紘一郎雑記帳

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三菱の原点 紘一郎雑記張

2012-01-15 04:41:12 | Weblog

三菱の原点 
紘一郎雑記張

そして日本を代表する財閥に三菱グループがあるが、三菱の創業期にも商売の原点ともいえる話がある。

崎家紋

三菱は明治の動乱期に土佐の地下浪人の子であった岩崎弥太郎(いわさき・やたろう)が創設し財閥の基礎を築いた。
明治10年の西南戦争の時には、船で政府軍の軍事輸送を全て請け負ったことから、莫大な利益を得たとされる。このことからも弥太郎は政商として成功し巨利を得た典型的な人物に思われるが、その見方は一方的である。
商売に関しては実に厳しい面があったが、ここを見落としてはいけないと思う。


初期の三菱社員は土佐藩士が多数を占め、プライドが高く高飛車な連中が多かった。そこで弥太郎は、社員全員に和服・角帯と前垂れの着用を命じた。周知ように前たれは商人の格好そのものだ。これを全員に強用したのである。お客を神様のごとく丁重に対応するように周知徹底した。
この姿勢が世間の人から好感を得て、三菱は信用を確実に築きあげていく。お客様第一を社員全員に徹底させたところに弥太郎の凄さがあると思う。


なかには重役の石川七財だけは、どうしても武士の気風が抜けきれず、顧客に頭を下げることが出来なかった。すると弥太郎は小判を描いた扇子を石川にプレゼントし、「
得意先の番頭や小僧に頭を下げると思うから悔しくなるのだ。この扇子を開き小判に頭を下げると思え」とアドバイスした。以後、石川の態度も改まったという。

 
 また、経費に関しても厳しかった。弟の弥之助が白紙に領収書を張り付けているのを見た弥太郎は激怒する。「貴様は立派な紙を使っているが、全国の支社が皆白紙を用いて貼ったならば、年間幾らの費用になると思うか。使い古しの反古紙を用いた場合と幾ら違うか、計算してみよ」と叱りつけた。そこで弥之助が計算してみると400円もの差が出たので驚いたという。

武士上がりの社員が多いなか、全社員に顧客第一主義を徹底できたところに三菱発展の秘訣があると思う、また無駄使いをしないという当たり前のことも徹底したところにも成功の要因があると思うが、いずれも会社が大きくなるにつれていつの間にか忘れさられることである

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