島野栄道師 【ニューヨーク大菩薩禅堂・金剛寺住職】
46年前「5ドル」と「仏像1体」で二ユーヨークへ
50年間にわたりアメリカ・ヨーロッパに
ZEN(禅)を広めている国際的文化人
島野老師談 《昨日に続いての第2部です。》
本当にその頃のアメリカは凄い国であらゆる所に
世界の珍しいものが沢山ありました
サンフランシスコでの事です。
ユニオンスケアの一角に大きな「古道具屋」がありまして、
そこで物凄くデカイ釣鐘を見つけました。
店主に尋ねますと「バスタブに使うのか」と言いました
「五右衛門風呂」と間違えたのです(笑)
よく見ていると「弘治元年・大徳寺」と書いてありました。
身体が震えてくるのがわかりました。
「弘治元年」は西暦で1555年ですね、
織田信長が本能寺で亡くなったのが1582年でその葬式が
2度行われましたがその1度が「大徳寺」でした。
つまり、この鐘は信長の葬式を知っている鐘なのです。
この鐘がどうしても欲しくなりました。
欲しいと思うのと同時に「他」に渡したくなかったのです。
値打ちの判らない人や場所に売られて行って、
それこそ植木鉢代わりに使われたり訳のわからない使い方を
されることが嫌だったのです。
価格が当時の私にとっては大変な負担になる額でしたが
欲しい「鐘」はあるけれども「金」が無かったのです。(笑)
1966年の話です、店主に話をしました。由緒ある「鐘」であり、
どうしても欲しいので、少しだけ払い残りは後から払うので
送って下さい、と頼み込みました。
今では考えられませんが「手持ちの内金」だけ払っただけで
「鐘」を送ってきました。
私は飛行機で帰り、「鐘」は列車で来ました。
皆に集合をかけました。
「スペシャルミーティング」をすると伝えました。
アメリカ人は「スペシャル」に弱いのですね。(笑)
皆に事情を話し致しました。
そして、まず私が「鐘」をつきました。
「グォーン」の音に皆びっくりして歓声や奇声をあげました。
ひとりひとりに「鐘」をつかせましたが、なかなか上手く行きません。
アメリカ人は「力まかせ」につくからです。
何度かつくうちに上手になってきましたが、
素晴らしい「鐘の音」にもびっくりした様です。
なにせ、多くの「鐘職人」が耳を悪くしたといわれる「音」なのです。
皆「感動」していました。
全員に「鐘」をつかせた後、「お金」の話を切り出しました。
「力」を貸して欲しいと依頼したのです。
アメリカ人の良いところですね、
即座に「足らない金額」より「かなり多い金額」が集まりました。
すぐにお礼状と共に借りていたお金を送りました。
不思議な事ですね、その「鐘の音」のお陰で私の人生を変えて頂いた
「カールソン夫妻」と知り合ったのです。
ゼロックスのコピー機発明者の「チェスター・カールソン」です。
始めは、電話があり「カールソン」といいますが
「家内と2人そちらに行くので”座禅”を教えて下さい」
との事だったのです。
「座禅」を始めた「カールソン」は言いました
【貴方は遠く日本から来てアメリカ人に「座禅」を
教えてくれているのにアメリカ人は貴方になにもしていない。
アメリカ人はケチでズルイ人種なのです】
【貴方が大変な苦労をされている事を、皆はよく知らないと思う
誰かが貴方の”力”にならなければ「アメリカ人」の恥になる。
私が応援致しましょう、小さなお寺でも建てましょう】
私には何も断る理由はなく「イエス、プリーズ」と言いました(笑)
今思うと「カールソン」が「アメリカ人はケチでズルイ」と
言った背景には「カールソン」自身が「スエーデン」からの
移民だったせいでしょう。
「カールソン」は若い頃「新聞配達」をしたりして、
大変な苦労をしたようで、アメリカ人の長短をよく知っているのです。
彼は【今、アメリカ人に必要なのは”座禅”の心です】と断言しました。
私は「感動」しました、物凄く感動しました。お金の額ではありません。
良くぞそこまで見て、よくぞそこまで言ってくれたことに感動したのです。
「カールソン」に戴いたお金で「ニューヨク67丁目」に「正法寺」を建立しました。
そして改築をして「1968年・9月15日」にお披露目のセレモニーを行い
「カールソンご夫妻」も列席されました。
それを見届けるように、そして4日後「カールソン」は
心臓発作で亡くなりました。
「マイ・ミッションイズオーバー」ですね。
皆さん生きているという事はまだ「ミッション」がある事なのです。
「神様」なり「仏様」なり「天」が生かしてくれているのです。
「カールソン」の死後大変な仕事を戴いたのです。
それは「ミセス」より「遺産」を全て任せるので
「カールソン」の遺志を継いで「何か人の為になることに使ってくれ」
と、言われたのです。
私には無理と何度もお断りしたのですが、
貴方以外にいないと口説かれて最後には引き受けたのです。
そこで相談したのが「ビル・ジョンストン」という人です。
この「ビル」も私の大変お世話になった一人のアメリカ人です。
そして「ビル・ジョンストン」は言いました。
【「貴方が、今後、楽な生活をおくりたいのなら何もするな」
「意義の有る人生をおくりたいのなら、何かをしなさい、
私も手伝います」】 と相談に乗ってくれたのです。
皆さんここが大切なんです、 誰でも楽な生活が良いと思っていますよ。
【意義の有る人生をおくりなさい!】の進言が決心させました
私は「ビル」の進言をいれて、「大菩薩禅堂」を建てたのです。
その後の「人の為」になることをすることです。
「ビル」の「自分の思いを言葉」にする事の大切さを学んだのです。
【イチローと野村克也監督は凄い!!】
少し話が飛びますが日本人は、自分の思いや願いを
言葉にする事が苦手で、下手なんです。
でも最近の日本人で「2人だけ」それが出来る人を見つけました。
マリナーズの「イチロー」と楽天の監督をしていた「野村克也氏」です。
イチローのインタビューはアメリカでも聞くことがあり
「野村さん」の話はアメリカにいても、マスコミを通して伝わり
どちらからも、いつ聞いても言葉の凄さを感じています。
この「お2人」はご自分たちの言葉を持っていますね、だから
この人たちが「一言」話すと「ズーン」と心に来るのです。
この「お2人」は凄いですよ、野球人としても素晴らしい選手でしたが
人間としても素晴らしい人たちです。
お世話になったアメリカ人の「カールソン」も「ジョンストン」も
同じように自分の言葉を持っていましたね。
良い意味で「人の心を刺す」言葉を持っているのですが、
それは考え方、哲学、方向性が基本にあるからなのです。
先ほどもふれましたが「人の縁」は恐ろしいですよ。
「カールソン」との出逢い、そして悲しい別れ、
すると入れ替わるように「ジョンストン」との出逢いです。
「禅の修業」は一人でも出来るのですが、自力である程度まで行きますが、
ある程度まで進むと行き詰ることも出てきます。
そのまま終わることもあるでしょうが、それは少しだけと思います。
必ず何かが起こります、人との出逢いであったり、
物とのであいであったり、知識であったり、色々あると思いますが
その時、自分はどう決断するのかが、大切なのです。
「1963年」に尊敬申し上げる「安谷老師」と共に
仏教の故郷インドのブダガヤに行きました。
「安谷老師」はその時「77歳」でした。
誰でも仏教徒はそこに行くと大変な感動を覚えるのですが
「安谷老師」は憚ることなく「大号泣」されたのです。
物凄い声で、感極まって「もう死んでも良い」と言われていました。
私はその時は、まだ「号泣」するまでにはなってなかったのです。
それからは「7回」インドに参りました。
その帰りに立ち寄った「タイ」の空港で「JFK・ケネディ」の
暗殺のニュースを聞いたことを思い出します。
あれから「47年」時の経つ速さを感じており、
「アメリカも変わり」「日本も変わり」「世界も変わりつつ」あります。
現在、ニューヨク大菩薩禅堂では、お釈迦様の時代からの伝統を守り
春と秋の修行期間を設け、その間に「年6回」の大接心を行っております。
そして今の冬の間でも「雪のニューヨーク」で15・6人の人が修行をしております。
今年は「山門」を建てる計画も御座います。
短期滞在者の受け入れもしておりますので
是非ニューヨークにお越しの際はお立ち寄り下さいませ。
ご清聴有難う御座いました。又、お会いしましょう!
安田紘一郎雑記帳
老師のお話を拝聴し、「混迷の時代」」
「先が見えない日本」「物が溢れている時代」
「生きる意義の見出せない時代」
「生命の尊厳の自覚の無い時代」
こんな時代にこそ「身も心も捧げ」純粋に座禅をする
素晴らしさを何度もお話をされた中で
私は考えていかなければいけない事の
多さに自分自身驚いています。
46年前「5ドル」と「仏像1体」で二ユーヨークへ
50年間にわたりアメリカ・ヨーロッパに
ZEN(禅)を広めている国際的文化人
島野老師談 《昨日に続いての第2部です。》
本当にその頃のアメリカは凄い国であらゆる所に
世界の珍しいものが沢山ありました
サンフランシスコでの事です。
ユニオンスケアの一角に大きな「古道具屋」がありまして、
そこで物凄くデカイ釣鐘を見つけました。
店主に尋ねますと「バスタブに使うのか」と言いました
「五右衛門風呂」と間違えたのです(笑)
よく見ていると「弘治元年・大徳寺」と書いてありました。
身体が震えてくるのがわかりました。
「弘治元年」は西暦で1555年ですね、
織田信長が本能寺で亡くなったのが1582年でその葬式が
2度行われましたがその1度が「大徳寺」でした。
つまり、この鐘は信長の葬式を知っている鐘なのです。
この鐘がどうしても欲しくなりました。
欲しいと思うのと同時に「他」に渡したくなかったのです。
値打ちの判らない人や場所に売られて行って、
それこそ植木鉢代わりに使われたり訳のわからない使い方を
されることが嫌だったのです。
価格が当時の私にとっては大変な負担になる額でしたが
欲しい「鐘」はあるけれども「金」が無かったのです。(笑)
1966年の話です、店主に話をしました。由緒ある「鐘」であり、
どうしても欲しいので、少しだけ払い残りは後から払うので
送って下さい、と頼み込みました。
今では考えられませんが「手持ちの内金」だけ払っただけで
「鐘」を送ってきました。
私は飛行機で帰り、「鐘」は列車で来ました。
皆に集合をかけました。
「スペシャルミーティング」をすると伝えました。
アメリカ人は「スペシャル」に弱いのですね。(笑)
皆に事情を話し致しました。
そして、まず私が「鐘」をつきました。
「グォーン」の音に皆びっくりして歓声や奇声をあげました。
ひとりひとりに「鐘」をつかせましたが、なかなか上手く行きません。
アメリカ人は「力まかせ」につくからです。
何度かつくうちに上手になってきましたが、
素晴らしい「鐘の音」にもびっくりした様です。
なにせ、多くの「鐘職人」が耳を悪くしたといわれる「音」なのです。
皆「感動」していました。
全員に「鐘」をつかせた後、「お金」の話を切り出しました。
「力」を貸して欲しいと依頼したのです。
アメリカ人の良いところですね、
即座に「足らない金額」より「かなり多い金額」が集まりました。
すぐにお礼状と共に借りていたお金を送りました。
不思議な事ですね、その「鐘の音」のお陰で私の人生を変えて頂いた
「カールソン夫妻」と知り合ったのです。
ゼロックスのコピー機発明者の「チェスター・カールソン」です。
始めは、電話があり「カールソン」といいますが
「家内と2人そちらに行くので”座禅”を教えて下さい」
との事だったのです。
「座禅」を始めた「カールソン」は言いました
【貴方は遠く日本から来てアメリカ人に「座禅」を
教えてくれているのにアメリカ人は貴方になにもしていない。
アメリカ人はケチでズルイ人種なのです】
【貴方が大変な苦労をされている事を、皆はよく知らないと思う
誰かが貴方の”力”にならなければ「アメリカ人」の恥になる。
私が応援致しましょう、小さなお寺でも建てましょう】
私には何も断る理由はなく「イエス、プリーズ」と言いました(笑)
今思うと「カールソン」が「アメリカ人はケチでズルイ」と
言った背景には「カールソン」自身が「スエーデン」からの
移民だったせいでしょう。
「カールソン」は若い頃「新聞配達」をしたりして、
大変な苦労をしたようで、アメリカ人の長短をよく知っているのです。
彼は【今、アメリカ人に必要なのは”座禅”の心です】と断言しました。
私は「感動」しました、物凄く感動しました。お金の額ではありません。
良くぞそこまで見て、よくぞそこまで言ってくれたことに感動したのです。
「カールソン」に戴いたお金で「ニューヨク67丁目」に「正法寺」を建立しました。
そして改築をして「1968年・9月15日」にお披露目のセレモニーを行い
「カールソンご夫妻」も列席されました。
それを見届けるように、そして4日後「カールソン」は
心臓発作で亡くなりました。
「マイ・ミッションイズオーバー」ですね。
皆さん生きているという事はまだ「ミッション」がある事なのです。
「神様」なり「仏様」なり「天」が生かしてくれているのです。
「カールソン」の死後大変な仕事を戴いたのです。
それは「ミセス」より「遺産」を全て任せるので
「カールソン」の遺志を継いで「何か人の為になることに使ってくれ」
と、言われたのです。
私には無理と何度もお断りしたのですが、
貴方以外にいないと口説かれて最後には引き受けたのです。
そこで相談したのが「ビル・ジョンストン」という人です。
この「ビル」も私の大変お世話になった一人のアメリカ人です。
そして「ビル・ジョンストン」は言いました。
【「貴方が、今後、楽な生活をおくりたいのなら何もするな」
「意義の有る人生をおくりたいのなら、何かをしなさい、
私も手伝います」】 と相談に乗ってくれたのです。
皆さんここが大切なんです、 誰でも楽な生活が良いと思っていますよ。
【意義の有る人生をおくりなさい!】の進言が決心させました
私は「ビル」の進言をいれて、「大菩薩禅堂」を建てたのです。
その後の「人の為」になることをすることです。
「ビル」の「自分の思いを言葉」にする事の大切さを学んだのです。
【イチローと野村克也監督は凄い!!】
少し話が飛びますが日本人は、自分の思いや願いを
言葉にする事が苦手で、下手なんです。
でも最近の日本人で「2人だけ」それが出来る人を見つけました。
マリナーズの「イチロー」と楽天の監督をしていた「野村克也氏」です。
イチローのインタビューはアメリカでも聞くことがあり
「野村さん」の話はアメリカにいても、マスコミを通して伝わり
どちらからも、いつ聞いても言葉の凄さを感じています。
この「お2人」はご自分たちの言葉を持っていますね、だから
この人たちが「一言」話すと「ズーン」と心に来るのです。
この「お2人」は凄いですよ、野球人としても素晴らしい選手でしたが
人間としても素晴らしい人たちです。
お世話になったアメリカ人の「カールソン」も「ジョンストン」も
同じように自分の言葉を持っていましたね。
良い意味で「人の心を刺す」言葉を持っているのですが、
それは考え方、哲学、方向性が基本にあるからなのです。
先ほどもふれましたが「人の縁」は恐ろしいですよ。
「カールソン」との出逢い、そして悲しい別れ、
すると入れ替わるように「ジョンストン」との出逢いです。
「禅の修業」は一人でも出来るのですが、自力である程度まで行きますが、
ある程度まで進むと行き詰ることも出てきます。
そのまま終わることもあるでしょうが、それは少しだけと思います。
必ず何かが起こります、人との出逢いであったり、
物とのであいであったり、知識であったり、色々あると思いますが
その時、自分はどう決断するのかが、大切なのです。
「1963年」に尊敬申し上げる「安谷老師」と共に
仏教の故郷インドのブダガヤに行きました。
「安谷老師」はその時「77歳」でした。
誰でも仏教徒はそこに行くと大変な感動を覚えるのですが
「安谷老師」は憚ることなく「大号泣」されたのです。
物凄い声で、感極まって「もう死んでも良い」と言われていました。
私はその時は、まだ「号泣」するまでにはなってなかったのです。
それからは「7回」インドに参りました。
その帰りに立ち寄った「タイ」の空港で「JFK・ケネディ」の
暗殺のニュースを聞いたことを思い出します。
あれから「47年」時の経つ速さを感じており、
「アメリカも変わり」「日本も変わり」「世界も変わりつつ」あります。
現在、ニューヨク大菩薩禅堂では、お釈迦様の時代からの伝統を守り
春と秋の修行期間を設け、その間に「年6回」の大接心を行っております。
そして今の冬の間でも「雪のニューヨーク」で15・6人の人が修行をしております。
今年は「山門」を建てる計画も御座います。
短期滞在者の受け入れもしておりますので
是非ニューヨークにお越しの際はお立ち寄り下さいませ。
ご清聴有難う御座いました。又、お会いしましょう!
安田紘一郎雑記帳
老師のお話を拝聴し、「混迷の時代」」
「先が見えない日本」「物が溢れている時代」
「生きる意義の見出せない時代」
「生命の尊厳の自覚の無い時代」
こんな時代にこそ「身も心も捧げ」純粋に座禅をする
素晴らしさを何度もお話をされた中で
私は考えていかなければいけない事の
多さに自分自身驚いています。