紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

5月の鳩山民主党政権に思う!普天間第1部 紘一郎雑記帳

2010-05-31 05:20:14 | Weblog
【紘一郎雑記張】のみ投稿します

5月にあった鳩山民主政権の問題点を
今日より「4回」に分けて投稿致します

民主鳩山政権の問題点!「普天間問題」【第1部】
【第1部】は「5月27日」に起稿しましたものです。

本日、「5月31日」は「鳩山総理」が「国民」に約束した
「普天間問題」の「最終決着の日」である。

「普天間問題」の約束は「鳩山個人」の「公約」であり
「民主党」の「公約ではない」との事である、今になって!

「自公政権」では「2014年」までかかる予定の「普天間返還」を
「民主党」が政権を担当すれば「すぐ決着」との「甘言」に
騙されて「民主党」に投票した「1票」はどうなるのですか?

しかし、小生が「講演会」を通して多くの「講師」より聞いた、
「政界」の「裏話」では、「民主党政権内」では
初めから、最終は「辺野古」になると言われていたそうです。

「小澤一郎氏」が「辺野古」に広大な「土地」を取得しており
「辺野古」になれば「土地価格」が「無茶苦茶」に値上がりし
「大きな儲け」となり「民主党議員」にも「お零れが入る」
そんな期待をしている「チルドレン」が沢山いるからです。

普天間問題解決にむけて何度も「小澤・鳩山会談」が
行われたことは周知の事実ですが
「小澤氏」は「普天間」に関与していない「ポーズ」を
とり続けています。

小澤氏は「辺野古」に所有する「土地」が「クローズアップ」
されるのを、殊更、嫌がっています。

「民主党・鳩山政権」には「沖縄の方々の苦しみ」や
「日本国の安全保障」そして「日米問題」よりも「小澤氏」の
「金儲け」に一役買うことの方が重要です。

「徳之島」など絶対に「反対」する事など判り切っていたのです。
判っていて「徳之島」を利用したのです。

本当にそうですか?
そんな”事実はない”事に期待したいですが・・・

「アメリカ」の「日本」に対する「期待や信頼」も
大きく変化しつつある様で「ヒラリー国務長官」の
「アジア歴訪」の日程からも読み取れます

ヒラリー・クリントン米国務長官は「5月20日」に
専用機でワシントンを出発し、中国訪問が目的で、
日本には米軍三沢基地(青森県)に給油目的で
立ち寄るだけだったが、さすがに
日米関係がさらに悪化する事態を懸念し、
「3時間15分」義理で滞在したそうだ。

しかし、通訳を挟んでの会談であり、実質は、約1時間だ。
    1600      クリントン国務長官  羽田空港着   
    1650~1745 岡田・クリントン会談 外務省飯倉公館
    1815~1835 鳩山・クリントン会談 官邸特別応接室
    1915      クリントン国務長官  羽田空港発
    2100                  上海空港着
22日(土)~26日(水)     中国
26日(水)~27日(木)     韓国  

これが「民主党」のいう「対等な日米関係」でしょうか?
まるで「日本」は「米国」の「植民地」扱いではないですか。
前政権では絶対に考えられない「日米関係」です。

鳩山総理によれば「辺野古案」は「自公政権」の「辺野古案」とは
違うらしく「環境」などに配慮する「辺野古案」らしい

小生もあまり信頼できる「総理」ではなかったが「辺野古案」を
まとめた当時の「橋本総理」は「16回」も沖縄に足を運び
多くの「沖縄の方々」と話し「様々」な解決策をさぐり
現在の「辺野古案」に落ち着き、反対も多くあったが「選挙」で
沖縄の皆様に現在の案の承認を得たのでした。

まさに苦渋の選択で、仲井間知事共々涙を流したと言われています
「鳩山総理」はどうでしょう「総理」になってから
たったの「2回」沖縄に行っただけです。

一方「鳩山総理」の今回の対応と言動を思い起こしてみよう!
鳩山総理の「最低でも県外」は嘘だった。

「最低でも県外」と主張していたのが、
途中より、沖縄県内と徳之島を検討と初めて公の場で発言。
これは、「県外の断念表明」で明確な公約違反ですよ。

でも、お得意な言いわけをする。

「公約という言い方はあれです、
公約というのは選挙のときの党の考え方ということ。
党としてではなくて、私自身の代表としての発言ということ。
その重みは感じています」

 民主党の沖縄県連が「県内移設は公約違反、自然破壊」だと
声明を出しているに、いまさら、
私代表の発言と公約は違うと言われても駄目でしょう。

そして、鳩山総理は国家の安全保障を考えていなかったのです。バカな!

 今回の沖縄問題でビックリしたのは、
鳩山総理は国家の安全保障政策を真剣に
考えてこなかったということです。

「国家の安全保障」の「基礎知識」すらない
「鳩山総理」は「総理失格!」「日本人失格」なんです。

 今頃、「海兵隊の抑止力 理解が浅かった」と言われても。
国会で、自民党から「抑止力は大事」と何度も言われていたのにです。

「海兵隊の存在は、必ずしも抑止力として沖縄に存在する理由に
ならないと思っていた。
学べば学ぶほど、全体の中での海兵隊の役割を考えたとき、
それがすべて連携し、その中での抑止力というものが
維持できるんだという思いにいたった。
それを浅かったと言われれば、あるいはその通りかもしれません」

ですって!「浅かった」ではなく「バカだった」でしょう

思えば普天間移設の3条件を言っていました

政府は、日米が2006年に合意した「同県名護市辺野古」の
「米軍キャンプ・シュワブ沿岸部」を埋め立てる
現行計画を修正し、杭(くい)打ち桟橋方式で滑走路を建設する案と、
ヘリコプター部隊の徳之島移転を組み合わせる案を固めていました。

 3条件とは、①移設案の政府決定、②米側との調整・了解、
 ③沖縄など地元の了解、が有りましたね

①移設案の政府決定を、ぎりぎりまで沖縄訪問に
「これが政府の正式案です」と示すことができなかった。

政府決定には、国民新党と社民党の合意が必要だが、
社民党は県内移設反対、国民新党は陸上案であり反発が予想されましたが
今後の決定で「社民党」はどうしますかね?

米側とは「共同発表」になりましたが
米側は「まず地元の理解が重要」との考えがあり
今後の沖縄との交渉次第では変化もあるでしょう

地元沖縄など地元の了解については、今回の鳩山総理の決着は、
「最低でも県外」など場当たり的な無責任な発言を連発し、
不信感と反発から、4月25日、沖縄で普天間飛行場の県内移設に反対する
県民大会(9万人)の総意はどうなるでしょう。

総理が正反対の案を言うのだから、沖縄県民の怒りは火に油を注いだ格好だ
「恥を知れ」「我慢の限界だ」「沖縄の心をもてあそんでいる」
「沖縄県民をばかにするな」「裏切りだ」
「本当に総理か」・・・・の声は聞こえていますか?

北海道の「鳩山総理」は暑い「沖縄」が嫌いとのことです。
それとも「美幸夫人」の占いの「方向」が「沖縄方面」は
悪いと出たのでしょうか?

どうなるのか心配ですが、我々の選んだ政党の総理です
仕方がなく、諦めるだけなのですかね。次の選挙まで・・


【第3回】震災にそなえよ!企業の危機管理 講演会

2010-05-28 11:56:32 | Weblog
第3部 【これだけは、やっておくべき
  企業の転変地変への危機管理】

講師ー山口泰信氏「㈱山口総研・代表取締役」
1966年長崎県、雲仙市生まれ
阪神大震災で神戸生田中学校避難所運営リーダー
防災危機管理アドバイザー 3Sコンサルタント、防災士

続き  【いざ!震災にそなえよ!】

6項目ある「事業継続計画」の二つ目は「情報の管理」である。
事業を通常に復興させるには「データー」の復旧が不可欠です。

紙などの書類は火や水でダメになります。
紙の情報はスキャンして電子化し、会計や生産管理などの
重要なデーターはインターネット上などの複数箇所に保存し
バッアップ体制を整えておくことが必要であります。

さらにバックアップデーターの解凍復旧訓練を
定期的に必ず行い、水害などを考えればサーパーは
地下ではなく2階以上におくことも大切です。

また「自社」の「被害状況」を伝たえるべき「取引先」の
「リスト」も用意しておくべきです。

非常事態にはいちから文書を作成する時間もないので
事前に文案もつくりホームページなどで「自社」の「被災状況」と
「復旧の状況」を公開することも忘れてはならないのです。

機械設備は必ずアンカー止めしておかないと、移動したり
転倒したりして人が挟まれる恐れもあります。

オフイスの書棚やキャビネットには、必ず転倒防止器具を施し
設備や書棚が転倒して出入り口をふさがない様にすることも重要です。

キャスター付のコピー機や大きな台車は地震で大きく
移動し危険です。同時に台車は揺れてもほぼ転倒しないので
上の物も落ちず使い方によっては免震台車ともいえるのです。

コピー機の上には、普段、物は乗せないので、
落ちる事はありませんが、人が動く場所にあるため
地震で移動して、大変危険ですから「キャスター止め」が
絶対に必要です。

オフイスや工場では「通路を色分けしおく」と「非常時」に
「避難経路」の判断がつきやすくなります

又通路に一時的に荷物を置いている会社があるが
それは避難の妨げになり命取りになりかねないのです。

通路に限らず、日頃からオフイス全体の「「整理整頓」に
努めておくことは、災害時に慌てないだけでなく
「業務効率」の「アップ」や売り上げ向上にも繋がります。

ある工場の話ですが、避難通路確保のため機械を
移動して出入り口周辺を整理しピカピカに磨きました

これをきっかけに「3S」が進み、工場の清潔さが
評判となり売り上げの増加に恕リがりました

災害が発生すると、会社は即座に従業員とその家族の
安否を確認しなければいけません。

電話番号に加えてメールアドレスもリストアップし
安否の問い合わせに一斉送信する体制も必要です

インターネット上で無料利用できるメール配信ソフトの
活用も、大変有効です。

「携帯メール」は「受信拒否設定」がされている
可能性もあるので、従業員にアドレスを登録させて
受信可能状態にしておかなければなりません

又、災害時に緊急発信する「文書」などは、あらかじめ
作成しておき、配信がスムースに行くようにしておくべきですね

災害時は「出社」出来る人員が少なくなり、
限りがあることを考慮し被災後の復旧の流れを
事前にシュミレーションをしておく事をお薦めします

災害時の復旧を速やかに進めるために「リーダー」を
決めておき権限をあたえてその指示に従う仕組みも要ります。
強い「リーダーシップ」が要求されます

災害の損害に備えて「地震保険」の加入や
「中小企業」が事業を復興させる為の「資金面」で
支援を受ける必要のあるケースが多いです。

「中小企業基盤整備機構」が「運営」する【J・NET・21】という
全国の「公的機関」の「資金支援情報」や「教育訓練の助成金」、
「緊急融資」は検討しておくと良いでしょう

最後に大切な事は、あなたの「会社」にどのような
「災害」が起きるか、「結果」がどうなるか
どんな「人的」「物理的」「経済的」の危機が発生するか
仮説をたてて、復旧の為の「行動」を考え
「計画」し「訓練」のレベルを上げる事です。

「人命救助」「安否確認」「2次災害防止」「地域貢献」
「事業継続」などは企業の果たすべき義務です。

日本は過去、幾多の災害や原爆からも見事に立ち直りました
危機から会社を救う方法は「危機管理」にあるのです。

有難う御座いました。


紘一郎雑記帳

【21年度・内閣府震災について】より引用

被災企業の明暗

被災した企業がその後どのような復旧・復興をとげるか、
まさに企業の存立自体に関わる問題であるが、
阪神・淡路大震災以降の災害でも、明暗が分かれた結果となっている。

 阪神・淡路大震災の9年後、新潟県中越地震では、電子部品会社が
数百億円の地震の損害で業務を停止、数千人が仕事を失った。

 一方、被災したある日本酒の醸造元は
多くのユーザーから支援・支持を受けて復興した。

また、その3年後に発生した同じ新潟の中越沖地震では、
地震の規模は同程度であったにもかかわらず、
従来の教訓が各企業で生かされ、
被害は比較的小さなものにとどまったとされている。

特に自動車のピストンリング最大手の㈱リケン(後述)は、
工場が大きく損壊したため、取引関係のある各自動車メーカーへの
供給が一時ストップしたが、各メーカーがリケンに人員を
送って復旧活動を行ったことにより、早期の復興が可能となった。







第2部 企業の危機管理講演会・山口泰信氏 紘一郎雑記張

2010-05-26 04:52:09 | Weblog
【これだけは、やっておくべき
  企業の転変地変への危機管理】

講師ー山口泰信氏「㈱山口総研・代表取締役」
1966年長崎県、雲仙市生まれ
阪神大震災で神戸生田中学校避難所運営リーダー
防災危機管理アドバイザー 3Sコンサルタント、防災士

続き
では「企業」が「日頃」から災害にたいして
どの様な備えをしておくべきか、又被災した際に
どのような対応をすべきかを具体的にお話ししましょう。

まず、「消火器」は「火の元」と「出入り口」の
付近に設置するのが鉄則です。

建物が燃えたら内部へ戻ることは出来ません
また、消火器は構造上、非常に倒れやすいので
床置きはなく、壁掛けにし、誰でも簡単に
手を伸ばす事の高さに設定しておきましょう。

さらに、建物の図面は複数名の担当者が、
いつでも取り出せるように保管しておきます

地震や火災で配線や配管が破損する事が多いからです。

しかも災害時には予想外のことが起きて、
例えば「水害」はいつも下から来るとは限りません

ある会社では「4階」の水道管が破裂して水浸しに
なりましたが、そのような場合には、水を止めるために、
「配管の図面」が必要なのです。

日頃から、周辺の地域との関わり合いも大切ですね

大地震がおきると、会社の敷地に余裕があれば、
緊急支援場所として市民に開放するケースもあり、
「炊き出し」や「仮説トイレ」に使用でます。
とても喜ばれ大切で大事な事のなのです。

又、いち早く立ち直って通常業務を再開することは
重要ですが、周囲から「自分だけ」と、良くない感情を
抱かれることが無いように、社員の何人かを地域の為になる
ボランティアとして派遣することも方法です。

最近発生した「ハイチ」や「チリ」の地震後は「強奪行為」が
相次ぎ、大変な状況でした。

阪神・淡路大震災の直後は報道はされていませんが
「倒壊」した「家屋」からの「物品」が消えたり
どこからともなく現れたトラックが「支援物資」を
持ち去ってしまうこともあり、それを「ボランティア」の
人々が「せっせ」と手伝ったという笑えない話しもあるのです。

「都市型大規模災害」において「避難所」では「配給用支援物資」を
保管する場所も重要なのです。

丸見えだと「なぜ配付しないのか!」と非難を受け、実際には
配給できる数に達するまで保管する必要ものもあり、
外から見えない倉庫やテントも要ります。

私は「配給」は公平にわたるように全力を尽くしましたが
「2000人」以上の「避難者」がいるのに、
毛布が「100枚」しか届かないようなこともありました

「よこせ・よこせ」と大騒ぎになり毛布は配給の時ではなく
寝ている老人や乳飲み子を抱える母親に「そっと」手渡し致しました
被災地ではそのような臨機応変に対応する事が大事です。

「企業」は「被災地」に速やかに「事業」を
復旧させる為に「プロセス」についても、社員が
理解しやすい計画を事前に練っておくことも求められますが
それは一般に「事業継続計画」と呼ばれるものです。

具体的には次の「6項目」に」ついて
検討されることをお薦め致します。

先ず一つは「取引先のリスク分散」です
特に工場などを持つ製造業では、資材や材料の供給を
途絶えさせない為に、仕入れ先を分散させておき
たとえば「大阪」の会社なら九州や日本海側の
企業にパイプを持っておくことを検討し
「災害が起きた場合は取引を御願いしたい」旨を
予め数社に打診しおくだけでも、「いざっ!」という時には
スムースに対応できるはずです。

工場の機械などが被害を受けると「修理業者」には
「修理依頼」が殺到することは予測できるので
「優先的」に対応してもらえるように「良好関係」を
普段から築き、知己を得ておくことが大事です。

続いて「情報の管理」お話しします。

続きは【第3部】にて投稿致します。


紘一郎雑記張

清話会の会員企業の中に「地震対策商品」を
扱っている会社が有りますが、その会社の話しに依ると
「関東地区」では多くの企業が「災害」に対する
「危機感」を持っていて、「災害」で企業をつぶさない!」の
信念を経営者が持っており大変商売がやりやすく
「商い」も倍増している様である。

反面「関西地区」の企業家の皆様は、まことにのんびりしていて
多くの企業さんに全く地震に対する「危機感」がなく
【地震は100年に一度といわれているので、
 あと85年ぐらいの間は地震は来ないので大丈夫!】と
言われるそうです。

これでは「行政」だけではなく、「民間」でも「心ある」
「企業」が「本社」を「東京」に移転させるのも一理あり
この「緊張感」のない経営方針が「関西衰退」の
ひとつの要因のように思えます。



















































企業の危機管理、山口泰信氏講演禄より 安田紘一郎雑記帳

2010-05-24 04:07:42 | Weblog
【これだけは、やっておくべき
企業の転変地変への危機管理】

【第1部】

講師ー山口泰信氏「㈱山口総研・代表取締役」
1966年長崎県、雲仙市生まれ
阪神大震災で神戸生田中学校避難所運営リーダー
防災危機管理アドバイザー 3Sコンサルタント、防災士

山口泰信(たいしん)です。

私の実家は、今でも「火山活動」が続く
雲仙の普賢岳の麓にある雲仙市にあります。

1990年に噴火した当時、真っ赤な火砕流が
流れていくのを自宅付近で見ていました。

その後、焼け跡は「緑の草原」となり、
人々の「復興への執念」と「自然の回復力」の
凄さに感動しています。

雲仙地区では全戸に「無線受信設備」を設置し
「24時間体制」で「緊急時」に「ブザー」が鳴って
防災放送が流れる仕組みが出来ています。

私は阪神・淡路大震災の直後、
被災地神戸に単身乗り込み3ヶ月にわたり
避難所運営リーダーとして活動いたしました。

又、2004年の「新潟県中越地震」の際は
「大阪市緊急支援第1号(一般車両)」として
「小千谷市」へ赴き電池での支援活動に打ち込みました。

こうした経験を企業の防災に活かすべく
「企業が防災意識を向上させれば多くの人命を救える」との
想いから様々な「啓蒙活動」と企業のコンサルタントに携わっています。

地震では多くの命が犠牲になります。

亡くなった方のご家族や友人や全力で救助活動したが
残念ながら「助け出せなかった人々」の
悲しみは想像を絶する物でした。

犠牲者は日増しに増えていき、行方不明は数知れず
多くの方々が家族や知人を探して「遺体安置所」や
「避難所」を探し回ります。

「ボランティア」や「支援車両」なども全国から集まりますが
「交通機関」は「麻痺」し「信号機」の作動しない
交差点では事故も絶えません。

「被災地区」は「特殊」な「精神状況」に
置かれておる事を忘れてはいけないのです。

今日は「企業の防災意」を、いかに向上させ「災害発生時」に
「どう対応するか!」をお話いたします。

まず、いつ襲うかもわからない「大地震」の
脅威についてお伝えします

地球上には地震の少ない場所もありますが
日本列島は「フィリピン海プレート」が「ユーラシアプレ-ト」に
沈み込むかたちの、最も地震の発生しやすい場所に位置しています。

阪神・淡路大震災は「2000年に一度」という
短い周期で起こると考えられています。

「日本」では「いつ・何処」で「大地震」が
起きても可笑しくない国なのです。

この60年ほどの間にも何度となく「大地震」が起きていますが
特に1943年から48年にかけては「鳥取地震」「東南海地震」
「三河地震」「南海地震」「福井地震」と毎年の様に
日本各地で「死者1000人」を超す大地震に見舞われました。

これらの地震は天災と戦災が重なり特に悲惨な状況でした。

私達は常に防災意識を持っていなければならないのです。
地震対策として何より有効なのは言うまでも無く、
建物が倒れない様に建築し、大きい建物ほど
「耐震構造(揺れに耐える)」よりも
「免震構造(揺れを吸収する)」の方が安心できるのです。

又、地震が発生したときは地震に伴う津波への警戒が重要であり
国内はもとより「チリ沖」などで「大地震」が発生すると
「一日後」には「日本に津波」が押し寄せてきます。

このときの速度は「時速650kから700キロ」と
ジェット機並みの速さであり、さらに日本沿岸部では
津波の速度は急速に弱まるので、次から次へと波が
覆い被り引くときは一気に引いていきます。

さらに「1~2時間」をおいて「第2波」「第3波」が
襲ってくるので大きな被害が予測されるのです。

ゲリラ豪雨、地すべり、がけ崩れ、や「新型ウイルス」
までも考慮しておくべきでしょう。

次に「企業での被害を最小限」に食い止める方法をお話しましょう

続きは【第2部】で投稿予定です。


紘一郎雑記張

あの震災の日の朝の事、はっきり覚えている。

朝から仕入れの仕事があり「5時30分」過ぎに自宅を出て
「大阪の本町」に向かって「ハンドル」を握っていた。

「守口インター」で「阪神高速」に乗る予定で
「中央環状線」に向かっていて、もうすぐ「環状線」に
「合流」しようとしたその時でした。

前を走っていた「佐川急便」の配送車が左右に大きく
揺れているのに気づき、まだ「二日酔い」の状態なのかと
驚いた瞬間が印象に残っています。

すぐ自分の車も大きな揺れを感じ、車を止めることもせず
目の前の「信号」が一気に消えていくのを見ていました。

民放のラジオを聴いていましたが、すぐ「NHK」に変えましたら
「地震発生」の放送を伝えており「さすが!」と思ったものでした

放送の中で「高速道路」が一部崩壊したような事を耳にし
「守口」から高速に入らず2号線で大阪に向かいました。

その後は「仕事」にならず、「何日の間」か
ボケッとしていた様な記憶有ります。

あれから15年時の経つのは早いものですが、
あの後いつ地震がきても良いように「枕元」に用意した
数々の避難用品は「影も形」もなく「喉元すぎれば・・・」
の先人の教えも忘れている自分がいます。

























































【第3部】昭和天皇について 所 功氏講演会より

2010-05-21 04:57:41 | Weblog
【第3部】昭和の日に思う・講演会

所 功氏「京都産業大学教授」

所氏 1941年 岐阜県生まれ  名古屋大学卒
   皇學館大学助教授・京都産業大学助教授を経て現職

著書「伊勢神宮」「日本の祝祭日」「年号の歴史」「歴史に学ぶ」
  「京都の三大祭」「天皇のまつりごと」など多数

「昭和天皇」について掘り下げてお話しましょう。
「昭和天皇」は「明治34年・1901年」にお生まれになりました。
その時「祖父」の「明治天皇」は「50歳」で「明治天皇」の「初皇孫」
お父上の「後の大正天皇」は24歳でございました。「裕仁親王殿下」です。

当時の慣わしとして両親のもとでの教育は甘えが出るとの事で
親元を離れて教育をされたのですが「昭和天皇」は
薩摩藩の「川村大将」のもとで家族ぐるみで生活をされました。

記録が残っておりますが「昭和天皇」の「好き嫌い」に対して
「お食べにならなければ爺(川村氏)も食べません」と言って箸をを持たず
「昭和天皇」がお食べになるまで待ったそうです。

「川村教育」が徹底されました。
「川村大将」が亡くなるまで「3歳」まで続きました。   

「川村大将」が亡くなられた後は御所に帰られました。

そして多くの先生方の厳しい教育を受けられました、
後に「昭和天皇」は特に時間に厳しい事で有名でしたが
先生方の教えを素直に受け止められたからだと思います。

「7歳」で「学習院」の初等科に入学されます。
当時の「学習院」はもともと京都にあったのですが「明治17年」になって
「東京」に復高されましたが、他のが他の学校は「文部省」にありましたが
「学習院」は「宮内庁」の中の「官立学校」として「皇族と華族の子弟」の
「教育専門」の学校として設立運営されています。

余談ですが戦後は「私立の学校」としての運営となり
「皇族」の方々の受け入れ態勢は充分ではありません

その「学習院」で「明治40年」から「院長」になられたのが、
長州藩の「乃木希典大将」です。

もう少し深く申し上げれば「昭和天皇」の教育の為に
「乃木希典大将」が「学習院院長」に
「就任されていた」というほうが正しいかもしれません

ご存知の様に「乃木大将」は日露戦争で「二人の息子」を戦死で
失っても祖国の為に戦った「忠臣」であります。

乃木院長の方針は
「ご健康「第一」と心得る事」から始まり「質素に徹すべき事」までの
「6項目」は「全先生方」にまで徹底されていました。

「教育」で大切な事は「校長」だけでなく「一般の先生方」まで
徹底して教育に当たることが重要の事なのです。

乃木院長の教育は「昭和天皇」にとっては大変厳しい物であったようです。

初等科を終えられた「昭和天皇」は「乃木院長」が考案した
「特別教育」の必要を感じ中・高の特別の学校を考えました

【乃木希典院長(元・大将)】は「明治45年4月」に崩御された
「明治天皇」に殉じて「9月の大喪の日」の「ご夫婦で殉死」されました。

したがって「学習院卒業後」の「昭和天皇」の「特別学校」は
「乃木院長」のあとを引き継いだ盟友の「東郷平八郎」に託されました
それは「皇族方学問所」と呼ばれました。
教育はあらゆる分野の素晴らしい先生に委託されました。
歴史・外国・軍事などあらゆる幅広い分野です。  

ただ一つ「倫理」を担当する先生方は自信がなく
辞退された先生方が多かったようです。
「倫理」は自分自身を制する事の出来る人が
求められ大変難しいことですね。

その倫理の先生に「杉浦先生」に決まりましたが
この先生の影響を大きく受けられたと「昭和天皇」は
思っていらしたようです。

当時「13歳の皇太子時代」の「昭和天皇」に影響を
与えられた教えの内容には大変興味があります。  

そして「杉浦先生」の教えは「明治天皇」の「明治元年三月十四日」に
発布されました「5ヶ条のご誓文」を基本にされたのです。

一 広く会議を興し万機公論に決すへし
一 上下心を一にして盛んに経論を行ふへし
一 官武一途庶民に至る迄各其志を遂け人心をして倦まさらしめん
  事を要す
一 旧来の陋習を破り天地の公道に基くへし
一 知識を世界に求め大いに皇基を振起すへし

そして「杉浦先生」の教えのもう一つの中に
「陰徳」という言葉が有りました。

人は何事を行うにしても必ず誰かが見ているので
「陰日なた」なく行動する事の大切である。

この「杉浦先生」が説かれた「5ケ条のご誓文」の理念と「陰徳の教え」が
「昭和天皇」のお心に大きな影響を与えられたのです。

後に「昭和天皇」は「杉浦先生」の教えは本当に「楽しく」「面白く」
良い教えを頂いたとお話されていたとのことです。

時間の関係でもう少し深い「昭和天皇」のお話は改めて
お話申し上げる機会を頂戴したく思いますが「昭和の日」に
あたり「昭和天皇」をお慕い申し上げる「日」とさせて頂いております。

有難う御座いました


紘一郎雑記張

【谷 亮子選手・立候補に異議あり!】

5月12日「柔道」の「谷亮子選手」が「参議院」に
「立候補」するという「報道」が流れました。

びっくりしました、「日の丸」を背負って戦った
「やわらちゃんの谷選手」が「日の丸」嫌いで
「日の丸」を「国旗」として認めない議員が多くいる
「民主党」から「公認」を受けるそうです。

あの「オリンピック」での「日の丸」何だったのでしょう
早速、山ほどの「メール」が来ました。

その一つを紹介致します。

【高岡氏からのメール】
谷亮子の出馬は 誰が考えても、政治を舐めているとしか思われない。
そんな、片手間で道楽で政治゛をやられては、国民はたまらん。
わかった!!民主党の小沢チルドレンは、枯れ木も山の賑いだけか。 
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谷亮子の「五輪、子育て、議員」 「3足のわらじ」に批判相次ぐ
2010年5月11日 19時9分 (J-CASTニュース)
柔道女子の谷亮子選手(34)が、オリンピックを目指しながら
議員活動を行うと宣言したことに疑問の声が相次いでいる。
息子2人の子育てを含めて「3足のわらじ」となるが、本当なのか。

ヤワラちゃんが2010年5月10日、夏の参院選比例代表に
民主党から出馬すると表明。
そのこと自体も意表を突いたが、
さらに会見内容が現場の記者団を驚かせた。

■「政治を舐めているのか」
 「ロンドン五輪で金メダルを目指します」。
 こうあっけらかんと宣言したからだ。

 現在の柔道界はランキング制になっており、五輪までに数々の
国際大会でポイントを稼がないといけない。

もちろん、国内選考を勝ち上がることも必要だ。
また、谷亮子選手には、4歳の長男と7か月の二男がおり、
子育てとの両立をどのようにしていくのか。

 そんな中で選挙・議員活動をしていくと予想されることから、
ネット上では、批判や疑念が渦巻いている。

「スポーツを舐めているのか政治を舐めているのか」
「引退してから出馬すればいいじゃない」
「売名か民主党に利用されてポイかどっちかしか浮かばない」
「何ができるの?政治能力あるの?」…

 これらは、ツイッター上でのつぶやきの一部だ。
 谷選手は、会見では、スポーツ界の人材育成や環境整備などに
取り組みたいと抱負を語っている。
しかし、こうした指摘についての釈明はなかった。








【第2部】昭和の日に思う、所功氏講演会より

2010-05-19 05:16:19 | Weblog
昭和の日記念講演会【第2部】

講師ー所功氏「京都産業大学教授・日本文化研究所長」

所氏 1941年 岐阜県生まれ  名古屋大学卒
   皇學館大学助教授・京都産業大学助教授を経て現職

著書「伊勢神宮」「日本の祝祭日」「年号の歴史」「歴史に学ぶ」
  「京都の三大祭」「天皇のまつりごと」など多数
   

【第2部】

それでは「昭和天皇」についてお話しましよう

今日は「昭和の日」でございますが「昭和」の年号は
「漢学者の吉田増蔵氏」の考案で「中国の古典」から引用しており
「全国民が明るく・豊かに」「世界が平和に和合する」
そんな宣言をされた「昭和天皇」の思いがこめられた
「年号」となりました。

「大正15年12月15日」に「大正天皇」が崩御され
「皇太子殿下」であらせられた
「昭和天皇」が即位されました。

そして翌年「昭和2年」に「昭和天皇」のお生まれになった
「4月29日」を「天長節」と制定しました。

戦前の祝日はすべて「天皇家」の祝い事の日を「祝日」としていました。

ところが「昭和20年」の敗戦で「占領軍」の「祝日」が
「天皇家」と関わりあるのは「ダメ」だとの判断で
大幅に「祝日」が変更されました
「皇室中心」が否定されたのです。

仕方なく時の「内閣・政府」が「23年」に定めた
「国民の祝日に関する法律」でした。

「1年」で「10日」の祝日の提案でしたが、ただ一つ「占領軍」が
認めない「祝日」が【建国の日】でした。

ですから「祝日法案」は「年間・9日」となりました。

その前に「憲法」が出来ていまして「22年5月3日」に発布されましたが
色々、日本人としては不満足でしたが「1条から8条」までは
天皇は「和合の象徴である」と、されており
「明治憲法」から大きく変り「天皇」を否定される事を
一番心配していた国民は安心したのです。

元首は「天皇」であり、しかも「世襲」を認めてありました。

国民は大いに「安心」したのであります。
そんな中で「4月29日」が天皇誕生日として実施されたのです。

新憲法は「占領軍」にとって創られましたが
「昭和天皇」の立場について又、天皇制について
日本国民は「一安」した事は間違いないと思います。

そうした中で「天長節」は呼称を代え「天皇誕生日」として
「祝日」となった事は、まず国民にとつて何よりの選択でした。
「天皇誕生日」は国民としてお祝いをする日となりました。

やがて、昭和64年「昭和天皇」が崩御されて「平成」と
変ったのは、まだ、我々の記憶に新しく残っていますね。

その時に「4月29日」は「天皇誕生日」から消えてしまうのが
普通でありました。

なぜなら、あの「明治天皇」の誕生日の「11月3日」は明治時代は
「天長節」としてお祝いをして参りましたが、亡くなられて「大正」に
変った時は「11月3日」は「天長節」ではなくなり「大正天皇の誕生日」
「8月31日」が「天長節」となる事になりました。

ただ「8月31日」はお祝いをしてくれる「国民が暑いだろう」との
「天皇」のお気持ちで「2ヶ月」あとの「10月31日」を
「天長節」としたいきさつがあります。

明治天皇の「天長節・11月3日」は多くの惜しむ声があり、
色々努力され「昭和」になりまして「昭和2年」に
「明治節」として復活したのです。

この様に「明治天皇」の「天長節・11月3日」は「明治天皇崩御後」も
そのまま自動的に続いた訳ではなく「大正時代」に、消えた物が
「昭和」になって復活したわけです。

その意味で「昭和天皇」の「天皇誕生日4月29日」は消える事は
仕方がないと思う人もありましたが、あの「激動の昭和時代」に
国民を導いて頂いた「昭和天皇」に対するお礼と「昭和時代」の思いで、
何とか「4月29日」を残そうということになり「竹下内閣」でしたが
「みどりの日」の「祝日」として残したのです。

現在の内閣と異なり、当時の政治は、国民の望む事は
「すぐ実行」する「力」と「先見性」がありました。

思えば「昭和天皇」は「昭和62年9月22日1回目の手術」そして
「63年の9月に2回目の手術」をされ、その「111日後」に
最後になった「64年の1月」まで、時の「自民党の総理大臣」は、
「一日」も首都圏を離れずにいて、「64年1月7日天皇崩御」の際に
「1番先」に皇居に駆けつけたのは当時の「竹下総理」でした。

当時の政権には、又その側近には「陛下」のお体をあんじ、
そのご病状を正確に国民に伝える事が「為政者・政権政治家」の
大切な仕事と考えていたのです。

今の「政権与党」には「天皇を敬い気遣う気持ち」はあると思いますか?

それどころか「宮内庁」を顎で動かし、「天皇」も「自分達の配下」の
ようにしか思っていない「政治家」が多くいて「宮内庁と摩擦」を
おこし「天皇」にご心配をお掛けしているのです。

さて、話を「昭和の日」に戻しますと「みどりの日」のままでは
「昭和時代」や「昭和天皇」との「結びつきが薄れてしまう」との
声が多く各方面から出て参りまして、当時の「自民党政権」は
直ちに「「みどりの日」から「昭和の日」に「祝日法」を改正したのです。

それでは「昭和天皇」について掘り下げて
お話し申しあげましょう。

続きは【3部】にて投稿いたします


安田紘一郎雑記帳

「昭和天皇」は戦後「全国46都道府県」を巡幸されるも、
「沖縄巡幸」だけは沖縄が第二次世界大戦終結後も
長らくアメリカ軍の占領下にあり、そして
返還後も昭和50年(1975年)の皇太子訪沖の際に
一部の過激派による「ひめゆりの塔事件」が
発生したこともあり、周りが訪沖を見合わせた為
ついに果たすことができず、死の床にあっても「もうだめか」と
「沖縄巡幸」を行なえないことを悔やんで崩御された、様である。

現在の「普天間問題」を「昭和天皇」はどう思われているのでしょう






昭和の日に思う!所功氏講演会より 安田紘一郎雑記帳

2010-05-17 05:04:30 | Weblog
昭和の日に思う・講演会【第1部】

●所 功氏「京都産業大学教授」
【4月29日講演】を「3部」に分けて投稿します

所氏 1941年 岐阜県生まれ  名古屋大学卒
   皇學館大学助教授・京都産業大学助教授を経て現職

著書「伊勢神宮」「日本の祝祭日」「年号の歴史」「歴史に学ぶ」
  「京都の三大祭」「天皇のまつりごと」など多数
   

所です、
「みどりの日」が「昭和の日」に改訂され四年目を迎えます。

一方で「昭和時代」というものが、次第に「国民」の「意識」から
薄れてゆきます時、もう一度「日本歴史」始まって以来の敗戦と、
その後の「新日本建設」の「歴史」をかみしめ、
「昭和天皇」をはじめ「日本の国体」を保って下さった恩人たちへの
思いを新たにしているところです。

日本人の寿命が延びて女性は80歳を超えてきていまして
この会場内にも「80歳以上」の方が多くいらしゃる事でしょうが
その皆様からみれば、16年生まれの私など子供みたいな者でしょうが
この先の「日本がどうなるのか?」と心配している事は
先輩の皆様と同様で御座います。

戦後、あの敗戦の中から立ち上がり、先輩の皆様の努力で復興し、
そして「平成22年」を迎え「良い世の中にになった」と
思う事は少なくありません

しかし、まわりをよく見てみますと
「昔はこうであったのに、なんでこうなっのか」と
思えることが、あまりにも多すぎて戸惑っているのです。

私は「教職」について「40年数年以上」が経ちますが、
昔の「若者達」は問題もありましたが
もっと「元気」がありましたし「意地」も持ち合わせていました。

最近の「若者達」は「きれいで・スマート」ですが、
多くの「若者」に何か「元気」がありません。

私は「授業」の「最初と終わり」に「起立・礼」の
「挨拶」を大きな声でさせるのですが
それが、全く元気が無く、「テンション」が上がらず
何度もやり直しさせているような状況なのです。

先般の「カナダ・バンクーバー」」で行われた「オリンピック」での
成績を見てみますと愕然とする結果ですね、

勿論、メダルを取ることだけが目的で、至上はありませんが、
日本のメダルは「5個」で「1位のアメリカ」からみて「14位」ですが
お隣の「韓国」は「14個」のメダルを獲得し「7位」でした。

「韓国」は「日本」の半分の人口で「オリンピック」に
参加した人も「日本」の半分の人数でした。

そしてこの結果です。
これは圧倒的に「韓国」の方が「日本」より強いという事ですね

私は「スポーツ」には素人で「強化方法」など、
多くの課題もあるのでしょうが
背景として根本的には「教育」の「差」ではないかと思います。

「日本社会」の「青少年」に対する「教育」や「期待」のあり様が
この「五十年」の間に変ってしまった結果です。

「日本青少年研究所」という「団体」がありまして、
「アメリカ」「韓国」「中国」と「日本」の「4カ国」で「高校生」の
「意識調査」をしておりますが、驚く結果があります。

「高校生」が「一日」に「勉強する時間」を
アンケート調査しましたら
「中国が・17時間」「韓国・14時間」「日本・7時間」と
いう調査結果でした。

日本の「高校生」は「学校で・6時間授業」を受けるので
「家では・1時間」という事になりますが、
高校の先生にそれを質問したら、
先生は
【その調査は可笑しいですよ、家で・1時間も勉強していませんよ、
アンケートに多めに答えたのでしょう】 と答えてくれました。

「中国」や「韓国」の高校生は家に帰ってから
「何時間」も勉強しているのです
その事だけをみても大きな違いが出てきていますね!

もう一つの調査結果があります。
親から見て「子供が贅沢」なものを欲しがるとき、
「韓国・中国は70%」の親が注意し「アメリカは・50%」が
注意しますが
「日本の親は40%」しか注意しません。

次の調査は
【「親や先生」の注意を素直に聞く事が出来るか?】に対して
「中国・韓国」の「高校生」は「60~70%」の生徒が
【素直に聞く】と答えましたが
日本の高校生は「60~70%」が【素直に聞けない】と答えています。

勿論「親や先生」の注意する事が全て正しく、
子供の為になる事はありませんが、
そうした「聞く耳を持たない」態度や行動が、折角「伸びる力」を
阻害している様に思えてならないのです。

この様なデーターが必ずしも正確とは申しませんが、
現在の日本の問題点を浮き彫りにしていると思うのです。  

そうしますと、この状況の中でこれからの日本を
「どう変えれば良いのか」を考えなければなりません。

一昔前であれば「教育改革」であれ「社会改革」であれ
「外国」に「モデル」を求めていましたが、
今や「世界」に「モデル」はありません。

各国とも「教育」に悩んでいます。
あの「韓国」でさえ最近は「学生」が
「親や先生」の注意を聞かず、学校内でも様々な問題もあるようです。

「韓国」も「自由主義国」ですので、将来は「日本」と同じ様な
状況が予測されますし又、「中国」は日本とは異なる
「社会体制」なので「モデル」にはなりません。

我々日本は、もう「外国」に「モデル」を求めずに
「日本」の偉大な「祖先が先輩達」が「どんな問題」を抱え
「どんな思い」で「どの様に克服」をしてこられたのかを
振り返り「良いものは是」とし
「今の時代に合わないものは非」として学びとっていく事が
最も可能で「正しく」「日本人」にあった
「現実的」な方法だと考えるのです。

今年は「教育勅語渙発」の「明治23年」から
「120年の節目の年」に当たりますので、
私はこの「教育勅語」が「どうして創られたのか」
「どういう内容なのか」「どう普及したのか」
そして「どのような結果」を生み
「今はどうなっているのか・どんな問題があるのか」を
勉強してきました。

先般ある塾で「50名の大学生・高校生」に話をする機会がありました。
講義の中で「教育勅語」を「読んだ人はありますか」と問いましたら
「4人」の学生が「教育勅語」を読んでおりました。

「2人」は「家」で読み、後二人は「他の場所」で読んだそうですが
「学校」で読んだ学生はいませんでした。

今の学生は「小中高・大学」も含めて「教育勅語」は
知らないのですね。
因みに高校の「教科書」には「日本史」などに
「教育勅語」は出てきます。

しかし「教育勅語」の本分は出てきません、
「教育勅語」に対してネガティブな注釈ばかりが出てきています。
普通の「中・高学生」が知らないのは仕方がないともいえるのです。

私はこの「教育勅語」が「120年前」にできて「長い間日本人に親しまれ」
「大きな影響」を与え、今尚、大切にされている事実だけでも
「教科書」に載せ現場で、しっかり説明をして欲しいと、思うのですが
なかなか、難しいようです。

そこで、提案ですが「学校」でやってくれなければ、我々は「家庭」で
「地域」で「職場」で教え、理解し、実践する事が大事だと思います。

「教育勅語」は日本人の心の中にあり、大変難しいことですが「実践」し
身をもって「次代」の若者に語り継いでいく事が大切ではないでしょうか 
私達の一生の役割としてこれを行うのが「日本」の未来に灯をともすのです。 


それでは「昭和天皇」についてお話しましよう
【第2部】で続きを投稿いたします。


紘一郎雑記帳

3年前に、昭和時に「天皇誕生日」であった「みどりの日」が
「昭和の日」になりました。その意義は
【激動の年数を経て再建を成し遂げた昭和時代を
振り返り国の将来に思いをいたす】と明記されています。

あまりにも変化のあった昭和時代がすぎて22年、
若者だけでなく、我々の心の中にも
「戦争・焦土・飢餓・占領・」など苦しかった事
「復興・発展・経済大国」への道程の夢の有った時代の
史実が薄れつつあります。
今一度、昭和と昭和天皇の存在を意識したいと思います。






女心の防衛論・祖国の誇り 堀江珠喜女史 紘一郎雑記帳

2010-05-14 05:09:13 | Weblog
【第4部】

【草食系男子と肉食系”悪女”について】を
講演頂いた堀江先生のコラムからご紹介申し上げます。

講師ー堀江 珠喜女史 【第4部】
現・大阪府立大學総合教育研究機構・教授

神戸女学院文学部・同大学院修士課程英米文学専攻
神戸大学・大学院 文化学研究科。博士課程修了

著書「悪女の手帖」「恋愛作法」「男はな悪女に惹かれるか」
  「人妻研究」「おんあの浮気」「悪女の老後論」
   新書「いい加減な人ほど英語が出来る」など多数


【女心の防衛論・祖国の誇り】 堀江 珠喜

「ブエノスアイレス」で「十泊」した「Aホテル」では、
客の「祖国の国旗」を、正面玄関に掲げている。

我々の滞在中は「日の丸」も混じっていた。
しかし最も良い場所の真正面にあったのは
「イスラエル」の国旗でした。

この国にはユダヤ系の移民が多く、今でもユダヤ人街と
思しき場所はあるし、「タンゴ・ショー」に行っても
「バイオリニスト」は如何にも「ユダヤ系」である。

「イスラエル」との結びつきが強いのも当然の様だ。
しかも「アルゼンチン」には地下資源がかなりあるとか。

草原には牛が放牧されているが、その草原の下に
埋蔵されているのは何か?

当然ながら各国が目をつけ、投資に動いている様子で
「フランス」は「TGV」を走らせる契約を結んだ。

日本は何をする気だ?
我々夫婦が日本人観光客にしては珍しく「2週間」も
この地にいたので「本来の目的」は何かを探る為に
「情報部員」らしき「仏人夫婦」が友好的に接近してきた。

後日、夕食を共にしたが我々が「ロビイスト」で
ないとわかって安心したようであった。
国際社会ではこんな連中の暗躍は常識である。

なにしろ、今世紀は地下資源をいかに平和的に
他国を出し抜いて入手するかが、先進国においては
最大の課題なのだ。

そして「アルゼンチン」にはお宝が眠っているのです。

タクシーの運転手が我々に言いました
【ここでは石油も食糧も自給でき全然困らない】と
その豊かさは日本とは正反対である。

では、数年前の、あの「アルゼンチン債」の大暴落と
「預金引き出し制限」の大混乱と大騒動はいったいなんだっのか!

あれ以来我々が「日本のマスコミ」で知るのは暮らしに困って
「ヨーロッパ」へ出稼ぎに行くような話や情報ばかりである。

「アルゼンチン」、特に「ブエノスアイレス」は豊かで、
小型ヘリコプターで、空から観光すると、
プールつきの豪邸が多い事が良くわかりその規模も数も
「ビバリーヒルズ」をはるかに凌ぐものである。

経済の数字には少々の問題が生じても、
現物を持っている者は強い。

絵に描いた餅がどれほど多くても腹の足しにはならないのだ。

「美味しいワイン」に「厚いステーキ」そして「新鮮な野菜と果物」・・・
これらが自給できて、普通に食べられる国を
私はとても羨ましく思うのである。

そしてさらに羨ましいのは
「マルビナス戦争(つまりフォークランド戦争)」の
敗戦国にもかかわらず、英軍に沈没させられた軍艦の
死者を祭る碑が建てられていることである。

しかも「英国塔」と呼ばれている歴史的建築物の
真向かいにあり、そこまでは「永遠の炎」が輝き
二人の水平が立ち番をしている。

いっぽう「英国塔」は落書きだらけで荒れ果てている。

これに正面から挑むように「祖国の為に戦死した者」たちの
慰霊碑を建てたことこそ「アルゼンチン」の
誇りを示す行為ではなかろうか。

敗戦国であっても彼らは自分達が正しい、
「マルビナス(フォークランド)」は自分達の領土だと信じている

そして若者にもこうした祖国の誇りと自信を抱かせるのに
この碑は大きな役割を果たしているはずである

それが堂々と出来る国が羨ましい、
我々は【食料】【地下資源】そして最も大切な【誇り】までも
自給自足できない、【情けない国】に
生きている気がしてならない。

以上【いのり】掲載文より


紘一郎雑記帳

南米アルゼンチンの資源を巡って先進国の猛烈な
情報戦が行われている様子ですが「日本国」の姿はみえません。

又、日本の自公政権の政府がアフリカで折角「永年蒔いてきた」
努力が水泡化し、次々と他国にその権利を奪われている事は
報道からも読める。

民主党政権の政治主導で官僚は動けず、
官僚を使いこなす政治家もいなく
国際的には【日本二流国】に成り下がったようです。

【二流国ではいけませんか!”女性仕分け人”の声が聞こえてきます】

「小澤一郎・国家元首」の一言
【政治家は次の選挙に勝つ事が最大の仕事である】
そうで
次の選挙の用意をする事が「民主党政治家」の主たる仕事で、
「政治家」が「政治」をせず「選挙の準備」に
「奔走」している為、空白となり
特に「海外利権」はことごとく失っているのが実態です。

子供手当て・高校無料化・高速料金、どれも大切なものではあるが
その財源となる産業はどうするのか、
何の産業で外資を稼ぐのでしょう?

家庭でいえば「子供の小遣い増額」する代わりに
「晩酌を仕分けして半分(晩酌のビールは小瓶ではダメですか」

そんな議論ばかりで、気がつけば「働きに出て」がんばって
「家」に給料をもって帰る人がいない家庭のようです・日本は!






















































【第3部】”悪女と悪男”堀江珠喜氏講演より 安田紘一郎雑記帳

2010-05-12 05:08:33 | Weblog
【第3部・草食男子と悪女について】

堀江珠喜氏講演会 1部・2部の続き

昔の「悪女」の定義であった「醜い女性」と
「色香で男をだます女性」について、お話しましょう。

「醜い女」が悪女という考えと「色香で男をだます女」が
悪女というのは全然違いますよね。真逆ですよね。

簡単な解りやすい物語に例えれば違いが良くわかりますね、

男の世界でいえば時代劇の「悪代官」や
子供の絵本に出てくる「悪い魔法使いのお婆さん」などは
見るからに「悪い人」に見えますね。
そうしないと、「子供」が混乱しますよね。

ところが、少し文化が進んできますと、
「虫も殺さない様な綺麗な女」が本当に悪い女だった。
そうすると「悪」にも魅力が出てくるのです。

見るからに「悪い人」が「悪人」なら当たり前で
面白くないですよね。

「天下の2枚目」が本当「悪い人」であったり、
弱々しい善人風の人が「大悪人」であることが
受ける時代えと変ってきたのです。

突き詰めていくと人間は「善悪」両方を持ち併せて
持っており、いつでも「善人」にもなれるし
「悪人」にもなる事ができるのですね。

ジキルとハイドの様に人間は両面を持っている複雑なもので
「リアリテイ」が出てくるのですが
そこまでは行かず、その真ん中ぐらいのところで
「綺麗なんだけど悪い女」といわれるぐらいが「悪女」の
存在ではないかと思います。

「悪女」という言葉があるのに「悪男」という「言葉」はありませんね、
「善男善女」言葉はありますが「悪男悪女」はないですね
「悪妻」はありますが「悪夫」は御座いません、

「悪女」があって「悪男」が、なぜ無いのかを考えて見ましょう。

「悪男」という言葉がないのは「男」は
「皆・善人」という考えられない「前提」があるからではありません。

同じことをしても「女性だったら悪い事」だけど
男性が同じ事をしても「許される」「悪い事」にはならないのです。
それが常識であった時代があったのです。

今は「そんな事」はありえませんが「タバコ」の吸い方ですね。

少し前の時代では、男性は「咥えタバコ」で町を歩けましたが、
女性が「咥えタバコ」で町を歩けば、それだけで
「悪女」になれた時代も有りましたね。

でも、その時代でも「おばちゃんは良いのですよ、別ですよ」
「おばちゃん」は女性にカウントされませんから(笑)

「綺麗な若い女性」が「咥えタバコ」で町を歩いていると
「町が汚れる」とか「環境」とかの問題ではなく
「何となく」「常識が無い女」か「少し可笑しい女」と
して見られるのは「女性」だからでしょうね。

そうして考えてみると「悪女」がいて「悪男」の
言葉がない事が解るようになります。

「悪男」の言葉が存在しない理由がもう一つありますね
「男」は初めから、皆「悪」という事ですね(笑)
「男」の意味は「悪い」の意味も含まれているのです。

「おくり狼」とか「男は皆”狼”よ」という言葉があるように
「男」即ち「悪」と思われていた事も一つの事実でしょう。

3つ目の理由としては悪女の言葉がありますが、
それは実際の例が少ないからでしょうね。
だから、小説でも芝居でもうけるのでしょう。

「悪女」の一つのパターンが「色香で男をだます」とすれば
「悪男」は「女性をだますのは悪」ではなく、それは
「男尊女卑」の社会が永く続いたお陰で、その風潮があり
「悪男」の言葉が無いのでしょう。

昔「爵位制度」がある時代に「爵位」は男性だけの物で
「女性」には「爵位」はありませんでした。

即ち「悪女」には「マーケット」がありますが「悪男」には
「マーケット」が無く「物語り」にならないことが原因でしょう

19世紀には「ヨーロッパ」では【悪女物】が大流行いたしました。

その頃の「産業革命」で地方から都会に出て来た
人たちの生活の変化がありました。

人間は面白いもので「ハングリー」の時は、
何とか向上したいと思う気持が強く、お金が欲しい、
偉くなりたいと頑張るのですが、偉くなってしまうと
「破滅型」のものを好む傾向があり、自分は破滅するのは嫌だが
何か「人が破滅」するのを喜ぶ「マホヒズム」が出ますすね。

そういう時のそういう男が危ないのですね、
そんな時代に「悪女物語」が流行るのです。

田舎から出てきて、都会の暮らしに慣れた人達が
そのまま都会に住み着いて今は「3代目」以上になっていますが
その「3代目」たちが祖先(お爺ちゃん達)の苦労をしらず
「ハングリー」精神がなくなり「文化」に」対する
知識はありますが、働く意欲は少なく、まさに「草食傾向」は
欧米でも出て来ていますが「日本」ほど酷くはありません。

今は、女性に「昔投票権」もなかった時代に比べると
「女性」は「男女平等」となり「仕事」もあり「教育」も
受けられ「選挙権」もあり「政治家」になって
「国」を動かすことも可能な立場となってきました。
大統領にだってなろうと思えばなれる時代ですね。

ですから、女性は「色香で勝負する」必要がなくなりました。
女性が強く成ってきたのです。

でもまだ「男性社会」の傾向は残っていますので
これからは「女性」は「男性」とタッグを組んで
いくことも必要ですし、
又「男性」も「草食系」というよりは「草」みたいな
「男」と組むよりも「肉食系女」とタッグを組むほうが
はるかに効率が良く結果も出やすいのではないでしょうか。

「肉食系女性」を使いこなせるか、そんな「猛獣使い」の
様な「男」になれるかが「経営トップ」として
「手腕」を問われる時代になったようです。

少し話を変えますが「悪魔」といいますと日本では
「恐ろしい・悪魔の様な奴」といって本当に恐ろしい
犯罪を自分で行う、凄い悪い男のイメージがあります。

しかし「キリスト教の悪魔」は自分では犯罪を行いません。
「弱い心」を持った人に犯罪をさせて、
自分では手をくださないのです。それが「悪魔」です。
そそのかす、人を狂わす人を「悪魔」といいます。

それから考えますと「悪女」とは
「人(男)をそそのかして、騙して悪事をさせる、する」
女性の事となりますね。

面白い話をしますと女性は新しい物が好きなのです。
「開店」が好きですね! 近所の「レストラン開店」は
何をおいても行きますね。新し物好きですね

その点、男性はダメですね、いつまでも「お袋の味」に
しがみついているのです。(笑)

「男性」は寝食忘れて「仕事など」に「没頭」出来ますが
「女性」は無理ですね、「3食」食べたいですね(笑)
しかも「美味しいものを」お腹一杯に、その上「睡眠」も
ゆっくり長く欲しいですね(笑)

次・第4回は特別に堀江珠喜先生の寄稿文を投稿致します、
【女の防衛論・祖国の誇り】です

紘一郎雑記張

「悪女」については「堀江先生」のお話で概略
わかりましたが「悪男」を考えてみましょう。

「悪男」の定義は「自分」では、決して手を汚さずに
「弱い立場の人(例えば秘書)」にさせて「自分」は
捕まらない「政治家」や「自分」の権力欲だけの為に
平気で「実現不可能」な「マニフェスト」で「国民」を騙す
「政治家」などを云うのでしよう。
この国は、現在「悪男」の二人に「支配」されている
「可愛そうな国」なのです。
【一揆が必要ですね!!】






























【第2部】”悪女”に定義はあるか! 堀江珠喜氏講演会より

2010-05-10 05:05:23 | Weblog
【第2部】
【草食系男子と肉食系”悪女”について】講演より

講師ー堀江 珠喜女史 【第2部】
大阪府立大学・教授
現・大阪府立大學総合教育研究機構・教授

神戸女学院文学部・同大学院修士課程英米文学専攻
神戸大学・大学院 文化学研究科。博士課程修了

著書「悪女の手帖」「恋愛作法」「男はな悪女に惹かれるか」
  「人妻研究」「おんあの浮気」「悪女の老後論」
   新書「いい加減な人ほど英語が出来る」など多数

堀江氏講演・続き
「江戸時代」の「八つあん、熊さん」は独身でしてね。
それでも、物語の中では今の独身男性と違い明るいですよね。

今の世の様に「ストレス」という言葉の「病気」がなくて
「八っあん・熊さん」も「病気」になれなかったのですね。

余談になりますが「ストレス病」でなければ、
後は「老化病」になるようですよ!(笑)

「ストレス」「セクハラ」「ストーカー」などの、
昔なかった言葉が「草食男子」を「作りだした」ともいえるのです。

もう少し原因を探れば、日本国民が「お金持ち」になり
「高学歴」になり「男女共」「婚期」が遅くなっていますが
そうすれば自然に「少子化」になりますね。
「出産適齢期」が短くなる訳ですから。

昔の人は上手い言葉を残していますね、
「貧乏人の子沢山」(笑)
「高学歴」は「小子化」対策には必要ありません

その代表的な集まりが私の業界です(笑)
私の業界では「アホ」でも高学歴なのです。(笑)

そして大半が男性です、
女性が増えたといいますが、圧倒的に男性が多いのです。

その「男子学生」をみていますと「草食系動物」と
いうよりも「草」ですね、「草」そのものです(笑)
「草食」で「草」を食べているのではなく「草」なのです。

何をしても、全く「反応」なく「風」の吹くまま「靡いて」
時々「水」をやる必要があり、「虫」がつけば「取り除いて」
やらなければ「自分」で何も出来ない人間です。

何も言わない「パソコン」の前だけに「生きがい」を
見出している「男子」が、まして「肉食系動物」に
話しかける事など、絶対に無理ですね!

この「草・若者人間」が物凄く沢山いるのです。

我々「人間」は「動物」ですから、植物の
「草」になっては「子孫」が作れないですね。
この日本の行く先が本当に心配です。

「小子化問題」解決には「高学歴」に対する認識を
変えるだけで解決するように思います。

元来、日本では「子供」は「男の子」を意味します。
多くの家庭に昔からあった「系図」には「女児」は
載っていない「系図」が大半でした。

これは日本だけでは有りません。
「ユダヤ教」や「キリスト教」の「聖書」でも同じです。
「子供3人」といえば「男の子3人」の意味ですね。

英語で「MAN」といえば「人間」という意味も有れば
「男」も意味します、「人間」は「男」なのですね。
「フランス語」でも「ドイツ語」でも同じ様な現象です。

そんな事を考え「家」に帰りますと、
我が家にも「草」が一人おりました。
この「草」偉そうに永く我が家で「根付いて」います。

そして17世紀の明言を思い出しました
【人間は考える葦(草)である】(笑)
フランスの「ブレーズ・パスカル」の言葉ですね

先ほどお話した「人間」は「男」であるという考えで
申しますと「男は考える葦である」ですので
もう「17世紀」から、いわれていたのですね
「男は葦に過ぎない・男は草である」

自然の中で「男」は弱いもので「考える葦(草)」で
しかないという逆の考えもあるのです。

ですから【人間の尊厳は「考える事にある」】ですね。

その「草食男性」に対して又「草」に対して
私達「女性」は「男性」に過度の期待や要求を
しているのかも知れません。

「強くあって欲しい」「頼りになっ欲しい」「力強くあって欲しい」
「いざという時は”国”の為に戦って欲しい」そんな「無知苦茶」な
思いを寄せているのでしょう。

しかし、今の「男」はいざ戦いとなったら「守る」どころか
さっさと「白旗」を掲げて、「家族」や「国」を見捨てて、
降参する事でしょう。

しかた有りません。
そんな「教育」や「指導」も全く受けていないからです。

なぜなら、多くの「草食系男子」は
【俺にそんな期待はしないでよ、
たまたま「男に生まれた」だけなのに】
と、思っているのです。

一方「女性」を考えて見ましょう
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」と
言われいますが、これは全部「植物」ですよね。

女性は「植物」あり「花」で有りました。
そのままで良かったのです。そのまま、花でいて欲しかったのです。

それが、なぜだか「職場の花」「学園の花」でよかったのに
「肉食花」に代わってきましたね、(笑)
これは男性にとっては怖い存在ですね「食虫植物」の様ですね。

そこでこの様に、男性にとって不都合な女性をさして
「悪女」という様になってきたのでしょう。

「悪女」の日本語の「定義」は「時代」によって変わってきています。
昔は「醜女」でいわゆる「ブス」をさしていましたね、

「顔」が悪いと「心」も悪いなんて「酷い」定義がありまして
「悪女の深情け」なんて事も言われていましたね。
「不細工な女」は「情け」が深いから「気をつけろ」という意味でしょう。

ある調査によりますと「男性」が別れ話を切り出し易いのは
「美女」の方らしいですね、「今分かれてもすぐ良い男性が見つかる!」
と思うようですが、女性からみれば大きなお世話ですね。(笑)

反対に「ブス」の女性には「なかなか別れ話」が出来ない様で
この人にとって「これが最後の男性との付き合いか」と
思うようですが、これも大きなお世話ですね。(笑)
こんな調査をどうでも良かったですね。

そして時代が進み最近の「悪女」の定義は「性格の悪い女」
「色香で男をだます女」というように変ってますね。

「小説」や「テレビドラマ」に出て来る「悪女」は
こんな形になっている様ですね。

日本語の「悪」という言葉の意味の中には「元気」とか
「強い」という意味も含まれておりますので
私流に「悪女」を解説すれば、男性社会の中「元気に」「強く」
「逞しく」活動している「勝ち組女性」と思っております。

昔の「悪女」の定義であった「醜い女性」と
「色香で男をだます女性」について、お話しましょう。

【続きは第3部にて投稿致します】


安田紘一郎雑記帳

小生の「悪女論」を考えてみた。

話題になった「和歌山のヒ素殺人事件」の犯人(裁判中?)や
最近の事件の中で「千葉県」や「鳥取県」で起きた
「殺人事件」の容疑者など、自分の欲求を満たす為に、
「人の命」を簡単に「奪う女」がその代表だと思っていましたが
反面「騙される男」にも少しだけであるが、本当に少しだけ
問題が無いといえない気もしますが、如何でしょう。

それよりも、自分の欲望の為に、自分の子供(幼い子)を虐待し、
しかも「命」まで奪う「母親」は最も醜い「悪女」と思うが
そんな事件が多すぎませんか!