中爺通信

酒と音楽をこよなく愛します。

名作にドラマあり

2016-07-13 21:08:40 | クァルテット
 今度の山形Q「第60回定期」は私の担当なので、演奏会で配布するプログラムの曲目解説を書くという役目がありました。長い九州旅行中に書くつもりでしたが、すっかり馬刺と焼酎に明け暮れてしまい、一昨日の深夜にようやく上程したのでした。

 毎回、図書館で本を借りてきてきちんと読んでから書くことにしているので、せっかく調べたことを、あの短いパンフには書ききれないのがもったいない。


 ということで、こぼれ話を。まず、今度の一曲目のハイドン「作品64-2」。作品64は有名な「ひばり」を含む名作です。

 ハイドンも58歳。長年、雇われ楽長として期待された以上の仕事をしてきましたが、人生の残り時間もうっすら見えてきて、「ここで終わりか…本当にこれでいいのか?」という葛藤があったと思います。

 ウィーンでは、モーツァルトが好き放題に才能を爆発させている。フリーの奴は、生活は安定してなくても、やっぱり自由です。ああいう姿を見ると、堅く勤め上げてきた自分の人生は、本当に正しかったのだろうかと。

 それはもちろん、これだけの経験と実績を積んできたわけですから、仕事はたやすくできるし、評価も高い。それなりに納得がいく曲も、昔より短時間で書けます。でもこれが本当に、自分の到達点なのだろうか。…定年が近づいたサラリーマンは、多かれ少なかれ思うことではないでしょうか。今も昔も一緒なのです。

 ハイドンのオーケストラにいた、名ヴァイオリニストのヨハン・トストが言います。
「俺はこんな田舎にいてもつまらないから、ここ辞めてパリに行きます。おやっさんの曲、ほんとにスゲえからパリでも弾きますよ。絶対ウケるから。だから餞別のつもりで、何曲か適当に書いて俺に下さい」
 
 …とまあ、想像するにこんな感じで「第1トスト曲集」は作曲されたのではないかと。ちなみに今回の作品64は、「第2トスト作品集」です。

 「第1トスト」の後、公爵の夫人が亡くなった時に、宮廷のこまごましたことを取り仕切るためにある女性がやってきました。彼女はハイドンたちから「女将」のような扱いを受けるわけです。これがなかなかできた女性らしい。しかしこれが、なぜかその後なんと、あのトストと結婚する。

 またしても、ここを離れて華やかなパリに行く知己に、ハイドンは再び餞別を与えた。これが作品64ではないかと言われています。


 作品64は、美しいしよくできてはいるものの、ふとしたところで場違いな感傷が入るところがあります。「ひばり」でさえ、その明るさは、地に足がついていないというか、充実感がない。そこが結果的に独特の浮遊感につながって、名作になっているような気がします。やはり作品76にみなぎる自信とは違う。ただようのは不安でもない、諦めのようなもの。「せめて、私の作品だけでも、遠く華やかなパリに行って羽ばたいておくれ」。

 「64」のなかで、そういうものが一番感じられるのが、今度の64-2です。若干の「喪失感」があるロ短調。

「私はいつまでこんなところにいて、みんなの世話をしているのだろう。これが本当に私の望んだ生き方なのだろうか…と思っているうちに58歳にもなってしまった」

 結果的には、その年に公爵が亡くなって、予想していなかった自由の身になるハイドン。高齢だからというモーツァルトの反対を押し切ってロンドンへ。名声と富を得るとともに、さらなる名曲を数多くのこすことになったわけです。


 人生にはドラマがありますね。その一場面の、本当に内面の部分を切り取って映し出しているのが、作品の面白さです。味わって演奏したいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 故郷の池 | トップ | 新進気鋭 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

クァルテット」カテゴリの最新記事