山クジラの田舎暮らし

岩手県北の田舎に生息する「山クジラ」です。定年後の田舎暮らしや趣味の山行きのことなど、発信していきます。

水沢山に登る

2014-05-07 19:00:32 | 山行き

5日夜、私の生家に泊まり、朝の6時に父母、長兄の墓参りを済ませ朝食をいただく。7時に出発し高崎市の箕郷町にいる次兄の家をおとすれ、亡くなった次兄の義父の位牌に線香をあげた。次兄のところでは、モウソウタケの竹の子をたくさんもらい。出荷用のフキまでもらった。次兄宅から伊香保温泉への道をたどり、水沢観音の駐車場に車をとめる。何組かが水沢山をめざして登って行った。私たちは当初、榛名山の外輪山の最高峰である掃部ガ岳に登るつもりだったのだが、次兄宅を訪れて時間が推したので、水沢観音から登れることのできる水沢山に行き先を変えた。この山にはやはり高校生の時に登っている。駐車場から登って行くコースと、水沢観音のお堂の左側の急階段を登るコースとがあるが、私たちはトイレの都合もあって急階段からのコースを選んだ。登って行くと万葉集の歌碑があって、さらにその先で駐車場からのコースが合流する。しばらく行くと、本格的登山道になる。現在の登山道は、比較的最近整備されたらしく木の階段がつけられている。よく見るとすぐ近くにえぐられた以前の登山道がある。私たちが高校時代に歩いた道だと思う。整備された木の階段というものは結構疲れるものである。休憩を2本入れると、十二神像をまつった肩につく。一気に眺望が開ける。眼科には渋川市街、前橋の市街地が広がり、向かいにには赤城山、北の方に子持山、その左隣が小野子山、その奥に谷川連峰、その右に上州武尊山が見える。ここからいったん下り、治さなコルを2つ越え登り返すと水沢山(1194.4㍍)の山頂である、山頂からは、榛名山系の相馬山、二ツ岳などが目の前に見えるようなるが、浅間山、草津白根山などは雲の中だった。次兄の家で作ってもらったおにぎりで昼食を済ませ、往路を下山。午後1時少し前に登山口に着く。伊香保温泉の日帰り入植施設「黄金の湯」で汗を流し、渋川に出て18号線を北上、沼田、みなかみ町月夜野をへて赤谷湖畔に出る。湖畔の手前から水上温泉に行く道をたどり、途中左折して川べりに降りていくと、この日の宿・川古温泉・浜屋旅館に着いた。私たちは、1軒しかないこの宿に一泊して、7日、宿を出て月夜野インターから関越道に入り、高崎ジャンクションで北関東道、そして東北道を経由して5時過ぎに自宅に帰り着いた。今回は、私の両親と長兄の墓参りを兼ねての群馬の山旅であった。それにしても、故郷ははだんだん遠くなるというのが実感の旅だった。


丁須の頭に登る

2014-05-07 18:32:35 | 山行き

おばんでがんす。4日に出発してその夜は、国民宿舎裏妙義に泊まり、5日は珍しく宿で普通に朝食をとって出発。篭沢経由で丁須の頭に登った。このコースは最初は植林されたらしい杉林の中を行き、「木戸」という地名のあるあたりから鎖場が登場し、数か所の鎖場を登る。特に丁須の頭直下の鎖場は、いったん登ってから鎖を伝ってトラバースするコースと、かなり長い鎖を伝って登るコースがあった。妻がトラバースが苦手なようなので、少しきついが長い鎖のコースをたどって、丁須の頭のすぐ下の岩棚に着いた。さらにてっぺんまで鎖を伝って行けるのだが、妻の力量を考えてっぺんまで行くのはあきらめた。私は、高校山岳部の合宿で丁須の頭に登り、その時は今より体重もなくてっぺんに立ったのだが、あえて危険を冒すことはできないと思ってやめておいた。しばらくすると何組か登ってきたが、ほとんどがヘルメット着用で、いうなればロッククライミング対応の姿である。この山はそういった山なのだとつくずく感じた次第。頭からは、烏帽子岩などを通って、三方境を回るコースがあるのだが、赤岩の手前にルンゼ状の鎖場があるとも書いてあった。私たちは、この日が今年最初の山入りなので無理をしないことにして往路を下山した。往復4時間30分のコースだった。下山後、国民宿舎裏妙義で風呂に入って汗を流し、旧信越本線の「めがね橋」を観光して、渋川市にある私の生家に向かった。私の生家の近くを高規格道が通るとかで、家の敷地の近くまでかかるインターチェンジができるとのことだった。そうなると風景も一変してしまって、故郷の趣はなくなってしまうだろう。わが故郷の風景も過去の記憶の中だけのものになると思うとわびしいと言わざるをえない。