紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

世界一の原動力は「叱り方」 井村雅代氏講演会・安田紘一郎雑記

2009-11-30 05:14:05 | Weblog
【井村 雅代氏・講演録より「叱り育てる」】

井村氏自身は小学校3年から水練学校に入門され
中学校1年からシンクロナイズスイミングをはじめ
大学卒後、中学の教師をしながら指導に携れ
昭和53年から日本代表コーチ。

本日はその指導の方法についてお話いただいた。






「あの選手はいいな!」といって他のチームの選手を
欲しがるリーダーが多いが、私は自分の前にいる選手を
どう育てるかがリーダーの腕だと思っています。

私の育てた中で世界のトップにある選手でも、
初めは下手で脚の線が綺麗なだけが、取り得の娘さんが
努力を惜しまずに開花したように、
選手の素質の善し悪しを語るリーダーは
自分の能力がない事の言い訳にしか聞こえません。

常に私は自分がその選手の何を認め、何を叱るかを
解りやすく説明し納得させる事の大切さを感じています。

小学生以下には挨拶がしっかり出来る事、
中高生には丁寧な言葉で話し、
お礼がきちんと言えることを教えます。

いくら「シンクロ」が上達しても人間として
上達しなければ意味がありません。

一芸に秀でていても行儀が悪ければ全く
「ダメな人間」でそんな人にさせたくないのです。

私は選手を本気で怒ります。

「そんなブスの顔お客さんは見たくはないよ!」
「こんなことが出来なければシンクロやめなさい!」
「いい加減にしてよ!ダメなものはダメなの!」

なぜ無茶苦茶に選手を叱り、けなすのか、時には
選手のプライドをわざと傷つける言葉も平気でだいします。

選手が憎いわけではありません。 選手が今の自分の
未熟さを認識しそれを超えて、次のステップに進んで
貰いたいから、怒り、叱るのです。

怒り、叱ったあとにはフォローが大切なのです。
叱るタイミングはその場すぐ叱るのが一番結果がでます。
あとから言っては逆効果のときもあります。


私は「北京オリンピック」で中国から「中国チームのコーしてチ」を
要請され引き受けました。

27年間も「日本ナショラルチーム」のコーチを
務めて貢献きた心算でしたが、一部の人からは
猛烈なパッシングを受け「売国奴」とまで言われました。

中国からの条件は「どんな色でも良いからメダルを取る」と
いう事でした。
早速「猛練習」に入りましたが今までやった事がないので
皆がすぐ身体をこわしてしまいました。

そこで考えたのが技術で良い点数を取ることに加えて
審査委員に良い印象を与える重要性に気づき、
3つの【あ】を教え込みました。

その3つの「あ」とは「愛想笑」「挨拶をする」「有り難うを言う」の
「あ」でした。

この「あ」を言われて怒る人はいません。
挨拶は「英語」でも「日本語」でも「ニーハオ」でも良いとしました。

オリンピックに先立って開催された「水上選手権」では、
まだこの「あ」が出来ず何度も大声で叱り指導していきました。

この時に「四川大地震」が起こり「四川」から来ている
選手も含めて、テレビの前で皆が呆然自失となっている時に
阪神大震災の話をし、一緒に泣きながら
「被災した人を元気づけるためにもオリンピックで頑張ろう」
と練習を再開したのでした。

オリンピックが始まりましたが、最初のペアのプログラムで
失敗4位に終わりました。

次のプログラムの為に練習をしていると、中国人のコーチから
あまり練習をすると疲れてしまって「本番で上手く」動けないから
辞めて欲しいと言ってきましたが、それでも練習を続けました。

選手は最後の力を振り絞って頑張り、中国チームは3位に入り
念願のメダルを得ることが出来たのです。

そして選手皆が駆け寄ってそのメダルを首から賭けてくれたのは
以前の日本チームを指導した時と全く同じで、
日本人も中国人も皆一緒なんだと意識を強く致しました。


安田紘一郎雑記帳

最近、社会においても、企業でも「本気で叱る」ことが
出来る人が少なくなったと言われています。

それは「聞き手の方」にも問題がありますが
本当にその人のことを思い、考えた時には、
その時は憎まれても良いから、「本気で叱る」事が
大事だと「井村氏」のお話の中で判ります。

叱るのは「その人」ではなく、その人の「行為」なのですね。

憎まれてまで叱ることはないのか、
憎まれても叱るのか良いのか、
その人の価値観が決めるのでしょう。
















直木賞作家・難波利三氏講演録 安田紘一郎雑記帳

2009-11-23 05:45:15 | Weblog
【直木賞・難波利三氏講演会、安田紘一郎雑記帳】

「上方演芸よもやまばなし・てんのじ村」




私は以前この会場近くの寺田町に住んでいた事があり
久しぶりに参りましたがすっかり変わっておりびっくりしました。
我が家の在ったあたりはマンションになっていました。

直木賞を戴いた作品「てんのじ村」の取材に
この寺田町から自転車に乗って「てんのじ村」に
通った日々を懐かしく思い出しております。

「てんのじ村」は正式には「西成区山王1・2丁目」になり
天王寺から坂道を下って「古い長屋」立ち並ぶ町です。

この「てんのじ村」には大阪の芸人さん達が多く住み
昭和の20年~30年代の初めまでには300人~400人の
芸人さん達が、助けあって暮らしていたようです。

代表的な芸人さんは「都 蝶々、人生幸郎・夫妻、お浜・こ浜」
当時、売れっ子の芸人さんもおりましたが、
なぜか売れ始めると「てんのじ村」から脱出して行きました。

私が取材を始めた昭和36年には「てんの村」の芸人さんは
「30~40名位」で一番多い時の1割ぐらいに減っていた。

取材を始めて色々な多くの芸人さんに逢いましたが、
「吉田 茂」さんという「有名な元総理大臣」と
同名の芸人に興味を持ちました。

どんな「芸」をするのか全く知りませんが名前に惹かれたのです。

「吉田さん」を尋ねて取材を申し入れました。
「珍芸・かぼちゃ」という芸を見せる芸人との事でした。

「吉田さん」は「取材」は「お断りや」と「玄関払い」されました。
又、次の日も、次の日も断られました。

私も意地になり、続けて続けて「吉田さん」に取材依頼に行きました。

そして半年ほど過ぎた「年末」のある日「吉田さん」と世間話の中で
お互いの出身地の話になり、2人とも「山陰地方」が故郷と分かったのです。
私は「島根県の太田市」が故郷です。
それから一気に親しくなりました。田舎の話は良いですね!

帰りに「吉田さん」が正月はヒマですか、
【「2日」に寝屋川で私も出る舞台が有るので一度見に来なさい】

要約、取材の許可が出たのです。

「正月・2日」にやっと「吉田さん」の「珍芸かぼちゃ」に出会いました。

「吉田さん」の出番になると、まず「三味線のおばさん」が舞台に上がり
続けて衣装をつけた「吉田さん」が登壇しました。

その舞台姿は「学生帽子」を被り「絣の着物」を着て、
そして「短いスカート」をはく「珍しい衣装」でした。

そして、三味線がひく「童謡・お手てつないで」に
合わせて「足腰を曲げて小さくなり舞台を一周」するのです。

周りながら少しずつ「足腰」を伸ばし少しずつ大きく成って行き
一周して正面に戻った時には「立っている状態」になり
そこで短いスカートをパッとめくりのですが、
そのスカートの下には「真っ赤なパンツ」をはいていて
「笑い」をとる「しょーもない」芸なのです。

それが「吉田さんの”珍芸かぼちゃ”」の全容です。

なぜ「かぼちゃ」なのか、最後にスカートをめくって
上にあげた時の姿が「かぼちゃ」に様なのでその名前にしたのです。

半年間追いかけての「珍芸かぼちゃ」にはがっかりしました。
これでは「話し」にならず「小説や文」にならないと思ったからです。

次の日から「攻守」が逆転しました。

「吉田さん」から「次は何所」で「その次は何所」でと
舞台の予定を連絡してくるのです。

初めに「取材を頼み込んだ経緯」もあり「断りきれず」に
いつ辞めようか、どんな言い方をしようかと迷いつつ
「吉田さん」にずるずると付き合っていきました。

「吉田さん」に依頼し続けた同じ半年が過ぎました。
そして中国山脈にある「智頭町」の「農協文化祭」に出る
「吉田さん」について行った日でした。

私は「大切な事」を忘れていた事に気付きました。
その時が、この「珍芸」が、私の人生の転機となったのです。

「吉田さん」は20歳の時から、現在の「70歳」まで「50年間」
この簡単な芸「珍芸かぼちゃ」を続けているのです。

人は「単純な事を続ける」のは「複雑な事を続ける事」よりも
はるかに、難しい事と言われています。

こんな「単純」な「芸」を続けていく「しんどさ」は
余程「アホ」か「賢い」かのどちらかでしょう。

その瞬間から、私にはこの「珍芸」が「凄い芸」に見えてきたのです。

つまらないと思って見ると「つまらない」が
「凄い」と思ってみると「凄い物」に見える。

つまらない「単純」の中に宝がある!

物は「見方」を少し変えて「違う方向から・違う角度」で見る大切さを
「吉田さん」の「珍芸かぼちゃ」から教わったのでした。

私の直木賞受賞作品「てんのじ村」の原点です。

大阪の芸人のふるさと「てんのじ村」はすっかり形が変わり
今の「てんのじ村」に住む芸人は「一人」といわれております。

それでも「てんのじ村」には多くの一流、二流、三流関西芸人の
「夢」や「汗のあと」が今も残っているように思えるのです。


難波利三氏講演会 前半より 

後半はその「1人だけ、てんのじ村」に残っている芸人さんの話しです。
「後半は近々投稿いたします」


安田紘一郎雑記帳

難波利三氏の講演をお聴きして
「てんのじ村」で育った多くの芸人さんは自分の持ち芸に
「この芸しかない!」の気概を持ち、「ひとつの仕事・ひとつの芸」に
研磨し、人生を賭けて生きていく逞しさは、
他の仕事や人生においても同じだと学びました。

最近のバラエティ番組の「底の浅さ」が世にうけるのは
「時代」だけで片付けて良いのでしょうか?






ゴルフハンディ【1】の社長さんのお話 安田紘一郎雑記張

2009-11-16 10:03:58 | Weblog
※ ゴルフも経営も明るく・楽しく

【村上雄二氏のお話より】

村上雄二氏(通称・男前の雄さん)は1931年生まれで
驚くほどの元気な78歳である。





経営からは最前線を引かれたが
ゴルフは現役「ハンディ3」の強者である。
2度の「エイジシューター」を達成し
これからは3度目・4度目を狙っている


父から引継ぎ、二代目社長時代は苦労しましたが、
会長になりそれからは「経営」も「ゴルフ」も
絶好調となり多くの事を学ばれたそうです。

今回はお聞きしたお話の中から経営のことは
次回にまわし「ゴルフ」のお話を投稿します。

私が「村上様」と居酒屋で飲みながらゴルフの話となった際
村上様が「一度振ってみてみー」と言われたので
ちょうど目の前にあった【割り箸】をアイアンに見立てて
スイング(らしきもの?)をすると、すかさず村上様が
「なんでそんなに、打った後、頭を残すのか、
打った方向をしっかりみんかいな!」と教えてくれました。


それまでの私は「プロゴルファー」のまねをして打った後、
いつまでも頭を残す事だけを考えてスイングして
「100」を切るのに悪戦苦闘のサンディゴルファーでした。

「私が一度振ってみるから、しっかり見ておきや」と
村上様が立ち上がり同じように【割り箸】をクラブにして
持って振り始めました。

その時の村上様は会社では会長で、ゴルフも快調で
「田辺カントリー」の連続クラチャン中で
ハンディ【1】の時代であったと記憶しています。

気がついて周りを見たら「居酒屋のお客」が飲むのを止めて
村上様の回りに集まり、【割り箸スイング】を凝視していたのです。

村上様【野球はな(村上氏は浪速商業高校野球部OB)動く球を打ち、
折角当たっても守備が守っておりヒットに、なかなかならないだろう】
【ゴルフは止まっている球を打ち、広々としたとこに
誰も邪魔をする人も無く【真っ直ぐ】打つだけの簡単なものなんや!】

【上手く遠くに飛ばそうとするからあかんのや!、
 素振りの時と同じように振ったらええんや
 池もバンカーもOBもも見えているし、絶対動かないから、
そこにだけ打たなければええんや】

ゴルフは本当に「シンプル」なスポーツなんや!
村上様の口癖です。

ゴルフは「精神7・技術3」の競技であり、
技術の向上に力を入れても精神面が強く成らなければ上達はしない。

プロの真似をせず、プロのように飛ばそうとせず、自分の限界を知り
決して力まず、コースの真ん中に打てば良いのです。

200ヤードも飛ばせば充分でしょう。
「9番アイアン」の2倍飛ばすのが「ドライバー」の役目なのです。

私も若い頃「戸田藤一郎氏」に影響を受けてゴルフを学んだことも
あったが、プロはアマチェアとは違うのです。

プロは勝つ為に無理をし「腰、手首、首、足」などを故障し
晩年は多くのプロが、痛みに苦しんでいるでしょう。

最近のプロは子供の頃からゴルフを始めるので、
若い時から身体を壊し「痛み」と戦っている
「若手のプロゴルファー」を多く目にします。

素人がゴルフで身体を壊すなんてダメなのです。

と、村上流ゴルフの極意を語り続けてくれました。

続けて村上様
ある時友人から「飛ばなくなったから見て欲しい」
といわれ、見てみたら、お尻を引いて打っていた。

それを指摘したら230ヤード飛ぶようになった。

振りすぎはバランスを崩し、トップ、ダフリ、引っ掛けの原因となる。
スイングは振るのではなくクラブに振られる感じが大切なのです。

それからゴルフ上達の基本は練習は「ドライバー2割」
に対して「アプローチ8割」が最も早くて良い上達方法です。

最後に「1-シンプル」「2-怒らない」「3-限界を知る」が肝要です。

村上様のゴルフを楽しみながら、上達する方法をお聴きしました。


安田紘一郎雑記張

村上様には数度講演会をお願いし、数多くお話もお聴きし
色々とご教授いただいておりますが
いつも感じますのは「村上様」は、どんな時にお逢いしても
全く同じペースで語り、同じ夢を見ておられる事です。

俺は酒が弱いからと言いながら4合がお腹に入る豪快さと
皆に気遣いをされる細心さを持ち合わせた方で
お逢いするたび楽しい時間を過させて戴いております。

3度目のエイジシューターの朗報も近々聴けそうです。

今年の男子プロゴルフ界は15日「石川 遼選手」が
「池田 勇太選手」を賞金王争いで逆転し、
今後、益々目が離せないが、まだ若い2人なので
身体の健康管理に留意して欲しいのもである。


新型インフルエンザの現況・要警戒! 安田紘一郎雑記張

2009-11-09 05:17:50 | Weblog
 
 ●要警戒!死者多数!大流行の兆し!

【新型インフルエンザのパンデミックがやって来る!】

池田篤史氏「ホームストレージ研究所・責任研究員」講演録より




新型インフルエンザは、文字どうり人類にとっては
はじめてのウイルスです。

専門家でも解明の手がかりは少なく現時点では
新型ウイルスを把握している人はいません。

現在は流行っている「HINI型」は「豚」に流行した
「インフルエンザ」が元になっています。
これを、さらにさかのぼると「鳥インフルエンザ」に由来し
水鳥の腸にウイルスが寄生していることがあります。

その後ウイルスが変異し人間に感染し、「人から人に」の
感染が判断された時に「新型インフルエンザ」と呼ばれます。

この根源は「水鳥」なので「渡り鳥」などを
介して世界へと広まるのです。

通常のインフルエンザは秋から冬にかけて
季節性のものとして流行ります。

ですから過去に感染したりして「免疫」があり
多くの人が抵抗力を持っています。

しかし「新型インフルエンザ」」は【10年~40年周期】で
現れますので誰もが免疫が少なく老若男女を問わずに
感染するのです。

高齢者は感染しないの情報が流れましたが、全死亡数の半数は
60歳以上の方となっており、間違った情報でした。

そして深刻なのは「新型」には現在、有効なワクチンがありません。
新型は「発生後」でなければウイルスを入手できず
効果的なワクチンは出来ないのです。

今回の「新型」は4月にメキシコで感染が始まり
日本には5月の上旬に上陸したと思われます。

本格的な供給は10月から行われますが、量的不足により遅れております。
ワクチン以外にも「タミフル」や「リレンザ」など
「抗ウイルス薬」もありますが全くたりません。

ワクチンは接種後、免疫力が高まるまで「2週間」ほ
ど経たなければ効果はでません。

厳密には2ヵ月後に効果が出て、有効期間は半年ほどです。

このような様々な懸念材料が積み重なり「新型」の感染が
世界中に広まる事を「パンデミック」と呼んでおります。

しかし「パンデミック」はすぐ脅威になるわけではありません。
今の「HINI型」は弱毒性で深刻な社会不安には至っておりませんが
安心は禁物です。

過去には「スペイン風邪」や「アジア風邪」のように
弱毒であったにも関わらず、その後変化して
何千万人もの死者を出したことがあるからです。

加えて2度目の感染ピーク時に死亡しているのです。

この冬がその「2度目」のピークになる可能性もあり
侮ってはいけないのです。

WHO(世界保健機構)が基準となり各国で定める警戒レベル。
フェーズ1~6まであります。

今の「HINI型」は「人から人に感染する」【フェーズ6】です。
強毒の「H5N1型」は「フェーズ3」に設定されています。

「人から人感染」を起こさない「フェーズ2」は
人類が人為的に止めることが出来ます。

しかし「フェーズ3」では人為的にそのレベルを下げられません。
そして「フェーズ4」まで上がれば1ヶ月もしないうちに
「フェーズ6」まで進行すると「WHO]はコメントしています。

もし強毒の「H5N1型」の感染が始まれば爆発的な勢いで広まるのです。

我々は更なる「新型」に備え予防意識を高める必要が有ります。

身近な予防法は「流行地に行かないこと」や
「繁華街への外出はなるべく避ける」などの
行動の予防に加えて「手洗い」「うがい」そして「マスク」、
それぞれ確実な予防法ではありませんが、感染確立を
下げる手段としては、我々に出来る有効な手段なのです。

しかし最も大切なのは「感染者の9割」が自力で治している事実を
踏まえ、日頃から体調を整え体力と抵抗力の強化に努めることでしょう。



安田紘一郎 雑記張

これから冬になり、「来春の4月」ごろまでの危険期間を
迎えるわけですが、ワクチンも最高の手段ではない言われてますので
個人の行動によって感染の規模が変わるとおもいます。

「うがい」「手洗い」「マスク」を徹底してみよう。

ある女性起業家「夢追求」の奮闘記! 安田紘一郎雑記帖

2009-11-02 05:14:42 | Weblog
【ドン底からの〝夢追求〝ある女性起業家奮闘記】

夢を引き寄せる「速読と速聴」の物凄い効果!




平井七重と申します。
私は思いもよらず、子供3人を連れて女1人で生活を
する事になり,「何かをしなければ」と考えている時
「携帯電話」を普及させる営業の仕事が、巡って来ました。

当時24歳の私は「絶対に稼ぐ」の思いで頑張りました。

成績も上がり、良い結果も出ておりましたが、周囲を見ると
同じ商品を同じ環境で営業をしても、人により大きな差が
出るのはなぜかの?疑問を持っていました。

その仕事を9年間続けて、34歳の時に「速読」の先生と知り合いました。

読書は苦手で「速読」には全く興味はなく「速読のインストラクター」を
育てたいという友人の相談にはなれませんでした。

しかし「先生」に逢ってくれとの友人の熱意にまけ「先生」にお逢いし
「速読はどんなものか」と試しに習ってみると
「これは凄いかもしれない!」と思ったのです。

それは「速読」で自己コントロール能力が上がる気がし、
「これは素晴しい」と感じ取りました・

9年間の営業生活で、たえず「独立」したいと思っていましたので
この「速読」を「基礎」に起業することに致しました。

梅田で第1校を開き、今は7校を開校しています。

「速読スクール」では「読む」という行為を
「見る+わかる」と定義しています。

人が1分間に読める文字は500文字平均といわれていますが、
「速読」のトレーニングで10倍の「5000文字」は
普通に読めるようになります。

だいたい「読める」のではなく「理解」して読めます。

その上に「感性が」磨かれます。

文字を読むのではなく、文字を「追って」文字を
形として覚えるトレーニングなので「感性」を磨くことになるのです。

二つ目は「緊張感」を逃がす効果も大きいです。

「早く読む」という行為によって、皆さん緊張しますが、
そこで私が敢えて話しかけてリラックス」させます。

集中する為に「リラックス」する事が大事なのです。

少し変わったトレーニングもしています。

日本語の文字を読む「速読」の横で「速聴機」から
「英語」を流すのです。

「速聴」とは「機械」を使って早いスピードで「英語」を
聴くことにより、その音域をつかむ能力を身につけます。

日本語と英語は音域が違いとても聴きづらいのですが
「速聴機」で繰り返し聞く事により、次第に耳が慣れ
脳が耕かされ、突然英語が聞き取れる様になります。

次に時間の効果があります。

一日は24時間ですが「速読」によって「脳」の回転が上がり
なんと一日が48時間になったような感じさえします。

いろいろ「速読」の効果を話して参りましたが
トレーニングを重ねるとなぜそんなに早く「文字」が
読めるように成るのでしょう。

車にたとえると「高速道路」から「一般道」に降りた時
「一般道」を走る他の車が遅いスピードに見えますね!
同じ理屈です。 「速いスピード」に慣れた「脳」は
その「速さ」になれてしまうのです。

速いスピードで文字を見ることに「脳」を慣れさせれば
早く読めるようになるのです。

人間の「その環境に対応しょうとする能力」を
訓練することです。

お蔭さまで多くの熱心な生徒さんにも恵まれ
今後は京都・滋賀・名古屋での開校を展開予定です。

有り難う御座いました。


安田紘一郎雑記張

苦労を苦労と思わない「平井講師」の前向き人生感に
共鳴することも多くありました。

平井講師も自己コントロール力と自己表現力は大いに
参考にしたいところです。