【白い雲・青い空・甲子園の思い出を語る】
【思い出の名選手たち】
(前回の高校野球編に続いてプロ野球編を投稿いたしました。)
講師
植草 貞夫氏「元・朝日放送アナウンサー」
植草で御座います。
私は常々人生は「60歳」からのスタートと考えており
現在はその第2の人生を楽しんでおります。
本日は永くお付き合いを戴いている「安田様」から
又 ご縁を戴きこうして「清話会」の皆様と久しぶりに
お顔を拝する事となりました。
アナウンス生活38年の中でお逢いした多くの野球選手の
素顔のお話を申し上げたいと思います。
12年前に家内を亡くしましたが、その家内が生前に
「テレビでよく見ると白髪が目立つよ」と言うので
毛染めにいきました。
そこで先生から「色はどうしますか?黒・茶・グリーン?」と
聞かれたので、スポーツアナウンアサーがグリーンでは
いけないので、流行の「茶髪」に致しました。
そんな時に阪神の監督に「野村克也氏」が就任いたしました。
挨拶に行きましたら「なんだ君も茶色か」と茶化されました。
そして、すぐ後にテレビ大阪のアナンサーをしている倅(長男)も
野村監督に挨拶に行ったところ「植草家」は親子とも「茶髪」かと
いわれたので、倅はすぐ「黒髪」に染め直ししたようです。
野村監督が3年で退任し、後任に星野監督になりましたら、
倅はすぐに「茶髪」に染め直しておりました。(笑)
村山・小山・長島・王・野村・稲尾・杉浦・掛布・江川・・
などなど、多くの名選手が脳裏に浮かんでまいります。
中でも「長島さん」の面白さは別格でしょうね。
巨人の後輩でもある「西本 聖氏」が引退後
少年野球の「AKAI(赤井)」とうチームを指導しておりましたが
ある時「長島さん」に特別コーチを依頼しましたら快諾し
コーチに来てくれました。
少年選手を1人1人呼んで指導をはじめましたが
「背中のチーム名AKAI]をみて
「長島さん」は「おい赤井君少し投げ方を変えたらどう!」といい
次の選手をみて、又「赤井君、もう少しバットは上から振りなさい!」
と指導し、次の選手には「君も赤井君か、このチームは赤井君が多いね」
と言ったそうです。(笑)
そして練習が終り「西本さん」と共に「長島さん」は風呂に入ったところ
「長島さん」はシャンプーの蓋を取り”ドドッ”と山盛に頭にかけ
そのまま「風呂の中に入り」”じゃぶじゃぶ”と一気に洗い
「お先に」と言って風呂から出て行ったそうです。
後には泡だらけのお湯が風呂に残っていたそうです。
長島さんの現役監督の時の話です。
往年の強打者PL出身の「吉村選手」は代打の切り札として
活躍しておりましたが、ある試合のチャンスに
「長島監督」はベンチで後ろをみて「吉村!いくぞ!」
と声をかけ、ゆったりとベンチをでて行きました。
そして「長島さん」は三歩ほどベンチを出て、観客席をぐるっと見渡し、
ジャンパーを脱ぎ少し歩き、今度は放送席をみて、解説席の「中畑さん」を
目で追いながら、審判の前にやっきました。
「長島監督」は「ピンチヒッター中畑」と大きな声で告げました。
これには相手チームも自軍ベンチも、
バットを握っていた「吉村選手」も驚きましたが、
一番ビックリしたのは「アンパイヤ」だったでしょう。
尚、解説席の「中畑さん」には距離がある為
「ピンチヒッター中畑」の「長島監督」声は
聞こえていなかったようです。
ミスタータイガース「村山 実」は大投手でありました。
「関西大学時代」の活躍でプロ入りは大騒動と成りました。
「巨人」と「阪神」の「村山」の争奪戦が始まりました
「巨人」の入団条件は契約金2,000万円 年俸500万円の提示に対して
一方の「阪神」の条件は契約金240万円 年俸 120万円 でした。
その交渉の中で「村山」は「阪神」を選び入団致しました。
阪神の条件の中で野球を引退後は「阪神の社員として採用する」の
一項目に魅力を感じたからと後年話しておりました。
入団後の活躍は「天覧試合に長島に打たれたホームラン」など
悲運な面もありましたが、永く「阪神のエース」とし大活躍した
場面は数多く私の中に残っております。
阪神の歴史は「村山・田渕・岡田」などに代表される
「大学卒」の選手や幹部と「小山・江夏・掛布」の「高校卒」の
人達との軋轢の歴史でもあります。
「村山」もその中で翻弄され引退後「阪神の社員」の
話など関係なく、現役時代の活躍に比べて寂しい
引退後の「村山」を見つめておりました。
阪神のスタープレイヤーの晩年は「村山」と同じく
多くの選手が寂しく「阪神」を去っていきました。
初代ミスタータイガースの藤村をはじめに・
田渕・江夏・掛布・小山・江本・吉田・・
数えてもキリがありません。
そうですね「岡田前監督」も一度「オリックス」に出されました。
今一番思うことは「掛布」の酒量がもう少しだけ少なければ
あと10年ぐらい活躍できたでしょう。
でも「掛布」の「4番・サード」にこだわり続けた姿勢には
「男の美学」を感じております。
【植草氏講演会・より】
紘一郎 感想
それにしてもプロ野球選手の健康管理はどんなものなんでしょう。
「村山・山内・稲尾・杉浦・皆川・仰木・大杉・藤田・・」
などなど、早くして逝つた名選手たち
「長島・王」も病み、一般では70歳代はまだ「第一線」で
活躍している時代、に野球選手の晩年は老け過ぎてませんか?
「野村監督・74歳」まだまだ頑張って下さい。
「大沢・張本」の両氏も「渇」を入れ続けて下さい。
【思い出の名選手たち】
(前回の高校野球編に続いてプロ野球編を投稿いたしました。)
講師
植草 貞夫氏「元・朝日放送アナウンサー」
植草で御座います。
私は常々人生は「60歳」からのスタートと考えており
現在はその第2の人生を楽しんでおります。
本日は永くお付き合いを戴いている「安田様」から
又 ご縁を戴きこうして「清話会」の皆様と久しぶりに
お顔を拝する事となりました。
アナウンス生活38年の中でお逢いした多くの野球選手の
素顔のお話を申し上げたいと思います。
12年前に家内を亡くしましたが、その家内が生前に
「テレビでよく見ると白髪が目立つよ」と言うので
毛染めにいきました。
そこで先生から「色はどうしますか?黒・茶・グリーン?」と
聞かれたので、スポーツアナウンアサーがグリーンでは
いけないので、流行の「茶髪」に致しました。
そんな時に阪神の監督に「野村克也氏」が就任いたしました。
挨拶に行きましたら「なんだ君も茶色か」と茶化されました。
そして、すぐ後にテレビ大阪のアナンサーをしている倅(長男)も
野村監督に挨拶に行ったところ「植草家」は親子とも「茶髪」かと
いわれたので、倅はすぐ「黒髪」に染め直ししたようです。
野村監督が3年で退任し、後任に星野監督になりましたら、
倅はすぐに「茶髪」に染め直しておりました。(笑)
村山・小山・長島・王・野村・稲尾・杉浦・掛布・江川・・
などなど、多くの名選手が脳裏に浮かんでまいります。
中でも「長島さん」の面白さは別格でしょうね。
巨人の後輩でもある「西本 聖氏」が引退後
少年野球の「AKAI(赤井)」とうチームを指導しておりましたが
ある時「長島さん」に特別コーチを依頼しましたら快諾し
コーチに来てくれました。
少年選手を1人1人呼んで指導をはじめましたが
「背中のチーム名AKAI]をみて
「長島さん」は「おい赤井君少し投げ方を変えたらどう!」といい
次の選手をみて、又「赤井君、もう少しバットは上から振りなさい!」
と指導し、次の選手には「君も赤井君か、このチームは赤井君が多いね」
と言ったそうです。(笑)
そして練習が終り「西本さん」と共に「長島さん」は風呂に入ったところ
「長島さん」はシャンプーの蓋を取り”ドドッ”と山盛に頭にかけ
そのまま「風呂の中に入り」”じゃぶじゃぶ”と一気に洗い
「お先に」と言って風呂から出て行ったそうです。
後には泡だらけのお湯が風呂に残っていたそうです。
長島さんの現役監督の時の話です。
往年の強打者PL出身の「吉村選手」は代打の切り札として
活躍しておりましたが、ある試合のチャンスに
「長島監督」はベンチで後ろをみて「吉村!いくぞ!」
と声をかけ、ゆったりとベンチをでて行きました。
そして「長島さん」は三歩ほどベンチを出て、観客席をぐるっと見渡し、
ジャンパーを脱ぎ少し歩き、今度は放送席をみて、解説席の「中畑さん」を
目で追いながら、審判の前にやっきました。
「長島監督」は「ピンチヒッター中畑」と大きな声で告げました。
これには相手チームも自軍ベンチも、
バットを握っていた「吉村選手」も驚きましたが、
一番ビックリしたのは「アンパイヤ」だったでしょう。
尚、解説席の「中畑さん」には距離がある為
「ピンチヒッター中畑」の「長島監督」声は
聞こえていなかったようです。
ミスタータイガース「村山 実」は大投手でありました。
「関西大学時代」の活躍でプロ入りは大騒動と成りました。
「巨人」と「阪神」の「村山」の争奪戦が始まりました
「巨人」の入団条件は契約金2,000万円 年俸500万円の提示に対して
一方の「阪神」の条件は契約金240万円 年俸 120万円 でした。
その交渉の中で「村山」は「阪神」を選び入団致しました。
阪神の条件の中で野球を引退後は「阪神の社員として採用する」の
一項目に魅力を感じたからと後年話しておりました。
入団後の活躍は「天覧試合に長島に打たれたホームラン」など
悲運な面もありましたが、永く「阪神のエース」とし大活躍した
場面は数多く私の中に残っております。
阪神の歴史は「村山・田渕・岡田」などに代表される
「大学卒」の選手や幹部と「小山・江夏・掛布」の「高校卒」の
人達との軋轢の歴史でもあります。
「村山」もその中で翻弄され引退後「阪神の社員」の
話など関係なく、現役時代の活躍に比べて寂しい
引退後の「村山」を見つめておりました。
阪神のスタープレイヤーの晩年は「村山」と同じく
多くの選手が寂しく「阪神」を去っていきました。
初代ミスタータイガースの藤村をはじめに・
田渕・江夏・掛布・小山・江本・吉田・・
数えてもキリがありません。
そうですね「岡田前監督」も一度「オリックス」に出されました。
今一番思うことは「掛布」の酒量がもう少しだけ少なければ
あと10年ぐらい活躍できたでしょう。
でも「掛布」の「4番・サード」にこだわり続けた姿勢には
「男の美学」を感じております。
【植草氏講演会・より】
紘一郎 感想
それにしてもプロ野球選手の健康管理はどんなものなんでしょう。
「村山・山内・稲尾・杉浦・皆川・仰木・大杉・藤田・・」
などなど、早くして逝つた名選手たち
「長島・王」も病み、一般では70歳代はまだ「第一線」で
活躍している時代、に野球選手の晩年は老け過ぎてませんか?
「野村監督・74歳」まだまだ頑張って下さい。
「大沢・張本」の両氏も「渇」を入れ続けて下さい。