紘一郎雑記帳

多くの講師の講演から面白い情報をお届け癒します。

琴光喜追放?相撲という「戦いのドラマ」,前田克巳氏講演会「第2部」

2010-06-30 05:16:03 | Weblog
※ 琴光喜追放? 相撲界が大揺れに揺れている、
  野球賭博!とんでもない汚点になった
  それでも名古屋開催? 何が”国技”だ!・・

その相撲界に青春をかけ、汗と涙をながし多くを学び、
その経験をもとにして引退後、企業家として大成功した
「前田克巳氏」の講演録を「1部・2部」に分けて投稿します。

【今の相撲協会に欠けているもの!!】

【相撲に見た人生観、仕事観】

前田克巳氏講演録
「株式会社間口・代表取締役」

※過日投稿の続きです。

相撲界に入り「心を練り」「技を磨き」「体を鍛えた」のは
いわゆる「相撲道」を極めることでありました。

「心を練る」とは、粘土を練るように、伸ばしたり、縮めたり
ぐちゃぐちゃに揉み、混ぜ合わせることです。

心を様々なかたちに伸ばしたり、縮めたりして、誘惑などに
負けない対応力をつけるのです。

「技を磨け」とは砥石で刃物を研ぐときに使う言葉であり
小さなことにも「集中」して積み重ねることなのです。

目線を少しだけあげて、一歩ずつ、着実にたゆまぬ努力を、
し続けることと理解しました

人生を振り返ってみても「大きく羽ばたいたり、飛んだり」
したことではなく、こつこつと一生懸命にやってきたことが
自分の「技」や「能力」になっていると感じる事なのでしょう

そして「体を鍛える」ということは「熱い鉄」を冷たい水で
冷やして「ハンマー」で思い切りたたいて、いじめて鍛えるのと同じで
「体」を思い切り鍛えることと思っています。

そういえば「昭和14年」に現在に至るまで破られていない、
歴代最高の「69連勝」を成し遂げた「「双葉山」は
負けて記録が途絶えた日に、親しい友人に
【我、未だ木鶏(もっけい)たり得ず】と電報を打ったそうです。

木鶏とは中国の故事にある、無念・無想・無欲でまるで
木のように見える闘鶏の事である

まだ自分はその境地に至っていないので、また一度
新しいスタートに立とうとしたのでしょう。

私の現役時代の大横綱「大鵬関や柏戸関」は巡業先ども
真っ先に土俵にあがり、稽古の最後まで付き合い
自分より下の力士の胸を借り、ぶっつかり稽古を
やっていました。

その時のかけ声は「まだだ・まだだ」どこまでいっても
完成などなく、「まだまだ」と思い込む、そういう精神がないと
横綱という地位は保てないからでしよう。

それほど「地位」は重たいものなのです。

その後、わたしは入門から「2年」チョットで幕下まで
番付を上げたものの、膝を怪我したこともあり
「22歳」で引退いたしました。

そのときは「幕下10枚目」くらいでしたが、
周りの友人が皆大学を卒業して、就職するときであり
一つの区切りをつけたい気持もありましたが
「次の場所」に勝ち越して、2年ぐらい、頑張って
「関取・十両」を目指そうと思い、負け越したら辞めえる覚悟で
挑んだのですが、「2勝5敗」で負け越し引退の決意をしました。

場所後、親方のところへ「辞めさせて下さい」と言いました。

親方は「なんでや!それより膝の治療に行け!」と
引き止めてくれましたが、結果、了解を戴きました。

当時、親方はプラチナで出来た「実印」を
指輪にしておられましたが、それを外し
「これを持って協会に行き「退職金」を
貰って来いと差し出したのです。

お金を渡せばそのまま逃げる弟子もいた時代に
そこまで信用して頂いたことは、今も
忘れられない「思い出」です。

私は力士としては「幕下」のままでした。

しかし、あの偉大な「土俵の鬼」と言われた「若乃花」に
弟子として、そばにおいてもらったという事と
「肌と肌」を接して稽古をつけてもらい、
一緒に風呂に入り背中を流させて貰ったことは
私の人生の最高の「誇り」だと思います。

相撲はドラマです【続きは次回投稿】します。


紘一郎雑記張

いよいよ、来るところまで来た模様の
【相撲界】最近の記事を拾ってみた

警視庁は古市容疑者の背後に暴力団関係者が
いなかったかなどを捜査するとともに、
力士らによる野球賭博の実態解明や、
野球賭博を主催していた胴元の特定を急ぐ。

 捜査関係者によると、古市容疑者は琴光喜関が昨年12月、
野球賭博の「勝ち金」である約500万円を
現役幕下力士(34)に求めた際、
琴光喜関に対し「賭博をばらされたくなければ、
口止め料を支払え」などと脅して、今年1月、
現金約350万円を脅し取った疑いが持たれている。

 古市容疑者は幕下力士の兄。
警視庁が22日に逮捕状を取って以降、
所在不明になったが、代理人を通じて
出頭する意向を伝えてきたという
警視庁は恐喝後、さらに琴光喜関に1億数千万円を
要求したとして、恐喝未遂容疑でも立件する方針。

 警視庁はこれまで、琴光喜関や、
仲介役の阿武松(おうのまつ)部屋所属の床山(29)らから
複数回にわたり、任意で事情聴取。
琴光喜関が恐喝被害を相談していた
大嶽親方(42)=元関脇、貴闘力、本名・納谷忠茂=らからも
事情を聴くなどし、裏付け捜査を進めていた。










第4部・藤原正彦氏講演会・日本人のこころ

2010-06-28 05:09:58 | Weblog
第4部
【日本人の心・藤原正彦氏講演会】

今は,どこの国も何をしていいのか判らない状況となっています

帝国主義はダメという事は「第1・2次世界大戦」で
多くの犠牲を出して人類は気付いたのです

共産主義がいかに素晴らしいことを言っても「74年間」
ソ連や東ヨーロッパが失敗してわかりましたね
大きな犠牲を払い、間違いに気づきました

「世界新自由主義」が間違っていた事も、
今,実証されていますね

これから世界が研究する事は色々な誤った「教義」や
「イデオロギー」が崩れて終焉しました

「貧しいけど、幸せ」多くの人々が「感じる」
世の中を作らなければいけません

日本でも「20年位」前までは
「世の中の状況にあわせて変節する人」や
立場により、勝ち馬に乗るとか、くるくる変る人は
「風見鶏」といって嫌われて馬鹿にされたのですが、
今では「空気が読める」とか「賢い人」といわれ
世の中が間違ってきています。
至上最低の国となってきています

「世界的」にみても「日本」もそうですが「法治国家」と
いって威張っていますが「法治国家」は恥ずべき国なのですよ

「法律」で人々の「行動」や「言動」を規制する事であり
それしか「人々」の治安を保てないのです。

広義なる国家とは「道徳」とか「倫理」によって自分の行動を
「自己規制」し「自己管理」する事であるのです。

日本の江戸時代を見てみましょう
法律など殆どなく、時折「たて看板」が出る程度なのに
「100万人」の江戸市民を「300人」の目明しで守っていました。

「3人」で「1万人」の安全を見ていたのです。

それでも治安は保たれていたのです
なんでこんな事が出来たのでしょう

その、当時の日本は
「親を泣かしてしまう」「先祖の顔に泥をぬるな!」
「お天道様は似ている!
こんな「美しい発想」が日本はあったのです。

しかし、今の日本の政治家を見てみなさい
「法律に反していないから無実だ!」といいはる
嫌な政治家の多いこと!

後ろ指さされても恥ずかしいという事を
感じなくなっているのです。

少し学校で問題があればすぐ訴訟する親たち、
親が子供育てることを忘れてしまっている、日本になりました。

それ以外でも「訴訟・裁判」「訴訟・裁判」の繰り返しで
何とか「金」になればとするのが、丸見えの時も再々ありますね

人間の誠意を「金」で計算する「日本人」になりました。

そんなに「法律」が完全ですか、
日本人には「法律」と違う「道徳」が有ったのです。

それが「国の力」となっていたのです。

明治維新で、永い「鎖国政治国家」から起き上がった日本は
僅か「37年」で世界の最強国であった「ロシア」を
叩きのめしたのですよ。

近代になってから、有色人種が白人と戦って勝ったなんて
世界で始めての事を日本はなしとげたのです。

これには「世界中」に人々がびっくりしたのです。
特に「アジア」の国々は驚きましたね

アジアの国は殆どが「植民地」となっていました。
ところが「日本」が「ロシア」に勝ったのです

アジアの人々は拍手喝さいし、大きな自信にもなりました。

インドの人達は「涙」を流して喜んだそうです。
インドはいつまでも「英国」の「植民地」であり、
そこから逃れられないと、思い込んでいたのです。

日本が「37年」で「ロシア」を倒す国づくりをしたことは
インドに勇気を与えたのです。
ベトナム戦争もそうですね。

あお「ロシア」との戦争が無ければ。又負けていたら
北海道と千島を「ロシア」のものになったでしょうし
「朝鮮半島」もロシアのものになったでしょう。

それほど「歴史的正義の戦争」を「日本国民」はしてきたのです。
明治の人々は戦いとったのです。

日本の生命線は数千年にわたり「朝鮮半島」の安定が
「日本」の安定の基礎になっていたのです。

「ロシア」も勿論、2次大戦後の「アメリカ」の
「朝鮮半島」に対する政策をみれば良く判ります

日本を管理するには「朝鮮半島」を押さえておけばよいのです。

国があったから出来たのです。
昭和20年「アメリカ軍」は日本を無茶苦茶に爆撃しましたね
「8月10」にの爆撃「13日」には「軍事工場」も何もない
田舎まで攻撃し「原爆」まで投下したの

「アメリカ軍」は日本は悪い国と「日本人」に教え込み
それを信じて、日本人子供に教え込んでいるのが
「日教組」なのです。

ところが「日本」は「30年」で見事に「経済復興」しました
日本人は凄いのです。
しかし「日本」には碌な政治家はいませんが「日本人」が偉いのです。

明治時代には「世界の国」が日本の真似をしました。
すれほど「日本」はすごいのです。

政治家は好きではありませんが「伊藤博文」とか
「山県有朋」なんか凄い「文人」ですよね

「司馬遼太郎」さんは「乃木希典大将」のことを
良く書いていませんが、司馬」さんの
とんでもない間違いですよね

「乃木大将」なんて「戦場」で詩をよみ「新聞記者」なんか
太刀打ちできない「凄い俳人」ですね。

あの戦いでは多くの兵隊が亡くなりましたが、
多くの兵隊は「乃木大将」の為と思えばこそ
死んでいけたのですね

今の、政治家とは「部下からの慕われ方」や
「考え方」が違ったのです。
そんな凄い国「日本」の基本は「国柄」なんですね

その国柄は「基礎教育」からできていたのですね。
日本が戦後復活した」大きな源は「経済」でしたが
それの「日本の基礎教育」の教えが世界で認めら
「れ経済復興」したのですね。

経済での「基礎教育」は「納期を守る」「時間を守る」
「約束した品質」を守るなど、こんな簡単な事が
「世界」で認知されたからですよね

これらは、日本の教育の「初等教育」であり「基礎教育」で
教わることですよね
日本人にとっては「当たり前」の事ですよ、・・

これが「国柄」であり「日本」はこれで持っていましたね。

私は、外国の方に良く言うのです
【15世紀から16世紀にかけて「日本」で生まれた「文学作品」は
その間に「ヨーロッパ」で生まれた「文学作品」を「質量」とも
圧倒していますよね】

外国人は何も言い返せませんね
日本は素晴しい「文学作品」がいっぱいあるのです。

日本人は
「書いて人に知らせるだけで良い”文字”を”書道”」にし
「喉を潤す”お茶”を”茶道”」にし
「観て楽しむ”花”を”華道”」にする、
なんでも「芸術」にしてしまう「異常」な国民なのですね

「ゴッホ」は書いていますね
【私の芸術なんて、”日本”の”芸術”からみれば恥ずかしいものだ】

ヨーロッパ人とは違うのです。
その代表的な”道”が”武士道精神”であったのです。

日本人が昔から持っている「素晴しい」ことは「自分に事」だけはなく
他人に、弱者に優しく出来る精神、それが「武士道精神」ですね

それが日本の国柄なんですね、この国を大切にしましょう!

ご静聴有難う御座いました

紘一郎雑記張

武士道について考え、少し「日記帳」を紐解き
「武士道精神」について記憶したことを、記してみる。

武士道は、千年史のうち700年間、つまり鎌倉幕府の成立から
明治4年の廃藩置県までの時代を貫いた精神、
新渡戸稲造が「ノブレスオブリ-ジュ」(高貴な身分に伴う規範的義務)と
よんだ「武士道」である

これを持ち得た日本は幸いであった。
元冦のさい、敢然として対峙したのは24歳(文永の役)、
31歳(弘安の役)だった執権北条時宗であり、
のち19世紀の幕末に隣国清が列強に蚕食されていくのをしりめに
国柄を維持し、近代的国民国家に仕上げたのも
当時20代から30代の若き志士たちでありました。

吉田松陰先生にお聞きしたい!
先生なら、【今の日本をどう導かれますか?】






















第3部日本人のこころ、藤原正彦氏講演会

2010-06-25 05:24:21 | Weblog
第3部【藤原正彦氏講演会】

日本の国柄とは何でしょう

まず世界でダントツの「初等教育」でした

日本では数世紀にわたり素晴らしい
「初等教育」が行われてきたのです。

私の思う「初等教育」の重要の順は

【1に国語・2に国語・3,4が無くて、5に算数
 あとは10位以下】

誰がなんと言うと大事なのは「国語」なんですね

その「国語力」のはかり方がありますが、
それは国民の何%が字が読めるか!という事です

江戸時代の初期、西暦1600年台の初めに「日本人」は
「50%」の人が字が読めました、
二人に一人が字が読めたのです。
こんな国は世界中何所にもありません

当時、一番の先進国であった「イギリスのロンドン」でも
「30%」ほどの人しか「字」が読めなかったのです。
ロンドンを少し離れて田舎にいくと「字」が読めるのは
「牧師」さんだけだったそうです

日本では地方の「どの藩」に行っても多くの人が字が読めたのです。

当時のロシアでは「字」が読めたのは「貴族」だけでした
ロシアは「貴族」=「将校」=「字が読める」だったのです

日露戦争では「日本人は1600人」が全員字が読めましたが
「ロシアは1900人」の」中で数百人しか「字」が読めなかったので
殆ど「けだものレベル」相手に戦争したようなものですね。

乃木大将が気の毒になりますね。

1628年には京都の数学者「吉田光由先生」は当時世界の
数学常識であった「壱・十・百・千・万・億・兆」に加えて
「万」と「億」の」間に「壱拾万・百万・一千万」の位を
入れたのです、世界で最も凄い発明をしていたのです。

それ以外にも、数学の単位も付け加え、素晴らしい教育を
していたことが、吉田先生の著書『塵劫記』からも判るのです

「塵劫記(じんこうき)は大ベストセラーになっのです

「フランス」なんか、今でも「85」というのは
「20×4」+「5」というのですね

このようにして日本は「国語」も「数学」も数世紀間、
世界で「圧倒的」に優秀であったのです。

それが最近の調査では日本の子供達は「数学が10位」で
「国語が15位」でしたね

文科省の役人にそれを言ったら、
【世界の中で「10位」と「15位」なら良いほうでしょう】
というのです。もうだめですね

日本は狭い国土の中に「1億2千万人」の人が住み
「80%」が山林で「資源」もない国ですね、

日本人の「頭」が資本なのです。
ですから「10位や15位」ではやっていけないのです。
そんあ簡単な事が判っていないのです。

文科省はフインランドが一位なのでそこから学ぶとか
言っていますが「フインランド」から学ぶ物などありません

大国ロシアと戦い続けてきた「フインランド」は尊敬出来、
好きな国ではありますが「学問」において学ぶ事はないと思います。

「日本」は「13人」の「自然科学」の「ノーベル賞」受賞者を
出していますが「フインランド」は一人です。
「中国」も「韓国」も一人もいませんね!

アジアでは他に「5人」の「「ノーベル受賞者」がいますが
全員「自国内」で研究せずに「外国」で受けたのです。

「日本」は「13人」の中で「12人」が「日本国内」で
研究して「受賞」したのです

自前で計算して自前で研究できる国は世界でいくつもないのです。
5ケ国ほどです。日本は凄い国なのです。

この間の受賞された「名古屋大学の益川教授」などは
「ノーベル賞」の授賞式が始めての「外国旅行」でしたね

このように「日本」は「留学」しなくても「日本国内」だけでも
充分研究できる国ということを、忘れてはいけませんね。

色々と世界に壊されてきましたが「日本人の心」まで壊されました。

日本は「金銭」に対して執着しない国民でしたが
それが大きく変ってきました。
「金銭崇拝」から遠い国が日本人でした
「経済至上主義」は日本人には向いていませんね。

1549年に日本に来た「フランシスコ・ザビエル」が
【日本人は不思議な民族だ・金持ちがえばっていない、
貧乏人が自分を卑下していない】

当時の「ヨーロッパ」は「金持ちは幸せ」であり「貧乏は惨め」で
「悲惨ば事」だと思われていたのです。

「貴族」が「権力」も「富」も全てを持っていたのです。

ところが日本は誰もそんなことを思っていない。
「侍」は権力はあるが、決して「金持ち」ではない。
びっくりしたそうです。

「武士は食わねど高楊枝」など「ヨーロツパ」では
考えられない事なのでしょう。

日本には【「貧しい人」はいるが「貧困」はない!】
といった外国人もいました。

日本人は【「みんな貧しいそうだ」が「みんな幸せそうだ」】
こんな国は世界中、他にはないだろう
明治維新に日本に来た外国人の多くが言ったそうです。

日本は世界の人から見ても「羨む」様な素晴しい国でした

今は「日本」も「世界」も可笑しくなって来ました。

続きは「藤原正彦氏講演会・第4部」投稿致します。


紘一郎雑記張

藤原先生は【「日本」も「世界」も可笑しくなってきた】と
話されましたが、特に「日本」が可笑しいと思います

「菅 直人新総理」の「沖縄」についての発言です

菅直人首相が副総理・国家戦略担当相だった昨年9月の
政権交代直後、民主党の喜納昌吉参院議員(党沖縄県連代表)に対し、
「基地問題はどうにもならない」
【もう沖縄は独立した方がいい】などと語っていたことが
「6月15日」に分かりました。

菅首相は、23日にに沖縄訪問し、
沖縄の負担削減を話しましたが
就任前とはいえ、国土・国民の分離を主張していたことは
大きな波紋を呼びそうだ。

 喜納氏が、鳩山前政権末に記した新著
「沖縄の自己決定権-地球の涙に虹がかかるまで」(未来社)で
明らかにした。

 この中で喜納氏は政権交代後、
沖縄の基地問題に関して菅首相と交わした会話を紹介。
喜納氏が「沖縄問題をよろしく」と言ったところ、
首相は「沖縄問題は重くてどうしようもない。

基地問題はどうにもならない。
もうタッチしたくない」と漏らし、
最後は「もう沖縄は独立した方がいい」と言い放ったという。

 喜納氏は著書の中で
「半分ジョークにしろ、そういうことを副総理・財務相であり、
将来首相になる可能性の彼が言ったということ、
これは大きいよ。非公式だったとしても重い」と指摘している。

その菅氏が総理になったのです。
「日本」は可笑しくないですか?


















































第2部 日本人のこころ 藤原正彦氏講演会 安田紘一郎雑記帳

2010-06-23 09:28:05 | Weblog
第2部【日本人のこころ】

【藤原正彦氏講演会・6月8日】

外国が日本から奪った中に「教育」があります。

「教育勅語」は素晴らしい「人間」をつくり、
「世界中」が「絶賛」していたものでしたね。

それをあっさり捨ててしまって、つまらない「教育基本法」を
押し付けられたのです。

本当は今の「日本の新憲法」と「教育基本法」が
「日本」と「日本人」を無茶苦茶にしてしまったのです。

一番の罪悪は昭和20年に進駐軍がやってきて、
その年の11月か12月位から、変えるまでの5年半の間に
行った「言論統制」なのです、

秘密で「検閲」をしていたのである。

ラジオ、新聞、雑誌などで事前にチェックし検閲したのです。
しかも「その事」を「絶対秘密」にしていたのです。

何を検閲したかと言いますと

1・米軍を批判してはいけない
2・マッカサーを批判してはいけない
3・原爆について批判してはいけない
4・日本の戦前を賛美してはいけない
5・天皇陛下を賛美してはいけない
6・東京裁判を批判してはいけない

これらに基づいて「教育」や「報道」が行われ
「日本人」を「洗脳」したのです

「約1万人」ほどの「日本人」がこの「スパイ」の様な役目をし
「日本人洗脳」に手を貸し協力したのです。

「私の父」のような「気象台」の一員でしかない人間の
「私信」まで中を開けて検閲していたのを、はっきりと覚えています。

そして、そんな事実は全く秘密にされ日本人は知らなかったのです。

さて「アメリカ占領軍」は「6年ほど」で「帰って」いきました。

普通はそこで終わり、米軍の影響はなくなり、
再び日本の「良さ」を思い出し、体勢を立て直すのですが、

ところがその後を「米軍」と同じことを「日教組」が行ったのです。

「国際共産運動」の「支配下」にあった「日教組」が全く
「アメリカ占領軍」と同じ事をしたのです。

日本の不幸の始まりでした

「日教組」は戦前の「日本」を否定し「天皇」も
「自分の国を自分で守る事」も「戦前の教育」も
「国歌」も「日の丸」も否定しているのです。

「日本の過去」も「日本の歴史」も日本の文化」も
全てを否定しているのです。

「アメリカ占領軍」が「6年間」、日教組が「50年間」
この「日本否定」の教育をしているのです。

これで「日本」が良くなる事はありませんね!。

日本の「75歳以下」は総崩れで「若者」の悪口を言う人がありますが
「年より」も、どうしようもないですね!

いい人は「85歳以上」だけの「日本」になりましたね
「85歳以上」の人には本当に立派な人がいますね、
政界にも、学会にも、経済界にも沢山、立派な人がいます

「85歳以上」の方々が「日本」の中心で頑張っていた時代、
「20年位」前までは「日本」は順調でしたね

そしてその方々が「引退したり」「亡くなったり」して
日本は「下り坂」になったのです。

欧米の基本的な考え方として「第1次世界大戦」で「ドイツ」を
「徹底的」に「破壊」しましたが、その後「20年後」には
再び「ドイツ」は復活し「第2次大戦」となった訳です。

「日本」や「ドイツ」が、もう二度と「立ち上がらない」ようにするには
「日本人」と「ドイツ人」の「心」を破壊する事にしたのです。

日本人の「心」を破壊するのに「アメリカ占領軍6年」と
「日教組50年」の教育で成功しましたね。

経済問題がそうですね! 
何でも「アメリカ」の言う通にする事が「日本」が良くなるなんて
思っている「学者」や「政治家」が山ほどいるのです。
「日教組」教育の成果です。

そもそも「経済」では「アメリカ」も「中国」も
「韓国」もすべて「敵国」だという、基本的なことさえ
日本国の多くは知らないのです。
「顔」は笑っていても「日本の誇り」を腹に秘めた
交渉や取引が重要なのですが、今の日本人には無理でしょう

そんな教育は受けていないからです。

「政治」とか「経済」とかは、やはり「祖国」に対する
「誇り」とか「自信」が無ければダメなのです。

「自分」さえ「良ければ良い」という、誤った「個人主義」を
教え込まれた結果が今の「日本」の状態なのです。

私の本心は「政治」や「経済」にあまり関心はありません、
「経済」はたたかが「経済」ではないかとおもうのですが
「国柄」が壊されていく事は、許す事ができないのです。

では「日本の国柄」とは何なんでしょう!

続きは「第3部」に投稿致します

紘一郎雑記帳

私も「アメリカ占領教育」と「日教組教育」に
洗脳されている一人かもしれません

各政党のマニフェストに「暮しや」「経済政策」に目がいき
「安全保障」や「国のかたち」「教育」「憲法」など
日本国の「基本」になる様な「政策」を真剣に検討して
「選挙行動」をしなければならないでしょう

国民全体が「経済」や「くらし」「生活保障」に明け暮れて
「日本国家」の事は「心」にない、「アメリカ占領軍」と
「日教組」の思惑通りの国民となっているのですね。










































日本のこころ 藤原正彦氏講演会 安田紘一郎雑記帳

2010-06-21 05:17:47 | Weblog
●第1部【藤原正彦氏講演会・日本人の心】
  「6月8日講演」より

1966年 東京大学卒業
2006年『国家の品格』が第23回新語・流行語大賞を受賞

藤原です

どうも最近の日本はおかしくなってきていますね

今朝も、多くのマスコミから、「菅新政権」に対して
コメントを求められましたが、「何も期待していない」ので
全てを、断わりました。

小泉さんの後から5人の総理が代わり、昨年の民主党政権からも
「二人目」の総理でありますが、又、次は誰か知りませんが
全く期待できないですね、

日本の総理は誰がなっても「改革」する「意欲」も
「能力」さえもなくしています
こんな政治家に期待するほうに問題があるのでしょう

「政治と金」の問題にしても、いつまで経っても、
誰がなっても解決不能な状態なのです。

小澤さんは何の反省もないのは、他にも日本人の中に
同じ様に金権主義の人が多くいて、特に政治家に
多いわけですが、誰も「小澤さん」を追求できないからですね。

今の状況を見てください
「事業仕分け」なんて「日本経済」になんの影響も与えませんよね
「事業仕分け」で中小企業が助かるわけでもなく、
庶民の暮らしが良くなるわけでもないです。
こんな物で喜んでいる訳で、どうするのですか、馬鹿ですよね。

菅さんも「財政再建」を言っていますが、
本当に日本の問題点は「財政問題」ですか?

大きな「赤字国債」を発行していますが「95%」は
「日本人」が「日本国内」で持っているのです
そんな事は世界中「何所の国」にもないですね

一言で言えば「だんな」が「奥さん」に「借金」している様なものです。

「財政」よりも日本の問題点は「デフレ」問題なのです。
「財務省」に騙されているのです。

今、日本に必要な事は、どんどん「国債」を出し「財政出動」して
「公共投資」をじゃんじゃん行う事なのです。

いつの間にか「公共投資」は「悪者」になりましたね
そんな事はありません。

これは「エコノミスト」を通して「アメリカ」の思惑が入り
日本人を騙しているのです。

今こそ「財政出動」をし、公共投資をするのです。

不必要な道路は要らなくても、大阪でいえば「電柱」を
地下に埋めるとか、地方に病院を作るとか「重要」な
「公共投資」は沢山あります。

それらを「どんどん」進めていくのです。
「緊縮財政」は「アメリカ」の謀略なのです。

日本人はなぜ「外国」に弱いのでしょう
大体、日本の総理で「外国首脳」と対等に
渡り合える人はいないですね

日本の総理が「オバマ大統領」に向かって
「そんなに偉そうにするな、何か実績があるのか」
ぐらいは言って欲しいと思うね

中国に行って胡錦濤に
「中国は人のコピーばかりして泥棒の国ではないか!」
言ったらどうですか。

日本人はいつの間にか「卑屈」になっていて
「全人外交」かなにか知らないが、馬鹿正直な
付き合いをしているのですね日本は!

ヨーロッパでは「ドイツ」ですね、
医学でも化学でも、何でも、世界でダントツで
あれほど「優秀」な国民が戦後のトラウマでしょうか
元気がなく、首をうなだれています。

ドイツ人の落ち込み方は日本人以上ですね、

3年前のある統計ですが
「自国」が【外国に攻められたらどうするかの】問いに
銃を持って戦うと答えたのはドイツ人は15%人でしたが
それに、並んで「15%」だったのが「日本」でした。

この優秀な「日本とドイツ」が二度と立ち上がれないように
「憲法」を作成し「文化」や「教育」を改悪したのです。

アメリカや欧州の思惑通り「日本もドイツ」も「「2流国家」と
なったのです。

日本の憲法をみてみると「9条」は誰がみても
「自衛隊」は違憲ですよね
小学生でもわかりますよね

他国や敵から攻められても「じっと我慢して」
何もしてもいけないという憲法ですね。

「アメリカに応援を頼む」しか方法がないのです。

「憲法9条」には「日本」は周囲の「友好的」な「平和的」な
気持ちに頼って生きていくとしてあり「自ら自分を守る」ことを
否定しているのです。

「日本」のそして「自分の」運命を「周囲」の
「他国」に任せてしまっているのです。

「誰に」に攻められても、自分で自分を守れない情けない国なのです。

外交に押し付けられたのは、もう一つは「教育」ですね

【続きは第2部にて投稿いたします】


安田紘一郎雑記帳

時事通信【菅直人首相は11日午後の
衆院本会議で、就任後初の所信表明演説を行った。
首相は、財政健全化による「強い財政」実現のため、
「経済・財政・社会保障を一体的に立て直す」と強調した。
特に、「強い経済」の実現に向け、
これまでの「公共事業中心」「供給サイドに偏った、
生産性重視」のいずれでもない「第3の道」を追求する考えを表明した】

菅総理の「演説」で「財政問題」で「藤原氏」の
指摘とは全く異なる考えであり期待は出来ない。

それ以上に情けないのは「国の安全保障」に
ついて殆ど方針がない事である。

「強い経済」「強い財政」「強い社会保障」を
菅総理は言いましたが【強い国】は入っておりません

「緊迫している朝鮮半島」日本を含む「東アジア」は
「異常事態」となっている最中「菅総理」は、
今後どうして日本を私達の命を守ってくれるのか
「不安」で仕方がない。



菅民主党政権と【はやぶさ】帰還に思う  紘一郎雑記張

2010-06-18 05:27:05 | Weblog
【はやぶさ】帰還に思う 
 民主党政権の事業仕分けの無茶苦茶

平成15年5月に打ち上げられ、小惑星「いとかわ」への
着陸を成功させた、探査機「はやぶさ」が
「7年ぶり」に地球に帰還した。

小惑星探索という「科学的目的」に加えて「電気推進」の
「イオンエンジン」や「自律航行技術」などを検証する
「工学実験機」でもあったのです。

想定した目標を達成したこと以上に、想定外の苦難を
乗り越えた経験は自信になることでしょう

日本国民は喜んでばかりではダメです。
こんな事実も思い出しましょう
次に同じような失敗をしない為に・・

しかし、私ははっきりと覚えているのです。

民主党政権のつい最近 悪質な事業仕分けで、
●蓮舫議員の
「世界一になる理由は何があるんでしょうか?、
2位じゃダメなんでしょうか?」

「この発言」もうお忘れですか?
蓮舫議員の発言に「拍手喝さい」した人も多くいたとの
報道もありますね

それが原因で 後継機「はやぶさ2」の開発費は、
自公政権の2010年度予算概算要求時の17億円が、
民主政権の概算要求やり直しで5000万円に、
さらに「事業仕分け」を経て3000万円まで削られたために
時間が迫っているのに、未だ製造に着手出来ていません。

事業仕分けは単なる「民主党」の「支持率アップ」の
ためであることが暴露された。
民主党政権は日本を如何するつもりでしょう。

「科学予算削減」の「民主党政権」は、「はやぶさ帰還」
絶賛は「現金過ぎ」ませんか!

世界に冠たる快挙」なのに予算は減額? 
 宇宙航空研究開発機構の小惑星探査機「はやぶさ」の帰還に
、菅内閣からは14日、冒頭の仙谷官房長官の発言を
はじめ絶賛が相次いだが、科学技術予算を削り込んできた
民主党政権の“現金さ”にあきれてしまいます。

はやぶさ、後継機の予算3000万に縮小…着手できず
 宇宙航空研究開発機構は後継機「はやぶさ2」の計画を進めている。
文部科学省は昨夏、今年度予算の概算要求に17億円を盛り込んだが、
政権交代を受けた予算削減で3000万円に縮小され
製造に着手できていません

はやぶさ2は、目標とする小惑星と地球の位置関係などから、
2014~15年に打ち上げないと、
次の機会は10年以上も先になる。

来年度には製造に着手しないと間に合わない。
川端文部科学相は11日、
「(はやぶさの実績が)次につながるようにしたい」と述べた。

 ただ、財政状況は厳しい。宇宙開発の今年度予算は
3390億円で前年度比2・6%減です。

今後も大幅増は見込めない。
はやぶさの快挙をどう生かすのか、注目される。

「菅首相」は「宇宙航空研究開発機構」の
「川口淳一郎教授」に電話し、
「日本の技術水準の高さを世界に強くアピールした」と
称賛しました

宇宙開発担当の前原国土交通相も
「宇宙開発史に画期的な一ページを加えた」との
談話を発表したようです。

これからの「民主党の政策」に是非、期待したいものです。

「事業仕分け」はこのブログで何度も取り上げましたが
民主党政権に期待する仕分けは
「国会議員の定数削減」と「公務員給与引き下げ」です

それ以外の仕分けは「この2点」の「仕分け」に
「手をつけて」から開始してください

【ここまでを本日投稿する予定でしたが・・
今朝のメールニュースで下記の記事を見た。】

蓮舫議員も科学技術仕分けの失敗を認めたようだ。
するとあの時の発言はなんだったのか?
この議員は本当に真剣に勉強して政治を
行っているのかを疑わずにはいられない。
【内容は下記である】

【蓮舫行政刷新担当相は17日、新聞などのインタビューで
「(日本が)科学技術の分野で一番を目指す。

あるいは他の分野でも一番を目指すのは当然だ」と述べた。
昨年の行政刷新会議の事業仕分けで、
次世代スーパーコンピューター開発に関し
「2位ではだめか」とした自らの発言を修正した格好だ。】

政治家はいいね、発言を取り消せば
何を言っても許される職業であるようだ。 終わり






【卑弥呼はここにいた!】寺澤薫氏講演会より 紘一郎」雑記張

2010-06-16 05:08:00 | Weblog
※第2部 卑弥呼!【最新”邪馬台国事情”】講演会

卑弥呼はいずこに?まぼろしの王国」
「ヤマト」国から「ヤマト王朝」へ

講師ー寺澤 薫氏「橿原考古学研究所・部長】

●二つ目のポイントは

卑弥呼は「ここにいた!」のではないか
という事です。  纏向遺跡です。

「卑弥呼」は「纏向」にいたのでしょう!
しかし「卑弥呼」は「邪馬台国」の「女王」ではありません。

「纏向」は「邪馬台国」に有りましたが、
しかし「卑弥呼」は邪馬台国」の女王でなかったのです。

「卑弥呼」はなぜ「女王」で有ったのか?
中国の書物によると【「倭国」が乱れて「卑弥呼」が女王になった】
と書かれています。

「卑弥呼」は「241年」に亡くなったとされていたのが
定説でしたが、私は少々違うと考えています。
この頃の「後漢書」「漢書」は必ずしも「倭国」の事を
正確につかんでいないように思うからです。

「魏志倭人伝」だけに頼ってきた、わが国の歴史感を
少し拡大し「韓霊」なども参照すべきでしょう。

それらから創造すると「3国史」時代の前後「公孫氏」の
影が「卑弥呼」擁立に見えるが、その「公孫氏」が
死後はすぐさま転換する代わりの早さも見せているが、
その話しは次回にいたしましょう

さて、「卑弥呼」は国内をまとめていく事も
大切な仕事でした。

「卑弥呼」の出る、2世紀までは圧倒的に政治の
中心は「九州」にありました。

「漢書」「後漢書」などからもそれが判ります。
江戸時代にはそれらの証拠物が出ています。

多くの「土器」はじめ発掘物から「九州」中心の
「国家」は間違いないのです。198年ごろです。

「出雲」にも「瀬戸内」にも国家がありました、
「吉備」にもありました。
「東海地方」からも「発掘品」もでています。

その中で諍いが起こり「倭国」が乱れてていると
「魏時代」に思われたのでしょう

「2世紀」の終わりぐらいから「倭国」が乱れていては
拙いとの考えがあり、又「倭国」を味方利用とする
考え方が出てきた時に、その動きが出てきたのでしょう。

「卑弥呼」が「ヤマト」にいたことに繋がるのです

●3つ目は「卑弥呼」は「邪馬台国」の「王」ではなく
そして「ヤマト」は「邪馬台国」の中心的勢力では有りません
その話しを致しましょう

「卑弥呼」が「邪馬台国」の「女王」でないことは
当たり前の事で「魏志・巻30」の、どこを読んでも
「卑弥呼」が「邪馬台国」の「女王」とは一言も書いてないのです。

その中では「卑弥呼」は「倭女王」と書いたのが「3回」で
「倭王」と記したのが「5回」で、女王が「3回」です。

国名は、【「倭国」が3回】で【女王国が5回】、その他が1回づつです。
【邪馬台国も1回】だけです。

「邪馬台国」は実は所在地であって「卑弥呼」がいるので
書いただけで「倭国」の中心であるとは全く書いていません

「女王の都するところ」と「魏志倭人伝」に記されていますが
それが「邪馬台国」である事は間違いありません。

「卑弥呼」がいたところが「邪馬台国」ですから、
「纏向遺跡」は「邪馬台国」にあり、「ヤマト」は
「奈良県の南部」をさしていたが、それが「奈良県全体」となり
やがて「日本国中」全部を「ヤマト」と呼ぶようになったのです。

「卑弥呼」は間違いなく「邪馬台国」にいましたが
しかし「卑弥呼」は「邪馬台国」の女王なんかではなく
【倭国】の【女王】だったのです。

「邪馬台国の女王」なんて、そんな【ちゃち】な
【女王】ではなかったのです。

「邪馬台国」は【倭国】の中心であり「ヤマト」の
中心ではなかったのです。

おそらく「邪馬台国」は「弥生時代」の「大和盆地南部」に
あった「ヤマト国」であり【倭国】を構成する「連合国」の
ひとつであり「「女王の都するところ」であったのです

【倭国】とは「日本全体」のことなのです。

今の日本でいえば【邪馬台国】は【東京】にあたり
【日本】全体が【倭国】にあたるのです。

【卑弥呼】は「東京の知事」ではなく「日本国・倭国」の
【最高責任者「総理」】だったのです。

「昭和53年」からの調査で長年にわたっての努力で
発掘した、今回の発見の遺跡を、調査した成果は
「建物」の規模もさることながら「4棟」の建物が
東西南北の中軸線に沿って配置されていた事が重要です。

この様な構造は、その後、おそらく「飛鳥時代(7世紀)」
ごろまで例が無いのです。

内郭、外郭の二重構造があったらしく、今回の「建物」は
地形などから「西半分」にあたると推測されます。

この時代における「祭祀」や「政治的」な
中枢部分であることは間違いないのです。

何度も申し上げますが「纏向遺跡」は「ヤマト王朝」の
最後の都宮であり、「卑弥呼」が現れた後の「新しい」
【倭国】の「大王郡」でありました。

発見された、大型建物跡は「ヤマト王権」、【倭国】の
「大王郡」の「宮殿跡」である可能性が高いのです。

「卑弥呼」が今回調査したあたりに住んでいた可能性は
極めて高いのですが、ただし「卑弥呼」は「倭国」の
「女王」であって「邪馬台国の女王」ではないのです。

そこを「「きちん」と認識することが大切ですね、

最後に「日本国家」の形成の問題は、これまで「7世紀」の
「飛鳥」の「宮々」を、一つの起点としてとらえてきましたが
今後は「3世紀」の「纏向遺跡」の段階まで広げて
考える必要が出てきたことが、大きな成果でしょう。

日本の「国家形成史上」の画期的な出来事でした。


紘一郎雑記張

「纏向遺跡」のあたりから、右手をみると「若草山」方面から
「奈良」の町がのぞめる。

「いにしえの奈良の都」も「纏向のヤマ王朝」から数えると
数百年後の「最近?」の「都」となる。
「奈良」でも「倭国」の時代から思えば「近代都市」である。

正面には「大和三山」が見えるが、1800年前には
どんな形をしていたのであろう。

「大和三山」に「緑の木」が無ければ「あっ、ピラミッドだ!」
古代エジプトとの」関連は有ったのか、夢は果てしなく広がる!

左手には「多武峰」の中腹に「談山神社」が霞の中に浮かぶ
645年に後の「大化の改新」談合をしたとされる
「中大兄皇子」と「藤原鎌足」の密会の「古い話し」も
「卑弥呼」からみれば「500年」近く最近の事件である

ここに立つと「日本」の「倭国」の歴史を
「ヒシヒシ」と感じるのであった。

「1300年蔡」で沸く「奈良の平城京」
「ヤマト王朝」は「1800年」以上、前の国である





























































”卑弥呼”のふるさと講演会より第1部 寺澤 薫 橿原考古学研究所部長

2010-06-14 05:09:24 | Weblog
【最新”邪馬台国事情”】講演会

卑弥呼はいずこに?まぼろしの王国」
「ヤマト」国から「ヤマト王朝」へ

最新【邪馬台国情報!】

講師ー寺澤 薫氏「橿原考古学研究所・部長】

寺澤氏

皆様は奈良県の「桜井市」にある「纏向遺跡」と
いう名を耳にされた事もあると思いますが、
この遺跡が「卑弥呼」のいたところではないかと、
マスコミを騒がせました。

考古学を模索するものの「1人」として
日本に「お米」が伝わって「国家」の形が出来てくる
「弥生時代」に、いまからお話しする「王権」といえる
物が現れる「3世紀」のこの列島に「卑弥呼」が
生きていた時代の話を申し上げます。

「邪馬台国」の話しは大変「ロマン」があり「江戸時代」から
「邪馬台国」はどこにあったのかが「論争」が行われて来ました。

ご存知の様に古い「日本の歴史書」である「日本書紀・古事記」の
中には「邪馬台国」は出てきません。「卑弥呼」も出てきません

それも仕方が無いことで「どちらも」「奈良時代」に
書かれたものであり。それまでの日本には「字」が無かったのです。

しかし「天皇」の事や「国」のことを書いたものが
有っただろうと言われてはいますが「「形」がありません

ところが「中国」の文献には「日本」のことと思われる
「倭人」という言葉で少しだけ出てきます。

「魏志倭人伝」の中で最後の方に「2千字」にて
「邪馬台国」が記されているのです。

その中で「卑弥呼」なる女王がいた「邪馬台国」がありました。

その文献から推測すると「九州説」や「畿内説」がでてくるのですが
それ以外にも「色々」と多くの「邪馬台国」が出ています。

文の読み方次第で「どこでも」当てはまり、本当の所は
全くわからない、のでした

しかし、戦後の考古学の調査が進み「遺跡」の発掘が進むにつれて
「文化」の「土台」の発掘等「文化」の中心がわかり
続けて「政治」の中心の場所が判明してきました。

そして、現在は「ヤマト説」「九州説」に別れますが
考古学的に申しますと私の調査では「邪馬台国」は
「ヤマト」しか考えられないのです。

一番、大きな「キーワード」は「年代」なのです。
「発掘」した物の遺物によって一点づつ年代を
調べていきますが、今は「20~30年」単位でわかります。

細かく一点一点を順番に並べていき時代を
合わせていくのですが少しでも矛盾が出れば
そこでその調査はおわりです。

そして結果が出て、「飛鳥」であるとか「ヤマト」で
あるとか、歴史に「発言力」のあるものが出れば
「マスコミ」に取り上げられますが
何が発見されたから「こうだ」なんて事は少なくもいえないのです。

今回の「纏向遺跡」の場合でも「建物」が「発見・発掘」されたから
「卑弥呼」がいたという「簡単」な物ではないのです。

今回も「40年間」発掘を続けて「170ヶ所」も発掘して見つかり
ようやく他のものとつながりつつあるという事が判っただけなのです。

「纏向遺跡」に「卑弥呼」が、いたかどうかはわかりません
卑弥呼はもう少し前の時代だと言うのが「九州説」の方の意見です。

これから「3つ」のポイントでお話ししましょう

● 一つは「考古学」で言う「纏向遺跡」は「弥生時代」から
「古墳時代」にかわる時代のものであることです。
「弥生時代」の終わりをあらす物でした。
そしてそれは「ヤマト王権」の「都」であったのです。

その理由は「弥生時代」は「お米」を作って、その中で
「文化」が発達しきますが「ヤマト時代」の「集落」は
「周りを堀」でめぐらしています。
何重のの堀で固めていますね、
これは防御の意識が強く出て来ていました

前方後円墳、古墳時代のシンボルでもあります。

「纏向遺跡」は堀で囲んでいません。オープンですね
びっくりするほど、大きな集落です。
「三輪山」から流れ出る「川」が何本も流れており、
その川を活用しています。巨大な遺跡です。

そして「3世紀のはじめに」に突然現れてきました。
それまでの、この地域では、こんな集落はあません。

これは「計画的」な町であり、私は「日本」で
初めての「都市」であるといえます。

この遺跡の中には「日本国中」の土器や遺物が集まっています。
岡山・名古屋・本当に日本国中から来ていることは、全国の人が
ここに移住してきて住んでいたことになりますね

まさに「政治」の中心であったのでしょう。
そして「400年」も続くのです。

この「纏向遺跡」の建物をみてみますと、大きな建物がきちんと
「東西南北」にして平然と並び姿は、他では見ることの出来ないものです。

この場所が、この遺跡の中心であり、これからも東へ
発掘すれば「まだまだ」色々と遺跡が出ることでしょうが
残念ながら「JR」の「桜井線」が走っており発掘できないのです。

この遺跡の地下「30m」には2本の大きな川が
流れていたことがわかります。

●二つめのポイントは
 【「卑弥呼」もここにいた!】のではないかという事です。

続きは「第2部」で投稿いたします。



紘一郎雑記張

JR三輪駅をおりて少し左手に進み、細い坂道を登って行くと
道の左右に「実」をつけた「梅ノ木」が薫風に揺れていた。

登りつめたところの竹やぶの間に「寺」がみえた。
「三輪山平等寺」である。元々はこれから行く「大神神社」の
「神宮寺」であり、本尊に「釈迦如来」と聞いている。

寺の裏手には、昔「修験者」が修行した「滝」もあった

ここは「山之辺の道」の中であり「金屋の石仏」と「大神神社」の
間に位置していることは持参の地図から読めた。

途中からではあるが「山之辺の道」を長閑かで、そして
どこか懐かしい田舎道を北へと歩くと「大神神社」の境内に出た。
「三輪明神」である。

「ご神体」が裏手に聳える「三輪山」と聞いていたが、
まさにその「威風堂々」の「山姿」は「感動」さえ覚える。

現代風の「「標高」や「海抜」の数字で「山」を見ることなど、
この【三輪山】を仰ぎみると、空しく思えるから不思議である。


横手にある「狭井神社」の「関西で評判の名水」である
「ご神水」を口に含むと「元気」が出てきた。

少し歩いて、長い階段を登り「久延神社」の境内に入った
「智恵の神様」とし「信仰」があり、多くの「絵馬」を
見ることが出来るが、大半が「学業成就」のようである。

神社の見晴らしの良い場所に出た!

眼下に「卑弥呼」がいたと思われる
「纏向遺跡」がある場所のあたりが見える!

続きは第2回の投稿で・・







































































菅・民主党政権に望む 紘一郎雑記張

2010-06-11 04:55:35 | Weblog
民主党政権の問題点
【菅直人・新総理に望む】

17人の閣僚も決まり、昨日より「小鳩体制」からの「脱却」をはかり、
「菅・新政権」がスタートした。

支持率66%(平均)は期待の大きさを物語っている
まだ、何もしていない内閣への評価である。

菅総理は「9月」までの暫定政権などと思わず「思い切った決断」を
すればその後の展開も広がるはずです。

このブログにおいても、小生初めに、多くの方が「民主党政権」に
異議を申し上げてきたが、それは「小鳩両氏」の金権体質と
「説明責任」を果たさず、「秘書逮捕」も知らぬ顔で
「居座り続けた」事に対する憤懣が第1の原因だと思います。

まず「新政権」の行うことは

【1】民主党政権に期待して政権交代に一票を投じた”国民”に
   対してこの「8ケ月」の無策を謝罪すべきであろう

 ●まず、総理は沖縄に行き、沖縄県民を愚弄した「民主党政権」の
  不手際を侘び、次の展開を正直に懇願すべきでしょう

 ●「小鳩前政権」が手をつけなかった「拉致問題」も「家族会」に
  今後の方針を話し、理解を貰うことが大切です。

  「拉致問題」を真剣に考える方々の中には「菅直人」は
 「北朝鮮」による日本人「拉致被害」の「北朝鮮応援隊」と
  認識して「拉致問題解決」の最大の「敵・菅直人」と思っています。

【2】鳩山・小澤両氏の「証人喚問」を行い「金の流れ」を
   説明させるべきである
  どこから「いくら入り」「誰にいくら渡したのか」
  「私は潔白」と言い張るだけでは説明にならないでしょう

 ●「鳩山・小澤・石川・小林」問題の「4議員」にすぐ
  「議員辞職」を求め、今の国会より追放すべきと思います
 
 ●次に「政治資金問題」では「事務所費疑惑」の「荒井国家戦略担当相」に
   公の場において説明させるべきでしょう
 
 ●そして、同じ疑惑の「川端文科相」と「蓮舫行政担当相」にも
  公の場で説明させることが第1です。
 
 ●「政治資金等」問題で「お金に汚い民主党」のイメージを
   変えるためにも、実態が把握できるまで
  「荒井・川端・蓮舫」の「3大臣」を罷免するか、少なくとも
   この「3氏」の就業を中止し「副大臣」に大臣の仕事を委託し
  その間に真相解明すべきと思います。

  それこそが「クリーン政治・菅直人」の存在価値でしょう

【3】「事業仕分け」で名をあげた「議員」が抜てきされ、要職に
    つくようであるが、先ず「議員削減・公務員給与」の
   「仕分け」を行うことである
   この仕分けをせずに「他の仕分け」をしても、
   それは「ジェスチャー」としか、国民には映らないでしょう。
 
  ●衆議院・参議院の「議員定数」をまず先に検討し
   「大幅削減」をすべきでしょう
   「衆議院 300人」「 参議院 150人」で 併せて
   国会議員は「450人」までで充分と小生はおもいます

【4】「菅総理」に危惧していることは「国家観」であります
  
 ●菅総理、あなたは、ある番組に出た際、「出演者」と
  「スタッフ」全員で「君が代」を斉唱する習わしの中で
  菅総理、1人だけ歌わなかったそうですね!

 ●「菅総理」の「高校時代(山口県宇部高校)」の友人からも
  「菅君」は「君が代」が嫌いと」聞いています
  (小生も宇部市で、様々な情報が入ります)
 
 ●国の旗は「赤旗で良い」は本当ですか?
  
 ●「菅総理」、平成11年に成立した「国旗国歌法案」に反対し
  「反対票」を投じましたが、今でも、その気持ですか?

  ※国会で、是非本心を述べてください

【菅新総理と新政権は、まず、ここからはじめて欲しいものです】

都内で開かれた参院選自民党立候補予定者の
総決起大会で「石原東京都知事」は
「今度の菅内閣、あれも極左だから」と発言した。

民主党が進める永住外国人への地方選挙権付与政策を
批判する中で述べた。

子ども手当など民主党政権の政策への批判を、
もっとすごいことやるかもしらねえが、地方に限って参政権を与えるって。
どうなんですかこれ」と批判

日本人の平和ボケも、行き着く所まで来たようだ。
日本国民は一刻早く、目覚めないと、取り返しがつかなくなるだろう。

日本の国旗・国歌法採決に反対し、靖国参拝は憲法違反、
そしてと辛光洙(シン・グァンス)釈放嘆願書に署名するなど、
親北朝鮮志向が強い反日日本人・菅直人氏が、
日本国の94代総理大臣に指名された。

新聞論調でもわかるとおり、最も喜んでいるのは、
中国と北朝鮮のようだ。

衆議院選挙で、この体制を変えるまで「あと3年」ある。

その3年間の期待は

その1は「菅直人総理」が「変身」して日本国家を知ること
その2は「菅直人総理」が乱心して「解散」すること
その3は「自民党」の「谷垣・大島」のトップ2人が退陣すること
    (与党ボケもいい加減にしてよ!)

【どれも無理みたいですね!】 果報は寝て待てですか・・・


●最後に今朝(11日)届いた「T氏」からの
メールを紹介して、この欄を終わる、

筆者は、ミッキー安川さん(本年1月18日に逝去。
ちなみにこの日は筆者が50歳になった誕生日だった。
だから筆者はミッキーさんの命日を一生忘れない)から、
菅氏の「君が代」に対する姿勢について、こんな話を聞いたことがある。

 ■君が代を歌わない
 ミッキー安川さんは、RFラジオ日本で人気番組を何本かもっていた。
そのうち深夜に放送される「朝まで勝負」では、
深夜0時の時報が鳴るとともに、ミッキーさん、
スタッフとゲストが全員立ち上がり「君が代」を斉唱する。

この番組に筆者が初めて出たとき、ミッキーさんがこう言った。
 「あんたクリスチャンだよな。俺の番組では『君が代』を歌うけれど、問題ないよな」

 「問題?」

 「いや、歌いたくないならば、無理しなくていいから。
  ただ起立だけはしてほしいんだ」

 「ミッキーさん、僕は日本のキリスト教徒ですよ。
『君が代』を歌うのは当たり前じゃないですか。
キリスト教徒だからこそ、目に見えないものに対する畏敬の念をもっています。
天皇様の弥栄(いやさか)をお祈りするのは、当たり前じゃないですか」

 それを聞いて、ミッキーさんはにっこり笑った。そして、こう言った。
 「政治家でも『君が代』を歌わない人がいるんだよ」
 「誰ですか」
 「例えば、菅直人さんだ。この番組のゲストで来てもらったんだけど、
『君が代』は歌いたくないと言うんだ。
俺は、それはわかったから、俺たちが『君が代』を歌う間は、
 立っていてくれと頼んだ」

 「それでどうなりましたか」

 「ちゃんと立ってたよ。ただ、俺は菅さんの態度は立派だと思うんだ。
自分の信念で『君が代』を歌いたくないと思うならば、
歌わないというのは、周囲の雰囲気に合わせて、
ほんとうは歌いたくないと思っているのに、
義理で歌うよりは政治家としてずっと誠実だよ」

 ミッキーさんは、寛容と多元性を尊重する日本の保守思想を体現した人だった。
それだから、菅直人氏の「筋の通し方」を尊重し、かつ評価したのだ。

 内閣総理大臣は日本国家を政治的に体現する。
菅氏も総理として「君が代」を唱うことになると思う。
それは、「君が代」が国家であると法律に定められているからだ。
しかし、菅氏の世界観において、
「君が代」はどういう位置を占めているのだろうか?



 

民主政権【第5部】谷 亮子出馬問題 紘一郎雑記帳

2010-06-09 05:31:14 | Weblog
民主党の5月の問題点 【第5部】

選挙:参院選・比例代表 谷亮子氏、出馬 
   現役は続行「ロンドンで金」

 民主党は10日、夏の参院選比例代表に、
柔道女子の五輪金メダリスト、谷亮子氏(34)を公認した。

谷氏は党本部で小沢一郎幹事長と共に記者会見し
「現役はもちろん続ける。
ロンドン五輪で金メダルを目指す」と述べ、
現役を引退しない意向を表明した。

 民主党は「政治とカネ」や米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の
移設問題などで逆風が強まるなか、
知名度の高い谷氏の擁立で、比例票の上積みを狙う考えだ。
小沢氏は会見で
「本当に100万、1000万の味方を得たような感じだ」と語った。

 谷氏は会見で3月に党側から誘いがあり、
4月下旬に出馬を決意したと説明。
「スポーツ振興に携わりたい。
国民が誰もが望むような国づくりをしたい」と抱負を語った。
所属していたトヨタ自動車を退社したことも明らかにした。

こんな記事を「新聞」で読んだ。驚きました!

本当に「政治家」てそんな「片手間仕事」なのですか?
それでは「歳費」が「無茶苦茶」に「高く」ないですか?

少しだけ、様々な意見を追ってみましょう!

柔道女子の谷亮子選手(34)が、オリンピックを目指しながら
議員活動を行うと宣言したことに疑問の声が相次いでいる。
息子2人の子育てを含めて「3足のわらじ」となるが、本当なのか。

「ロンドン五輪で金メダルを目指します」。
こうあっけらかんと宣言したからだ。

現在の柔道界はランキング制になっており、
五輪までに数々の国際大会でポイントを稼がないといけない。
もちろん、国内選考を勝ち上がることも必要だ。
また、谷亮子選手には、4歳の長男と7か月の二男がおり、
子育てとの両立をどのようにしていくのか。

「スポーツを舐めているのか政治を舐めているのか」
「引退してから出馬すればいいじゃない」
「売名か民主党に利用されてポイかどっちかしか浮かばない」
「何ができるの?政治能力あるの?」…

谷選手は、会見では、スポーツ界の人材育成や
環境整備などに取り組みたいと抱負を語っている。
しかし、こうした指摘についての釈明はなかった。

巷でニュースになっている事は、事実はもっと凄いらしい!

小澤氏より「谷氏」に「「2億円」の選挙資金が渡り
小澤氏は「国民栄誉賞」を約束し
「谷氏」の「父親(組関係者らしい)」が、今後、
事件を起こしても、各方面にに手を回して逮捕させない。

などが立候補の条件提示があり、「谷氏」は「受諾」した、
と情報が専門家の間で、流れています。

● 頼むからウソであって欲しいと思いますが、
  どうも「噂」だけではないようです。

谷 亮子の父親「勝美氏」についての記事を読んで見よう

福岡県警詰記者によれば、田村亮子(谷亮子)の父親(田村勝美)は
福岡市博多を本拠地とする指定暴力団K会、現Y組系の構成員
だったというのである。

そしてあえて触れておけば、この父親には詐欺、傷害、暴力行為などで
前科前歴が多数あるという。

あの「自民党」も何度か「谷亮子・公認」を考えたが、
とても「公認」できる条件でなく諦め経緯があるが
民主党はその「谷亮子」を公認したのである。

父親には、少なくとも「亮子」の大学入学時まで暴力団から
ギャンブルの借金が約4千万円あったが、
ある時その借金を一度きれいに清算したという。

それも帝京大からの7千万円ともいう「支度金」で
払ったといわれています」

この様な事情から「アニマル浜口氏父娘」の様に
「娘」と共に「マスコミ」にも出ることが出来ず
「オリンピック」の応援も行けず「寂しい」父親であったが
今後は「民主党政権」の支援を受けて「大手」を振って
行動できることでしょう。

現役を続けながら、議員を続けたスポーツ選手はいる。
元スピードスケート選手の自民党・橋本聖子参院議員(45)だ。
95年に比例代表で初当選した翌年、アトランタ五輪で
自転車競技にも出場している。
しかし、その苦労は、並大抵ではなかったようだ。

毒舌家【t氏】の記事を読んでみた

田村亮子という女性について、前回かかせていただいたが、
今迄の「毒舌文」の中で一番、たくさんのメールをいただいた。

「金メダルをとった立派な柔道家に対して
なんて失礼なことを書くんだ!人間の本質は容姿の美醜では、
判断できないだろう!」というような内容のメールは、
「1通」も有りませんでした。

「田村亮子の今後の暴走が気になります」とか
「”田村亮子をヤワラチャンと呼ばせない会”が出来た」といった、
私の考えとほぼ同意見メールだったので、
ふうっとほっとしたのであった。

まだ健全な日本人は多くいますね

普天間で人気下落の民主党の客寄せパンダに選ばれたのが、
柔道で世界に名を馳せた谷亮子である。

確かに彼女には、国際的な知名度や人脈もあるだろうが、
彼女が政治に向いているとは思えない。

本人もどこまで真剣に政治について考えているのだろうか。
「田村で金(カネ)「谷でも金(カネ)」「ママでも金(カネ)」の
次は「政治家でも金(カネ)「」とでも思いたったのだろうか。

どちらにしろ、あまりにも唐突な政界進出である。
しかし、どこまで我々国民は民主党に馬鹿にされるのであろうか。

【有名人でも出馬させとけば、選挙もどうにかなるだろう】という、
民主党幹部のふざけた台詞が聞こえてくるようである。

お世辞にも谷亮子に政治ができるとは思えない。

スポーツ選手の才能と、政治力は別物である。

しかも「谷亮子氏」政治に引き込んだ為に
「今まで秘密にしていた極道の父親」の事まで暴かれ
「谷選手」は健全な「柔道家・スポーツマン」の
栄光を棄ててしまったのです。

それだけ「金銭」に困っていたのか「小澤民主党」に騙されたのか
今後の行方が見ものである。

出来れば「小澤幹事長辞任」で義理もなくなり「立候補」を
辞退して「世界の柔道家・谷亮子」に戻る事を期待したい。

大阪からも「お笑い」から「立候補」する人があると聞く、
「辞めてください」政治をバカにするのは!
お笑いからの「立候補」を「禁止(きんし)」します!