そういえば先日、東京で車のタイヤ交換をした時に、若干の待ち時間がありました。一時間半ほどでしょうか。
カー用品というものに全く興味の無い私にとって、店内は婦人服売場と同じぐらいにつまらない。こんなところをフラフラして、人生を90分もすり減らすことはできない。せっかく神様が与え給うた貴重な時間を・・・
・・・と考えた時に、天啓にうたれました。
「そうだ。厄祓いに行こう!」
かねてから、神社というものをこよなく愛し日常的に参詣する私ですが(思想的な偏りはありませんよ)、その度にとても気分を害する物を目にします。・・・「厄年早見表」です。
偉大なる「やおよろずの神々」が、いたいけな信者に対して、こんなチンケな脅迫をするわけがない。神社の維持費を確保しなければならないのは理解するが、聖職者たる者が神々の品位を貶めるような看板を立てるとは何たることか。
しかし・・・自分が「本厄」に入ってから、その看板が各地で大きくなってきてるような気がして仕方がない。特に実家の母親の具合が悪化したりすると、尚のこと威圧感を持って迫ってくる。「早見表」とは、本来、見る者に利便性を提供するはずのものなのに、「さあ、よく見るんだっ!お前だよお前!」と言わんばかりのこの凶暴性は・・・。
もはや最近では、「・・・私がやりました。」と、うつろな目で無実の罪を自白する容疑者のような心境になっていたのでした。
雨の中を神社へと急ぎ、境内にある記帳所のテントに置いてある雨漏りに塗れた鉛筆で、一心不乱に厄除けの申込書を記入・・・あやつられているかのように即、料金を添えて窓口へ提出。
「今日はすいてますから、すぐにできます。中の待合室でお待ち下さい。」
・・・という俗っぽい応対で、ふと我に返るも、もう遅い。
七五三の家族づれから放たれる不審そうな視線を、やや痛く感じながらも、完遂。お祓いの祈祷は滞りなく終わって、小心者の一丁あがりでございます。
何だか「負けた」気がしないでもないが、でも、これでいい・・・。私は「小心者」の謗りを甘んじて受けますから、家族を災厄からお守り下さい・・・離れていると、祈ることぐらいしかできない時がありますからね。
帰りに渡された、お守り・絵馬・お札などが入った、引出物のような手提げを下げて、憑き物が取れたような虚脱感をまといつつ、カー用品店へと戻って行ったのでした。
カー用品というものに全く興味の無い私にとって、店内は婦人服売場と同じぐらいにつまらない。こんなところをフラフラして、人生を90分もすり減らすことはできない。せっかく神様が与え給うた貴重な時間を・・・
・・・と考えた時に、天啓にうたれました。
「そうだ。厄祓いに行こう!」
かねてから、神社というものをこよなく愛し日常的に参詣する私ですが(思想的な偏りはありませんよ)、その度にとても気分を害する物を目にします。・・・「厄年早見表」です。
偉大なる「やおよろずの神々」が、いたいけな信者に対して、こんなチンケな脅迫をするわけがない。神社の維持費を確保しなければならないのは理解するが、聖職者たる者が神々の品位を貶めるような看板を立てるとは何たることか。
しかし・・・自分が「本厄」に入ってから、その看板が各地で大きくなってきてるような気がして仕方がない。特に実家の母親の具合が悪化したりすると、尚のこと威圧感を持って迫ってくる。「早見表」とは、本来、見る者に利便性を提供するはずのものなのに、「さあ、よく見るんだっ!お前だよお前!」と言わんばかりのこの凶暴性は・・・。
もはや最近では、「・・・私がやりました。」と、うつろな目で無実の罪を自白する容疑者のような心境になっていたのでした。
雨の中を神社へと急ぎ、境内にある記帳所のテントに置いてある雨漏りに塗れた鉛筆で、一心不乱に厄除けの申込書を記入・・・あやつられているかのように即、料金を添えて窓口へ提出。
「今日はすいてますから、すぐにできます。中の待合室でお待ち下さい。」
・・・という俗っぽい応対で、ふと我に返るも、もう遅い。
七五三の家族づれから放たれる不審そうな視線を、やや痛く感じながらも、完遂。お祓いの祈祷は滞りなく終わって、小心者の一丁あがりでございます。
何だか「負けた」気がしないでもないが、でも、これでいい・・・。私は「小心者」の謗りを甘んじて受けますから、家族を災厄からお守り下さい・・・離れていると、祈ることぐらいしかできない時がありますからね。
帰りに渡された、お守り・絵馬・お札などが入った、引出物のような手提げを下げて、憑き物が取れたような虚脱感をまといつつ、カー用品店へと戻って行ったのでした。