜ「藤川投手」を起用しなかっのか、
不満もありますが一発勝負、勝てば官軍の勝負の世界です。
これで良かったのでしょう。

最後に「韓国チーム」について話せば素晴らしいチームでした。

韓国チーム選手の「総年俸は5億円強」で、対する日本チームの総年俸は
韓国チーム合計の17倍の年俸を稼いでいる選手の集まりでした。
年俸のの対比は「17対1」なのです
そこだけを見れば勝って「当たり前の戦い」であったわけです。


さて今年の「プロ野球」はパリーグは、昨年日本一優勝の「西武」から
最下位の「ソフトバンク」までどこが優勝してもおかしくない
団子レースが予想され、面白いペナントレースになります。
予想困難!「怪我やアクシデント」が大きく左右するでしょう。

セリーグは「巨人」が戦力的には頭一つ抜け出しており
「巨人中心」のペナンとレース展開は変わらない思います。

さて「真弓新監督」を迎えた我がタイガースを予測すれば、
まず先発投手が質、量共に大きな不安材料です。
若手の中から最低2人がローテーションに入り勝ち星を
稼ぐことが絶対に必要なのです。

次に心配材料は捕手です。矢野捕手に続く人材を育てるには、
誰か決めた若手の捕手を使い続ける事も大切な事です。


真弓新監督は「柳川商高」から「電電九州」を経て
1972年に「ドラフト3位」で九州のプロ野球チームに入団しました。

73年当時2軍にいて平和台球場で昼間練習をしていた真弓選手を
ナイターの試合に備え球場に来て、
遠くからその練習風景を見ていた当時【南海ホークス】の
【野村監督(現楽天)】が
【あの外野で練習している小柄な選手は良い選手やなー・うちにトレード出来んか?】と
その素質をひと目で認めた話があるほど、「才能」と「運動能力」は
秀でた物があったとの事です。「真弓選手」は2年後その素質を開花させます。
 
その持ち前の感の良さと能力を発揮して、よい選手を育て強いチームに
成長させてくれることに期待する今年のタイガースです。

まずクライマックス出場を第一目標に頑張って貰いましょう。
優勝はそこからついてきます。


安田紘一郎 感想

今年は平成21年、平成になってから一回も優勝(日本一)していないチームが
3チームありますが【”広島”とチーム結成4年の”楽天”と”阪神”】です。

気がつけばいつの間にか我がタイガースはセ・パ両リーグの
弱小球団になってしまいました。
「真弓新監督」宜しくお願い致します!

安田紘一郎雑記帳「小沢一郎氏は逃げ切る?」講演録より

2009-03-21 11:06:06 | Weblog
大貫啓行氏「麗澤大学教授・企業倫理研究センター研究員」講演会より
 大貫氏略歴 東大法学部卒、警察庁国際部長、外務省在北京一等書記官、
 内閣情報調査室国際部、防衛庁調査一課長 など歴任

大貫氏 講演

本日は「経営者に欠かせない若者への理解」の演題を戴きましたので、
現在、大学で若者について感じたこと、問題点、若者らしい素晴らしい点などを
お話し皆様の経営のご参考になればと思ってまいりましたが
私のキャリアから「西松建設問題」について話せとの
主催者からのご注文が御座いましたので少々お話を申しあげます。

「漆間 巌・官房副長官」は警察で私の「2級後輩」になります。

漆間君は少し記憶力が悪くなった様ですが(笑い)もともと、
あまり記憶力の良い人は官房副長官にはなれないのです(笑い)。

あの発言を振り返りますと警察と検察は以外にも
仲が悪い面があり警察はそんなに検察から情報は入らないのです。

私の経験から考えますとニュースになった様な
「西松建設問題」での「国策捜査」はありえないと思います。

さて「小沢一郎氏」は結論からいいますと逃げ切る公算が大きいでしょう。

この問題に関して「小沢氏が”指示をしたり””命令したり””懇願したり”
”脅したり”した事実の証拠は出てこないでしょう。

検察も、その様な状況の中での「小沢氏」には手が出せないと思うからです。

しかし「大久保 隆規秘書容疑者」は間違いなく送検されます。
検察は確かな証拠を持っているからこそ逮捕したのですから・・

問題は「大久保秘書送検」で「小沢氏」がどうするかです。
そもそも、政治家にとって「秘書」は一心同体なのです。

その認識が「小沢氏」に残って(?)いるかが問われます。

民主党内での「反小沢勢力」の動き、一方自民党には選挙の場合は
「小沢党首」の方が戦いやすいとの思惑もありどうなるかわかりませんが、
その後の展開に一番大きく影響するなが世論なのです。

その世論を左右する影響力のあるマスコミの報道も見逃せません。
そして以外にも「小沢氏」は逃げ切る公算が大きいのです。

「馬鹿・麻生自民の殿様」に一票を入れるか、「悪人・小沢民主悪代官」に
一票を入れるか、そんな選択を我々国民がする時が
9月までにやって来る可能性がかなりの確立で残っている事も事実なのです。

政局は予想以上に流動的で、それ以外の展開もあり、
目を離さずに国民が見続けることが最も大切ではないでしょうか。

大貫氏講演前半より

尚、本題の「若者への理解に」つきましては後日投稿いたします。


安田紘一郎 感想  命は何番ですか?

今の政治家をみると「経済が大切」「暮らしが一番」「年金問題」
「雇用問題」企業には「雇用調整助成金」など
全てお金に関わる事案ばかりが、政治の具となっている様です。

「国民の命」「志」「国家」「教育」などは政治の2・3番手になっています。

これは投票する我々に問題があり、目先の贅沢に目が眩んでいませんか?
「経済優先」「暮らしが一番」の自民と民主両党に聞きます。
【命】は何番ですか!

吉田松陰先生 講演 一坂太郎先生

2009-03-15 09:52:03 | Weblog
今回の投稿は、
今年は「吉田松陰先生没150年(安政の大獄1869年)」にあたり
「一坂太郎先生(作家・萩特別学会員)」の
「松蔭と晋作の志」の講演会の中よりまとめてみました。


吉田松蔭先生

「松蔭」は11歳のとき「藩主・毛利敬親公(23歳)」の
御前で「武教全書」という「山鹿流の兵学書」を講義している。

現在の家庭教師である。
講義に感動した「殿様」はその後もたびたび「松蔭」に教えを請うている。

「天才松蔭」も凄いが「下級武士の子供で(しかも11歳)」の
講義を素直に聴きいれた「殿様・敬親公」も素晴らしい人物であった事が、
幕末に活躍した若者の中に多くの長州人が生まれた源なのでしょう。


長州の背景

長州藩の古文書の中に人材という言葉が多く出てくるが、
人を育てて国づくりをするという風土と気風の中で「松蔭」は誕生した。

藩をあげて人材育成に力をいれ「藩校明倫館(12番めに古い)」は
文武両方に秀でて、そこで学んだ武士が郷に帰り「塾」や「私塾」を開いた。

更に「塾」で学んだ人が村に帰り「寺小屋」を開いた。
その数が長州藩内に1400校(全国で2000校)もあり、
長州人は大半が「読み書き」が出来たといわれている。


勉強は天下国家の為にするもの

松蔭の教育の師は主に伯父の「玉木文乃進」のスパルタ教育であった。

或る時、本を読んでいる「松蔭少年(6歳)」の頬に”蚊”が止まったので
「松蔭」は手で追い払った。

それを見た「文乃進」はひどく叱りつけ
「お前が勉強をしているのは松蔭自身の為ではない、
広く【日本や世界の為、天下国家の為に】に学んでいるのだ。 
だからお前の勉強は「公」であり、「蚊を追い払う」のは私事である、
公私を一緒にするな!


松下村塾の凄さの3点

1)松蔭が主宰した期間はいくつかの説はあるが、
長くても2年と少しの期間である。
教育は長くやれば良いものではない

2)塾舎は雨風を凌げるだけのボロボロ小屋であった。
物置小屋を改装しただけの18畳ほどの広さであった。
そこに30数名の塾生には狭く貧弱な塾舎を思えば、
教育とは「設備」でもなく「ゆとり教育」でもない

3)殆どの塾生が近所(1キロ以内)の、しかも貧しい家庭の子供たちで、
現在の進学校のように広くから生徒を集めた訳ではないのです。

そんな環境のなかで「高杉晋作」「久坂玄随」「寺嶋忠三郎」など
維新を見ずに散った塾生を代表に、
明治で活躍した「前原一誠」「山田顕義」「伊藤博文」ほか
時代をリードした多くの人材を送り出している。


安田紘一郎 感想

その原因を探せば「松蔭」がまず、自分でやってみせる先生であった。
危ないと感じたことは、実際に自分で「体当たり的に行動する生き方」に
感受性の強い少年たちの心に響いたのであろう。
「松蔭」は塾生を教育・教化したのではなく塾生を「感化」したのでしょう。

先生の言葉「人賢愚あるといえども。各々一つや二つの才能なきはなし、
綜合して大成する時は必ず全備する所あらん」は
松蔭の教育の基本は誰でも必ず長所があり何かをもっている。

この松蔭先生の教育方針はこれからの時代にはとても大切な事だと思いました。
先生没150年にあたり、自分を振り返り「未熟」を痛感しました。

安田紘一郎雑紀帳「コックピットから見た人生」講演録

2009-03-08 10:27:16 | Weblog
乙訓昭法氏「元・全日空機長」講演録より

※「コッピットから見た人生」

●フヮーストクラスを利用して下さい!

飛行機の初めは「フヮーストクラス」です。
それだけでは効率が悪いので、座席を半分にして
「ビジネスクラス」を作りました。

更に効率化を計り、多くの方々を一度に利用してもらう為に、
又その半分の座席にして「エコノミークラス」が出来たのです。

飛行機のサービスは大半が「フヮーストクラス」用に設定されていますので
皆様には余裕のある時には是非「フヮーストクラス」の旅行をお楽しみ下さい。

●関西3空港(関空・伊丹・神戸)について
 
経営上の事は別にして機長の立場で言わせて戴きますと
関西3空港は大変有難いのです。

万一に「離着陸時・特に離陸時に緊急トラブルが発生し
離陸空港に引き返せない状況」が生じた場合には
この3空港が近くにある事が何所にでも着陸出来るという
「心の安心」となるのです。

それにしても我々乗務員は「関西空港」が出来た際には
「伊丹」は完全に無くなることと予想しておりましたので
多くの仲間たちが関空近くの「堺市や関空近くの町」に移住したのです。

私も枚方市より泉佐野市に移転しましたが、
最近は少しづつ「北の方角」に引っ越す方も出て来たいます。

●機長の収入

凄い給料でしょう!よく言われました。
当然サラリーマン扱いですので収入からは源泉徴収されます。
税率40%程ですね、

私の母親までもが「お前のボーナスは300万ぐらいかい?」と聞いていました。
でも本当のところボーナスで手取り100万円以上貰った事は記憶にありません。

少しパイロットの給料の仕組みについてお話しますと
会社よって違いはありますが、
私の53歳時の給料は本俸50万円に加えて
乗務手当が1時間19,000円で計算され「規定通りに乗務して」
1ケ月の手当てが120万円でした。

本俸に手当てなど色々加えて190万円前後の給料でしたが
本俸の50万円以外は「危険と引換の乗務補償手当て」です。

ボーナスは本俸の50万円からの査定ですので
手取りが100万円を超えることは無いのです。

機長は、今流行の「契約社員」になるのでしよう。

しかも機長には6ケ月ごとの免許の更新があり(副操縦士は1年)
心身ともに健康で健全でなければ更新できず、
その時点で失職するわけですから非常な職業といえます。

身体的要件で免許を失効したら一定期間に復帰出来なければ解雇されます。
解雇が通告されれば地上職にはなれません。
プロスポーツ選手の更改と同じことなのです。

私も47歳の時「突発性難聴」になり免許を失効しました。
幸いにも組合の互助制度保険で即収入減は免れ、
後日復職出来ましたが、あのまま解雇される事態もあったのです。
45mの飛行機は動かせても地上では軽トラにも乗れません。

この「航空身体検査基準6ヶ月の免許更新有効期間」の短さは
多くのスッチーさんも知らないくらいですから
一般の皆様がご存知ないのは当然だと思います。

毎回の更新時には「航空審査官」の立会いの下で
「実技審査」「学科試験」「口頭試験」が行われ
全てに合格して更新完了で、それが定年の「60歳」まで続くのです。

●綺麗なスッチーさんと仕事ができていいですね!一番多い質問です。

全日空で「2000人以上の乗務員」と「6500人以上の客室乗務員」が
何度も同じ便に乗り合わせる事はほとんど無く、
あれば奇跡に近い出来事でしょう。

でも彼女たちも大変な仕事をしているのです。
多くのスッチーさんが入社してきますが
大半の方が3年程で退職します。

国内外の乗務は関係なく、仕事が「重労働で体調管理」がとても辛いようでした。


●楽屋裏

問い・安田紘一郎

振り返って33年間の航空人生に満足ですか?

答え・乙訓 昭法氏

憧れの機長職は想像以上に「ハードで理不尽な出来事」の連続でしたが、
父と同じ道を歩き、航空界へ向かって
邁進した青春時代の充実を初めに
多くの出逢いと思いでを戴きパイロット人生に悔いなしです。

今度は宇宙船パイロットになろうかな!

●安田紘一郎・感想

お話の一部分をご紹介致しましたが、
まだ他にも驚くような「未確認飛行物体」の
お話や飛行された各地の面白話しなどは次の機会に掲載致します。