紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

日本の素晴らしい経営者 4部 紘一郎雑記張

2012-08-31 04:41:23 | Weblog

日本の素晴らしい経営者 4部 
紘一郎雑記張

阪急グループ(東宝、宝塚歌劇)の創業者、小林一三(こばやし・いちぞう)の『小林一三翁の追想』の中に収められている長谷川一夫(戦前から戦後の長きにわたって映画・舞台で活躍した大スター)の追想文にもこんな印象深いエピソードがある。



「・・・それは東宝入社第一回作品『源九郎義経』の撮影に入った草々、私は暴漢に顔を切られるという不祥事に遭遇し、その上、林長二郎(はやし・ちょうじろう)の芸名も返上を迫られるという苦境に追い込まれたのです。
長い間、売り込んできた芸名は、俳優にとってはトレードマークのようなものだと考えるのが常識で、いまやマークのない商品に等しい私を、そのまま東宝においておくかどうか、社内でも問題になってきたのでした。ところが先生(小林一三)は次の一言で、社内の動揺をピタリと納めてしまわれたのです。
『東宝は、林長二郎の名前と今後を誓ったのではないよ。人そのものと誓い合ったのだ』このことを知らされて、傷心のどん底に打ち沈んでいた私は、感動のあまり声を上げて泣いたくらいです。そして同時に私の体内に新しい希望と闘志が湧き上がってきたのです(中略)芸名は名ではなく人だ!」

この世紀の二枚目スターは後年、宝塚の園に「ベルバラ」ブームを演出し大きく貢献していく。
会社が越後も、荻原も、長谷川も目先の損得で切り捨てなかったことが結果的に会社に大きく貢献することになった。「情けは人のためにならず」というがこのことは企業経営にも当てはまるのではなかろうか・・この項終り


日本の素晴らしい経営者 第3部 紘一郎雑記張

2012-08-30 04:37:26 | Weblog

日本の素晴らしい経営者 第3部 
紘一郎雑記張

萩原吉太郎も凄い経営者であった

萩原吉太郎(はぎわら・きちたろう)という男は慶応大学を卒業し、
三井合名に入社したが、わずか4日で肺の病気を患い、2年余り休んでしまった、

いったんは常務理事の有賀長文に退社を申し出るが慰留される。
そして体が良くなったので恐る恐る出勤してみると思いの他、感激させられる。その時のことを萩原はこのように述懐する。

「昭和3年2月、大雪の降った日だったが、なんの前ぶれもなしに出社した・・・調査課へ行けというので、おっかなびっくり入っていった、とりあえず入社したときに座った机の前にいってみたら、チリ一つとどめず、きちんと二年前のままになっていた・・・一生ここで働こうと決心した」

荻原は後に三井合名を出て、三井グループの北海道炭礦汽船・通称北炭(ほくたん)に行き社長となる人物である。三井の大立者として活躍した。  続く・・小林一三氏へ


日本の素晴らしい経営者 第2部 紘一郎雑記張

2012-08-29 04:33:35 | Weblog

昨日より
日本の素晴らしい経営者 第2部 
紘一郎雑記張

こういう越後を採用したのは実質的な創業者といえる2代目伊藤忠兵衛(いとう・ちゅうべい)であった。
まだ15歳であった越後を面接し、見所のある男と認めたのか「八幡商業を卒業してから入社せよ」と好条件を提示した。

自分の会社で働いてもらうには商業高校ぐらい出ていなければと思ったのであろう。
そして八幡商業の卒業が近づくと、今度は神戸高商(現・神戸大学)への進学を勧めた。ところが越後は神戸高商の受験に落ちてしまい忠兵衛に合わせる顔がない。

しかし不合格になったことを忠兵衛が聞くと「ああそうか、今度頑張るんだな」と一言つぶやいただけだった。「さすがは大人物」と越後は思ったという。
2度目の受験は見事に合格し、神戸の住吉にあった忠兵衛の本宅に書生として住込みをしながら神戸高商に通った。そして卒業後に伊藤忠に入社する。
越後は後に、もし「私が伊藤忠兵衛さんに会い、見出される幸運がなかったら今の自分はなかった」と述懐している。

またこの越後が結果的に伊藤忠の危機を救い、さらなる発展に繋げたのだから、やはり越後を学校に通わせ長い目で育てた忠兵衛が偉かったといえるだろう。  続く・・


日本の素晴らしい経営者!! 紘一郎雑記張

2012-08-28 04:38:20 | Weblog

日本の素晴らしい経営者!! 
紘一郎雑記張・偉人氏メール参照

今回は4人の経営者をPU致しました

私は日本的な経営の良さに「助け合いの精神」「人を大切にする心」というものがあると思う。
しかしながら昨今、経営の合理化が第一に考えられ、経営に私情を持ち込んで合理化を進めないのは悪、生き残るためには心を鬼にして合理化を進めるのを善とする傾向が強くなりすぎ、本来の日本の経営の良さが失われ、人に対してどことなく冷たくなり「情け」の部分が経営から消え失せているような気がしてならない。
昔の経営者には美談として語り継がれる話が山ほどあったが、最近はこういった話が残念ながら聞かれない。いうまでもなく企業は人で成り立つ。長い目で見れば人を大切にする企業が発展するということを見落としがちではなかろうか。

繊維専門商社であった伊藤忠商事を総合商社化し伊藤忠商事中興の祖といわれた越後正一(えちご・まさかず)は社長時代の昭和39年の不況で会社が経営危機に陥ったことがあった。いよいよ伊藤忠も整理しなければいけないかという時に、メインバンクであった住友銀行(現・三井住友)の堀田頭取が救済してくれて、なんとか経営危機を脱することができる経験をした。

その後、社長を後進にバトンタッチしてから、当時10大商社の一角であった安宅産業(あたかさんぎょう)が経営危機になり、安宅のメインバンクでもあった住友銀行から安宅を合併してほしいという話が伊藤忠に持ち込こまれた。
後進の経営陣が「伊藤忠にとってプラスにならないので安宅の話から下りたい」と越後に報告した。すると越後は「住友から伊藤忠はえげつないから下りてくれと言われたら仕方がないが、相手が何も言わないのに下りる手があるか」と叱り飛ばした。
この越後の一言で昭和52年に大企業であった安宅産業を伊藤忠は吸収合併することになったが、これは住友銀行に昭和39年に救済してもらった恩があるからに他ならない。越後は「いくら苦しくても恩義を忘れたらいかん」という。    続く・・・第2部へ


「原発0%」支持最多と金曜デモ 紘一郎雑記張

2012-08-27 04:53:11 | Weblog

「原発0%」支持最多と金曜デモ
紘一郎雑記張

討論型世論調査47%、7~8月全国10会場会場68%、意見公募のパブリックコメント90%、政府の資料から朝日新聞作成した。

この結果は当然の帰結であり、野田政権は「政権の基本方針は脱原発依存」だと一昨日に首総官邸で、金曜日デモの抗議団体と面会して話している。

これも総理官邸側の藤村官房長官談話のように利用されただけの話で、首相と抗議団体が面会しても何ら前進のないことは解っていた。
金曜デモのガス抜きではないのか。

「団体側のメンバーの一人が」となっていますが、個人個人の思いの集合体であって、その団体というものでは無い。

であるならば、議事堂の正門から拡声器で、参加している人達に解るように説明すべきものだ。いかにもお膳立てした前・菅総理の出しゃばりにしか映らない。

選挙を意識したパホーマンスであることを国民は理解しなくてはなりません。民主党の格好マンぶり躍如といったところで方針が変わるわけではない。

次の原子力規制委員会の人事案撤回も、原子力村とズブズブの人選が示している通り、何も変わっていない野田。現民主党政権では何も従来と変わらない野田総理。

もう解散しかない!


竹島は日本の島です!裏づけメール 紘一郎雑記張

2012-08-26 05:13:25 | Weblog

竹島は日本です!裏づけメール 
紘一郎雑記張

面白い、わかりやすい「ほっちゃんさん」の
ブログから戴きました。

竹島物語

米「よーし日本、持ち物はいったんすべて置け」(1945年ポツダム宣言)
韓国「チャンス!あの島欲しいなぁ・・・」
米「竹島は日本の領土だからダメだよ」(1951年ラスク書簡)
米「竹島は日本のものとする!この約束は来年の4月28日から有効ね!」(1951年サンフランシスコ講和条約)
韓国「やば!日本のものになっちゃう!あの島は韓国のものでーす!てへぺろ」(1952年李承晩ライン)
日本「ええええ。こっちは江戸時代から渡航許可(1656年)出してたし、そっちは地図にも載ってなかったじゃん!」
韓国「いや、この地図に島書いてあるでしょ」(1530年八道総図)
日本「方角もサイズも全然違うじゃん・・・」
韓国「いや、この本に『天気がいいと島が見える』って書いてあるでしょ」
日本「その『島』は前に鬱陵島だって自分で言ってたじゃん・・・」(1694年)
韓国「うるさーい!盗人め!だまれだまれ!これは俺のもんだー!」
日本「もめごとがあったら喧嘩じゃなくて、話し合いで解決しようって決めたよね?」(1965年日韓国交正常化)
韓国「いや、これもめごとじゃない!」
日本「もめてるでしょw確実にwうちのものだから名前シール貼らせてね」
韓国「近づくな!近づくと殴るぞ!盗人め!」(軍事占拠)
日本「はいはい・・・こっちが盗人なのね・・・。わかったから、警察行こう?」
韓国「やだ!」 ←今ここ

国際司法裁判を開くには、紛争当事国同士が同意するか、提訴された被告側の当事国も応じることが必要ですが、韓国側はいずれも応じない姿勢を既に表明しています。

韓国サッカーの政治的アピール、アキヒロ不法入国と天皇陛下を侮辱する発言。色々ありました。

一時帰国していた駐韓大使はソウルにお戻りになるようです。
あれ?経済制裁するんじゃなかったの?

スワップ凍結は?・・・やっぱりしないんだね。

クソ民主に求めることは解散をしていただくことだけです。


 


本当の政治家は塾では育たない!第4部 紘一郎雑記張

2012-08-25 04:11:58 | Weblog

本当の政治家は塾では育たない! 
紘一郎雑記張

橋下氏率いる地域政党・大阪維新の会から次期衆議院選挙にむけて、国政の政党として現職議員5人や超有名な国会議員にまで触手を伸ばしている。

私は「維新政治塾」が話題になっているが、これらも既存政党を批判しつつ、結局は自らも既存政党が失敗した道のりを歩み始めているようにも見えなくもない。

この政治塾も草の根で党員を集めて、政策を考えると言う地道な基礎工事なしに、次の選挙で勝てそうな人を、選挙資金(選挙費用は全て自己負担。相場は最低でも1千万円)を用意できる人を促成栽培しようとしている。政治家、否政治屋になりたい人を中心に組織しようとしていると言う意味では既存の政党とまるで変わらない、という声もある。
それでも良いのです。「今の現存の政治家や党」に一日たりとも
日本を任せておけないからです。

維新塾が既存政党と違うのは、地方分権=道州制と首相公選制等国の根幹システムを変革することだ。
これは大きな事で既存政党には絶対出来ない政策なのです。

維新政治塾は多くの受講生(有料講義)を集めましたが、国会議員になるのはほんの僅かですよね。あとの人達が党に残って下支えする、と言うなら立派なのですが、そうはならないのではないでしょうか。
議員を目指さないで、党員としてとどまることを考えている受講生などいるのでしょうか?
と、問われましたが私は議員になれなくともこの”志”の為に維新党に残りますよ! 大丈夫です!任せてください!
塾には行ってませんが、もう50年も政治の勉強をしてきましたから・・
民主や自民の”志”のない政治屋とは全く違うのです。

ここが一番の違いではないでしょうか。
松下政経塾で5年間塾生として大金をかけて卒業し、議員になった民主党の烏合の衆団とは比較にならないのです。

何事も地道な努力なくして、成功はありません。

もうこんな政治屋は要りません↓
    

永田町の悪弊を打ち破れるか、政治停滞の元凶なっているマスコミの誘導には迷わず、新しい政治家に期待しませんか! この項終り


第3部・政経塾卒政治家はダメだ! 紘一郎雑記張

2012-08-24 04:46:34 | Weblog

第3部・・政経塾卒政治家はダメだ! 
紘一郎雑記張

私は「近いうち」選挙が今年中には 実行されようとしているが、促成栽培型の松下政経塾と同じ轍を踏んでは国民が困るからです。
松下政経塾の卒業生は日本の政治家には無用だからです

野田佳彦が総理になれたのは、第一期生だったことだ。

幸之助氏は創立にあたって池田大作・創価学会会長から「第一期生を鍛え抜くように」とアドバイスを得て、高齢にもかかわらず、しばしば政経塾に泊りこみ指導したと言う。政経塾OBにとっては第一期生は特別の存在である。

野田氏は財務大臣になるまで毎朝、駅前で演説を続けた。
ここで金権政治で知られる千葉県で「地盤、看板、カバンなし。されど正義あり。良き友あり」をスローガンに県会議員に当選した。
ダジャレを交えた当意即妙の演説は上手い。
しかし永田町の朝の勉強会などには出席できず、デスクワークが苦手だ。
そして”正義”も”友”もいない、哀れな中年のオッサンでしかない。

だから財務官僚から明快なレクチャーに魅せられたようだ。
代表選挙では中庸の政治を標榜して、税と社会保障の一体改革に政治生命をかけた。
しかし政権に就く前と首相に就いてからの考えがあまりにもぶれ過ぎていた

企業経験が無いために人事は下手くそで、通貨危機でG8等の会議が頻繁に行われるのに経済に素人の安住財務相を登用し、更迭された防衛相の後任に政治的配慮だけで田中直紀を起用する悲惨さだ。

一方の前原「言うだけ番長」も政経塾出身だ。その場しのぎの前のめり発言はあまりにも浅はかだ。自分の生い立ちついての脚色、代表の時の故・永田寿行氏の偽メール事件、八ッ場ダム問題、等々出まかせが多すぎる

所詮は政経塾は「政治家の促成栽培機関」でしかなく、そのOBは志”も無く、専門的な知見や社会経験や国際経験に不足して、受け売りの演説は上手いが議論は苦手なのだ。

これからの日本に最も大事なのは”志”のある人が新しい人が政治家の主流に なることだと思います。 維新塾に期待・・続く


第2部 今の政治家の問題点 紘一郎雑記張

2012-08-23 04:14:22 | Weblog

第2部 今の政治家の問題点 
紘一郎雑記張

政治家は塾で育つのかー松下政経塾の問題点

今日は総理まで出した「松下政経塾」出身者について、徳島文理大教授・八幡和郎氏は次のように言っています。

松下政経塾の政治屋のどこが問題なのか、なぜ素人政治家集団と言われるのかについて、7つの欠点があり、どう見ても「素人政治屋の時代」の象徴という厳しい評価が多い。

1.一国の指導者を目指すなら、大学院レベルの知的訓練、国際人としてのコミュニケーション能力、グローバルに普遍性のある文化的素養は不可欠だ。この専門知識・国際経験が欠如している。

2.販売店や工場での研修で末端の労働者の真似ごとはするが、中小企業経営者や企業の管理職的立場の人の悩みに無理解だし、人を管理し、動かすノウハウも習得していないという実務経験・現場感覚の不足である。だから、野田総理のように人事が苦手だったり、前原誠司のように組織人として不規則発言を繰り返す事も多い。

3.”志”の程度が低くステレオタイプ。

4.関心が外交など特定分野に偏る。外交・国防・教育・環境など
専門知識なしでも言える分野には関心があるが、経済政策のように学術的見識のないと理解できないものや一般国民に受けの良い主張が難しい分野は避けて通る。

5.政治的技術の不足と軽視。現実の政治では様々なテーマを絡ませながら上手な取引を成立させて、最大多数の最大幸福目指す合意形成術が必要で、自己主張だけでは難しい。

6.演説は上手いが、討論は下手である。

7.迅速対応に過ぎて軽率な発言。原発の将来とか、いじめ問題の対応が典型的だ。

※松下政経塾は松下幸之助氏のたった一つの失敗作品です

具体的なことは次に譲ります。 続く


今の政治家の問題点・第1部 紘一郎雑記張

2012-08-22 04:05:02 | Weblog

今の政治家の問題点・第1部 
紘一郎雑記張 

政治家は「塾」で育つのか? 4部作にて投稿

私は常日頃、今の国会議員には、何人か以外は政治家はいないから、
「政治屋」と思っている。

政治屋とは飯のタネにする輩で、国家国民のことなんか眼中には無く、自己保身のために汲々としている良い政策も無く、自己研鑚もないから、国会答弁から、政策立案も、官僚任せの議員が如何に多いかである。
政治家を目指す本分を最初から放棄しているからです。

今回の民主党分裂の根底にはこれが横たわっていた。
始め民主党政権は、国民に「官僚主導の政治」から、国民本位の「政治家主導の政治」にするからと公約したものだから、日本の歴史上でも、真の国民のための国民による政治を掲げて「国民の生活が第一」(裏を返せば「官僚の生活が第一」では無い)と本当の民主主義が根付く試験的な発想であった。

アメリカのリンカーンの如き理念であった。
これは崇高な理念であって、簡単に成就出来るものでは有りません。
民の協力なくしては、到底実行されるものではない。

民主にも、自民にも人材がいないと嘆いてばかりはいられない。
最早、既存の政党には期待できないと、政治塾なるものが大流行だが、当然マスコミも書きたてる。

しかしそんな簡単に政治家って促成栽培のように育つんだろうか

維新の人材を輩出した”吉田松陰先生”の「松下村塾(しょうかそんじゅく)と
松下幸之助氏の「松下政経塾」を比較する人がいるが冗談はやめて欲しいです。

身分に関係なく近所の貧乏人の子供たちを(高杉晋作以外)を集めて
教育した”松陰先生”の塾とは指導者も生徒も質の根本が異なります。

年間240万円の月謝を払い5年間で1200万円も子供の教育費に回せる
金持ちの家族を持つ「松下政経塾」とは”考えと夢”が全く違うのです。

こんな政経塾で良い政治家は育たないのです。野田総理・前原・原口・・・

松陰塾からは「桂小五郎・高杉晋作・伊藤博文・山縣有朋・・松陰先生の影響を受けた坂本龍馬など・・・」 比較は出来ないのです”志”が違います

政経塾の問題点は次回に・・ 続く