31日の山形Q定期に向けての練習は、今日ですべて終了。あとはそれぞれ個人が、さらに完成度を高めること、少しでも余裕を持てるようにすることだけです。残された時間はわずかですが、神経質にならず、ゆったりとした気持ちで悪あがきを。
ところで、プロコフィエフの曲をすべて知っているわけではありませんが、一番好きなのはバレエの「ロミオとジュリエット」です。「モンタギューとキャピュレット」の、あのテーマももちろんですが、バルコニーの場面をはじめ色々なところで雰囲気を変えて出てくる「愛のテーマ」も素晴らしいし、決闘のシーンの音楽も、マーキュシオやティボルトの死の場面の曲もローレンスのテーマもジュリエットの墓前も…要するに全部ですね。
「ピーターと狼」でもそうですが、とにかくフレーズによる「キャラクター設定」がすごい。少女ジュリエットやマーキュシオやローレンスは、人物の人柄から立ち居振る舞いまでが目に浮かぶようです。場面ごとに雰囲気を変わり、その人物の気持ちまですごくよくわかる。天才的としか言いようがない。シェイクスピアを超えていると言ったら言い過ぎでしょうか?
つまり、写実的で視覚的な表現の天才だと思うのです。若い頃から、時代遅れの分野だと言われていたオペラに興味を持ち、プーシキンやドストエフスキーの小説をオペラにしていたぐらいですから、「良い文学的素材を音で、より活き活きと表現する」ことが彼にとって一番魅力のある仕事だったのでしょう。
ディアギレフと共にしたバレエの仕事などで、すでにアメリカやパリで名声を得ていたプロコフィエフは、「自分が本当に音楽にしたい素材」について考え始めます。その頃、彼の耳には祖国ソヴィエトの激動の様子が伝わってきていました。と同時に、彼の意図とは関係なく、ヨーロッパの批評家達からは「赤い作曲家」というレッテルを貼られることも増えてきました。こういうことは、嫌がうえにも「自分はロシア人である」という意識を高めたことでしょう。自分がやるべきことは何なのか…そんな時期に書かれたのが、「弦楽四重奏曲第1番」です。
「私は再び、祖国の大地と空気の中で暮らさなければならない。私はもう一度、あの瞬間的に輝き出す、本当の冬と春に会わなければいけない。私の両耳には、ロシアの言葉が響いていなければならないし、私は自分と血をわけた人々と話さなければならない。ここで不足していたことを私のところに呼び戻してもらうために。ここでは私は力を失ってしまった。アカデミズムによって駄目にされてしまうのではないかという危険に私は脅かされている。そうなんだ、わが友よ、私は戻るよ…」(パリの友人に宛てた手紙より)
颯爽とした第一楽章、決闘を思わせるような第二楽章、そして内省的な第三楽章。天才として意気揚々と世界に飛び出して、そこで自分を証明するために戦い、最後に本当の自分のすべきことは何かを自分に問い直す…まるでそれまでの半生をまとめたかのような印象を受ける曲です。特に第三楽章で、意気消沈しつつも、時に懐かしく、物悲しく、激しくあらわれるロシア風な旋律は、まるで上に引用した手紙の文面そのもののようです。そして、彼はこの曲を完成してしばらくの後、ソヴィエトに帰ることになります。
以上、だいぶ入れ込んで書いてしまいましたが、これはあくまでも私個人の解釈でございます。4人で作り上げるものがどうなりますか、また31日に聴きにいらしたお客様がどんな印象を持つかは、また別でしょう。良い演奏会になるよう、頑張ります。
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